初雪にて恋2
「へ? 研究所の警備員?」
「はい。ちょうど求人を出す所だったとタイミングよく」
「そして、あたしはそこでソークくんと会ったから、一緒に来たってわけ」
どうやらトントン拍子に進んだらしい。警備隊を統括する隊長もその場にいて、適性検査で軽い運動をしたあと、すぐに採用が決まったそうだ。また、ソークはシャルクの祝福を受けた忌み子であると、罵られる覚悟で申告したそうだが、隊長はあっけらかんと笑い飛ばした。金髪なら警備隊にも何人かいるし、セルトアでは珍しくないと言って。
そのことはソークにとっては信じられないことで、まるで世界がひっくり返ったような気持ちだと興奮気味に喋る。だけど、リネットはちょっとだけ面白くない。
あたしだって最初にセルトアじゃ珍しくないって言ったのに……。
けれど仕事が決まってこれで冬が越せると喜ぶソークに、水を差す気持ちにはどうしてもなれなかった。それよりも、あれだけ一目を気にしていた青年が、冬の間だけとはいえ警備隊に入るとは素晴らしい。そう思い直して、笑みを浮かべる。
「おめでとうソーク!」
「ありがとうございます、なんだか……魔女様と出会うことによって、私はいろんな方に出会いました。それがとても嬉しいです」
「それはソークの人柄だと思うわ。あたしは髪や瞳の色を変えただけに過ぎないもの」
緩く首を横に振って否定すると、ソークははにかむように微笑みを投げる。
「それでも私は魔女様のおかげで一歩を進めましたから」
素直に受け取るにはどこか気恥ずかしいセリフだが、悪い気はしない。ソークの気持ちを否定するのもおかしい気がして、リネットは頷くだけにした。そこでふと疑問に思う。
「ねぇ……まさかロミアから通うわけじゃないでしょ? あなた、どのくらいの時間をかけてセルトアに来ているの?」
「ええっと、片道三時間ほどでしょうか……一番の辻馬車に乗って来ています」
なるほど。だから毎度毎度、朝っぱらから玄関のベルを鳴らすわけだ。
ソークも自分で言ってから、往復六時間コースを毎日通うのかと思ったらしい。辻馬車代だって馬鹿にならないのでは、とリネットが危惧すると、彼も曖昧に頷いた。
「だとしたら冬の間だけセルトアに住んじゃうってのはどうかしら」
「それはいい考えだと思いますが……」
どこに住めば? 表情で語るソークにリネットは詰まる。
勢いで良かれと思って提案したが、先を考えていなかった。
自宅には両親の部屋があるが、男性と暮らすとなると、世間の目は厳しいかもしれない。セルトアにも安宿があるにはあるが、大部屋でベッドのみを借りるという必要最低限の設備だ。そこに彼を押し込めるのも気が引けた。
困ったと腕組みをしたとき、カウンターに置いてあったバスケットを覗いていたヴィルが事も無げに言う。
「なら、あたしんちに来たら? サヴィーナが出て行った部屋が客室になっているのよ」
「ヴィル……そういってソークをどうするつもりなの!?」
「どうもしないわよ! アンタ、あたしのことをなんだって思ってんの?」
「だってヴィルったら男女ともにお付き合いをしてるじゃない……!」
「お友達はたくさんいるけどぉー」
意味深に語尾を伸ばすヴィルに思わず顔をしかめる。
「安心しなさいよ。ソークくんは綺麗で好きだけど、リネットのお客さんでしょ。それに宿に宿泊するよりは安くつくわよ。そうね、食事代くらいは出してもらいたいけど」
「そ、それはもちろんです!」
「じゃあ決まりね!」
では、一端ロミアに帰って家族に報告してきます。
ソークは何度もヴィルに頭を下げながら、踊るように軽い足取りで扉を出る。午後も大分遅くなり、風はどんどん冷えているのにも関わらず、寒さを感じないように上機嫌だ。そんなソークの姿が見えなくなった後、リネットはバスケットから取り出した袋を開けてクッキーをかじっているヴィルの裾を引っ張った。
「なによぉ」
「さっきのこと絶対よ! ソークは純粋なんだから、ヴィルが汚しちゃだめだからね!」
「ええー、普通の男の子だと思うけど。リネットは夢みすぎよ」
「男の子だってのは……わかってるわ」
「うそ。わかってない。あたしもいい加減、アンタのことが心配なのよねぇ」
二つ年上のヴィルが大人ぶってため息をつく。それがなんだか癪で唇をとがらせると、クッキーの袋を顔に押し付けられた。バターとミルクのいい匂いがする。
「ねぇ、リネット。アンタはソークがお客さんだから、手を出さないように言っているのよね?」
