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初雪にて恋3

「うわ、寒いわね……!」


 少女は寒さに身を縮こませながら、紺色のダッフルコートをマフラーを手早く身につける。ちょこちょことした動きがソークの目を引く。特に目を奪われたのはやわらかそうな頬に色づいた唇。そして、コートの袖口から覗く白い指先だった。ひとつひとつがたおやかで可愛らしい。


「魔女様ですよね?」

「そうよ。え? 何度も私の顔を見てるじゃない。ま、さか……覚えていないの!?」

「い、いえ! 覚えています! ただ、その、えっと!」


 いつもの灰色のローブを着ていないので新鮮だったと言えば、失礼になるだろうか。

 そんなことを考えながら慌てるソークに、リネットはマフラーに口元を埋める。

 もしかして不似合いだったかしら。大人しくローブを着ていればよかったのかも。

 段々と視線が下がり、ついには自分のブーツの先が視界に写る。今から着替えようかと考えたとき、ソークが「可愛らしいです!」と大きな声をだした。自然とリネットは青年の顔を見上げる。


「ご、ごめんなさい。私なんかに言われても嬉しくないでしょうけど……とても可愛いと思います。それに……魔女様の瞳は美しいから、隠すのはもったいないと思っていたんです」


 だから、どうぞ顔をあげてください。

 大切なものを見守るようにソークの穏やかな瞳がリネットに注がれる。またしても、リネットの胸がとくとくと脈打ち、温かい光が灯っていく。気づけばふにゃりと表情が緩み、自然と笑みを浮かべていた。


「ありがとう、ソーク。この瞳の色はお気に入りだから、そう言って貰えるのは……嬉しい」


 真っ青な空の色。こればかりはぺちゃんこ娘と呼ぶヴィルも褒めてくれる。素直にお礼を述べると、ソークは口元を筋張った手の平で覆い隠しながら、ふいっと視線を外した。心なしかその頬が赤くなっている。


「魔女様……いつも、そんな、顔をしているんですか?」

 そんな顔とはどんな顔だ。あいにく、生まれながらこの顔だ。

「成形した覚えはないけど……変?」

「と、とんでもないです! そ、そろそろ行きましょうか?」

「……うん」


 様子のおかしいソークが歩き出したので、リネットもそれに続く。可愛いって言ってくれたけど、やっぱり変なのだろうか。ちらりとソークを見上げると、目がばっちり合う。


「……変じゃないですよ。顔がよく見える分、その、魔女様の表情がダイレクトに伝わってくるといいますか……あー……本当に可愛いと思います。いや! 私に言われても気持ち悪いと思いますが!」


 不安が表情に出ていたらしく、ソークが必死にフォローをいれる。それにリネットは苦笑してから「わかっている」と小さく返事をした。本気で言っているのがわかったから、照れてしまったのだ。


 二人は連れ立ってぼんやりとした銀の雲がかかる空の下、王宮魔術研究所まで歩き出した。まだ七時半ということもあり、民家から料理するの音や匂いが漂っているものの、仕事着で歩く人は少ない。しかし、入り組んだ旧市街地からメインストリートに出ると、途端に道行く人が多くなる。

 貴族の紋章が入った馬車や、乗合馬車が石畳を車輪を鳴らしながら行き交う。すっかり枝のみとなったプラタナスの木々には物寂しさを覚えるが、春になると芽吹く新緑は冬の侘びしさのおかげで一層引き立つものだ。

 二人は四十分ほどかけて研究所の門前へとついた。門を警備している初老の警備員が、リネットを守るように側に立つソークを見て目を丸くさせる。また他の門を出入りする魔術師たちも、好奇の目を二人に向けた。


「あの、気のせいでしょうか……見られている気がします」

「気のせいじゃないと思うけど」

「ですよね……や、やっぱり魔女様を私ごときがお送りするなんて身に過ぎたことでしょうか!」

「むしろ……逆じゃないかしら……」


 恐らく、どうしてカッコいい男性がセルトアの魔女の横にいるのだろうという意味の視線だ。きっと、リネットが灰色のローブを着ていないことも注目を浴びるひとつだろう。

 しかし、女性陣からの熱視線をソークのみならずリネットまでも感じるのだから、やっぱりソークの容貌が人目を引くのだろう。

 背も高く、絵画のモデルになりそうなほどバランスの整った体つき。穏やかで人の良さそうな整った顔は、恋に夢見る少女ならば王子様と言ってうっとりしてもおかしくない。

 そこまで考えてリネットはほんの少しだけ、もやっとした不快感を覚えた。


「おはよう、魔女様。今日は可愛らしい格好だねぇ。しかもセルトアの魔女様にも素敵な友人がいるようで安心したよ!」

 初老の警備員の言葉にリネットは眉をあからさまに寄せてみせた。

「おはよう。そして、あたしにも友達くらいいるわ!」

「わははは! そりゃそうだろうが! お兄さんも大変だねぇ、セルトアの魔女様はちっとばかり鈍いみたいだ。人の命を取るっていう、物騒な噂もついているっていうのにねぇ」


