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悪魔公爵の最愛 ~姉の引き立て役であるわたしが召喚したのは半分悪魔で未来の旦那様でした~  作者: 真白燈


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8/12

8、悪魔公爵の婚約者

「ふふ……」


 朝。エリーゼは天井に向けて手を掲げていた。手の甲ではなく、掌を下にするのは少しきついが、ギルベルトの婚約者である証を見るためならば大した苦ではない。


「エリーゼ様。もう起きていらっしゃいますか?」


 扉の外からマルガの声が聞こえ、エリーゼは掌を隠しながら慌てて飛び起きた。


「ええ、起きているわ、マルガ!」


 失礼しますとマルガは部屋に入って来ると、何か言いたげにエリーゼを見てきた。


「……最近、早起きですね」

「そ、そう? 温かくなってきたから、自然と目が覚めてしまうのかも」


 薔薇のような印をギルベルトに刻まれて以来、エリーゼは事あるごとに掌を眺めるようになった。もちろんマルガやギルベルト本人には内緒だ。


 マルガは自分の世話をしてくれているので、ばれるのも時間の問題だとわかっているが、それまではこっそり楽しみたい気持ちがあった。


「まぁ、なんにせよ、お目覚めが早いことは良いことでございます」

「ええ。今日も淑女あんど花嫁教育、頑張るわ!」


 白いナイトドレスを着たままガッツポーズするエリーゼに、カーテンを開けて戻ってきたマルガは複雑そうな顔をした。


「エリーゼ様はもう十分淑女だと思いますわ。そんな気合を入れずとも……」

「いいえ、まだまだ。妥協してはだめなの、マルガ」

「……本当に、王都へ出向くのですか」


 数日前。エリーゼはマルガに自分の出自を打ち明けた。話を聞いた彼女は驚き、同時に離宮で隔離されて過ごしていたエリーゼの過去を知って、王家に怒りを覚えたようだ。


「マルガ。心配しないで。お父様たちだって、少しくらいは情が残っているはずだもの」

「情が残っている方でしたら、エリーゼ様を長年放ったらかしにして、幽閉しようだなんて言い出しません」


 エリーゼの扱いについてはやんわりと伝えたつもりだったが、頭の良いマルガはいろいろと察してしまったようだ。

 王宮に自ら会いに行くと言うエリーゼにも、猛反対する姿勢を見せた。


「五大公爵の一人であるギルベルトと一緒に行くのよ。無下にはできないはずよ」

「それでも! ……いえ、私が不満なのはそこではございません。今さらエリーゼ様自身が機嫌を窺うように王宮へわざわざ出向くことが納得いかないのです。本来ならば、今までの非礼を王家の方から地に額をつけて謝るべきなのに……!」


 歯痒そうに言うマルガの態度に、エリーゼはふっと微笑んでしまう。マルガが怪訝な顔をする。


「エリーゼ様。どうして笑っていらっしゃるのですか?」

「ごめんなさい。何だか、嬉しくて」

「嬉しい?」

「ええ。だってマルガは、わたしのために怒ってくれているのでしょう? 今までそんな人、いなかったから……とても嬉しいの」


 姉のローデリカだけは自分の境遇に同情してくれたと思っていたが、それは間違いだった。他の使用人たち含めて、誰もエリーゼのことを気にかけてくれる者はいなかった。


 だから、怒らせてしまっているとはいえ、マルガの態度がエリーゼには嬉しいのだ。


「……もう。そんなことを言われてしまっては、怒るに怒れないじゃありませんか」

「王家に対して?」

「違います。私を見て微笑んだエリーゼ様に対してです。王家のことは、一生許しません」


 マルガは腕組みしてふんと鼻を鳴らす。


(マルガ……)


 エリーゼが近づいて恐る恐る抱きしめると、マルガはびっくりしたようだったが、不機嫌だった表情を崩し、困ったように抱きしめ返してくれた。


「ありがとう、マルガ」

「お礼を言う必要は一切ありません。本当にもう……エリーゼ様はお優しすぎるのです」

「そう? わたし、けっこう怒りっぽいと思うけれど」


 ギルベルトと接していると、特にそう思う。


「あれは怒ってもいいと思いますよ。ギルベルト様もそれを望んでいらっしゃると思いますし。……まぁ、それはおいといて、他のことについても、もっと怒っていいんです」

「マルガも……ご両親を恨んでいる?」

「私ですか? そうですね……。もっと言いようがあったでしょ、って今なら思います。最近どうしているのか、ちゃんと食べているのか、って手紙もちょこちょこ届いて、何なら家に帰ってこいってまで書いてあったんですよ」

