魔女とお祭り1
冬至祭当日、セルトアの町は活気付き、朝の十時に祭りの開始を告げる爆竹が鳴った。今日は晴れで、昨晩ちらついていた雪もすっかり溶けてしまっている。小春日和と呼ぶのに相応しい天候だ。
すでにメインストリートには屋台が並び、串焼きや熱々のスープ、また子供向けの綿菓子にあまい揚げパンと焼き栗のいい匂いが鼻をくすぐる。他にも地方からやってきた行商人が、様々な農産物や工芸品を屋台に出している。セルトアの住民も物珍しさに浮きだっていた。
一階が店舗になっている店は扉を開け放って客を呼びこむ。魔術道具店は客の入りが良く、店内はごった返している。祭りは始まったばかりだというのに盛況だ。
「もう、こんな時間だなんて……!」
リネットは祭りの開始と共に始まった仮装した子どもたちが、通りを練り歩くパレードを横目に、旧市街へと急いでいた。第二十研究室のカガクグッズを街の入り口近くにある広場に運び、小ぶりの屋台に並び終えたところだ。これから自分の店を開けに行く。
第二十研究室は所長とその他の研究員で売り子をするらしい。だからリネットは心置きなくユミルラトを切り盛りできる。
いつも朝晩と行動を共にしているソークは、早朝にリネットを広場に届けたあと、警備隊の方へ向かった。祭の日の警備隊は忙しい。
ちなみに、第二十研究室の屋台ではエルマーがくつろいでおり、今夜の魔術ショーまで暇なので店番をやると言い出した。第一研究室の魔術師が所長であるエルマーを探していたのは気の毒である。
その天才は気ままに「そうだ。これは新しい玩具」と小さなブローチをくれた。用途はわからないが、スパイごっこに使えると楽しそうに話していた。
華やかな音楽がこだまする中、リネットはいつもの路地に飛び込む。
すると、すぐ角のところで老人が蹲っているのを見かけた。
声を掛けるべきか。一瞬迷うがつま先は老人の方へ向く。
「もしもし? お加減が悪いのですか?」
その老人は上品な黒のコートに身を包み、傍らには磨き上げられた杖が落ちている。後ろに撫で付けられた髪は灰色で、丁寧に梳られている。一目で上流階級の出身だとわかった。
(何故、こんな路地で蹲っているのかしら?)
お供の者も見当たらず不思議に思う。はぐれてしまったのだろうか。ぐったりした老人の側にしゃがみ、そっと肩に手を置く。すると老人は弱々しい様子で顔をあげた。なかなか精悍な顔つきで、年をとってはいるが美丈夫と呼ぶに相応しい。
「申し訳ない。人に酔ってしまいましてな」
声は弱々しいが、低く深みがある。
「どこか休む場所を探して来ましょうか?」
ここならサヴィーナの店が近い。しかし老人は申し訳ないと首を横にふる。
「いやいや……実は近くに馬車が来ているはずなのですよ……その馬車に乗れば泊っているホテルへ帰りますのでな」
「でも、馬車が見当たらないし、この路地に入るにはちょっと無理があるんじゃないかしら?」
小さな荷車なら通れそうだが、さすがに馬車が通るには道幅が狭い。しかも、路地は日陰になっており寒々しかった。そんなところに気分の悪そうな老体を置いていくわけにはいかず、リネットは馬車まで老人を連れていくことにする。
店の開店時間が少しズレこむが、なんせリネットの店はメインストリートから外れた旧市街の端っこである。早々にお客も来ないだろうと踏んだ。
「ありがとう、お嬢さん。おお、あの馬車だ」
杖を付きながらよろよろと歩く老人を支えながら、路地からもう少し広い通りへ出る。そこには黒塗りで一頭仕立ての馬車が止まっている。御者はふらつく老人を見ると、慌てて御者台から降りて老人を支えた。
「旦那様! 気分がすぐれないのでございますか? お嬢さん、申し訳ありません。旦那様を連れて頂きありがとうございます」
御者は二十代後半くらいの若者で、そばかすが頬と鼻の頭に浮かんでおり、素朴な顔立ちだった。老人を抱え込んだ御者はそのまま馬車に老人を運び入れようとして、困った顔でリネットを見やる。両手が塞がっているので馬車の扉が開けられないのだ。
「お嬢さん……申し訳ないのですが……扉を開けてくださいますか?」
