魔女とお祭り3
静寂から何とか動き出したバーティストとシェイド。二人は顔を見合わせてから、嘲笑を浮かべる。そんなチンケな解決法には興味ないと言った風情だ。それでもリネットは強引に話を進めることにした。
ここでナイフを恐れては事態は動かない。
それにバーティストは見るからにお洒落な紳士。ファッションの話題に食いつくのは目に見えている。それから「若く見られるためにはどうすべきか」の話し合いが、リネットを中心に持たれた。
初めは気乗りしていなかったバーティストだったが、やはり話がファッションのことになると生き生きしだす。
「やっぱり流行は小物で取り入れて、渋みのある大人のファッションがいいんじゃないかしら」
「ふむ、ビビッドや明るいカラーは取り入れるのを躊躇していたが……案外、いけるかもしれんな」
それからリネットはショウが「アンチエイジング」だと言って開発した美容クリームの存在を思い出した。若く見られるには肌の質感も大事である。まだ開発中のクリームだが、研究所の許可が降りれば流通することだろう。
そのときはバーティストにダイレクトメールを送ろう。きっと、良い顧客になってくれるに違いない。
そんなことを考えながら、引き締まったボディのための運動や、身体に良い食事について話す。幼馴染のヴィルが美容に興味を持っていて良かった。
「あなたは確かに若くないわ。でも、年齢と共に手に入れたのは老いだけじゃないはずよ。そこを活かせばいいんじゃないかしら」
「そうだな……確かに私は手に入れたものも多い」
バーティストは考えるように顎を撫でた。そして灰色のローブを被り続けるリネットを見て、穏やかな言葉を掛ける。
「セルトアの魔女殿。君は本当に魔法が使えないんだな?」
「そうよ……得意な魔術は物を細かく砕いたり、精密に刻んだりすることだけ」
「うむ……実のところ、若返りの薬などないと薄々わかっていた。それでも、この老いぼれをどうにかしたくてな」
わかっていたのに、拉致をしたのか。なんとも恋心というやつは恐ろしい。ナイフだって洒落にならない。ため息をつきたいのを堪える。部下一人と引き換えに、魔女に縋りにやってきたのだ。頭のネジが緩んでいたっておかしくない。
それでも、なんとなく……リネットはバーティストの気持ちを汲めた。
「そうねぇ……舞台女優と会うなら見栄えのいい自分ってのが欲しいわよね」
この短い間でさんざん聞いたジェシカの美しさ。その瞳に映るなら若々しくて魅力ある男になりたい。その気持ちがリネットにはわかる。
何故ならソークの隣に並ぶと、リネットは灰色のローブをすっぽり被った自分に、自信を失う時があるから。素顔を何度か見せたことはある。けれど、ローブを脱ぐタイミングを外して、素を曝け出すことに躊躇してしまっていた。
「私は年老いた自分を見られたくなかった……痛いな。セルトアの魔女殿、君に悪い事をしたね。すまない」
話している間に、バーティストは自分に必要なものが若返りの薬ではないことに気がついたようだった。リネットは首をゆるく振る。たった数時間話しただけなのに、あっさりと老いた己を受け入れ、そこから進もうとする姿に恥ずかしくなる。リネットは灰色のローブに逃げているのに。
(これじゃあ、偉そうなことなんて言えないわ……)
静かに落ち込むリネットにバーティストは微笑む。
「私の良き友となってはくれんかね?」
「……ええ、喜んで」
差し出された手に手を重ねて握手を交わした。
「その友情にもう一人、入れて貰ってもよろしいでしょうか? ナイフの件はすみません。不可抗力ってやつで」
あまりにも軽いシェイドの態度にリネットは頷く。短い時間だったけど、この青年の軽薄さは愉快で嫌いではない。
「もちろん。あなたもよろしく、シェイド」
「ええ、魔女様。おや……先程も思ったのですが、魔女様は少女でいらっしゃる?」
すっぽり手を覆ったシェイドがにこりと人好きのする笑みを浮かべた。そして手をぎゅっと強く握ると、やんわりと離す。横目に見ていたバーティストがソファに立てかけた杖で、彼の尻を叩いた。
「穏やかな顔だが、こいつは有害だ」
「……そうみたいね」
「では、君を送り届けなければいかんな。脅して悪かった。心の底から謝罪するよ」
