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マクロファージ

作者: ナオユキ

 これより私のいやしき唇より語り出だそうとしますのは、広漠である大宇宙の私たちが頼みとする宝船、地球にみまわれたある危難のことです。


 誰人をもってしても、天よりの賜り物であり大いなる御意志のさだめであり、なによりも恩恵と繁栄を約束された地であるところの潤いの惑星にかくなる予想もつかない災禍がおとずれるとは一体そこにどのような御働きがあったものであるのか思い及ぶことではあろうはずもありません。


心底からおそろしく、またその威容に圧倒されるものです。


 地球の危難、といえばおそらく、おそろしく知識知見の広いあなた様であれば当然、古今東西のクリエーターたちが描き出してきた終末絵図、滅亡絵図のことをわざわざあげてみますこともないことでしょう。


 隕石、核戦争・・・・・・・・内外の憂慮の高大な推測からたとえばスクリーンにおいてはいくどとなく地球は破滅してまいりました。大画面をもってせまりくる大恐慌的な未来の予想の映像に、これに正対する民衆の腹はまことに冷め、せめて自分の命がつづく間には起こらないでくれと我ひそかに願っていたことでしょう。


 ところで、私がこの場であなた様につつしんで進呈したく思いますこのお話では、やはり地球に破滅の危機を迎えさせたく思います。崇高である被造物を想像のなかでとはいえ無下に扱いかねない邪な考えをいだくことをどうか許してください。


 はじめに、私はひとつの了解を得たいと思うものです。


 あなた様はマクロファージという単語のこと、その意味はご存知であろうと思います。いわゆる白血球でございまして、数ある免疫細胞のなかでもひときわその体型は大きく、自らを駆り働かして体内に侵入してきた悪性の異物を食らい尽くすというありがたい警察官であります。


そのマクロファージが、今、私たちの地球を飲み尽くそうと宇宙星間を突き進んできているのです。


 どういうことかと申しますと、それというのが、じつに太陽系のほかの星、木星などの大惑星にも比すべき長大なる移動物体がまちがいなく太陽系にむかって直進して来ているのです。


 これに最初に人類が気づきましたのは実に何十年も前、世界中の天文観測所でほとんど平等にその事実が認められたのであります。以来、これ、遠くない未来に必ず訪れる滅亡を何とかして回避すべく、現代科学の一流が結集して夜も昼もなく議論、研究、試験、情報交換が行なわれていたのですが、結局のところ、現在、かの移動物体が太陽系に侵入し、地球との接触するまであと一日というこの土壇場にいたるまで、有効なる対策をなんらとして出すことができなかったのです。


いや、実際はすでにこの時にして打ちうる対策は実行に移された後だったのです。


人類ことごとく絶滅するを瀬戸際で防ぎとめるために選ばれた超少数の人員と、可能な限りの文化財、自然物をとり、ロケットに乗せて宇宙に脱出させたのです。


  しかしながら、他に有効な選択肢のない絶望的な状況下での苦肉の策とはいえど、この方法は実に馬鹿げたものであることは言うに及ばないでしょう。


 脱出員と申せど、彼らにしてみれば空漠の大暗黒に追放させられたも変わりなき状態であります。青き星から遠ざかる時の彼らの悲哀をきわめた心境はとても言い表せるものではないでしょう。


 ただし、私がこのたび物語りたいのはこの宇宙の脱出民ではなく、地球に残った大多数の人々についてであります。


 最後の一日、世界は平穏に包まれておりました。


 まったく無理もないことだと思います。すでに明日は抹消されている生物にいったいどのような活動の余力が残されているでしょう。


 人類には、経済にも、戦争にも、学問にも、労働にも、恒久的に営為すると思われていたすべての活動が意味を奪われてしまったのです。


 太平天下、底なしと思われる静寂でした。


 おりしもその日、世界中で轟き返っていた喧々諤々の論争は一挙に止まり、排気ガスを充満させていた工業都市の空気は澄み、爆発音の鳴り止まなかった戦地では小鳥の鳴き声も四方に響き渡り、その他、熱帯海上に台風はひとつも生まれず、極地では吹雪もやみ、雨ふる地方はひとつとしてなく、砂漠の熱気でさえ今日は過ごしやすく安定し、全天、白い雲と青い空がかわらず地上を祝福すること限りがなかったのです。


 人々はただ平伏し、その頭を再びあげることはありませんでした。いまこそ天罰がのぞんだことが彼ら全員にわかっていたからです。


 わが身の行ないを反省し、しかも、先祖の犯した無数の行ないの応報をも背負わなくてはならなくなり、祈りから立ち返る者とて一人もなく、ただひたすら静寂と沈静のただなかで我とわが家族の彼岸での救済を望んでいるのでありました。 