断る理由はないとリネットは黒塗りの馬車についている銀の取っ手を回した。扉を開くと中は赤い天鵞絨が貼られており、チーク材がつやつやと光っている。こじんまりとした馬車だったが、内部はとても豪華だ。やはり良い身分らしい。
「ありがとうございます」
御者が老人を座席に座らせる。
ではそろそろとリネットが踵を返そうとしたとき、老人が身を乗り出して手を差し出した。
「すみませんな、お嬢さん。まことに感謝しますぞ」
「いえ、体調をお大事に」
何の疑いも持たずリネットは老人の手を握った。すると強い力で腕を引っ張られ、背後からひょいっと身体を持ち上げるように馬車の中へ押し込められる。
「な、なによ!?」
振り返る間もなくバタンと馬車のドアが締り、施錠する音が背後から聞こえた。
座席の側で座り込んだリネットは状況についていけず、小首を傾げて宙を見る。少しして馬車がガタガタと動き出し、おしりに石畳の上を走る車輪の振動。
どうやら、拐かされたらしい。
* * *
晴天とはいえ風が強く、衣服から忍び込む冷気に身体が震える。爆竹の音を聞きながら、ソークはリネットを迎えに、第二十研究室が出店する広場に行く。だがすでに彼女はおらず、何故か店番をしているエルマーが「先ほど自宅に帰ったのだ」と教えてくれた。一人がけのソファに居心地良さそうに腰を下ろすエルマーの横で、これまたどこから調達したのか紅茶を飲んでいるショウ・ミナセ。
「急げば追いつくだろう」
「ありがとうございます。ところで……最近、妙に声をかけてくる人には会いませんでしたか?」
「いや。そういえば……一週間前に声を掛けられたか。情報はやっていないが」
「僕の周囲も嗅ぎまわっているやつが居たようだが、接触する様子はないな」
ショウとエルマーの言葉にソークは頭を丁寧に下げる。魔術師達に接触する謎の人物。目撃情報によると二十代後半の若者で、妙な質問をするらしい。
「……そうですか。ありがとうございます。念のため魔女様を追いかけます」
「ああ、魔女は少々急ぎ足だったから秒速1.5メートルとして、君の足では充分だ」
よくわからなかったが、とりあえずソークはショウに礼を言って元の道を引き返す。今日は送迎すると言ってなかったし、街の警備もあるので時間は割けない。でも、どうしてもリネットのことが気にかかったのだ。
魔術師に声をかける不審者がいるということは周知されているが、最近では声を掛けられる魔術師や尋ねる内容が特定されてきた。そいつは第二十研究室について嗅ぎまわっているらしい。それは所長であるショウも知っており、魔術スパイかもしれないということで、内密に調査中なのである。
本当は警備隊の下っ端であるソークには与り知らぬところだ。しかし、リネットの送迎をしているうちに、ショウがやってきて「可能性は低いと思うがセルトアの魔女を気にかけてくれ」と言ってきたのだ。そこで、内密の話を聞いた。
正直、自分が聞いていい話ではない。けれど、「エルマーも良いって言っているんだ。大丈夫だろ。責任は第一研究室の所長、エルマー・ベンフィールドが取るから問題ない」と断言され、言いくるめられる形でソークは頷いたのだ。まぁ、そんなお願いをされなくても、リネットの送迎は自主的にするつもりだったので、何が変わるというわけではない。
広場から出発した子どもたちの仮装パレードが前方に見える。セルトアに来てから一番の人だかりをかき分けながら、目当ての少女を探す。
「……いない」
ソークの目はよく効き、夜でも多くの情報を手に入れることができる。昼間であればなおさらだ。人混みの中にリネットがいないことを確認すれば、すぐに旧市街へと続く路地に入った。しばらく狭い路地を進めばレモンイエローの扉が特徴的な、二階建ての家につく。その扉の前には背の高い女性と見間違うヴィルが立っている。
「あら、ソークくんじゃない。ねぇ、リネットってばまだお店を開けてないのよ。寝てんのかしら?」
そう言いながらりんりんと呼び鈴をけたたましく鳴らす。しかし、出る気配がまったくない。二階の寝室のカーテンはこそりとも動かない。じわりと嫌な予感が胸中に広がる。
「……まだ、お店に着いていない?」
では、どこかで行き違いになったのだろうか?
