呼ばれない名前1
初雪が降ってから一週間後、リネットは三日後に迫る冬至祭の準備で慌ただしかった。国中から訪れる観光客は魔術師達のショーを見るついでに、お土産として魔術品をよく買っていく。そのためセルトアの魔術道具店は書き入れ時となる。
もちろん、両親の後を継いでリネットが切り盛りしている魔術道具店、ユミルラトも例外ではなかった。
今年はエルマーの光の魔術符の売れ行きがいいのよね、これは目玉にしなくちゃ! とリネットは意気込む。
また、繁盛するのは魔術道具店だけではない。第二十研究室も冬至祭はカガクグッズを売り、研究費の足しにするのである。よって第二十部門でも冬至祭に向けて忙しく、この時期ばかりはリネットも遅くまで作業に取り掛からねばならなかった。
「魔女! 袋詰を至急頼む。ノルマは千個だ」
「それって一時間でじゃないでしょうね?」
ショウに示された研究室の一画には、床にどっさりとうず高く積まれている炭。リネットはマスクと手袋を装着して、手の平より一回りほど大きい木綿の袋に炭を小分けする作業にとりかかる。炭は細かく砕かれており、煤であたりは薄汚れていた。
新調した灰色のローブは袖口が炭ですっかり黒ずんでしまい、今朝は出勤したクレアから小言を貰った。前のボロボロのローブよりはマシだけど、どうして灰色のローブをまた新調したのよ! という内容だ。
リネットはこれが魔女のスタイルだからだと答えたが。
「それにしても売れるといいわね」
「そうだな。こんな簡易式の懐炉なんざ魔術符で足りるというやつもいるが、魔力を持たない人も多い。魔力無しで便利な道具を使えるのが俺の目指すカガクだ。それに」
束になった書類に目を落としながらショウが、俺にも魔力がないからなと告白した。何気ない様子で告白された内容に、リネットは思わず作業する手を止める。
「え……? 所長は魔力がない……?」
傍らに立つショウを見上げ、いつも通りの一重で、眠たげな顔を確認する。その表情には魔力がないことの僻みはなく、事実を述べるように淡々としていた。
きっと、所長にとって魔力がないことは普通のことで、特に思い悩むことでもないのだろう。でも、ここまで何の気負いもなく魔力がないことを話せる人は見たことがない。
「別に隠してはいないから、古参の者は知っている。魔女は他の研究員と話す機会もない、外部協力者だから噂が回らなかったんだろ」
なるほど。魔力に頼らない道具を作る第二十部門は異端児扱いだ。よく思わない者が中傷めいた話をしているのだ。その端々でショウを嘲る声を聞いたことがあり、リネットは出世できない魔術師の僻みだと思っていた。
どうやら魔力がないショウが所長を務めていること自体が許せないのだろう。
(けれど本人はどこ吹く風って流しているのよね)
リネットだって魔術師の端くれだけど、第二十研究室で働くことは好きで、心ない話や口さがない輩を見ると悲しい。でも、ショウが気に留めていない事柄に、リネットが噛み付くことは筋違いだと思っている。
それでも、もうちょっと所長が威厳を持ってくれたらいいのにと、書類に何やら書き込んでいるショウを思って、唇をつんと尖らす。
「第二十研究室って馬鹿にされているわよね。特に花形の攻撃魔術や防衛魔術からは。いくら所長でも……攻撃魔術には対抗できないわよねぇ……それが悔しいわ! エルマーはいいやつだけど、あいつの部下も振り回されて可哀想だと思うけど! でも、その中の一握りが鼻持ちならないのよっ!」
ざっざっと木綿袋に細かく砕いた炭を入れながら、リネットは憤る。ポニーテールがぶわっと毛を逆立てているようで、ショウは面白そうにそれを見ている。
「バカ言え。材料と理論があれば、一発撃ち込むだけで国を壊滅できる代物だって作れる」
「へ……? それって……ええええ!?」
さらりととんでもないことを言ったショウに手を止める。
一発で国を滅ぼす!?
