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魔女と青年1

 どんなに高名な魔術師でも解決できない悩みなら、セルトアの魔女の元へ行くがいい。彼女はあらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払ってくれるだろう。ただし、魔女の力を借りるには、魔女が気にいる対価を支払わねばならない。それがあなたの命だろうと。


* * *


 王宮魔術研究所が設立されている都市セルトアは、王国の中心で栄えていた。

 赤い煉瓦の町並みは整然としており、東西に伸びるメインストリートの建物は二階建。通りに面した一階には店舗が構える。店舗は様々で研究所の職員が休息を取るためのカフェや、王室御用達のチョコレート店、また百年も前から続く筆記用具の店もあった。

 整備された道路は二頭仕立ての馬車が行き交い、王族の紋章が施された馬車が通るのも珍しくない。街路樹には優美なプラタナスが植えられ、街全体に涼しい木陰を作っている。


 魔術師たちが議論を交わしながら闊歩するメインストリートを脇にそれ、道を北上すると庶民的な雰囲気が漂う通りに出る。北区と呼ばれている旧市街だ。そこはセルトアが魔術研究所として栄える前から住んでいた人々が生活していた。


 その旧市街をさらに北上しながら細い路地を抜けて、メインストリートから徒歩で三十分。

 扉がレモンイエローに塗られた家につく。古い二階建ての家には家庭菜園ができるほどの庭があり、数種類のハーブが勢いよく茂っていた。庭の奥にはプラタナスがどっしりと根付いている。屋根を超えるほどに成長したプラタナスの木の根が、隣家を仕切る煉瓦の垣根にヒビを入れていた。

 家の窓にはジャカード織りの厚いカーテンが掛かっており、どんな人物が住んでいるのか覗き見ることはできない。

 しかし、セルトアに住む者なら、誰でもここに居を構える人物が誰なのか知っていた。レモンイエローの扉には手作りの小さな看板がかかっている。


『ユミルラト』

 店の名前だ。


 メインストリートから外れた場所に位置した小さな店だったが、不思議なことに客足は途絶えない。今日も初夏の爽やかな朝だというのに、レモンイエローの扉を忙しなく叩く訪問者がいた。



 ちょうど朝食を取ろうとフォークを持ったリネットは、階下から聞こえるノックに眉を寄せる。目の前には焼きたての目玉焼きとカリカリのパン。パンに塗ったガーリックとバターの香りが、リネットの胃袋を刺激していた。


「誰よ、こんな朝っぱらから。無視してしまおうかしら」


 扉の横に備え付けられた呼び出しのベルにも気づかない、間抜けな訪問者である。ちょっとくらい店先に出るのが遅れたって気にしないだろう。せっかくの朝食がもったいない。

 リネットのお腹はくぅっと小さな音をたてた。気を取り直してリネットは目玉焼きをフォークで割る。今日はしっかりと黄身を両面焼きにし、パンに乗せて食べたい気分だった。さくっとしたパンの食感を想像するだけで頬が緩んだその時、階下から呼声が聞こえた。


「ごめんください魔女様! どうぞ、私の悩みを聞いてくださいっ!」


 近所に響き渡るような声の大きさだ。どうやら扉を叩いているのは男性らしい。何に困っているのかわからないが、相手が焦っていて周りの状況が見えてないことは理解した。張り上がる声と共に扉を叩く音が大きくなっていく。

 あと少しでかりかりの目玉焼きとパンが口に入るところだったのに……!


