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風邪と天才魔術師4

 翌日、リネットはベッドの上で目を覚ました。横顔を枕に沈めてうっすらと瞳を開けると、厚いカーテンの隙間から朝日が漏れている。唸り声を上げながら目元を擦り、大きく伸びをひとつ。体調は回復しており、どこか清々しい気持ちだ。


「あれ? そう言えば昨夜はどうやってベッドに……?」


 エルマーから貰った星の噴水を見てはしゃいだ記憶はある。リネットはヒーターの前で膝を抱えながら、光の粒を飽きずに眺めていたはずだ。


「そのまま寝ちゃったのかしら? だとしたらソークがベッドまで……?」


 慌ててリネットは髪を櫛で梳かしつけて、ネグリジェの上からローブを羽織りキッチンへ出た。ひやりとした空気が素足に絡みつき、リネットはソークが帰ったのだと知る。いつ帰ったのだろうと首を捻っていると、キッチンのコンロの上には鍋が、テーブルの上には一枚の書き置きがあることに気づいた。


「ええっと、雑炊は温めて食べてくださいね。お大事に。ソーク」


 短い文章だったが、リネットは鉛筆で何度も書き直したあとのある書き置きに、小さな笑みを浮かべる。しかし、結局、ソークは商品を受け取ることなく、リネットの看病だけして帰ってしまった。それに加えてリネットは食材のお金も渡していないのである。


「もう! あたしったら! お客様になんてことを!」


 ついつい甘やかしてくれるソークに頼ってしまった。頭を抱えながらリネットは昨日の自分を振り返る。気が回らなかったとはいえ、異性の前でネグリジェ姿を晒してしまったのだ。しかも、ソークとエルマー、二人もの男性に。

 昨日の風邪で出した熱とは違う熱が頬に集まる。しばらく一人で恥ずかしさに悶えていたリネットだったが、はっと気づいたように時計の時刻を確かめた。


「急いで支度しなきゃ!」


 キッチン横の風呂場に飛び込み、ネグリジェを脱ぎ洗濯カゴに突っ込んでおく。汗をかいた身体はベタベタとしており、リネットはまたしてもソークにみっともない姿を見せたのではと落ち込んだ。

 シャワーの栓をひねると一分もしない内にお湯が頭上から降り注ぐ。手早く髪や身体を洗いあげ、バスタオルを身体に巻いて自室に飛び込む。自室に入る前にコンロの火をいれて鍋を温める手間は忘れない。


 クリーム色のブラウスを第一ボタンまでしっかりと止め、その上から胸元がV字に開いたワンピースを着た。チョコレート色のワンピースにタイツと編上げブーツをあわせる。そしてその上からいつもの灰色のローブを纏った。

 それからリネットはソークが作ったトマトのリゾットを食べて、急いで家を出る。その際にクレアから貰った毛織物のブランケットを片手にひっつかんだ。


(すっかり回復したみたい。気分がとってもいいもの)


 家々の間を通って南に下り、メインストリートに出る。等間隔に並んだプラタナスの街路樹は黄金の絨毯を歩道に敷いていた。冷たく鋭い風がリネットの頬に突き刺さる。もうほどなくして本格的な冬がやってくるだろう。

 メインストリートを歩く人々はコートの襟を立てている人も多く、それを横目にリネットは研究所に向かう。幾台かの乗合馬車や個人の馬車が石畳みに車輪と蹄鉄の音を響かせる。

 二十分ほど歩くとやがて見上げるほど高い建造物の出入り門にやってきた。近衛兵はリネットの姿を認めると、すぐに中へいれてくれる。


「おおう。魔女さん、風邪を引いたと聞いたが大丈夫かい?」

「すっかり治ったわ。あなたもお大事ね」


 赤ら顔の近衛兵と親しい笑みを可愛ながら、門をすり抜ける。そして、ドーム型の屋根が特徴的な研究棟の中へ入った。そこは相変わらず魔術師達が忙しそうに研究室を行き来しており、中には閃いた公式を床の上に座り込んで書き込む輩もいる。


「あら! 誰かと思えばセルトアの魔女じゃない!」


 背後からヒールの音が追いかけてくると思えば、聞き慣れた声がリネットを呼んだ。振り返るとクレアが見下ろして立っていた。


「おはよう、クレア・クレイドル」

「ええっ、そうね、お、おは」

「そういえばお見舞いにってエルマーがブランケットを持ってきてくれたんだけど、これって貰っていいの?」


 ひょいと毛織物の柔らかなブランケットを見せると、クレアのくっきりした眉が釣り上がり、ふふんと鼻で笑われてしまう。


「あたくしの趣味ではないし、どうせ安物ですもの」

「あ、そう? じゃあ、貰うわ、ありがとう」


 どうやら不要なものをくれたらしい。リネットから見れば充分センスのある良い品なのだが、名門貴族のクレアにとってはみみっちい代物だということに少し驚く。隣で「お礼なんて別に要りませんのよ、施しをするのは貴族の義務ですし、そう、あなたがいつも貧相な格好をしているから」などぶつぶつと呟くクレア。

 同じ歩幅で歩きながら、リネットは女性にしては背の高いクレアを見上げた。その視線を受けて、クレアは口ごもったあと、咳払いをして目を逸らす。


「ところで、リ、リリ……風邪のほうはどうなの? あたくしに移されても困るのよ」

「大丈夫だと思うけど。でもそうね、皆に移したら迷惑だし、とっとと研究所に引きこもるわ」

「えっ!? いえ、そういう意味では……!」


 慌てたようにクレアは口を開くが、どうしてだか言葉が出てこないらしい。そうこうしている内に、クレアは魔術師の男に呼ばれ、歯がゆそうな面持ちで行ってしまった。今日はいつもより嫌味が少なかったと思いながら、リネットはクレアについて考える。


(いつもリリリって言うのはどういうことかしら? 何かのおまじない?)