意地悪な笑みを浮かべて、ヴィルは品定めをするような鋭い目つきでリネットを見つめる。その迫力にたじろぎながらも、リネットは当たり前だと胸を張って肯定した。
警備隊での仕事が決まり、身支度を整えるためにソークがロミアに帰ってから二日後。
リネットはエルマーに頼まれた薬湯を引き渡し、第二十研究室ではカイロの形が見えてきたところだった。といっても、ショウはせいぜい二時間しか持たないカイロが不満のようだ。
(昔はもっと便利だったのに……って、前に似たものがあったのかしら)
眠たそうな目を伏せて、熱を発するカイロに頬ずりをするショウ。カガクでの道具作りがうまく行かないときは、たいてい落ち込んでぶつぶつとよくわからない一人言をしている。こういうときは放っておくのが一番だ。
また王宮魔術研究所の仕事のほかにも、リネットは毎年行われる冬至祭で売り出す商品の管理に追われていた。秋の祭りが収穫祭で、農産物の恵みを感謝するものだとすると、冬至祭は魔術師たちが己の技術をお披露目する祭りだ。日が短くなって塞ぎこもりがちな冬を活気づけるために行われる息抜きみたいな行事である。
特に王宮魔術研究所が設立されているセルトアの冬至祭りは有名で、国中から魔術師たちの妙技を一目見ようと人々が集まる。
「冬至祭では魔術道具が飛ぶように売れるから、ちゃっちゃっと仕入れとかないと」
特にエルマーから販売を受託された星粒の魔術陣が転写されたカードの売れ行きがいい。この分だと冬至祭でもヒットとなるに違いない。
店の商品や在庫をチェックしながら棚から棚へと忙しく動き回るリネットは、すっかり辺りに気を配るのも忘れて作業に没頭していた。
「あの、魔女様」
だから遠慮がちにかけられた声に驚いて飛び上がった。身体が猫のようにはねる。心臓を抑えながら店の出入り口を見やると、ソークが申し訳なさそうに顔を覗かせていた。
「驚かしてしまってすみません! 先ほど荷物の片づけも済んだので、魔女様のご様子を伺おうと思って……どうやら忙しそうですね」
「確かに忙しいけれど……もう、荷解きは済んじゃったの? 言ってくれたら手伝ったのに。それにしても随分と早かったわね」
ソークが幼なじみのヴィルの家に移ってくるのに、あと一週間はかかるだろうと思っていた。
「人員不足ですぐにでも来て欲しいと言われましたので」
家族は喜んで送り出してくれましたよ。
そう言ってにこにことソークは笑う。たった二日離れていただけだというのに、アーモンドの形をした穏やかな双眸に懐かしさを覚えた。とりあえず、外は寒いので中へ入るよう促すと、初めの頃とは違って素直に店内に入る。ドアの開閉と共に外の冷えた風が入り込む。
「お茶でも飲む?」
「いいえ、すぐにお暇しますので。魔女様が元気そうで良かったです。本当は何か手土産でも持ってこれば……気が利かなくてすみません」
「そんなに気を遣わなくていいわよ。それにしてもいつからお勤めするの?」
手を休めて尋ねる。
「人員不足で明日から早速、研究所の方で警備員として勤めることになったんです。といっても、外回りですから魔女様とお会いする機会は少ないと思いますが」
「あら、そうなの。それは……寒そうな仕事ね……風邪を引かないようにね」
心得たとばかりにあるいは何でもないというようにリネットは頷く。本当は残念ねと言いたかった。もしかすると休息時間が合えば、話をするくらいはできるのではと期待していた。
(あたしってばソークと話をするの、楽しみにしていたんだわ……)
しかし、落胆する心は微塵もお首に出さず、彼の仕事の幸先を願う言葉をかける。
「ありがとうございます。ところで……そのう、差し出がましいとは思うのですが」
急に歯切れの悪くなったソークは、リネットの目のあたりをじっと見つめながら、途切れがちの調子であることを申し出た。
「よろしければですが、本当に、私が勝手にやりたいことなんですが」
「ちゃんと聞くし、怒ってもないわよ」
「き、気を遣っていただいてすみません! えっと、その、研究所に仕事に出かける際は私に送迎させてください!」
勢い良く頭を下げたソークの申し出に、リネットは疑問符を頭上に浮かべる。どうやら、リネットが研究所に行くときは、ソークが送り迎えしたいのだという。
「一人で研究所に行くのは不安?」
とりあえず申し出の意図がわからずに尋ねてみれば、ソークは胸の前で両手を激しく振る。
