風邪と天才魔術師3
エルマーに急に話しかけられたソークは目を白黒させて、やがて質問の意味を理解したのか顔を青くした。彼の表情に怯えが走るのをリネットは見逃さない。エルマーを窘めようと口を開くが、それよりも早くエルマーがソークに言葉をかける。
「そう怖がらなくても。僕は純粋に知りたいだけなのだ。お前さんは見たところ、シャルクの祝福を受けたのだろう? 美しい金を纏うと言われているのに、平凡な髪に瞳ではないか」
「……わ、わたしは全く美しくなんかありません。金の髪は目に痛いと言われ、煩わしいと」
俯いて拳を握るソークにリネットは思わず駆け寄って背中を撫でたくなる。
「どうして、私がシャルクの祝福を受けたとわかったのですか?」
「そりゃわかるだろう! ある程度の術を納めればな。近年では擁護活動だか保護活動だか……よくわからんが、行われている。セルトアでもシャルクの金は見かけるぞ。研究所にもいるしなぁ」
「え……? そうなんですか……?」
戸惑いながらソークはエルマーを伺う。魔術師は常識じゃないかと言わんばかりに肯定するが、リネットには研究所にも金を纏う者がいたとは知らなかった。記憶を探ってみるがソークのように煌めく金色は思い出せない。
「ちなみに第五部門の医務局長だ」
「……禿げているおじいちゃん先生?」
「うむ! 若い頃から髪が薄いらしくてな! 代々の血筋でもあるらしい。眉毛はあんなに垂れ下がっているのに面妖なお人だ」
「なるほど、それじゃ気づかないわけだわ。でも、眉は白いわよねぇ?」
リネットの疑問にエルマーは「何を馬鹿なことを言っているんだ?」とでも言いたげな表情をした。
「高齢だぞ、もう全て白髪になっているに決まっているのだ」
エルマーの言葉を聞いて、ソークはぽかんと口を開けて塞ぐことができない。確かに年を取れば髪は白へと変わっていく。当たり前のことだったけれど、何故か意外に思えた。金色だっていずれは他の人と変わらぬ色になる。
どうしてだか、金色を気にしていたのは、ほかならぬソーク自身なのかもしれないと思う。それは村民の視線や言葉がきっかけではあった。ふと、ソークはリネットの言葉が心の中に蘇る。
――綺麗な髪ね。
初めて会った日、リネットは確かにそう言った。ソークをその言葉を受け取ることはできなかったけれど、忘れることができずにいたのだ。特にリネットのためにお菓子を作る際に、よく脳裏に浮かぶ。
あの時はお世辞だと受け流したが、もしかすると本気でそう思って言ってくれていたのかもしれない。
ソークはエルマーの話を呆れながらも笑みを零して聞くリネットを見つめる。背中に流した髪は緩やかに波打ち、光の筋が浮かび上がっていた。どこか幼さを残した顔は噂されている魔女とはかけ離れており、言われなければ普通の少女と変わりない。
そこまでリネットを見ていたソークははたりと気がついた。リネットの頬が赤く、瞳も涙の膜を貼ったように潤んでいる。そのくせ、普段は艶々としているだろう唇はかさついていた。
「魔女様、熱がまた出たんじゃないですか?」
「え? ああ、そういえば心なしかふらつくわね……」
「おお! すまない! ならば僕はお暇しよう。ショウ・ミナセもじっくりと休養しろといっていたのだ。まぁ、あいつのことだから、復帰したときにしこたまこき使われるだろうな!」
「わざわざありがとうね、エルマー」
「構わない。僕もちょうど息抜きがしたかったのだから」
冷ややかな顔でにっこりとくったくのない笑みを向けられた。そして、見送りは要らないとエルマーは来た時と同じように、さっさと帰ってしまったのだった。
結局、エルマーは「どうして髪を染めているのか」というソークの答えを聞かずに終わった。ソークはソークでその問いに答えずに済み、少々安堵しているのが見て取れる。
とりあえず、貰った薬から一般的な風邪に効く薬を飲み、残りは戸棚の奥に仕舞っておくことにした。ついでに薄荷キャンディーをソークの口に入れておく。
