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初雪にて恋4

 二人はメインストリートを歩き、旧市街へと入っていく。リネットの自宅には道をまっすぐだが、サヴィーナの店には途中で左へと折れる。そして贔屓にしているパン屋の前を通って二軒目の建物の一階部分。そこがサヴィーナが切り盛りしているカフェだ。


「ここがヴィルのお姉さんのお店ですか? なんだか居心地が良さそうですね」

「そりゃそうよ! だってサヴィーナのお店だもの!」


 カフェは通りにテーブル席が四つほどあり、寒空の下だというのにコートを着込んだ若い男女がコーヒーを飲みながら楽しげに会話をしている。店内を覗くとオレンジ色の光に満たされており、窓が薄く曇って客の姿がおぼろげに見えた。夕食には少し早い時間帯で、混み合ってはいないようだった。


「料理もたっぷりでおいしいの。両親が旅に出て、一人暮らしを始めた時はよく食べさせて貰ったわ」

「え? 魔女様にもご家族がいらっしゃるんですか?」

「……いるわよ! セルトアの魔女なんて呼ばれているけど、あたしだって人間の女の子なんだから!」

「す、すみません! 言われたら当たり前なんですけど、なんだか不思議で……本当に申し訳ありません!」


 店の前で謝り倒すソークに、若い男女の訝しげな顔が向けられる。リネットは「もういいわ!」と慌ててソークの腕を掴み、ドアベルを鳴らしながら店に入った。からんからんと乾いた明るい音が店内に響くと、すぐにサヴィーナが顔を出す。目元と口元がヴィルによく似ているが、こちらのほうがより陽気で気さくな雰囲気だ。


「リネットちゃん! とお友達かしら!」

「お店では久しぶりね。席、空いてる?」

「もちろん!」


 サヴィーナのカフェは四角いテーブルが十ほどあり、どのテーブルにもポピーの花を思わせる赤いクロスが掛けられている。案内された席は壁際で、リネットとソークはコートを脱いで向かい合うように座った。

 そして、鶏肉のトマト煮込みを頼む。前菜には、柔らかなアスパラガスにナッツのクリームソース。ナッツの香ばしさと軽いソースがアスパラガスによく合う。


「おいしい……!」


 思わず頬を押さえてしまいそうだ。もうリネットは正面のソークが見えない。白い器に盛られたアスパラガスにソースを絡めて頬張る。黙々と料理を口に運ぶリネットは、鶏肉のトマト煮込みも目を輝かせて食べてしまった。

 トマトの酸味と鶏肉のジューシーな肉汁。熱々の一品は男の人でも満足するボリュームで、パンを一緒に食べるとまたバターの芳醇な香りで一味違う。もぐもぐと頬を動かしながら食べる様子は、さながら小動物のようでリネットはソークから微笑まれていることにしばらく気がつかなかった。


「もう、リネットちゃんったらボーイフレンドを放って、食べることに専念しちゃうんだから!」


 はっと顔をあげたリネットは、テーブルの横に呆れたように立ったサヴィーナを見る。ソークが口元に軽く拳を当てながら、肩を揺らしているのもようやく視界に収まった。


「ご、ごめんなさい! そ、そうよね! あたしが食事に誘ったのに……!」

「いいえ、私は充分に楽しんでいます。ロミアではこんなにおいしいものはないので、とても新鮮です」


 まだ肩を揺らしながら笑うソークにリネットは口元が情けなく崩れるのを感じた。慌ててフォークを置いて頬をひっぱる。けれど、その仕草もソークの笑いを深めるばかりで、サヴィーナまでもがくすくすと陽気な声をあげた。


「リネットちゃん、食べることが好きだものね。しょうがないかぁ。えっと、あなたはヴィルが言っていたソークくん?」

「あ、はい! サヴィーナさんですよね。実家でお世話になっています」


 ぺこりと頭を下げたソークの髪がさらりと揺れる。サヴィーナはふふふと笑いながら、トレイに載せたデザートを並べる。小さなカラメルプリンに再び目を奪われるが、リネットはハッとしたように姿勢を正す。