 楽しそうにからかう警備員にリネットは唇を突き出しながら、むすっと頬をふくらませる。不本意な噂をいくら否定しても、それは真実を装って人々の口上に載るのだ。

 そろそろ噂を否定することにも疲れてきたころだし、いっそ好き放題言わせてしまおうかしら。

 どこか諦め気味のリネットは嘆息する。しかし、リネットに代わるように、ソークが声を荒らげた。


「そんなことはありません! 魔女様はとても親切なお方で、こんな私にも時間を割いてくれる優しい心の持ち主です!」


 例えるなら草食動物のような青年が、眉間にシワを刻んでリネットを庇う。そのことに呆気にとられたのは庇われた本人であるリネットだ。


「お、おう! もちろん、セルトアの魔女様は可愛いお嬢さんだよ!」


 ソークに気圧されたように初老の衛兵は頷いた。次には早くも立ち直ったのか「セルトアの魔女様も本当にいい男を見つけたものだねぇ」と顔にシワの多い笑みを浮かべる。

 けれどリネットには、固く引きつった笑みを浮かべるのが精一杯で、うまく答えることができなかった。先ほどのソークの言葉に戸惑いを覚えたからだ。


(あたしって「とても親切」で「優しい心」の持ち主だっけ?)


 どちらかというと、リネットは自分のことを可愛げのない性格だと思っていたし、ヴィルからも「素直にならないと恋人なんて出来ないわよ」とお節介も受けていた。さらにサヴィータに言わせれば「もう少し言葉を柔らかくしたほうがいいわよぉ!」である。


(そんなあたしが親切で優しい……? むしろ親切とか優しいのはソークよね……?)


 けれど、嬉しい言葉には違いない。なのに、どうしてこうも引っかかってしまうんだろう。

 どこか苦い気持ちを抱えたまま、リネットは研究室へ、ソークは警備隊の屯所へと別れた。しかし、胸に感じた些細なわだかまりはすぐに吹き飛んでしまう。


「おお! 魔女よ! そろそろフェアリーの絵を提出しても良い頃合いではないか? うん? もしやデッサンやアイデアに困っているのなら、僕はお手伝いできるかもしれないのだ!」


 エルマーが挨拶抜きにやってきたからだ。研究所に入り第二十研究室に行こうと右足を踏み出した途端のことだった。目が合うなり怒涛の勢いで迫られる。

 フェアリーのデッサンのことなど、頭からスッポ抜けていた。本気だったのね……とリネットが言えば、僕はいつでも本気だ! とエルマーが胸をはった。


「可愛いかんじでいいの?」

「可愛いかんじがいい。冬至祭で売りに出そうと思ってな! 売り上げが良ければ魔女の懐も暖かくなるだろう?」

「……そこまで考えてくれていたの?」

「当たり前だ。ところで、ソークを街案内には誘ったのか? もしまだだったら、今日にでも言うがいいぞ。要らぬお節介かもしれないが……臙脂色のワンピースが似合うではないか。やっぱり今日がいいと思うが」


 ひょいっと肩を竦めたエルマーの勧めに、リネットは思わず困った表情を浮かべる。


「何て言えばいいのかわかんないのよ……うん、今日にでも誘ってみるわ」

「ああ、そうするがいい。それと、これは星のカードとドラゴンのカードなのだ。そろそろ在庫も少ないと思ってな!」

「あら! よくわかったわねぇ……うん、冬至祭に間に合うようにフェアリーの絵も考えてみるわ」

「そうしてくれると助かる。ああ、それともう一つ言うことが……最近、妙な奴らがうろついているらしいから気をつけるように」


 そう言ってエルマーは第一研究所のほうへ去っていった。

 妙な奴らって誰かしら……?

