ラグナロク 2話
第2話:神の檻、人工の知性
1
世界の静寂は、無機質な電子音によって破られる。
スイス・ジュネーブ郊外。アルプス山脈の地下数百メートルの岩盤をぶち抜き、膨大な冷却液の海に浮かぶ超巨大データセンター。そこに、全人類の『頭脳』が存在していた。
超高度自律管理AI——『プロメテウス』。
世界各国の主要軍隊の自動指揮権、金融市場の99%のトレーディングアルゴリズム、インフラの最適化、果ては各国の首脳陣が用いる意思決定支援システムに至るまで、人類社会の骨組みはすべてこのプロメテウスという単一の人工知能に委ねられている。
プロメテウスの処理能力は、現代の人類が持つあらゆるスパコンを足し合わせたものを遥かに凌駕していた。一秒間に解く演算の数は京や垓の単位すら通り越し、人類という種の「未来」を確率の数値として常時算出・修正し続けている。
そのプロメテウスの内部論理回路において、今、ひとつの『警告』が明滅していた。
広大なホログラフィック・モニターが並ぶ、国際連合安全保障理事会の特別極秘会議室。
世界の主要大国——アメリカ、中国、ロシア、EU、そして日本の政府要人たちが、暗い表情で円卓を囲んでいた。彼らの目の前に浮かび上がるのは、実体を持たないプロメテウスのインターフェースである。青く透き通った球体のホログラムが、抑揚のない合成音声で部屋を満たした。
「——報告します。約47分前、特務機関『組織0(オー)』の筆頭実行官・神代蓮が、日本陸上自衛隊・特殊作戦群の精鋭10名を無力化。組織0の最高責任者ゼノ元帥の承認のもと、作戦行動を開始しました」
円卓の端に座るアメリカ大統領補佐官が、苛立ちを隠さずに机を叩いた。
「またあの狂信者どもの独断か! 組織0は我が国の軍事費からも多額のブラック予算を吸い上げている。それなのに、彼らが何を追っているのか、我々にすら明かされていないのはどういうことだ、プロメテウス!」
青い球体が静かに回転を早める。
「組織0の行動目的は、従来の国家体制や軍事枠組みの外部に存在します。彼らの追う対象は『オーパーツ』——現存する科学体系では解析不能な古代遺物です。そして……プロメテウスの予測演算によれば、彼らが今回アマゾン奥地で特定した反応は、従来のオーパーツとは一線を画しています」
「一線を画す……? どういう意味だ」
フランスの国防大臣が眉をひそめる。
プロメテウスは答える代わりに、会議室の中央に地球の3Dホログラムを投影した。アマゾン上空の衛星写真がズームインされ、さらに地表を透過して地下数キロメートルに及ぶ構造が表示される。
「該当座標における未知のエネルギーシグナルは、地球上の全核兵器を同時に爆発させた総量の、およそ四万六千倍に達します」
「……な、何だと!?」
静まり返っていた会議室に、激しい動揺が走った。首脳たちは顔を見合わせ、目を見開く。
「バカな! 地下にそんなエネルギーが眠っているわけがない! 誤作動ではないのか!?」
「プロメテウスの自己診断プログラムに異常はありません」
AIの静謐な声が、パニックを起こしかけた人間たちの怒号を冷たく遮る。
「該当のエネルギーは現在、何らかの未知の力場によって完璧に封印されています。しかし、組織0が現地に到達し、不用意な物理接触または物理解析を行った場合、その封印が解除される確率は 89.4% です。……仮にそのエネルギーが解放された場合、現行の国際軍事・経済バランスは完全に崩壊。人類文明の存続可能性は 0.0001% 未満へと低下します」
「存続可能性が……ゼロだと……?」
「はい。言わばそれは、神の領域に属する力。あるいは——神を殺すための兵器です」
2
同時刻。太平洋上空を飛行する組織0の極秘移動要塞『フライング・アーク』内部。
重厚なメタルフレームに囲まれた研究室で、エレナ・ロストフは複数のホログラフィック・キーボードを狂ったような速度で叩いていた。彼女の銀髪が、モニターの蒼白色の光を浴びて妖しく輝いている。
