魔女と青年2
本日二回目の投稿となります。
ぽつぽつとリネットの元へ来た経緯を話すソークは、今度は嗚咽をあげ始めた。うえっと肺を震わせたソークに、リネットは妙な気持ちを抱く。ぱちぱちと目を瞬かせて、胸のざわつきに小首を傾げた。どこか懐かしいのに、心当たりがさっぱりと思い出せない。
「魔女様でも無理な話ですよね……ううっ、金髪を染めるなんて、できませんよね……」
ぐすぐすと落ち込んだソークに慰めの言葉をかけるわけでもなく、リネットは自分のカップに口をつけた。そして、渋みのあるお茶を飲んで、一言だけソークにかけてやる。
「できるよ」
「ですよね……すみません、私の髪なんて……え? で、できるんですか!?」
驚いて目を丸くしたソークにリネットはゆっくり頷く。どうやら今回のお客さんの悩みは、リネットの手で収まりそうだった。それに安堵しながら、事も無げに言い放つ。
「髪を染めればいいんでしょ?」
「そうですが……でも、本当に? 本当にですか?」
ソークの視線をローブ越しに受け止める。さきほどまで落ち込んで、心なしか顔色の悪かった頬が、見る間に蒸気していく。影の落ちていた瞳はきらきらと輝きだした。それを見てリネットはまたしても奇妙な気持ちを覚える。
(なにかしら? この胸に感じるものは)
ソークが浮かべた人懐っこい笑みに、リネットは胸を抑えてみるが原因はよくわからない。ただ、目の前で期待に満ちた金の瞳が、何かに似ていることだけはわかった。それともお腹が空きすぎているせいで、妙な気持ちを覚えているのだろうか。
「じゃ、作業にかかる前に朝ごはんを食べてもいい?」
「はい! もちろんです! そ、そうだ……! 私、パイを焼いてきたのです。魔女様のお気に召すかはわかりませんが」
「嬉しいわ。でも……そのパイはどこにあるの?」
手ぶらで店に入ってきたはずのソークに尋ねると、彼は両手をぱっと見て次に椅子から弾けるように立ち上がった。目にも留まらぬ早さで店の外に出たかと思うと、素早く両手に薄い箱を抱えて戻る。どうやら玄関先に置いてすっかり忘れていたようだった。
「どうぞ。その、私の命ではないのですが……!」
その言葉を聞いてリネットは腰と額に手を当てて、天井を仰ぎながら呻いた。
またそれか!
一度も命なんて物騒なものを要求したことがないのに、噂ではリネットは非情な魔女になっている。悩みを解決するための薬や道具の代金を取ることがせいぜいで、お金をふっかけたこともない。
(いつか噂の元を見つけて抗議しなきゃ。確かに……あたしの性格はキツいかもしれないけど)
そういえば、姉さんと呼んで慕う彼女にも言われたばかりだったリネットの悪い所は物を考えずに言っちゃう所なのよね、と。思わず唸り声をあげたリネットに、ソークは縮こまって顔色を伺う。
「魔女様? やっぱりお気に召しませんか? 私のような者が作ったものは食べられませんよね、すみません……っ! 首を切ってお出しした方が良かったですか……!」
「要らないわよ、そんなもの! 店先に置いて見なさいよ……警備隊に突き出してやるんだから!」
「では何を……っ!! 私はお金も宝石も持っていません……あるのは果樹園とこの身体のみです!」
悲壮な表情を浮かべるソークが、カウンターに置かれていたフォークを手にとって震えだす。
(おいおい。フォークで何をするつもりよ。やめろ)
リネットはフォークを取り返し、自分で持っておくことにした。
綺麗な青年から面倒臭い男へと印象が変わる。
会って半時もしないのに、人に対してそう思ったのは初めてのことだった。とりあえず、カウンターに置かれたパイの入った箱に手を伸ばす。手作りの化粧箱にいれたらしい。一所懸命に飾り立てられた箱に、小さな笑みが零れた。そっと蓋をとると、甘ずっぱいいちごの匂いがふんわりと香る。きつね色に焼けたパイ生地の表面はリーフの模様になっており、つやつやと光って美味しそうだった。
ごくり。
リネットの喉がなった。昔から食べ物に弱かったリネットは、特に果物を使ったお菓子に目がない。
「これは……いちごのパイ?」
「はい。私の村ではいちごの季節が少し早いので……あと、保存しておいたクランベリーやラズベリーのジャムも一緒に使っております。カスタードクリームがたっぷりなので、甘いパイになっているんですが……ええと、魔女様?」
「ソーク」
「は、はい!」
「今日の朝ごはん、あなたにあげるわ。どうぞ、遠慮なさらないで。あたしはこのパイを今すぐ頂くとするわ!」