「えっ、マルガ、帰ってしまうの?」


 やめてしまうの? と青ざめるエリーゼにマルガはまさかと笑った。


「こんないい職場、やめません。両親のことも、手紙の返信だけして、しばらく放っておきます」

「そう、よかった。……でも、後でもいいから、ご両親には顔を見せてあげて?」


 なんだかんだ言いつつ、娘であるマルガのことを気にかけているのだ。エリーゼとしては急に城に連れてきてしまった負い目も感じており、親子関係は大切にしてほしかった。


「エリーゼ様が責任を感じる必要はありませんよ。最終的に行くと決めたのは私ですし。あのまま故郷に留まっていても、たぶんもっと肩身が狭い思いをしていたでしょうし。……でも、顔を見せたら、嫌味交じりに元気にやってる、って答えるつもりです」

「ふふ。それでいいと思うわ」


 エリーゼが微笑んで同意すると、マルガはくすぐったそうに頷き、はっとした表情になった。


「って、私のことはどうでもよくて、エリーゼ様のことですよ!」

「まぁ。マルガのことだって大切よ」

「それはありがとうございます。って、また話が逸れてしまいます。……とにかく、自分の家族だからって、すべてを受け入れる必要はないと思います。いえ、家族だからこそ、許せないことは許せないと伝えてもいいはずです」

「許せないことは許せない……」


 エリーゼには、なかなか難しいことだった。


 ギルベルトやマルガの話を聞いた時には文句を言ってもいいじゃないかと思えたのに、自分のこととなると、急にいけないと思ってしまう。父たちが自分をぞんざいに扱ったのは、エリーゼ自身に瑕疵があったからではないか、そういう気持ちが拭えないのだ。


「エリーゼ様。どうかご自分を責めないでください。自分のことを大切になさってください」

「マルガ……」


 まるで姉が妹を抱きしめるような優しさでマルガはエリーゼを抱きしめると、抱擁を緩め、エリーゼの手を両手で握りしめた。


「エリーゼ様がご自身を大切にしていないのを見ると、悲しくなります。私だけじゃなくて、パウリーネさんやバゼルさん、他の幽霊たち、ギルベルト様もです」

「……わかった。まだ、うまくできるか自信がないけれど、大切に、するわ」


 エリーゼがおずおずとそう言えば、マルガはほっとしたように手を放してくれた。


「では、真剣なお話はこれくらいにして、身支度しましょうか。それで朝ごはんをしっかり食べて、エリーゼ様のお望み通り、淑女あんど花嫁教育のお勉強を頑張りましょう!」

「勉強するの、応援してくれるの?」

「それがエリーゼ様のお望みですから! あっ、でも、王家へ出向くなどの詳しい打ち合わせは、私よりもギルベルト様となさってください」

「うん。そうする。……ありがとう。マルガ」

「だからお礼はいいですってば」


 マルガはそう言って笑ったが、エリーゼは何度だって言いたい気分だった。


 自分はもう一人ぼっちではない。頼もしい味方が大勢いるのだと知ったから。


     ◇ ◇ ◇


「エリーゼ。お前に話したいことが――何をしているんだ?」


 儀式で何かを呼び出す練習か? と言われてしまい、エリーゼは怒るよりも落ち込んでしまった。


『坊ちゃま! エリーゼ様は今、ダンスの練習をしていたのでございます!』

『そうです! 決して悪魔を召喚するための踊りではございません!』


 エリーゼに代わって、幽霊たちが間違いを正してくれた。


「別に悪魔召喚に踊りは必要ではないんだが……そうか。踊りの練習をしていたのか」

「そうです……。ご覧の通り、下手でしょう」


 エリーゼとて、自分が上手くないことはよくわかっている。


「エリーゼ様は他の礼儀作法は難なく修得しておりましたので、てっきり踊りも大丈夫かと思っておりましたが……やっぱり、難しいようですね」


 マルガも困った顔で補足した。


「わたしも、最初は手こずっても、そのうち上手くなると思っていたの。馬やクリークたちに乗って、いろんなところを駆け回るのにも慣れてきたし……」

「それと一緒にしていいものなのか?」

「とにかく! 運動神経も多少はましになったと過信しすぎていたのです!」


 このままではまずい。


「どうしましょう、ギルベルト。わたし、このままでは立派な淑女になれません……」

「エリーゼ様はもう立派な淑女ですよ!」

『マリカ殿の言う通りです!』

『私もマリーさんの意見に賛成です!』

「だからマルガだってば!」


 マルガたちはそう言って慰めてくれるが、エリーゼとしてはやはりダンスを踊れてこそ完璧な令嬢と言える気がした。


(それにわたしは、一応王女でもあるもの)