もし魔術でそれを行おうとしたら数百人にも及ぶ優秀な魔術師と莫大な魔力が必要となる。それを発動するための魔術陣も大きく複雑なものとなり、国庫を食いつぶすほどの予算がはじけ飛ぶだろう。
「それって小国レベルの話?」
「大陸レベルでも可能だと思うが?」
「でもでも!」
混乱する頭でリネットは言葉を紡ぐ。目の前のショウは涼しい顔で書類を見て「ここはEを当てはめるのか」と鉛筆を動かす。
「防衛されたり解除されちゃえば……あ、カガクには魔術陣の解除は意味がなかったわね」
「防衛魔術でどこまで被害を防げるのかもわからないがな……とりあえず生きとし生けるものを焼き払い、焦土と化すことは科学には可能だ」
世界を滅することだって技術があれば容易だろうよ。
そう言ったショウは書類に何かを書き込んで、考えるように黙り込んだ。第二十研究室は異様な沈黙に包まれていた。統括する所長が何でもないことのように話してみせたカガクに、恐れを抱いたからだ。
リネット自身、カガクとは魔術の模倣みたいなもので、生活をちょこっと便利にするものとしか認識していなかった。恐らく上層部もそう思っているだろう。
「所長ってすごいのね……」
「といってもだ。俺は理論なんて知らんから作れん。ほら、とっとと手を動かせ」
読めない表情。感嘆と畏怖の眼差しを受けてもひょうひょうとしているショウに、リネットは「見直したわ」と炭をわける作業に取り掛かろうする。しかし、先ほどからショウが熱心に書き込んでいる書類を見てしまった。
そこには正方形の図形が書いてあり、一センチ間隔で縦横に区切られている。
「それってクロスワードじゃない! なんでこんな忙しい時にパズルなんてやっているのよ!」
「懸賞が今日の五時に締め切ると聞いてな……早急にとりかかっているのだが、なかなか。魔女、暗闇に浮かぶ二つの月とは?」
「黒猫のことでしょ! とっとと作業にかかんなさいよ!」
「ほう、黒猫だったか……これで完成した。感謝するぞ魔女」
ようやくクロスワードから顔をあげたショウも作業に加わる。さきほどの妙な空気は綺麗さっぱり消えて、元の和やかな研究室のムードとなった。それでも慌ただしさは変わらない。
「もう、あたしは帰って店の準備をしなきゃいけないんだから!」
とっとと終わらせねば! とリネットは簡易式懐炉を作ることに集中する。それから定時を一時間ほど過ぎて、炭の山はすっかり白い木綿の袋へと変わった。大量に積まれた袋に達成感を覚える。
ふぅ、と息をついて煤けた手袋を脱いでゴーグルを外す。額にはうっすらと汗が浮かんでおり、それを手の甲で拭う。リネットは荷物をさっと纏めて研究室を急いで出た。研究所内は相変わらず行き交う人が多く、その波を避けながら小走りで進む。どこもかしかも冬至祭の準備で忙しそうだ。
「皮肉なことに、この忙しなさにちょっぴり感謝しているのよね……」
冬至祭の警備でソークも駆り出されるらしく、二人は送迎でしか顔を合わせる機会がない。お互い時間に追われているので、お茶を呑む暇もなく二人は別れてしまう。リネットが研究所に出勤しない日なんかは、顔を合わせることなく一日を終える。
お隣に住んでいるとは思えないほどのすれ違いだ。
「寂しいような……会いたいけど、ホッとしているような……ううっ、あたしってこんなにうじうじしていたかしら」
恋を自覚したばかりのリネットにとっては名残惜しくもあり、妙な安堵感もあった。ソークを前にすると緊張で顔が強張ってしまう。
(わかっている、わかっているのよ。普通に接すればいいってことは!)
そう言い聞かせるも、ソークの何気ない仕草や言葉のひとつひとつを意識して、身体が反応するのだ。それを自覚している故に、普段の振る舞いが難しく、最近はフードをさらに深く被っている。
(どうして勝手に顔が赤くなるのかしら……!)