 これがもし、隕石衝突での滅亡でなら話は大分ちがっていたことでしょう。


 衝突するのがマクロファージでさえなかったなら、人々はいまだにわが身を省みることもなく不平不満と今生への未練のために傲然と呪いの言辞を吐き散らし、自らの地獄での住み家の敷地をせっせと稼いでいたことでございましょう。


 先にも説明しましたとおり、マクロファージとは体内の異物を除去する免疫細胞であります。


 それが、地球を標的にして突き進んでいるというのはどういわけなのか。それに的を射た説明をしたある研究者がいます。彼は科学者であると同時に、夢想家でもあったのです。


 彼は夢に視た内容だと前置きして次のようなことを全世界に発表したのであります。


「今回のことで、我らの母星、地球は宇宙にとっての異物であったことが証明されました。まことに痛ましい、受け入れがたいことでありますが、事実は事実として仕方のないことであります。あれが本当に宇宙の免疫細胞であり、本当に地球は駆除されて然るべきなのか、みなさまはこの痛切なる疑問のために頭脳が爆発しそうな煩悶を覚えていることでしょう。実際のことを打ち明けますと、我々には何もわかっていないのです。


「現代技術の粋を結集させて、各種の望遠鏡、観測装置をもってして何度も研究に研究を重ねてきましたが、判明したことは、あれが極度に、あまりに極度に巨大な単細胞の一つであり、観測可能なその性質が白血球に類似している、ということだけなのです。かりにそれを前提としても、なにゆえに白血球は地球に向かってきているのか。なぜ他の星ではなく、よりによって地球なのか、偶然か、否か。いや、もし本当に白血球であるとすればそれは宇宙の流れに従う隕石などとちがい、明確な働きの上に行動しているわけであるならば、その狙うはなにゆえに地球なのか。


「とてつもない大きな疑問であるわけです。そして、今日、この疑問にかなう正解を出した人はひとりもありません。ですから、ここでは私は、せめてみなさまのその疑問に添えられる、わずかなヒントのようなものを言っておきたいとおもいます。ただ、これは本当に漠然とした話で、私が痴れ狂いの愚者とみなされることは必定だと思います。しかし、私はこのをことを世に問わざれば乱れる自分の心を支えないのであります。これは、夢の話なのですが・・・・・・・・


「創生期、神が造り出だした者のなかでもその者は特に壮健でありました。無限に近きエネルギーを有し、悠久の果てまで自己生長をつづけられる可能性がありました。彼は『時と空間』であり、『物質と魂』でありました。彼こそは『宇宙』その者であったのです。神はその者のすべてを愛し、その者の内にあるすべての要素を愛したまわれたのです。


「しかし、いかに質実剛健な勇士といえども病にかからない者はなく、外界の影響を受けない者はいません。彼にしても、人が呼吸に際して無数のばい菌の侵入を受けるように、無数の異物に襲われていました。神は彼に免疫機構たるマクロファージを与えたまいました。それが、今、すぐそこまで来ているアレです。そして、異物というのが、おそらく地球なのです。しかし、なぜ地球が異物なのか。


「その答えは明白です。地球のほかの太陽系の惑星を御覧なさい。地球のように多種多様な生命に満たされた星はありません。太陽の恵みを受けるにこれほど適した位置にいて、豊富な環境を型作るにこれほど適した組成をなしえた星は他にありません。偶発的に起こったにしては奇妙すぎるとは思いませんか。ある人々はこれをして神の愛というでありましょうが、宇宙全体を愛される神が地球にこれほど望外な、およそ理に合わぬヒイキをされるのは何故なのでしょう。


「実はこれ、神の意思ではなく悪魔の意思、地球が悪性たる証拠なのです。地球の性質とは、その豊かな温床において病原体を育てあげ、宇宙に拡散し、ついに宇宙を病毒に冒すことにあるのです。病原体とはすなわち我ら人類であります。そうです。地球が文字通り母のごとく慈しみを注がれた人類とは、かの母仕え、かの悪魔の従者として宇宙を汚す、呪われた子ども達であったのであります。


「生命の充満は宇宙本来の姿ではなく、むしろ無機質な鉱物の世界こそ清純真実な状態であるのです。だからこそ、あれは到来しました。これは来るべき運命でありました。体内への不法な侵入者は容赦なく絶ち滅ぼされます。そうでなければ取り返しのつかない病気が発症するでしょうから・・・・・・・・


「このことを信じる方ははつつしんで、滅亡が望ましいことと考え、尊厳をもって終末を迎えようではありませんか」


 云々。


 彼の主張を信じた者はほとんどおりませんでしたが、数ある仮説のなかでこれもっとも実相に近き内容でありました。ただし、それも半分は間違っていたのでございます。後でわかることですが、地球は本当に慈しみを受けられた恵みの星であったのですから。