 それに突っ込んだことはないが、機会があれば聞いてみようと思う。サヴィーナが喜ぶ話を仕入れることができるかもしれない。

 第二十研究室に入ると、さっそくショウが出迎えてくれた。いつものように眠たそうな顔の男だ。


「体調はもういいのか? ダメといって休まれると業務に支障がでるが」

「多分。あ、キャンディーありがとうございました」

「ああ、気にするな。エルマーがお見舞いに行くと言って煩かったもんでな。適当なものを渡した」


 通りで薄荷のキャンディーにからの袋が混じっていたわけだ。ショウの横着ぶりは今に始まったことじゃないので、リネットは気にしない。白衣とゴーグルを装備し早速作業に取り掛かる。しかし、それは五分もしないうちに中断された。


「魔女! もう風邪は治ったのだな! 今日も見舞いに行こうかと思っていたところだったのだ! 僕の周りは風邪を引かぬやつらばかりで、貴重な体験だった。もし、気分が少しでも悪くなったら知らせてくれ。全力で駆けつけることを約束しよう!」

「……お気持ちだけ貰っておきます」

「遠慮など要らない。僕とお前さんの仲なのだ。ところで、僕のカードはどうだった?」


 突撃してきたと称するのが正しいくらい、勢い良く研究所に入ってきたエルマーがしゃべり倒す。朝から元気な三十四歳が眩しいくらいの笑顔で、リネットを覗きこむ。


「光がパーってなって、星粒で、きらきらしてたわね」

「そうだろうそうだろう! 元気が出るように可愛らしく作ってみたのだ。もちろん、子ども向けに竜が飛び出すカードもあるぞ! 少々迫力があったのか、子どもたちはひっくり返って泣きわめいてしまったが……まぁ、僕は天才故、今度はフェアリーバージョンを作ろうと考えている次第なのだ。そうだ、魔女よ、フェアリーの絵を描いてくれまいか? その絵を元に魔術陣を構築しよう!」


 首を横に振りたかったが、エルマーは口を挟む隙も与えてくれない。ショウは「パーってなんだ?」と小さく呟くが、説明する者はいない。あれよあれよという間に、リネットは今週末にイラストを提出することになってしまった。呆然とするリネットにエルマーは一見すると冷たい双眸を和やかに崩す。


「ところで、あの青年はどうなったのだ?」

「帰ったわよ。朝起きたらもう居なかったわ……申し訳ないし、何かお礼をしなくちゃいけないと思うんだけど」


 どんなお礼がいいのかしら。

 あいにく、リネットはソークが喜ぶものを知らなければ、同年代の男性にプレゼントを贈る機会にも恵まれなかった。これが女性ならばいろいろと工夫をこらすことができるというのに。

 しかめっ面をしながら腕を組むリネットを見て、エルマーは子ども達を相手するのと同じ笑みを浮かべた。エルマーはセルトアの魔女と呼ばれる、ちょっと意地の張った少女を家族のように大切に思っている。天才故に変人と言われるエルマーを、何の気負いもなく受け入れ、また変な敬いもなく接してくれる稀有な存在だった。

 リネットに自覚はないだろうが、エルマーは彼女を贔屓している。

 しかし、そんなことはおくびにも出さない。


「お前さんは料理もできないらしいな。ただ、あの青年はお礼が欲しくてお前さんを看病したわけじゃないと思う」

「そうよね……でも、ソークはお人好しの所があると思うのよ」

「ならば、今度セルトアの街を案内してやるがいいぞ! さすれば彼だって見えないものが見えてくるかもしれない。もちろんお前さんもな、魔女」


 我ながら良い提案なのだと満足気に頷くエルマー。

 そんな彼を見てリネットは呆れたような視線を向け、そしてエルマーの提案を少し考えてみた。確かに住み慣れたセルトアを案内するくらいなら、ソークも気負わないだろう。案内ついでにサヴィーナのカフェで食事をごちそうするのもいいかもしれない。

 でも、見えないものが見えるってのはどういうこと?


 ロミアで育ったソークはセルトアで見聞することで、広がる世界というものがあるだろう。それに加えてリネット自身も見えないものが見える、らしい。不可解な言い回しに眉根を寄せるが、なぜだか「やはりそのままでもいいのだ!」とエルマーに頭をぐりぐりされた。

 とりあえず、近いうちにお店にやってくるはず。そのときに、染め粉とコンタクトレンズを用意して、街案内に誘ってみようかしら。

 リネットは意気込みながら、今日の作業に取り掛かったのだった。

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