「カッコいいお友達とまた来て頂戴ね。そして、ソークくんもリネットちゃんと仲良くね」


 からかう声音に今は着ていないローブを深くまで被ってしまいたくなった。カッコいいお友達に含みを感じてしまったからだ。

 きっとサヴィーナに悪気はない。けれど門番の警備員も生ぬるい視線を送っていた。

 一人だけ気恥ずかしい思いをする中、ソークはいつもの調子で「魔女様は私なんかにも良くしてくれる偉大な人です!」と恥ずかしげもなく言う。偉大ではないと思うのに、嬉しいような複雑のような気持ち。まっすぐ魔女としてのリネットを信頼しているソークに、リネットは熱くなった頬から意識をそらすため、テーブルのプリンを見つめるのだった。



* * *



 帰り道、ソークが少しだけ歩みを緩めると、リネットも自然と速度を落とす。旧市街地の路地から見上げる空は区切られていて狭い。店を出るころには月が屋根の影にかかっており、吐く息は白く溶けていく。


「魔女様、物騒な話ですが最近、妙なやつらがセルトアを彷徨いていると聞きます」

「妙な……? そういえばエルマーも言っていたわ」

「ええ、研究所で働く魔術師に接触しているようなんです。ですから魔女様も気をつけてくださいね」


 リネットがどこか納得行かないという顔で頷くのを見て、ソークは少々不安になる。彼女はセルトアの魔女と呼ばれて、大仰な噂がついて回る人物だ。それなのに遅くまで研究室に残り、ふらふらと覚束ない足取りで帰宅する。

 危機感が足りないと田舎者のソークでも思う。特にリネットの幼なじみのヴィルはその危機感のなさを、引っ越してきた一日目に盛大に嘆いてみせた。曰く「鈍いのよ!」ということだ。

 そんなソークの心境などつゆ知らず、リネットは鼻歌を歌い出しそうなくらいにご機嫌だ。先ほどの忠告もどれほど記憶に留めてくれるだろうか。


「そういえば、魔女様はご家族が旅に出られたとか」

「うん、そろそろ独り立ちの準備をしなきゃいけないし、私達は面白い魔術を探してくるって、意気揚々と旅立ったわ」

「それは……いつのことでしょう?」

「三年ほど前かしら。あの頃は包丁も持ったことがなくて」


 くすくすと料理は焦がしてばかりだし、味気がなかったりしょっぱすぎたりと散々だったと笑う。その街灯の明かりをきらきらと反射させる青い瞳には、寂しいといった感情は浮かんでいない。


「手紙だってちゃんとくれるのよ。春には帰ってくるし。でも、未だに料理は苦手ねぇ。いつもパンとスクランブルエッグで済ましちゃうもの」

「……毎日、ですか?」


 思わず尋ねてしまった。すると、リネットはひょいっと肩をすくめて気まずそうに、マフラーに顎をうずめる。どうやらうっかり喋ってしまったらしい。気まずそうなリネットはソークから見たら随分と小柄で、抱き上げたときも想像以上に軽かった。

 ただソーク自身、身体が丈夫で力もあるので、そんなものだと思ったのだが……これはもしかするとリネットの普段の食生活が影響しているのでは? と疑ってしまう。

 そういえば、ソークが食料棚を覗いたとき、必要最低限の食材もなかったことを思いだす。またキッチンが使われていないように綺麗だったことも。


「魔女様、よろしければですが……ときおり、私が料理を作ってもいいでしょうか?」

「え? でも、ヴィルのところに住んでるじゃない? 食事場所を分けるのって面倒だと思うんだけど」


 ソークを食事に誘うときは普通の少女のようにどこか気恥ずかしそうにしていたのに、今は魔術師らしい合理的な答えが帰ってくる。


「お部屋を貸してもらう代わりに食事は私が担当することになったんです。ヴィルさんは夜はお仕事でいらっしゃいませんし……どうでしょうか?」

「あら……そう? じゃあお願いしようかしら」


 ソークが作るごはんってどうしてだか美味しいのよねぇ、とリネットは頬を緩ませながら嬉しいことを言ってくれる。ここ数ヶ月でリネットは美味しいものに弱いということをソークは学んだ。特に甘いものに目がない。