バーティストとシェイドが深く頭を下げる。リネットはもういいわよと軽く言って、二人を許す。それからバーティストは報酬だと言って、とんでもない金額をリネットに渡した。固辞しすぎるのもおかしいので受け取ったが、お金の重みがプレッシャーだ。
それにしても若返りたいと言われたときは、手こずると思ったが、バーティストは意外にも理性的な人物だった。
どうやらセルトアの魔女の話を聞いて、この街に住む魔術師達を調べていたらしい。ソーク達が気にしていた不審者というのは、この二人のようだ。一時は他国のスパイか!? と噂されていたのに、蓋を開ければ恋に盲目になった故の行動である。
(このことは警備隊には内緒にしていたほうがいいのかしら)
まさかこの二人も自分たちのせいで、警備隊が警戒態勢を取っているとは夢にも思わないだろう。なんせ、今夜はオペラハウスに行こうかと楽しそうに予定を立て始めたからである。
若さの秘訣は人生を楽しむこと、とはよく言ったものだ。
「あ、このマドレーヌ食べちゃっていい?」
とりあえずは焼き菓子を。指を伸ばして可愛らしいシェル型の、小さなマドレーヌを手に取る。そして二つに割った口に運ぼうとしたその瞬間。背後から物が破壊される音が聞こえた。
「へ?」
振り返ると木製の扉が蹴破られるところだった。
「魔女様! ご無事ですか!」
扉から出てきたのは、彫刻にでもなりそうな青年。鬼気迫る顔で立っている。普段の表情とのギャップに、リネットは顔が一致しなかった。同じ目鼻立ちなのに。
「あ、扉が……これは弁償ですか、旦那様?」
のほほんとしたシェイドにリネットは突っ込みを入れたかったが、いかんせん、目の前の青年がどうしてもソークだと信じられなかった。
人が良さそうで、いつも涙目で、気弱な青年が……目の前の怒りと焦りをむき出しにした男性と同一人物?
(……しかも扉を蹴破ったわよね……? ペラペラのベニヤ板じゃないのに……?)
確かにシャルクの祝福を受けた彼らの力は強い。身体能力の異常な高数値。それ故に、彼らは容姿と相まって恐れられる……と聞いていたが、正直ここまでとは思わなかったリネットだ。重厚で厚みのある扉が一蹴りだ。
「ああ、魔女様! そちらにいらっしゃったのですね……それは焼き菓子ですか?」
「はい、マドレーヌです」
今まさに食べます、という所で動きを止めたリネットは、マドレーヌを持ったままだと気づいて、静かにテーブルのお皿に戻す。バーティストはシェイドと違って、突然の訪問者に驚きを隠せないようだ。言葉も出ない状態でソークを見つめっぱなしで、ソークの方も想像していた惨状とは全く違うのほほんとした空気に戸惑っている。
マドレーヌは気になったが、こんな状況でお菓子を食べるほどリネットの神経は太くない。
「……連れ去られたと聞いたんですが」
「あーうん、まぁ、その通りかしら?」
和解しましたと小さな声で告げれば聞こえたらしく、ソークは大きなため息をついて前髪をくしゃりとかきあげた。
「もしかして……探しに来てくれたの?」
「そうです。魔女様を迎えに行ったら居なかったので……心臓が凍るかと思いました。でも、ご無事で何よりです」
そう言ってソークはリネットに歩み寄って、ソファに座り続ける彼女の傍らに膝をつく。間近で見たソークの額にはうっすらと汗が浮かび、ここまで走ってきたのだとわかった。穏やかな顔には安堵が見られたが、心配の色は隠せない。
その為か、菫色の瞳に薄い膜がはって、潤みだした。
「……っ! 魔女様の身に何かあったらと思うと!」
「そ、そうよね……染め粉とコンタクトレンズの取り扱いって、今のところうちだけだもんね」
「そういう話じゃありません!」
いや、わかっている。ソークが損得無しに探してくれたことは。ただリネットは奇妙な気持ちに襲われていた。先程までは般若の顔をしたソークを、本当にソークなのかと疑っていたが、今は本物だと断言できる。
何故なら……涙を堪えるように見上げるソークに、奇妙な感情を覚えたからだ。ぞわぞわするような……どきどきするような。今のところ、ソーク以外に感じたことがない。
(ちょっとつつけば泣きそうなソークの、限界点を突破させたいような……いやいや! そんなことして泣かれて困るのはあたしだし!)