「ああ、ちなみにエルマーがソークに紹介しようとしていた魔術師よ。ちょっと……マイペースな所があるのよね。いい人なんだけど」
「天才魔術師と聞いて怖い人を勝手に想像していました。なんだか愉快な人ですね」
「……そうね。徹夜明けでも始終あのテンションよ。疲れることがないんじゃないかしら。それにしても、ソークにはお世話になったわ。あたしは本当に大丈夫よ? 眠っていればよくなると思うし」
「それはそうかもしれませんが……」
ブランケットを抱えたリネットは自然と背の高いソークを見上げる。歯切れの悪いソークに自然と小首が傾き、夏を思わせる濃い青の瞳に心配そうな青年が映った。
「魔女様は放っておくと無理をするみたいなので……それにスープもすっかり売り切れてしまいました。せめて夕食と明日の朝食分くらいは拵えさせてください。あ、でも、その、魔女様が無理して食べるのなら、私は大人しく引き下がります……考えれば、そ、そうですよね、なんて厚かましいこと私は……! どうぞ、身の程を知れと仰ってください!」
「いやいや、ちょっと待って! どうしてネガティブなシフトチェンジがうまいの? エルマーだって美味しいって食べていたじゃない。ちょっとはあたしの褒め言葉を受け取りなさいよ!」
堰を切ったように言葉を紡ぐソークは、自分の言ったことに落ち込んでいく。しゅんと大きな背中を丸める様子に何故か心が打たれる。このままでは泣き出すかもしれない。
(ああ! 慰めるのは得意じゃないのに……!)
見た目は美しい青年だというのに、やっぱり中身が少々頼りない。もったいないと心の底からリネットは思った。
なんとかソークを宥めたリネットはベッドに戻ってたっぷりと睡眠を取った。思い返してみればここ連日は冬支度で忙しく、また研究所に詰めていたのでろくな休みがない。そのために疲労が溜まっていき、風邪を引いてしまったのだろう。
今度の眠りは夢をまったく見ず、目を覚ますと気分がすっきりと爽やかなになっている。エルマーが持ってきた薬とソークの野菜スープが効いたのかもしれない。また眠っている間に随分と汗をかいたらしく、コットンのネグリジェとシーツが湿気を含んで重くなっている。
(随分と楽になったわ。今は何時かしら?)
身体を軽く伸ばし、リネットは厚いジャガードのカーテンを引く。窓の外に見える空は茜色から夜に移り変わる途中で、オレンジ色の三角屋根が連なる先にある、メインストリートの街並みはすっかり影になっている。その街影の頭上にかかるように、秋の終わりの一番星がきらめいていた。
懐にいれていた温かい魔術陣はただの紙切れとなっており、リネットはそれを捨てるとネグリジェを脱いだ。そして、柔らかでさっぱりした部屋着に着替える。
部屋着は淡いグリーンのワンピースになっていて、膨らんだ袖はリボンで絞ってあり、くるぶしを隠すほど丈が長い。ブランケットを肩に巻きつけたリネットは、部屋を出てソークを探すことにした。
「ソーク?」
「はい、いますよ」
名前を呼ぶとすぐに返答がある。それだけのことにホッとした。
ソークはぼんやりした夕日が差し込む窓際で読書をしていたらしく、本から顔をあげる。椅子に腰掛けた彼は足を組んで、その上に本を置いてページを捲っていたようだ。繊細な指先が本の角をなぞる。逆光のため影がソークの顔に落ち、端正な顔に神秘的な色合いを含ませていた。
「本、勝手に読んでいます……えっと、薬が効いているみたいですね。お腹は空きましたか?」
「大丈夫よ」
薄暗い部屋のために明かりをつけて、リネットはソークの側まで静かに移動する。ダイニングのストーブは申し訳程度に燃えていた。少々肌寒い。
「それにしてもやっぱり申し訳ないわ。お客さんなのに風邪の看病をさせてしまって。ここは寒くない?」
「いえ、身体は丈夫ですから平気ですよ。それに、魔女様のことが心配でしたから」