「ただし! 食費はちゃんと折半で!」

「はい、わかりました」


 ぴんと人差し指を立てたリネットに頷く。その小さな爪が可愛らしいと言えば、リネットはからかわれたと思うかもしれない。ソークはどうしてだか、セルトアの魔女と呼ばれている少女を思うと、頬が緩んでしまうのだった。



* * *


 ソークが警備隊に勤務してからはリネットを迎え、夕刻には研究所の門前で待つようになった。この一週間、さながら主人を待つ忠犬のようなソークに、ショウは心打たれたのか、徹夜の作業は減ってさっさと帰るように促す。

 曰く「俺は便利なものと面白いことが好きなんだ」である。よくわからない理由だったが、おかげで早く帰宅できるのでリネットはソークに感謝だ。

 またリネットの侘びしい食卓事情をうっかり話してしまい、食事の差し入れを持ってくるようになった。これがまたおいしい。

 今日も二人で旧市街の細い通りを抜け、メインストリートにでる。乾いた冷たい風はいつの間にか湿り気を帯び、空は厚い雲が覆っている。初雪も間近だろう。クレアから貰った毛織のブランケットはとても重宝している。


「では、今日もお勤めに励んでください。私はいつもの時刻に参ります!」

「ソークの方もがんばってね」

「はい!」


 元気のいい返事をしたソークは明るい笑みを浮かべており、当初と比べて泣くこともないし、警備隊でもうまくやっているようだ。ソークの話に同僚の名前がさりげなく出てくると、リネットは思わず笑みが溢れてしまう。その度にソークは首を傾げて不思議そうにするのがまた、頬を緩ませるのだった。


「じゃあ、また夕刻にね」


 向かう先が違うので二人はここで別れ、リネットは研究所の門をくぐった。初老の門番が向ける暖かなまなざしが、ほんの少しだけ居心地が悪い。なんとなく振り返ると、ソークはまだ門の前にたっており、リネットを見送ってくれていた。いつもこうやって見送るのが、ソークのまじめで正直な性格をよく表していると思う。


(深い意味はないんだろうけど……まるで騎士のようだわ)


 そういえば、とリネットは幼い自分を思い出す。お姫様が素敵な騎士や王子様と恋する物語が好きだった。よくゾーイをそばに挿し絵を見せては、ロマンチックな物語に気持ちが高ぶって金色の獣を抱きしめたものだ。

 近頃は大好きだった恋物語から遠ざかり、店と研究所の仕事で手一杯の毎日だった。両親が旅立ってから家事を一人でこなさなきゃいけないのも、不慣れなリネットにとっては大変なことだった。今ではすっかり慣れてしまったのが幸いだろう。また仕事や家事に追われるなか、リネットはそのころからセルトアの魔女と呼ばれ、「魔女」らしくあろうとしていた。


(ソークもやっぱり、女の子としてじゃなくて、魔女としてのあたしを大切にしてくれているのかしら)


 それは嬉しいことだ。へっぽこ魔術師のリネットだけど、誰かの役に立つことができたのだから。それでも、どうしてだか、一抹の寂しさが心にこびりつく。

 この気持ちは何だろう。

 魔女として満足しているはずなのに。

 胸の妙なわだかまりに、リネットは青い瞳を曇らせて俯く。

 それからリネットはどこか上の空だったらしく、ショウが珍しく紅茶と自前で用意したというチョコレートケーキを出してくれた。ワンホールを買ったというケーキは、研究室の皆の腹の中にすっかり収まってしまい、ショウは嘆いていたけれど。

 チョコレートケーキはしっとりしたきめの細かいスポンジに、ミルクが効いたガナッシュがサンドされている。表面はぱりぱりのチョコレートでコーティングされており、フォークを入れると良い音がした。