何を考えているんだ自分……!
落ち着くために深呼吸をする。それからそっとソークの腕に手を置いた。
「ありがとう、ソーク。あたしは怪我一つもなく、無事よ」
「……ええ、ええ、安心しました……魔女様に怪我をさせたら、私はどうお詫びを!」
「あ、そういうのはいいんで」
ソークのネガティブ思考なら切腹しかねない。そんな彼にちょっとだけ意地悪してしまったので、後ろめたい。
お詫びの気持ちを込めて、ソークの汗を拭いてやろうと思ったのだが、リネットはまたしてもハンカチを持っていなかった。今日は出かけてもすぐ戻るつもりだったためだ。
ちょっと悩んでローブの袖をソークの額に押し当てる。するとアーモンド形の目が驚いたように瞠り、次には慌てたように飛び退いた。まるでばっちいものに触れたような反応。
オイコラ。ヴィルに対する汚い言葉がつい出た。
「す、すみません!」
「言っとくけど! 灰色のローブでも、汚くないわよ! 洗っているもの!」
「いえ! そうではなく! 私が汚いじゃないですか!」
「え……? 溝にでも突っ込んだの?」
それにしては綺麗だし、変な匂いもしない。首を捻ってソークを見れば、ぶんぶんと勢いよく首を横に振っていた。どうやら違うらしい。
「だって、汗、かいてますし!」
「ああ、だから拭ってあげようと思って」
リネットの返事を聞いてソークは奇妙な表情をした。理解できないことをする人間を、目の当たりにしたような。おいしいジュースだと思ったら、まずいとはいかないまでも変な味だった。というような表情。
妙な沈黙が再び室内を支配したそのとき、一つの影が飛び込んできた。
「助けにきたぞ魔女よ! 敵なんぞ我が魔術で灰燼にしてくれよう!」
「エルマー!?」
「術式展開!」
そういって床に打ち付けられた小さな石が割れ、転写されたように絨毯に魔術陣が現れた。
(これは……現在、開発中の極秘の魔術アイテムと噂されているものじゃ……?)
しかもこの家屋全体を焼き切らんとする炎の術式が見て取れて、リネットは慌ててエルマーを止める。
「ちょっと待って! あたし、無事だから! 止まってよ、エルマー!」
「む……?」
声を張り上げるとエルマーはリネットを見てから、おお! と顔を輝かせる。
「なんだ無事だったのか。攫われたと聞いたが、ガセか?」
「いえ、そこはきっちりと拐かして、丁重にホテルにお迎えいたしました」
闖入者二人の様子を見守っていたシェイドが、慇懃無礼とも取れる態度で、恭しく頭を下げた。マドレーヌを主人の背後で頬張る姿を見なければ、真面目な付き人と勘違いしただろう。
「うむ。魔女殿は少々発育が足らんので、持ち運びしやすいサイズだからな。致し方ないのだ」
「普通サイズだって言ってるじゃん! ちょっとヴィルから聞いたの!?」
「幼なじみ殿は大柄な美女もどきだからな」
ああ、何だか会話が咬み合わない。リネットが項垂れると、エルマーは側にやってきて、ソークの肩を叩く。
「彼が魔女殿を探すのに尽力してくれたのだ。きっちりとお礼をいってやって欲しい。それにしてもおいしそうなマドレーヌではないか。どうやら、事件は解決してしまったようだし」
そう言ってマイペースな天才魔術師は、マドレーヌをぱくぱくと食べてしまった。
この人……何しに来たんだろう……?