「うるさいわね……このままじゃ近所からクレームが入るじゃない……!」


 仕方なくリネットが腰を上げたそのとき、隣家から怒声が響く。どうやら一足遅かったようだ。


「リネット! あんたにお客さんよっ! さっさと入れてやんなさいよ、このヒキオタ!!」


 ドスの聞いた低い声は隣人ものだった。酷い言い草に思わず窓にかけより、厚いカーテンを引いて、観音開きの窓を大きく開けた。朝の淡い空の色がリネットの濃いブルーの瞳に反射する。


「誰が引きこもりのオタクよ! この男好きっ!!」


 プラタナスの根が入り込んだ隣家の玄関先を見下ろすと、そこには長身の美女が立っていた。美女は怒声をあげるリネットの顔を見るやいなや、レモンイエローの扉の前に佇む人物にウィンクを投げて引っ込む。

 やられた。お客を放置してお腹を満たそうとしたリネットの魂胆を見抜いたらしい。

 ウィンクを投げられた人物を見ると、キャスケットを目深に被った青年がこちらを凝視していた。ぽかんと口が開いている。予想通り、間抜けな表情の男だ。


(でも、顔はいいんじゃないかしら。隣人が気に入りそうな優男タイプだわ)


 男はすぐにリネットの正体に気づいたらしく、慌てたように喋りだす。


「あ、あの! 悩みを解決してくれる魔女様とはあなたのことですか? わ、わたし、あなたにお願いしたいことがありまして……!」

「あなた!」

「は、はい!」

「扉の横にベルが付いているの。今度からそれで呼び出してくれると助かるわ」

「す、すみません! 今、引っ張ります!」


 慌てたように青年がベルを鳴らすと家に設置している小さなリスの形をしたベルが、りんりんと来客を告げる。今さら鳴らさなくてもいいのだが、青年はそこまで気が回らなかったらしい。リネットは小さなため息をついてテーブルの上にある朝食を見た。どうやら朝食は後回しにしなければならないようだ。


(今日は吉日だって姉さんに聞いたのに、早朝からお客さんだなんて)


 しかも珍しい客だ。リネットは玄関先に立っていた青年を思い出していた。見間違いでなければ、リネットを見上げた青年の瞳は金色だった。

 顔と全身をすっぽり覆うローブを着こんで階下に降りる。店を始めてしばらくして、顔を隠したほうがお客は有り難がると学んだからだ。おもむろに扉を開けると、リネットより背の高いキャスケット帽子の青年と対面した。


「いらっしゃい。どうぞ、中に入って」

「朝早くにすみません……しかも、大声を出してしまい。あの、その、お邪魔します」


 恐縮した青年を店内の椅子に座らせて、リネットはカウンターの裏に回る。一階はリネットが作った道具や調剤した薬を主に販売している店となっており、商品は作り付けの棚に乱雑に並べられていた。カウンターの奥にはもう一部屋あり、そこで道具や薬を作っている。

 カウンターを挟むように青年と対座したリネットは、しげしげと青年を観察する。その視線に居心地が悪かったのか、青年はみじろぎをしてそのまま固まってしまった。

 身長はリネットより頭一つ分ほど高く、すらりとした身体つきで筋肉がしなやかについているのがわかった。青年のキャスケットから零れるのは一筋の金髪だ。


「あなた……シャルクの祝福を受けたのね」


 現在数は減っているが、辺境の地では人間を脅かす魔物が存在している。その魔物を創りだした精霊をシャルクという。黄金を纏う精霊で、その性質は傲慢で非情であると言い伝えられている。

それらを合わせて人々はシャルクを嫌い、黄金を宿して産まれた人間をシャルクの祝福を受けたと言って、差別の対象にしてきた。そして黄金の髪や瞳を持つ人間を、人間と分けるために「ケダモノ」という蔑称で呼び、近代まで用いられ差別し続けてきた。

 しかし、現代ではケダモノに対する差別撤廃活動を通して、彼らは普通の民と同じ権利や身分を与えられている。魔術の発展により、現代社会は合理的理性に目覚めたと、どこかの偉い学者は述べていた。

 しかし、文化の根本的な部分にある差別は簡単にはなくならない。身分が保証されたとはいえ、ケダモノだから商品を売らないという胸糞悪いいさかいは頻繁に起こっていると聞く。