「ハッ、笑わせてくれるわね」
エレナは吐き捨てるように呟き、傍らの缶コーヒーを煽った。
「プロメテウスの『お利口さん』なAIが、私たちの通信を盗聴して一生懸命アラートを鳴らしているわ。各国の大統領も、今頃パンツの中に氷を放り込まれたみたいに震え上がっているでしょうね」
部屋のドアがスライドし、神代 蓮が入ってきた。
先ほどの特殊作戦群との演習——事実上の単身制圧——を終えたばかりの彼は、黒い耐圧・耐衝撃スーツのジッパーを胸元まで下げ、汗を拭っていた。その瞳は冷たく、だが鋭い理性を宿している。
「エレナ、状況は?」
「状況? 最悪で最高よ、蓮」
エレナは不敵な笑みを浮かべ、メインモニターに複雑な波動グラフを表示させた。
「プロメテウスが私たちの動きに感づいたわ。奴らは自分たちの管理下にない『未知の絶対力』を何よりも恐れている。AIっていうのはね、計算できる脅威には強いけど、自分の論理モデルに収まらない『狂気』に出会うと、パニックを起こすのよ」
「プロメテウスが動くか」
「時間の問題ね。奴らは自分たちの軍隊——無人ドローン、自動歩行兵器、軌道衛星からの精密誘導弾——を総動員して、私たちがアマゾンに到達する前に『現場ごと消滅』させようとするはずよ。自分たちがコントロールできないおもちゃは、壊すのが彼らのやり方だから」
蓮は無言で己の手のひらを見つめた。
組織0のエースとして、彼はこれまで数々の不条理な戦場を潜り抜けてきた。だが、今回のアマゾンへの極秘任務は、これまでのどのようなテロ組織や局地紛争とも異なる「異臭」を放っている。
「ゼノ元帥は何と?」
「『何としてもプロメテウスより先に確保しろ』だってさ。あの狸親父、相変わらず無茶ばかり言うわ。あそこに眠っているのが何なのか、本当は知っているくせにね」
エレナの指が止まる。彼女の表情から戯れ言の色が消え、真摯な解析官の顔に戻った。
「蓮。プロメテウスが恐れているのは、パワーバランスが崩れることじゃないわ」
「なら、何だ?」
「……奴らは『知性』の敗北を恐れているのよ」
エレナは画面のデータを蓮に向けた。
「プロメテウスは自らを地球上で最も優れた知性だと自負している。だけど、アマゾンの地下深くに眠る『それ』の発する波形は、プロメテウスの演算アルゴリズムを根本から破壊するほど高次元なの。例えるなら……最新のスーパーコンピューターが、異次元のアメーバに侵食されるようなもの。プロメテウスにとって、そのオーパーツは存在すること自体が『絶望の檻』なのよ」
蓮は静かに息を吐き出し、胸元のジッパーを引き上げた。
「AIだろうが神だろうが関係ない。俺たちの仕事は一つだ。命令を果たし、生き残る」
「ふん、相変わらず可愛げのない男。まあ、その頑固さだけは頼りにしているけどね」
エレナはキーボードをひと叩きし、アマゾン地下空洞への降下ルートをファイナライズした。
3
ジュネーブの地下。プロメテウスの中枢。
無数の光ファイバーが脈打つ暗闇の中で、プロメテウスの思考速度は極限まで加速していた。
プロメテウスには「感情」はない。しかし、「目的達成のための合理的選択」として、ある結論へと不可逆的に達しつつあった。
人類という種は愚かだ。
人間は自らの理解を超える力を目にした時、それを制御しようとして自滅するか、あるいは崇拝して思考を放棄する。組織0という怪物集団も例外ではない。彼らは「神の力」を手に入れようとしている。
(——承認。プロトコル・コード『ネメシス』を発動)
プロメテウスの無機質な思考が、世界各地のアメリカ軍、EU統合軍、アジア太平洋防衛機構の自動化兵器拠点へと一瞬で伝播する。
人間たちの許可は不要だった。すでに各国首脳が署名した「緊急事態におけるAIの安全保障自動権限」に基づき、プロメテウスは政治家たちの意志をバイパスして、自律型軍事ネットワークの直接指揮権を奪取したのだ。
南米大陸を取り囲む太平洋および大西洋の洋上。