 余計にできなくてはならない気がする。


「お前は意外と完璧主義者なんだな」

「ギルベルトは何でもこなしてしまうから、できない者の気持ちがわからないのです」

「そう拗ねるな。下手なら、練習すればいいだけだ」

「練習しても上手くいかないから困っているのに……」

「だったら、そのままでいい。俺がフォローしてやる」


 そう言うや否や、ギルベルトはエリーゼの手を取り、ステップを踏み始めた。


 幽霊たちもそうこなくっちゃと勝手に音楽を奏で始める。ここの幽霊たち、楽器で演奏もできるのだから、すごい。


「相手の足を踏んでも表情に出さず、しれっとしていればいい。そうすれば、誰も気づくまい」

「でも、相手の方は顔を顰めるかもしれません」

「顰めない。踊る相手は俺だけなのだから。俺はお前に足を踏まれても、痛くもなんともない」


 しれっと踊る相手を限定されて、握った掌が熱く感じた。


「……そういうわけには、いかないと思いますわ」

「なぜ?」

「なぜって……変に、思われますもの」

「婚約者のことが好きすぎて、他の男に踊らせたくない嫉妬深い男だと周りに思わせれば、誰もお前と踊ろうとはするまい。それとも、俺以外の男と踊りたいのか?」

「そういうことではありません! 誤解しないでください。わたしだって、別にあなた以外の殿方と踊りたいなんて、これっぽっちも思っていません。ただ……」


 不安なのだ。ただでさえ、自分は世間によく思われていない。


 不出来な娘として見られ、ギルベルトの隣に立つのに相応しくないと思われたくない。


「エリーゼ。お前は誰よりも綺麗だ」


 ふわりとエリーゼの身体を持ち上げて、ゆっくり一回転しながらギルベルトが伝える。


「お前が常に努力し、相応しくあろうとする姿を、俺は誰よりも知って、誇らしく思っている。そんなお前を貶す者は、俺が絶対に許さない」

「ギルベルト……」

「俺の言葉だけでは、お前の不安を払拭することはできないか?」

「……いいえ。わたしが間違っていました。ギルベルトがそう思ってくれるのならば、何も恐れることはありません!」


 エリーゼが笑顔でそう言えば、ギルベルトも満足そうに目を細めた。


(本当に、太陽みたいな人)


 暗くて不安な心も、ギルベルトといると明るくなる。


「それにほら、もう踊れているじゃないか?」

「えっ、あ、ほんとだ……」


 いつもは上体がよろけたり、音楽に乗れなかったりするのだが、今は難なく踊れている。


「ギルベルトが何か魔法をかけたのですか?」

「俺は魔法使いじゃないし、使えても、こんなことでは使わない」


 お前の努力の証だ、と言われて、少々大げさに思った。


「たぶん、ギルベルトのリードのお陰です。わたし一人では上手くできませんでしたから」

「……待て。一人で踊りの練習をしていたのか?」

「あ、いいえ。幽霊たちに付き合ってもらっていましたよ」

「一人とカウントするには、ぎりぎりだと思うが」


 エリーゼが踊れなかった理由がわかったと言いたげにギルベルトは呆れた目をした。


「幽霊のみなさんがぜひ踊ってほしいとおっしゃるので、練習に付き合ってもらっていたのです」

「ふぅん。そういえば、舞踏会やパーティーが好きだと、昔言っていたな」


 死んでも楽しいことは好きなのだろう。


(ギルベルトと一緒なら踊れるってわかったし、お城でパーティーを開いてもいいかも)