本を閉じたソークは立ち上がってリネットをストーブの前に座らせる。リネットが大人しく座るとソークは遠慮がちに手の甲を額に当てた。今日何度めかの行為に、リネットの警戒心は全くわかない。それどころか、じっと藤色の瞳を見上げてソークをたじろかせた。
「何か顔についていますか……?」
「ううん、ずっと不思議に思っていたんだけどね、ソークってあたしのお友達に似ているわ」
「お友達ですか?」
ぱちくりと目を瞬かせるソークにリネットはゾーイを思いだす。ゾーイもよくリネットを賢そうな顔つきで見つめたものだ。
(そうか……胸の奇妙な感じはゾーイを懐かしんでいたんだわ)
ソークが泣くと心がざわついたのも、ゾーイの鳴き声を思い出したからかもしれない。それに今になって気づいたが、両者とも名前が似ている。今まで気付かなかったことを不思議に思いながら、リネットはくすくすと小さく肩を揺らした。
「気を悪くしないでね。昔、お家で飼っていた犬がいるのよ。黄金色の手触りのいい毛並みでね、そこも少し似てるわ」
「……黄金色の毛並み」
「そうよ。もちろん、ソークのことは犬だなんて思っていないわ!」
誤解のないように弁解すると、ソークは少し考えたあと、にこりと笑ってみせた。
「いいえ、魔女様の大事なお友達だったんですね。私はそれだけで嬉しいですよ! 同時にとても恐れ多いと思いますが」
人のいいソークにリネットは怒っていないようだと胸をなでおろした。つい、飼い犬に似ていると言ってしまったが、とても失礼なことを言ってしまった。怒られるのではと焦る。言葉がポロリと零れるクセはどうにか直したいとは思う。けれど、気が緩めば緩むほどリネットは思ったことをすぐ口に出してしまう。
つまり、ソークに気を許しているということになる。しかし、リネットはその点についてはまだ無自覚なまま、夕食を作ったと言うソークにお礼を述べた。
やがて二人が早めの夕食を取って片付けも終わったころには、セルトアの街はすっかり暮れていた。二階から見える路地には家々の窓や玄関先を照らす明かりが落ちている。空には数えきれないほどの星が瞬いており、ビュートを弾く乙女の星座が頭上に浮かぶ。
リネットは窓のカーテンを閉めきって冷気が入らないようする。そして、ふとエルマーから貰った光の魔術陣が転写されたカードを思い出した。
「ちょっと明かりを消して、エルマーから貰ったカードを使ってみましょ」
「魔術師様のですか? 確か光が出るんでしたね」
「そうなのよ。きっと仕掛けがあるに違いないわ」
すっかり明かりを消すとダイニングは暗闇に包まれた。かろうじて物の輪郭がわかる程度だ。その暗さに満足したリネットは早速、カードをテーブルの上に置いた。それから指先に魔力を集めて軽く魔術陣に当てた。
「解呪」
リネットの魔力と反応して魔術陣が発動する。複雑に絡んだ線がほのかに輝きを帯び、天井に向かって一筋の光が放たれる。
まさか、これだけだろうか。
訝しんだリネットだったが、その表情はすぐに驚きに変わった。
一筋の光が薄れたと思うと、光の粒が噴水のように魔術陣から噴き出していく。光の粒は小さな六芒星の形をしており、夜空の星をバケツに集めて散らしたようにテーブルの上を跳ねていく。テーブルから零れた星粒は、フローリングの上で波のように光を揺らしながら輝いている。しまいにはダイニングが星の川のように光で満ち溢れ、まるで夢の世界にいるようだ。
「すっごく綺麗! ねぇ、ソーク!」
足元まで溢れてきた星の粒を踏まないように、リネットはつま先立ちになりながらソークを振り返った。
ふわりとワンピースの裾が広がり、きゅっと引き締まった足首が覗く。濃い青海を思う瞳に星の粒が反射し、燦然と煌めく様子からソークは目が離せない。
魔女と呼んで頼っている少女が、跳ねる光に声をあげながら楽しそうに弾むのが不思議だった。