 ケダモノだとバレたら差別される。

 目の前の青年もそう思ったらしく、顔を青くして言葉を重ねる。


「あ、わ、私は、その、だますつもりはなくて、その! 本当に、悪気はなくて……っ! す、すみません……すみません……っ!」


 金色が珍しくてつい零した言葉。怖がらせるつもりはなかったのに、リネットの先程の態度とうっかりした発言に青年は蔑まれたと思ったようだ。大きな身体を丸めているのに、さらに縮こまってしまった。

口汚い隣人の売り言葉に反応なんかするんじゃなかったと、少しだけ後悔する。


「すみま、せん……! 私みたいなものが、店に入ってしまって……!」

「気にしないで。私はあなただろうが、王様だろうが、その椅子を勧めるわ。だって来客用はそれしかないもの」

「で、では、床に! 床に座ります! なんなら、店先でも構いません!」

「ちょっと待ってよ、落ち着いて!」


 何を思ったのか、勢いよく立ち上がった青年が店の外へ出ようとする。リネットはそれを慌てて止めた。お客を玄関先に座らせるなんて聞いたことがない。そんなことをすれば、近所から変な噂が流れてしまう。


「ねぇ、私が構わないんだから、その椅子に座ればいいじゃない?」

「ですが……! 私なんかが座れば汚れてしまいますっ!!」


 そう叫んだ青年は涙声だった。あまりの必死な様子にリネットは呆気にとられてしまった。

 汚れている?

どう見たって青年は清潔感のある服装だった。白いシャツにダークブラウンのベスト。黒いパンツがたくし込まれたブーツは細かい傷はあれど、丁寧に磨かれている。ブーツの底にドロがついた様子もない。

そんな彼のどこが汚れているんだろう?


 つい青年を観察してしまったリネットの隙をついて、青年は店先へ出てしまった。そして、その場に座り込もうとするので、急いで駆け寄って青年の腕を引っ張り店内に連れ戻す。


 何が汚れているのかはわからないけど、リネットの「シャルクの祝福」という発言のせいで、青年は取り乱していることは確かなようだ。単に黄金の瞳が珍しかっただけなのだが、そこには奇異と蔑称も含まれていたことをリネットは今さら思い出して気まずくなる。


「あたしが悪かった。初対面で失礼なことを言ったもの。でも、あなたのことが憎くて言ったわけじゃないのよ。さ、座ってくれる? そうね、お茶を入れてくるから待って。冷めたお茶でいい? だって、あなた、お湯を沸かしているうちに帰っちゃいそうだもの」


 無理やり椅子に座らせると、彼は案外おとなしく納まった。ほっと息をついてリネットは珍妙な客のために二階にあがり、温くなってしまったお茶を二人分用意し、階下に降りた。ついでにテーブルの上の目玉焼きとパンもトレイに載せる。

 一階に降りると青年は気落ちした様子で、立派な身体を丸めている。カウンターにお茶を置き勧めてみたが、青年はカップに手を伸ばそうとはしない。

 まぁ、青年がお茶に口をつけようがつけまいが、リネットはどうでもいい。大事なことは青年の話の内容と、食べそこねた朝食である。


「それで……私に聞いて欲しい悩みというのは?」

「……はい、あの、私はソークといいます。ロミアからやってきました」

「ロミアって……南東にある農村だったわね」

「はい。水はけがいいので、果樹の栽培が中心になっています。それで悩みというのは……」


 ソークと名乗った青年はキャスケットを取ってみせた。腰まで伸びた金髪が溢れ落ち、ツバで隠れていた顔が露になる。すっと通った鼻梁に、太めの眉がやわらかな弧を描いている。くっきりとした二重に、長いまつげが瞳にかかって影を落としていた。瞳の色も金色で虹彩の模様が見て取れる。バランスの取れた唇は淡く、少しかさついている。一言で表すならソークは美青年だった。