 エルマーに言われるくらいだからよほどの変人奇人の類だろうか。首を傾げたままリネットは研第二十研究室へと足を向けた。珍しく灰色のローブではないリネットに研究室のみんなは驚いた。

 デートなのかと言われて、リネットは「たまには」と曖昧な返事をしながら、拡大鏡を覗き込む。細かい魔術陣を細いペン先で書き込んでいく。


 やがて本日の作業も終わり、リネットはいそいそと好奇の目を背中に受けながら研究室を出た。心はもうソークをどうやって食事に誘おうかと逸り、自然と早足に建物を出て門へと向かう。


「ソーク!」


 門の横で背筋を伸ばす青年の姿を見つけるやいなや、小走りでソークの元へ向かう。ソークはリネットに気づくと人の良さが表れた温かい笑みで迎えてくれた。


「魔女様、お仕事お疲れ様でした」

「ソークこそ初仕事はどうだった? うまくやっていけそうかしら?」

「ええ、街の案内を受け、少しばかり身体を動かしました。みんな、気のいいやつらばかりです」

 朝とは違い、緊張がほぐれている様子に、リネットはほっとした。

「では、帰りましょうか」


 自然と二人は並んで石畳の上をブーツを鳴らしながら歩く。メインストリートの西側から、太い弦の響きと男性の豊かな歌が風に乗って聞こえる。メインストリートから西側に入るとセルトアで唯一のオペラ劇場があり、新年に向けて舞台が開催されるのだった。

 希望を歌う華やかな旋律に、プラタナスの通りを歩く人々の表情も心なしか陽気だ。日も落ちて星たちが空にぽつぽつと光りだし、通りに面している店の窓からの明かりが、メインストリートを飾り立てていく。

 リネットは息を吸い込んだ。

 今、食事に誘うしかない! きっとこのタイミングを逃せば、またずるずると日が伸びるに違いない! と意気込む。


「あの! もし、良かったらなんだけど、食事でもどう?」

 ぎゅっとコートの裾を握りながら、リネットに歩幅を合わせてくれるソークを見上げた。

「えっと! 特に深い理由はなくて! 風邪の看病をしてくれたでしょ、それにこうやって送迎して貰っているし」


 初めの勢いはすぐに失速して、最後は小さな声になってしまった。素直に感謝の気持ちだと言えばいいのに、口を開けばどこか言い訳じみた言い方になってしまう。ヴィルの「素直になりなさいよ」という有り難みのなかった忠告を再び思いだす。

 だけど、簡単に素直になれない。

 ソークは初めきょとんとしていたが、言い訳のような言葉を重ねるリネットに小さな笑い声を上げた。


「そんなに緊張しなくても。私はとても嬉しいです」

「……それなら、良かったわ」


 くすぐったそうに笑う青年の顔を見ることができない。リネットはそっぽを向いたまま、心を落ち着かせるためにプラタナスの木を数える。集中できなかった。

 そんなリネットにソークが穏やかに、けれど戸惑いながら尋ねた。


「魔女様の誘いを断るはずがありません。けれど……その、私なんかでいいのですか?」


 はっと顔をあげると、困ったようにこちらを見下ろす青年の顔。嬉しいと言っておきながら、迷惑だったのだろうか。 

 いいえ、ソークはそんな人じゃない。

 純粋にリネットが彼を誘い、それに乗ることに遠慮をしているのだ。おそらく「自分なんかと食事に行きたいだなんて」と思っているのだろう。


「ソークが看病してくれたんでしょ?」

「魔術師様もお見舞いにいっらしゃいましたが。これから落ち合う予定でしょうか?」


 リネットはつんと唇が尖るのが自分でもわかった。

(どうしてエルマーがここで出てくるのかしら? だって、あたしが誘ったのはソークただ一人だけなのに!)

 わかりやすく拗ねるリネットにソークは罰が悪そうに空を仰ぎ、再び視線を小柄な少女に移す。ぷっくりした唇をつきだしてそっぽを向いて歩く魔女の姿。まろやかな頬に栗色の和毛が掛かっている。寒さのため頬は赤くなっており、リネットの白さが引き立つようだった。


「ええっと、私は食事の作法もない田舎者なんです……魔女様に恥をかかせてしまうかもしれないんです」

「それなら大丈夫よ。行こうと思っていたのは気軽に行けるお店なの。ヴィルのお姉さんがやっているわ……その、ソークがやっぱり行きたくないっていうなら、いいわ」

「……いいえ。いいえ、ぜひ」


 いつもハッキリとした口調なのに、どことなく不安げで、それでも期待するような表情にソークは胸に灯火がともったようだった。寒い冬の風からリネットをさり気なく庇う。

 隣の魔女は出会ってからずっと、ソークの心に温かな光を届けてくれる。

 彼女は気づいていないようだったが、本当に感謝しているのだ。

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