 さて、マクロファージは本当に地球に衝突し、地球はあえなく除去、消滅してしまったのでしょうか。


 実はそうではないのです。マクロファージは地球と異常接近しましてもその傍らを素通りしてしまったのであります。


 その瞬間の人々の様子はまことに驚愕のひとことに尽きていました。全世界が茫然自失としたのです。そして、次いで過去に例のない大歓呼が高らかと地上を満たしたのです。人々は、肩を叩きあい、抱擁しあい、涙を流し、あるいは喉がかれるほど叫び、生命の価値をうたいあげました。


 しかし、彼らの歓喜の時間も長くは続かなかったのです。


 地球が歓喜に湧く間、マクロファージがこともあろうに行き当たったのは太陽でした。


 上空高く、赫々燦々、照り輝いていた恒星は、マクロファージの原形質に飲み込まれ、融解し、消滅してしまったのです。


 こうして、太陽系の秩序は壊れ、地球は真の闇と限りなき冷気に覆われ、脱線した列車のようにこれまでの軌道から外れて、月をともにして銀河系からはじき飛ばされ、どことも知らぬ宇宙のかなたに向かって旅に出てしまったのです。


 太陽系のほかの星たちもこのようでした。


 それにしても、本当に太陽が、あの科学者の言ったとおりに宇宙の異物であったのでしょうか。あるいはそれよりも、今度の出来事は不幸なといえばあんまりにも酷な単なる事故であったのかもしれません。太陽の庇護下に安楽と過ごしてきたわれわれとしては、かれの咎を疑うよりもこのように考えたいものでございますね。


 さて、静かだった地球内部はもはや見る影もなく荒れ、海、陸、空は少し前までの面影もとどめることなく、怒れる荒神の面容を示して、暗影をすかして赤色や黄色が毒々しくきらめくのでありました。


 人類はどこにも行く当てもなく予定通り滅亡の一途をたどったのです。


 しかし、ここに人知をこえた御意思が下り、死滅を逃れた少数の人類がありました。


 それは、あのロケットの搭乗員ではありません。彼らはすでに宇宙の辺境で餓死しておりました。


 そうではなく、地下に逃れた人々に思いがけない慈恵が贈られたのです。一体、どういうことなのなのか、地下は地上の荒れ模様など露知らず、いや、地上にいたころにさえ望み得なかった膨大な恵みをもって人々を迎えたのです。


 天が彼らに与えたもうた避難所、人類最後のコロニーでございました。


 そこには、花々が咲き乱れ、うるわしき果実は数えきれなく、清澄な水があり、適度な空気があり、地上で見られたなつかしの動物たちが元気に過ごしておりました。


 天は、地下生活に際し彼らに光なくとも迷わない新たな眼を与えられました。


 蝙蝠や猫などの夜行動物に類する、あるいはモグラやミミズなど視覚なき動物に類するもの、いずれであるか、それともまた新規なる未知の機構であるかは定かでありません。


 人々はこの幸福を天に感謝し、ここを第二の楽園にしようと決心したのであります。


 こうして、幾千年の時が流れました。


 暗黒の旅路を行く遊星をそのとき、大いなる愛がこれをとらえ、ボロ布をまとった憐れな放浪者は新たな寄宿所たる銀河に迎えられ、さらに彼女と婚姻を結ぶ新しい太陽とめぐりあい、再び安定と豊麗の蜜月はやって来たのです。


 そのころには、人類の姿は前時代のような形体ではなく、地下生活にみあったものに進歩、変異しておりました。


 何十世紀もの歳月は人間を地中暗中の環境に慣れさしたモグラの如き者にさせたのです。


 これらの人類にも文明があり、社会があり、技術がありましたが、地下以外の生活は何も知りませんでした。地上での歴史はほとんど伝えられていなかったのです。


 しかし、ついに時期が満ち、人類が地上の光を見ることになります。


 その第一の人は何の変哲もない一般人でした。


 地中にうがったアリの巣のような交通網に迷い、あっちへこっちへうろうろしているのでした。そして、まったく偶然にも地上への道を正しくたどり、ついに日の光を見るにいたったです。


 その時刻、われわれの時計では正午ちょうど、季節は春、天頂に太陽のぼり、暖気いよいよつのり、海岸線に白波は立ち、南国の木々の青々した葉を風が鳴らし、彼の足元には踏めば軽やかな音を立てる砂がありました。


 彼の閉ざされていたわれわれと同様の双眼は開き、これらをあますところなく瞳に映しました。彼は初めて受けた光輝のまばゆさに頭痛を感じながらも、まぶたをパタパタさせ、二度とこの光の景色から追い出されたくないと強く思いました。


 彼は、これらの慈恵に触れ、なにゆえか知らず涙を流したのでございます。



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[一言] 面白い……その一言に尽きます。 巧みな文章表現が読んでいてとても気持ちのいいものでした。 改めて太陽の恵みがありがたいものというのも実感しましたし……リズムが良かったです。
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