 しかし、秀でた容姿を持っているにもかかわらず、シャルクの祝福を受けた「金」を纏うソークは、リネットが向ける視線に怯えているようだった。


「私はその、魔女様のおっしゃる通り、シャルクの祝福を受けたんです。それで、少しでも……人間に近づきたくて」


 ちらりと反応を伺うように、青年がリネットを見た。が、何と返せばいいのかわからない。人間に近づきたいと言われても……ケダモノと呼ばれて差別を受ける彼らは正真正銘の人間だ。それはセルトアの高度に発展した魔術が証明した。

 困惑して黙るほかないリネットに、ソークは息を飲んで、そして胸の前で手を大げさに振る。


「や、やっぱり、おこがましいですよね! この金髪をなんとかしたいなんて! 魔術師様さえ染めるのは難しいと仰られていましたのに……申し訳ありません! できないですよね、わかってます、わかってるんですけど…っ!」


 一気にまくしたてたソークは、自分で言って悲しくなったのか、金の瞳から涙をぽろぽろと零す。あきらかに年上の男性が泣く姿を前に、リネットはそっと朝食のパンを指先でつついた。もう冷えてしまったパンは柔らかくなっていて、かりかりには程遠い。


「でも、私だっていい歳ですし、と、ともだち、が、欲しいです……っ! 普通に挨拶だってしたいのに……ううっ、で、でも」


 切実な訴えに耳を貸しながら、リネットはぼんやりと昼食は何にしようかしら? と思案していた。姉さんのお店で食べるのもいいし、メインストリートのローストビーフがたっぷりのパニーニを頬張るのもいい。

 どこか上の空で対応していたことに気づいたのか、ソークは泣いて赤くなってしまった目でリネットを伺う。


「魔女様? 私の話、聞いていますか?」

「聞いているわ。金髪をどうにかしたいんでしょ? シャルクの祝福を受けた人って、どうしてか魔力と相性が合わないのよね。魔術師がお手上げするのも無理ないと思うわ。髪色を変える術式が正確に作動しても、あなたに術式が定着しないんだもの。なぜだか金の色素はガッツリ固定されていて、他の色に変えることが難しい。まぁ、その様子では知っていると思うけど」

「はい……そのような説明を受けました……かといって、染め粉では三日も持たないのです」

「でしょうねぇ……きっと色素が沈着しにくいのね」


 あっさりと魔術では難しいでしょうねと頷くリネットに、ソークは悲壮な顔で項垂れた。金髪がさらりと揺れて、綺麗だとリネットは目を細めた。

 この美しい金色を差別するのは、魔術が発展し、理性を重んじるセルトアでは恥とされる。もう彼らが人間だと証明され、差別撤廃から差別根絶への協力要請が王国から各地へ通達されている時代なのだ。

けれども、魔術の栄えた都市とは違って、田舎では差別が根強いと聞く。だからソークは人間に近づきたいと涙ながらに訴えたのだろう。


「魔術師様には無理だと言われまして……けれど、数人目の魔術師様が教えてくださったのです。魔女の元へと行くがいい。と」

「なるほど、それで私のところへ」


 魔術師にせめて髪の色を変えたいと依頼をしても、ソークの金髪は一筋たりとも染まらなかった。そして、諦めろと言われ続けて、心が折れそうになった。けれど、魔術師はもうひとつソークの耳に囁く。


「どんなに高名な魔術師でも解決できない悩みなら、セルトアの魔女の元へ行くがいい。彼女はあらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払ってくれるだろう。ただし、魔女の力を借りるには、魔女が気にいる対価を支払わねばならない」


 ああ、とリネットは嘆息する。やはり彼も噂を聞いてやってきたのだと。リネットは顔を隠すローブを深くかぶり直す。

セルトアの魔女。苦い響きに浮かべた苦笑は、灰色の布地に隠されて見えなかった。

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