その表情はソークにはとてもじゃないが見せられない。きっと恋をしているとバレてしまう。今はまだソークにも誰にも、恋に気づかれたくなかった。
なんせ、リネットは恋心を持て余していたから。
研究棟を出るとちらちらと白いものが暗い空から散っている。雪だ。地面を濡らす雪は降り積もってはいない。慌てて首にかけただけのマフラーをぐるりと巻いて結ぶ。研究棟の熱気が身体に残っているとはいえ、雪が降る夜は冷たくて身体を縮こめた。
身の丈の三倍もあるだろう門へ近づくと、門番をしている若い警備員が意味ありげに目配せをした。まさか、と思ってリネットは足早に門を抜ける。そこには寒空の下、健気にリネットを待つソークの姿。
「ソーク! ごめんなさい、待たせてしまったわ……!」
名前を呼んで駆け寄るとソークは大股でやってくる。一気に距離が縮まったと思えば腕が触れる前にソークは停まって、それから小さな笑みを口元に浮かべる。
「いいえ、ちょうど来た所ですから」
そう言ってソークが目元を柔らかくするので、リネットはむっとした顔で手袋を脱いで、ソークのむき出しの手に触れた。暖かで柔らかな指がソークの筋張って固い指を掴んだ。伝わる冷たい肌は随分と寒空の下で待っていたことを物語る。
うそつき、と詰るつもりはない。気を遣ってくれているのだ。
「とても冷たくなっている」
すり、と手の平で包むようにソークの左手に両手を擦り合わせる。
「ま、まじょさまっ!? ええっと、私は大丈夫ですよ、いえ、やっぱり、冷たい……いえいえ!」
「そうでしょうそうでしょう。だって冷えているもの……そうだわ、これあげるわ!」
慌てたように手を引っ込めようとして、けれど結局リネットの手に委ねたままのソークにいいものをあげようとポケットに手を伸ばす。取り出したのは冬に便利な魔術符型の懐炉だ。魔術陣を発動させると紙切れとは思えないほど暖かくなる。
「はい、使って」
「……ありがとうございます……とても暖かいです」
心なしかソークが萎びた野菜のように項垂れている。表情が「これじゃない」と言っている。もしかすると、魔術符だけでは足りないのかもしれない。ならば、とリネットは再びポケットに手を突っ込んで、簡易式の懐炉を取り出した。
「これもあげるわ。袋を破れば発熱する仕組みで魔力が要らないの」
「……お気遣いありがとうございます。でも、魔女様の手が」
「大丈夫よ、あたしには手袋があるもの」
「……はい、そうですよね、手袋がありますもんね……」
脱いだ手袋をはめて、リネットは北風に身体を震わせた。プラタナスの枝の影に白い雪がちらつく。雪片が外灯を受けてぼうと光るので、まるでプラタナスの枝が光の葉を宿しているようだ。幻想的な光景に目を細め、リネットはソークの手から意識をそらす。
思わず触って、押し付けがましく懐炉をあげてしまった。迷惑じゃなかったかしら。そんな思いがようやく巡ってきたのだ。
「では、帰りましょうか。魔女様が風邪を引くと大変ですから」
「そうね。冬至祭で忙しい時期だもの。ソークも気をつけて。あなたが倒れたら……あたしじゃ引きずることくらしか出来ないわ」
「それは痛そうですね、でも風邪を引いたことがないので、大丈夫だと思います。ほら、私は身体は丈夫にできているんです」
シャルクの祝福を受けた人間は身体能力が異常に高い。暗にそう言うソークの顔を見るが、そこに憂いは見当たらない。以前ならわけのわからない落ち込み方をしていただろう。そんなリネットの心境を読んだのか、ソークは困ったように空を仰ぎ見て、リネットに視線を戻す。
「前までは損な身体だと思っていたんですけど、警備隊では重宝されるんです。それが私にとって意外というか……よく話す同僚もできましたし、思ったより皆さんに受け入れられて、肩の力が抜けているんですよ」
それに、とソークは小さな声で続けた。薄い唇から白い息が溢れては夜闇にとけていく。
「魔女様のおかげです。魔女様にお会いできてよかったと思います」
「それなら嬉しいわ」
嬉しそうなソークを前にして、リネットは微笑みを浮かべてマフラーで口元を隠した。嬉しいのに、ソークの言葉が寂しい。
付かず離れずの距離でメインストリートを抜けて、旧市街の家へと帰り、二人は別れた。リネットは寒々とした店舗から二階へとあがり、ヒーターを入れてそっと窓のカーテンから外を見る。ちょうどソークがヴィルの家へと入るところだった。その背中が家へと消えて少ししてから、ヴィルの家の、ちょうど居間の窓に明かりがつく。
「あたしはいつまで魔女様なのかしら」
もし、リネットが魔術なんて関係ない普通の女の子だったら、ソークと出会うことがなかっただろう。 そう考えると魔女と呼ばれることは良かったと思う。
けれども、もし、普通の女の子だったら。
「名前……聞かれたことがないのよね」
ふぅ、と小さくて短いため息を零した。