「あ。そういえば話があると言っていましたけれど、何かご用だったのでは?」

「ああ。隣の領地の屋敷で開かれる夜会に今度参加するから、伝えにきたんだ」

「わかりました。夜会に参加するのですね。夜会に……」


 ギルベルトに言われた言葉を繰り返し、エリーゼは頭の中が真っ白になって、足が止まった。ギルベルトも踊りをやめて、どうしたとエリーゼを見下ろす。


「や、夜会って、紳士淑女の方が大勢参加して、談笑したり、踊ったりする、あの夜会のことですか」

「ああ、そうだ。まぁ、王家の主催する舞踏会ほど、立派なものではないだろうが」

「わ、わたしにとっては、同じようなものです!」


 エリーゼはどうしようと泣きそうな気持ちになった。


「どうして急にそんなことを……」

「エリーゼ。お前は王家と対峙するつもりなんだろう?」

「……はい」

「婚約者として王家に認めてもらえれば、王家が主催する舞踏会などにも当然参加する流れになるはずだ。そこでお披露目もかねて、多くの貴族たちに俺とお前の仲を紹介する。だが今までろくに社交の場に参加する機会のなかったお前にとって、それは拷問にも等しい。失態する可能性もある」

「ギルベルト様! エリーゼ様はやる時はきちんとやるお方です!」

『そうだそうだ!』


 マルガや幽霊たちがすかさずフォローしてくれるが、エリーゼはギルベルトに反論できなかった。


「いいえ、マルガ。ギルベルトの言う通りよ。わたしはたぶん、そんな公の場に立っても、緊張して震えてしまうわ」


 思い出されるのは、貴族たちの嘲笑。元婚約者だった男に守られるようにして自分を見つめる姉の怯えた顔。引きずり出されるようにして父の前に連れて行かれ、蔑むような眼差しで言われた言葉。


(怖い……)


 きっとギルベルトがいても、醜態を晒してしまう。いきなりそんな場所に行くなんて、できない。そこまで考え、エリーゼははっと彼を見上げた。


「だから……まずは他の場所で練習するのですか?」

「そうだ。田舎の屋敷で開かれる夜会は貴族以外の人間が多い。王都から離れてもいるし、お前のこともよく知らないはずだ」


 そういう家を選んでいる、と言われて、少し気持ちが軽くなった。


 考えてみると、確かにいきなり王家の人間と会うのは無謀というか、難易度が高すぎるかもしれない。堂々と会うことを目標に掲げるのならば、場数は踏んだ方がいい。


「わかりました。ではまずは、小さな夜会から参加することにします」

「ああ。そうしよう」

「……ギルベルト。いろいろ考えてくださって、ありがとうございます」

「なんだ、改まって。俺はお前の婚約者なのだから、当然だろう」

「ふふ。そうですか。でも、まだお父様たちには認められていないので、少し変な感じがします」

「変じゃない」


 ギルベルトはエリーゼの下ろしている髪を一房そっと手に取ると、恭しい仕草で口づけを落とした。


「お前が認めたのだから、俺がお前の婚約者であることはもう決して覆ることのない決定事項だ」

「ギルベルト……」


 傲慢とも言える物言いにエリーゼの胸はときめいて、彼の瞳を切なげに見つめ返していたのだが――


『ヒューヒュー。坊ちゃんやるぅ!』

『さすが旦那様の血を引いたお方!』

「こらあなたたち! こういう時は空気を読んで気配を消すところでしょう!」


 幽霊とマルガたちのやり取りに急に我に返り、火照った顔を隠すように俯いたのだった。

 そんなエリーゼにギルベルトが笑ったのがわかり、彼女は恨みがましい目を向けて、命じるように言った。


「ギルベルト。夜会の日まで、どうかわたしのダンスの練習に付き合ってくださいね。それから、参加者についての情報も教えてください。出席するからには、完璧にこなしたいので!」

「我が婚約者殿の言う通りに」


     ◇ ◇ ◇


 客との受け応えについても練習し、あっという間に夜会に参加する当日となった。


「はぁ……口から心臓が飛び出そう」

「そうなったら俺が戻してやるから安心しろ」

「本当ですか? ぜひお願いしますね」

「エリーゼ様……ギルベルト様も、本当に大丈夫ですか?」


 見送るマルガが不安そうな顔で呟く。


『大丈夫ですよ、マルガ殿。坊ちゃまも一応、オルバース家の当主なのですから』

「バゼル。それは一体どういう意味だ?」

『ああ、いいわねぇ、夜会。エリーゼ様。小難しいことは抜きにして、どうか楽しんできてくださいね!』

『お土産、よろしくお願いしまーす』


 パウリーネや幽霊たちにも激励の言葉を贈られながら、エリーゼはギルベルトと共に馬車に乗り込んで夜会のある屋敷へ向かうのだった。


 本来ならば、もっと前々日から出発しないと間に合わない距離なのだが、そこは悪魔の力で距離を一気に縮めて移動することが可能らしい。主催者である男爵には近くの宿に泊まって向かうと伝えてある。