ずいっと目玉焼きとパンが載った皿をソークの方に押しやり、リネットは小走りで二階へあがる。そしてパイを切り分けるためのナイフと皿を用意して、いそいそとカウンターへ戻ってきた。
押し付けられた朝食を受け取ったソークは、困惑の表情を浮かべて立っているままだった。そんなソークを気遣うことなく、パイにナイフをいれる。客人より客が持ってきた美味しそうなパイが優先だと決まっているのだ。
さくりと刃が沈む。いい焼き加減だ。
きちんと八等分に切り分け、自分の皿ともう一枚の皿に分ける。そして、ソークの方に無言で差し出して、彼が受け取るとすぐに自分のパイにフォークを差し込んだ。一口大に分けて器用にローブに隠れた口元に運ぶ。
さくさくと、パイ生地が軽やかな音を立て、もったりしたカスタードクリームの甘さが広がる。クリームの中にはいちごやベリーがごろっと入っており、噛むと程よい酸味が舌で踊った。
文句なしに美味しい。
感動で震えながらリネットは黙々と一切れのパイを平らげてしまった。
もうひとつ、食べてもいいだろうか。
そわそわと切り分けたパイを覗きこむ。その様子を見ていたソークは、ようやく自分のパイがリネットに気に入ってもらえたことに気づいた。
「あの、魔女様。そのパイは魔女様に差し上げるために持ってきたので、遠慮なくお召し上がりください」
「ほ、本当にいいの? だって、こんなに美味しいのに?」
「どうぞ! 私の取り柄はこれくらいしかないので……!」
「ありがとう! じゃあ、早速」
さっきまで面倒な人物だと思っていたが、今は素敵なパイを作る人物に格上げだ。もはやパイしか見えていないリネットは、いそいそと空いた皿にもうひとつパイを載せる。そして、今度はあっという間に食べ終わらないように、慎重にフォークを入れるのだった。
いちごのカスタードパイを食べ終わったリネットは満足だった。残りのパイも悪くならないうちに食べてしまわねばと蓋を閉じる。ご近所にお裾分けをするという発想はない。これは一人で食べるべき代物である。それほどまでにソークが作ったパイは美味しかったのだ。
ソークはというと、リネットの押し付けた朝食を遠慮がちに食べ、おいしかったですと一言告げた。それからカウンターの食器を片付け、新しく淹れた熱いお茶を片手にリネットはようやくソークの話を真面目に聞き出した。
「目立つ金髪が嫌なんでしょ? 髪を染めなくても簡単に解決はできるけど」
「簡単にですか?」
「ええ! 剃り落とせばいいのよ!」
身も蓋もない提案にソークはふるりと唇の端を震わせた。つるつるにするのは嫌らしい。リネットも自分で言っておいてなんだが「ないな」とは思った。若い青年に髪を剃り落せというのは酷な話だろう。
「あるいは、その長い髪を短く切っちゃうとかね。金髪の面積を減らしちゃえばいいんじゃないかしら」
「切る……ですか。その、実は床屋に行くのが怖くて……昔は自分で切っていたんですけど、変だと笑われて……」
顔を曇らせるソークがそわそわと長い髪を触る。それを見ながらリネットは「じゃあ」と声をあげた。
「あたしが切ってあげようか?」
「え……? 魔女様は散髪もできるのですか?」
「簡単よ。ハサミを入れるだけじゃない。子どもにだってできるわよ」
自信たっぷりに言えばソークは不安そうな顔を隠さない。
「そんなに長いと染め粉も多く使うことになるでしょ。お値段もアップするってわけ。せめて肩くらいまで切っちゃいましょう。それから染めた髪で床屋にいけばいいわ」
「ああ、なるほど! それなら……魔女様! どうぞよろしくお願いします!」
話が纏まればさっそく店の奥にある作業場からハサミとクシを持ってきて、椅子に座ったままのソークの側に立つ。まずクシを通すためにソークの髪を一房とった。まるで絹糸のような手触りで、切るのが少しもったいなく思える。一本一本が光る淡い金髪を丁寧に梳かして髪を整える。
「綺麗な髪ね。健康状態も良さそうだし」
「そうでしょうか……金髪なんて気持ち悪いだけです。だって、みんな、そう言います」
「金は宝飾品ではちやほやされるというのに、理不尽ね。まぁ、仕方ないわね。あたしが気に入ったところで、どうしようもないから」
「……魔女様は気持ち悪くないんですか? だって金ですよ、シャルクの……魔物の親戚みたいなものです。汚らわしいって、誰もが言う。私が金を選んだわけじゃないのに……っ」
「え? ちょっと、ソーク? 泣いているの?」
肩を震わせたソークにリネットは慌てる。
(あたしったらまた失言でもしたのかしら……どうしたらいいの? 何を言って慰めれば……!)