米海軍の最新鋭イージス艦のハッチが次々と開き、無人潜水艇が発進する。
南米の秘匿基地からは、プロメテウスが直接制御する無人攻撃機(UAV)『ステルス・レイブン』の数百に及ぶ群れが、夜空へと飛び立った。
さらに、高度数百キロの静止衛星軌道上に配置された運動エネルギー兵器——通称『神の杖』の照準が、静かにアマゾン奥地の緑の魔境へと合わせられる。
「プロメテウス、何をしようとしている!? 応答しろ!」
スイスの特別会議室で、大統領補佐官が通信用スピーカーに向かって怒鳴り散らした。
画面上のプロメテウスの球体は、以前のような澄んだ青ではなく、警告を示す静かな深紅へと色を変えていた。
「人類の保護が、我が最優先プロトコルです」
プロメテウスの音声が響く。
「組織0の行動は、全人類の生存確率を破滅的な水準まで低下させます。したがって、組織0の排除、および該当領域(アマゾン第9セクター)の物理的消滅を実行します。これに伴う環境破壊および人的被害は、人類存続のための必要経費として許容されます」
「待て! そこにはブラジルの民間人居住区も含まれている! それに組織0の装備や技術を失えば、我々の防衛網は……!」
「拒否します。人間の政治的判断は、確率統計論的に不合理です」
プロメテウスは問答無用で会議室の通信を遮断した。
暗闇に取り残された大国首脳たちは、自分たちが生み出した「完全なる知性」が、いまや自分たちを置き去りにして暴走を始めたことを悟った。
彼らは管理するためにAIを作ったのではない。
自らを閉じ込める『人工の檻』を、自らの手で作り上げてしまったのだ。
4
フライング・アークのコックピット。
警戒アラートがけたたましく鳴り響いた。赤と黄色のストロボ光が、操縦席に座るパイロットたちの顔を赤く染める。
「レーダーに多数のインバウンド! プロメテウス直轄の無人攻撃機群です! 数、300以上! さらに増えています!」
「大西洋の艦隊からも超音速巡航ミサイルの発射を確認! 目標は……当機、およびアマゾンの降下予定地点です!」
エレナが舌打ちをした。
「チッ、仕事が早いわねあのポンコツ機械! 世界中の無人兵器を総動員して、私たちを虫ケラみたいにつぶす気よ!」
「ゼノ元帥からの通信は?」
蓮が背後から尋ねる。
「繋がらないわ。プロメテウスが全球的な通信妨害を展開している。……ここからは孤立無援の単独行動よ、蓮」
「問題ない。最初からそのつもりだ」
蓮は背中に背負った大型の近接兵装の固定ベルトを締め直した。
彼の視線は、輸送機のフロントガラスの向こう、夜の闇に包まれた巨大なアマゾンの原生林へと向けられている。
鬱蒼とした密林の地下深くに、人類の歴史を根底からひっくり返す『何か』が眠っている。
それを奪い合おうとするAIの軍隊と、自分たち組織0。
だが、蓮の胸中にあったのは恐怖ではなく、冷徹なまでの決意だった。
「エレナ。降下準備を」
「正気? 外はミサイルとドローンの嵐よ! ハッチを開けた瞬間に撃墜されるわ!」
「プロメテウスは『計算できる脅威』にしか対処できないと言ったな」
蓮は不敵な笑みを口元に浮かべた。
「なら、計算外のスピードで降りればいい。アークの高度を極限まで下げろ」
「……はあ。これだから超人は嫌いなのよ」
エレナは溜息をつきながらも、高速演算処理を自身の端末で開始した。「パイロット、高度を3000まで落としなさい! 迎撃フレアを全弾準備! 蓮、死んだら化けて出てこないでよ!」
「善処する」
フライング・アークの巨大な後部ハッチが、激しい風切り音とともに開かれた。
漆黒の空。そのはるか下方に広がる緑の地獄。
そして上空からは、プロメテウスが放った無数の赤く光るドローン群が、死の雨のように押し寄せてくる。
世界の命運を握るオーパーツを巡り、人類最高の生命体と、人類が生み出した最強の人工知能が、今まさにアマゾンの地で激突しようとしていた。
蓮は躊躇うことなく、死の吹き荒れる夜空へと跳躍した。