「ちょっと甘すぎたか?」

「ううん、あたしは好きだわ」


 ショウの言うとおり、甘いものが苦手な人にはおすすめできないが、舌が溶けるくらいの甘ったるさはリネットのささくれだった気持ちを和ませてくれる。

 けれど、何だか物足りない気がする。


「さすがチョコレート専門店のケーキなだけあるな。今度は俺一人で食べる。おまえ等は自分の金で買え」


 ふと、ソークのケーキが食べたいと思った。いつも果実がたっぷりで、優しい味のするケーキ。リネットはその味を求めてセルトアじゅうのスイーツショップを周り、体重を増やす羽目になってしまった。あのケーキが食べたい。

 でも、どうしてソークのケーキがいいんだろう。確かに味はリネット好みだし、ケーキのみならず食事だっておいしい。まるで、ソークの作ったものなら何でもおいしいと、リネットはどこかで思い込んでいることに気がついた。

 好きな人が作った料理は、それだけで何にも代えられないスパイスなのよ。

 ふとサヴィーナの言葉を思い出す。最後の一口のチョコレートケーキを口に運ぼうとして、リネットは彫像のように動きを止めた。


(あたしって……ソークのことが好きなんだわ!)


 それは世界の色がガラリと変わるほどの衝撃をリネットに与えた。ソークに会って自然と笑みがこぼれて胸が弾むのも、並んで歩くだけで楽しいのも、すべてソークを好きだったからこそだと、すとんと理解した。


「おい……? 魔女、大丈夫か?」


 まるで朝日に照らされたように、リネットの頬は染め上がりつやつやとし、耳まで色が移っていく。端から見て面白いくらいに顔を真っ赤にさせたリネットは、目の前で眉を寄せてこちらを伺うショウのことは視界に入ってなかった。


「どうしたんだ? 風邪でもぶり返したか? エルマーを見舞いに寄越してやるが」


 まさかソークが好き……?

 唐突な恋の自覚にリネットはぐるぐると「どうして?」と繰り返し問答した。だって、ソークはお客さんで、どこか頼りない泣き虫だ。もしかして看病されてくらりと気持ちが傾いたのだろうか。それともどことなくゾーイを彷彿させるから? 彼の泣き顔にぞわぞわとしたものを感じるのは……好きだったから?


 どうして、ソークを好きになったんだろう。

 久しぶりの難問にリネットは頭が沸騰しそうだ。どうして? と自分に問うたびにいろんなことが思い出される。例えば無邪気な笑顔と偽りのない好意が向けられるのは心地が良かった。太めの眉に柔らかな目尻が笑うとふんわりと暖かい。

 風邪を引いたリネットを軽々と抱き上げたときは、熱で顔が赤くて良かったと思ってしまった。それから嫌がらずにリネットの看病をし、スープまで拵えてくれたのだ。きっと一人でも風邪は治っただろう。でも、風邪を引いた時の心細さを感じなかったのは、ソークが側にいてくれたからだ。

 ちょっとネガティブなところはどうかなって思う。けれど、リネットは知ってしまった。ソークを食事に誘ったとき、自分自身だってあれこれと言い訳じみた言葉を重ねるのだ。あのとき、誘いを断られるのが怖かったから。ソークだっておんなじで、拒絶されることが怖い。


「セルトアの魔女!」

「は、はい! なに?」

「ようやく返事をしたか! 具合が悪いならさっさと帰ったほうがいいんじゃないか」

「違うのよ、具合は悪く無いわ……ちょっと考え事をしていただけよ」

「それならいいが」


 リネットはフォークにのせたケーキをぱくりと食べる。じわっとチョコレートの香りと甘みが広がった。


(目下の問題はどうしてソークが好きなのかではないわね……仕事が終わる夕方、どんな顔をしてソークに会えばいいの! ああもう! 大人しくヴィルの恋愛テクニックでも学んでおけば良かったわ!)


 学んだとしても教えられたテクニックの通りに事が運ぶとは思えないが。知らないよりはマシだろう。

 その夕刻、リネットの恋を見守るように、初雪がセルトアに降ったのだった。

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