誰もがそんな目をエルマーに向けたが、いつでも我が道を行く天才魔術師は注目を浴びることになれているのか、意に介さない。それどころか、紅茶までシェイドに要求したのだった。
ホテルからお店へと帰ったリネットは、ようやくユミルラトを開店することができた。ソークはきっちりとお店に送り届けると、警備隊の方へと戻っていったのだ。何とも離れがたい顔で、ずるずるとリネットの側にいるから、その背中を叩いて見送った。
お店は繁盛した。ここでしか手に入らない魔術用品があると知って、買いに来たお客さんの対応で午後はすっかり潰れる。特に売れたのはエルマーが作った光のカード、ショウを筆頭に第二十研究室が開発したカガクグッズである。
ちなみにリネットが攫われた場面を目撃したサヴィーナは、元気な姿を見せると抱きしめてくれたのが嬉しくて照れくさい。また、ソークが一所懸命に探してくれたことが、ほんの少し、リネットに期待を持たせる。誰だって大切じゃないものを必死に探しはしないだろう。
すっかり日も暮れて、店じまいをしていると、呼び鈴がりんりんと鳴った。
「魔女様」
呼びかけに振り返るとソークが佇んでおり、慌てて温かい店の中へと招いた。身体の芯を凍らせるような冷えに、慌ててドアを閉める。それから戸惑うソークの背中を押して、二階の自室へと上げたのだった。
「今日はホテルまで来てくれてありがとう。別にエルマーから言われたからじゃないけど、お茶でもどうぞ。夕食は今から作るけど」
「いえ……こちらこそ、魔女様を一人にして申し訳ないんです。でも、ご無事で本当に良かった。あの、すごく言いづらいお願いがあるんですが……」
「お願い?」
ケトルを火にかけながらお茶の準備をしていると、ソークが顔を俯かせながら側に立った。また容姿についてからかわれたのだろうか。そんなことを思いながら見上げると、ソークは今だローブを被ったままのリネットの目元あたりに視線を彷徨わせる。
「お顔を……見たいのですが」
それは小さな声で、聞き取るのがやっとであった。
「顔が見たいって……あたしの? それはいいんだけど……」
見ても楽しい顔ではない。そう言うが、ソークはとんでもないと両手を振った。そして、リネットとの距離を縮める。大きな背を丸くさせて、それから繊細なガラスに触れるように指をローブに掛けた。
「……ええと、本当にいいんですか!?」
「何度も尋ねられると嫌だって言いたくなるんだけど」
「それはダメです! いえ、ダメじゃないんですけど……私なんかが魔女様のお顔を拝見するなど……ああ、でも、すみません……っ! そのう、失礼します」
「えっ、ああ、うん、どうぞ」
あまりにもじれったいので、自分で脱ごうとしたらソークの指先がローブを摘んだ。ゆっくりと花嫁のヴェールを捲るように、優しく灰色のローブがずれていく。たった布一枚だが視界を遮るものがなくなると、ソークの顔がより鮮明に飛び込んできた。
穏やかに下がった眉尻に、菫色の瞳がまるくなっている。じっと目を合わせていると、恥ずかしかったのか頬がうっすらと染まっていた。それを見て、リネットはたじろぐ。
「えっとね、別に、普通でしょ? うん。普通」
しどろもどろに言葉を紡ぐリネットは、ローブをさっさと降ろしてしまいたかった。頬がどんどん熱くなっていく。
「いえ、魔女様……やっぱり可愛らしいお顔ですね。特に瞳の色が澄んだ青空を思わせて……」
「あの、ソーク?」
二人の顔が近づく。リネットの瞳孔にソークの瞳の光が映り込む。そのきらめきに魅せられて、リネットは思わず息を呑んだ。それと同時に、ソークの乾いた指先が目元を滑る。つっとなぞられる感触に、肩が揺れた。
ソークが屈んでいるため、顔の距離が近くて、そのまつげの本数まで数えられそうだった。リネットがちょっと背伸びをしたら唇と唇がくっついてしまう。
「あ、あ、あのソーク!? あたしは元気よ?」
「はい、知っています。ただ魔女様のお顔が見たくて……」
「あたしの顔よりヴィルの方が綺麗だと思うんだけど」
自分の顔なんて変哲もないし、ため息が零れるような美しさもない。それなのにソークがやけに熱の篭った瞳を向ける。
嫌じゃないんだけど、恥ずかしい……!
真正面から堂々と見つめ合うなんて、両親ともやったことがない。鼻筋ひとつとっても、唇の形をとっても、整ったパーツを持つソークのどこを見ればいいのか。リネットは最終的に、目を瞑ってしまいたいと思ったほどだ。
今まで二人きりでいても、こんな気恥ずかしさは感じなかったというのに。
(あたしがソークを好きだって気づいて、意識しているせいかしら……? けれども、きっと……ソークはあたしのことを「魔女」という枠で捉えているのよね)
リネットはそれがどうしようもなく切なく感じた。