さっきは見向きもしなかった涙だが、彼は素敵なパイを作る客人だ。ぞんざいに扱えば再びパイにありつくのは難しいかもしれない。それにソークを見ていると奇妙な心地がするのだ。どこか放って置けないような、そわそわと心がさざめき立つ。
とうとう、ぽろぽろと金の瞳から透明の涙を零すのを見て、リネットはカウンターに置いてあった布で顔を拭いてやる。どれだけの強さで擦ればいいのかわからなかったので、なめらかな肌に傷がつかないように柔く布を当てた。
その行為に驚いたのかソークの涙がぴたりと止まり、リネットの顔を見つめる。といっても、リネットの顔はローブで隠れて見えないのだが。
「あなた、泣き虫ね。こんなに素敵な顔なんだから、堂々とした方がいいと思うんだけど」
「わ、わたし、そんなことを言われたのは初めてで……! すてき? 気持ち悪いではなくてですか?」
「優しそうな顔をしていると思うわ。アイツも気に入ったみたいだしね」
「アイツ?」
「隣人よ。ヴィルっていうの。口がすんごく悪い上にメンクイ」
艶々と光るオレンジ色の長い髪をひとつに結わえ、ゆったりした服装を好む隣人。見た目は凄みのある美女で、すらりとした長身に足のラインを自慢にしている。深いスリットから見えるふとももは、リネットのふにふにしたものと違いほどよく締まっている。あれを見る度にリネットは理不尽だと叫びたくなるのだ。
「確か……綺麗な人ですよね?」
「そうよ。でも気をつけて。ヴィルは男が好きだから。美女に見えるけど立派な男なのよ」
「男!?」
「あの顔でしょう? モテていたの。でも、女性の香水で鼻が麻痺しちゃったことがあってね、それからは女よりも男が好きみたい」
髪を梳き終わったリネットはハサミを利き手に、ソークの髪に当てた。そして、迷うことなく髪を切り落とす。しばらくして肩の長さに切り揃え、リネットはハサミをカウンターに置いた。床に散らばった髪は店内にあるほうきでかき集めて、麻袋に放り込む。
短くなった髪はソークに似合っており、どこか女性的だったものが削れて、より男性味のある青年へと変貌していた。
「ヴィルさんって男性……だったんですか」
「そうよ。ソークはヴィルの好みだと思うわ。よかったわね」
「よくない、気がします……! ああ、でも、私なんかを気に入ってくださるなんて……魔女様もヴィルさんも優しいんですね……!」
感動したように指を組むソークにリネットは彼が心配になった。この青年、甘い言葉を吐けばころりと手篭めにされてしまうのではないだろうか。ヴィルの手管にあっさり陥落するかもしれない。
しかし、気をつけてねと一応は忠告したし、青年が衆道に目覚めようがリネットには関係のないことだと、口を出すのはやめる。その代わり、カウンターから大きな手鏡をソークに差し出す。
磨かれた銀の装飾が繊細な鏡を渡されて、ソークは恐る恐る鏡を覗きこんだ。そして、自分の金の瞳と目があって、眉をひそめて形の良い唇を引き結ぶ。
かっこいいんだけど、本人がねぇ。
自分の顔に明らかな嫌悪を浮かべるソークを、リネットは頬杖を付きながら眺める。
「どう? 髪を切っただけで随分と印象が変わると思わない?」
「……確かにそうですね。心なしか頭も軽くなった気がします」
「どうする?」
「どうするって、何をですか?」
「染めるの?」
「もちろんです! だって、私の髪は忌み嫌われるものです! 魔女様は……私の髪を見てもあからさまに指しませんが……ロミアでは違います」
ぐっと拳と握って引き結んだ唇を噛むソークに、リネットをそっと指先で切ったばかりの髪をなでた。さらさらと指を滑る金色はこんなに美しいのに、忌み嫌う人間はどこにもいるものだ。
もっと言えば相手が無難な容姿だろうが、貶す人は小さな欠点を探しだしてつつくものだとリネットは知っている。
誤字を訂正しました。