「ち、違います! そういうわけではなくて……魔女様は朝は早く、夜は遅い道を歩くでしょう? 人通りも少ないわけですし」
せめて、冬の間くらいは送迎したいと思ったんです。
困ったように眉を下げてそれでも真剣な顔つきでリネットを見つめるソークは、言葉で言わずともあなたが心配なんです、と雄弁に語っている。まっすぐに自分のことを心配してくれる。その事実が胸を暖かくさせた。
じんわりとした温もりに頬を綻ばせながら、けれどこそばゆくて、リネットはまごつきながら申し出を受け入れる。
「ええと、お願い、してもいい? いや、でも……無理しなくても大丈夫よ」
「決して無理なんかではありません! ありがとうございます魔女様! きっとお守りします! では、いつ研究所に出勤されますか?」
大げさとも思える喜びようにリネットは明日だと答える。ついでに、大げさに喜ぶことじゃないと言おうとして、口を噤んでおいた。この屈託のない笑顔を曇らせることはできない。
ソークは朝の七時半に迎えに来ると約束をして、これから警備隊の屯所に挨拶にいくのだと店を出て行く。その日のリネットは、空中に軽く浮いたように気もそぞろで仕事を終えた。
ソークが家に迎えにくる。
たったそれだけ。以前だったら気にも留めない約束なのに、今では明日が待ち遠しい。
翌日、リネットはいつもの起床時刻より早く目が覚めた。今までにないくらいパッチリと目が冴えており、気分も晴れやかで清々しい。苦手な寒い朝だというのに、つま先から髪の先まで、浮き足立っている。理由は考えるまでもなく、ソークがやってくるからだ。
「そわそわする……もう少し眠れるけど、起きちゃおうかしら」
そうと決めたらリネットはさっとネグリジェを脱ぎ、いつもの味気ないシャツに手を伸ばしす。ふとそこで姿見に映る自分を見た。
いつもローブで全身を覆っているため、日にさらされていない肌は白い。身体は少女らしいたおやかな曲線を描いている。大きくはないがふっくらしたバストにウエストは括れのカーブがちゃんと存在している。
(そういえばクレアが仮にも女性ならお洒落でもしたら? なんて言っていたわね)
いつもの嫌味だと聞き流していたが、クレアの言い分はまっとうだ。改めて灰色のローブを手にすると大分くたびれて、着古しているのが一目瞭然だった。
「ローブは新調しなきゃな……」
ふぅとため息をついて、クロゼットの端に押しやられていたブラウスに手を伸ばす。しわやシミはない。ブラウスはレースがあしらわれた詰め襟で、袖口が膨らんで銀色に輝くボタンがついている。クリーム色の優しい色合いだ。
「たまにはいいわよね……?」
誰に尋ねるでもなく呟くと、リネットはブラウスに袖を通し、次に深いU字の光沢のある臙脂色のワンピースを上から着た。胸の下半分はウエストに合わせるようにタイトになっており、くるみボタンで止められるようになっている。ウエストから下は八枚剥ぎのスカートが程良いボリュームで膝頭を覆う。防寒として黒の厚手のタイツを履いたリネットは、髪も丁寧に梳かしつけた。
鏡にはどこか自信なさげに立つ自分の姿。慣れない格好につい灰色のローブに手を伸ばしてしまうのを、どうにか押さえ込んだ。
「そういえば、昔はふんわりしたワンピースやスカートが好きだったんだわ」
いつの間にかローブを羽織ればそれでおしまい。そんな自分に気づいてリネットは、顔を覆いかくしてベッドに戻りたくなった。クレアが鼻で笑うのも頷ける。
「でも、魔女としてはあの格好が一番、お客さんのイメージ通りなのよね……」
別に好きでローブを被っていたわけじゃないけど、もう少しマシな格好をした方が良かっただろうか。鏡に写る自分は普通の少女で、魔女からは程遠い。
「は……! 鏡に見とれている場合じゃないわ! いつの間にかこんな時間!」
思ったよりも時間がたったことに気づき、リネットは慌ててキッチンに飛び込む。トーストとビーンズサラダを食べて、一杯のハーブティーを流し込んだところで、りんりんと店から呼び鈴が聞こえた。
コートとマフラーをひっつかんで階下へ降り、店のドアに駆け寄って鍵を開けた。朝の刺すような空気が鼻にしみる。
「おはようございます、魔女様……?」
ドアを開けた先にいたソークは何故か小首を傾げてリネットを見下ろす。というのも、彼はいつもの灰色のローブを身にまとう人物を想像していたからだ。しかし、目の前に立つのは臙脂色のワンピースの裾を揺らす小柄な少女。