旧市街は整備されたメインストリートの周辺と違って、路地が入り組んでいるのが特徴的だ。角をひとつ曲がっただけで、相手がさっぱり見えなくなる。
引き返して探すか、店の前で待つか。迷っていると後ろから軽い足音が聞こえた。ぱたぱたと走る靴音に期待して振り返ると、髪を乱したサヴィーナがいる。よっぽど急いだのだろう、肩で大きく息をしながら、リネットの名前を呼ぶ
「リネットちゃんが……! 馬車に、押し込められてっ!」
「はぁああ!? あのちんちくりんが攫われたわけっ!?」
隣に立つ美女に扮したヴィルから男らしい声が上がる。一瞬、ヴィルに気を取られたものの、ソークはサヴィーナから事情を聞くことにした。
いわく、隣の路地に店を構える肉屋に行こうとしたとき、馬車を見かけたそうだ。家紋はなく、ただ一頭立ての黒いこじんまりとした馬車だという。そこでリネットが見えて名前を呼ぼうとしたとき、御者がリネットを馬車の中へひょいっと押し込めた。
「突然のことで声も出せなくて……御者の顔は見たわ。そばかすの男で、目が合ったら会釈されて、何もなかったように馬車を出したのよぅ……」
それから「人攫い!」と叫んだが時は既に遅く、馬車はすんなりと大通りに出ていってしまったそうだ。人でごった返すメインストリート。普通ならば馬車よりも徒歩が早い。それなのに、追いかけるサヴィーナを尻目に、馬車は人並みをすいすいと走っていったそうだ。
「……警備隊に連絡します!」
サヴィーナの話を聞き終えたソークは弾かれたように走りだす。身体はバネのように躍動し、常人には適わない速度で通りを駆け抜ける。その間、黒塗りの馬車を探すがさっぱり見当たらなかった。
リネットが攫われたという報告はすぐに警備隊に連絡が行き、行方を探すこととなった。セルトアの出入口を守る警備員によると、黒塗りの馬車は出て行っていない。では、この街のどこかにいるということだ。
とりあえず、第二十研究室の所長に一報を入れるようにと言われ、このまま街中を駆け巡りたい気持ちを押さえながら広場に戻る。すると、すでに情報が回っていたらしい。
「ご苦労だったな。しかし、来てくれて助かった。俺達は魔術師だからな、体力がないんだ」
眠たそうな顔で真面目に言い放つショウ。それに頷くのはエルマーだ。
「頭を使うのは得意なんだがな。実は魔女の居場所はわかるのだ!」
「……はい?」
ショウが「俺が行くより、君が行ったほうが安全で早そうだしな」と呑気そうに言う。緊急事態にも関わらず相変わらず眠そうな一重である。隣で冷え冷えとした双眸を輝かせるのはエルマーだ。
「ちょうど完成したばかりの魔術道具を渡した所だったのだ! なんと、その魔術道具を持っているだけで居場所がわかるという優れものでな。スパイごっこに役立つ上、迷子になる子どもや犬猫どもに効果的なのだ!」
「GPSか」
じーぴーえすが何だかわからなかったが、どうやら魔術でリネットの居場所はわかるという。
「まぁ、後ほど攻撃魔術に転用できるように魔術陣を組まねばいかんのだが」
「アンタ、よくおもちゃを転用するよな。光のカードだっけ。あれ、最新の光魔術で、街を焼きつくすんだっけ?」
「うむ。鉄でさえ焼ききるレーザーだ。僕はそんなものに興味はないが……むしろ力作のフェアリーカードが気になるのだ」
「本当に天才ってのは才能の使い道が違うな」
二人の緊張感ないやりとりにソークは焦れて割り込む。このままだと話が脱線して、軌道修正に時間を食いそうだったからだ。
「ともかくです! 魔女様はどこですか?」
「うーん……それがちょっと、位置情報探索魔術がうまく作動しなくてな。なぁに、あと少しでうまくいくだろう」
そう言ってエルマーが見せたのは崩れた文字が表示される水晶球だった。ここに表示される座標を元に地図を参照すると、現在位置が割り出されるらしい。早くと急かしたくなるが、ぐっと堪えて水晶球を覗きこむ。
「魔女様……怖い目にあったりしていませんかね……心配です」
思わず零した言葉にエルマーはあっさりと否定した。
「大丈夫だろう。魔女が危険を感じれば水晶球が赤く染まるのでな」
でも、その水晶球って調子が悪いんですよね? とソークは言えなくて口を噤んだ。ここで待っているしかできない自分がもどかしい。
「それに、彼女は魔女だぞ。問題なんてないだろう。火炙りにされたって逃げ延びるさ」
冷たくも聞こえる素っ気なさにソークは眉を寄せる。
「それでも魔女様は普通の女性じゃないですか!」
そうだ。だから心配なのだ。
魔女とはいえ、リネットはソークの指が簡単に回るほど細い手首で、両腕で軽々と抱き上げられるほど小柄だ。気の強い一面もあるが、その反面、不器用ながらもソークを思いやってくれる。
灰色のローブの下はずっと年老いた老婆だと、魔女に会う前は思い込んでいた。けれど、実際に魔女と呼ばれるのは少女で、しかも年下の可愛い子。
甘いものが好きで、ロミアで馬鹿にされるソークの腕を躊躇わずに引いてくれる。暖かな場所を当然のように勧めてくれた。
ソークの金色を綺麗だと笑って、髪に触れた繊細な指先を鮮明に思い出せる。
「魔女様は……魔女様は……」
エルマーが鋭い眼差しでソークを射抜く。唇がわなないた。今まで、自分は何を見ていたのだろうか。
「初めから女の子で……」
名前はリネット。
ああ、そうだ。ソークは顔を伏せて、魔女と呼んだときに悲しげに揺れるリネットの青い瞳を思う。なんとなく元気が無いと思っていた。そりゃそうだろう。
金の髪と瞳でシャルクの祝福を受けた忌むべき存在として見られていた。誰もソーク自身のことを見ていない。自分を誰かに認めて欲しかった。一番初めにたやすく名前を呼んでくれたのは、リネット。
とても嬉しかった。ようやくソークはソークとして生きていいのだと、許された心地になった。それなのに、ソークは魔女のことを魔女としか見ていなかった。
彼女もリネットという女の子だったのに。