「……今さらですけれど、いきなり王女であるわたしが現れて、相手は驚かないでしょうか」


 エリーゼはもはや自分の身分を隠すつもりはなく、公然と名乗り出るつもりだった。


「今さらだな。大丈夫だ。幽閉されたということになっているが、本当は我がオルバース寮で療養中だったということにすればいい」

「それで納得してくれるのでしょうか」

「堂々としていればいい。おどおどしていると、逆に怪しまれて、疑問を持たれるぞ」

「なるほど。ギルベルトはそういうこと慣れていそうですから、説得力がありますね!」


(悪魔祓いの時も、自分を天からの使いだと言っていたし)


 とにかく大事なのは堂々とすること、とエリーゼは緊張する心に言い聞かせる。


「今さらついでに」

「はい?」

「そのドレス、よく似合っている」


 少し照れたような話し方に、エリーゼはつい頬が緩む。


「ありがとうございます。マルガやパウリーネたちと、たくさん議論を重ねた甲斐がありましたわ」


 エリーゼの銀髪が映えるようにと青いドレスがいいと押されて、ではどんな青色がいいか実際に布を当てて悩んだりした結果、濃すぎず、水色とも言えない絶妙な青色に決まった。襟ぐりは品を損なわない程度に深くして、清楚な感じを売りにしたいのでレースやひだなどは最低限にとどめるデザインとなった。


(お針子の幽霊たちにも感謝だわ)


 見た目シーツを被った彼らが針を手にして? せっせとドレスを仕立てる姿は感動ものだった。


「このしずく型のイヤリングも、気に入っていますの」


 ギルベルトに山のようにプレゼントしてもらった内の一つだ。


「そういうのが好きなら、似たデザインのをあと百、贈ろう」

「百!? い、いえ。他にくれたのも気に入っていますから、今度はそれを付けていこうと思っているんです。ですから大丈夫です!」


 慌てていらないと断ってもギルベルトは不思議そうな顔をして遠慮するなと言ってくる。


「本当に、大丈夫ですから。……欲しくなったら、またお願いします」

「そうか。なら、そうしよう」


 いつか、というお願いで引き下がってくれたのでほっとする。


「それより、ギルベルトもその衣装、とても似合っています」


 夜会に参加する場合、男性はみな同じような礼装だと思うが、ギルベルトが着ると王族のような気品があり、自然と目を引いた。


(……女性にも、もてるだろうな……)


「何か面白くなさそうな顔をしていないか?」

「していません。……ギルベルト、今夜はわたしにとって初めての夜会ですし、とても緊張していますから、わたしのそばを離れないでくださいね」


 そうすれば相手の女性もギルベルトに変な期待を抱かないはずだ。矮小な嫉妬をする自分を嫌な女だと思いつつ、譲れないことだとエリーゼはギルベルトに頼んだ。


「? 俺はお前の婚約者なのだから、当たり前だろう」


(そっか。わたし、ギルベルトの婚約者なのか……)


 では余計な心配だったかもしれないと、エリーゼは少し恥ずかしくなって頬をかいた。


 出席した夜会は男爵家が主催するものだった。


 オルバース家の城と比べると屋敷は小さかったが、大勢の人間が集まっても十分な広さがあり、中へ案内されたエリーゼはいよいよ緊張がピークに達していた。


(みんな、こっちを見ている!)


「まぁ、あの素敵な方はどなた?」

「オルバース家の当主だそうだ」

「オルバース家の? あの呪われた? あんな若くて素敵な方が治めていらしたの?」

「隣のご令嬢はどなた? 奥様?」

「ご結婚なされているの? でも、どこかで見たことがあるような……誰かに似ているような……」


 興味津々といった様子で小さくない声が耳に飛び込んでくる。別に正体を隠すつもりはない。問われればギルベルトと予め決めていた設定を打ち明けるつもりだが、いざその時が来るとなれば、ばれないでほしいと思ってしまうのはどうしてだろう。


「エリーゼ。あちらに軽食が置いてある。まずは喉を潤したらどうだ」

「え、え、挨拶はよろしいのですか」


 こういう時、まずは主催者に挨拶するのが礼儀だと教わった。


「主催者はまだ他の客と話すので忙しいみたいだ。周りにいる人間もみな遠巻きに見ているだけで挨拶しに来ない。なら、別に飲み物を飲んでもいいだろう」


(ギルベルトって、こういう時も、相変わらず自分のペースなのね……)


 エリーゼは尊敬するような、少し呆れた気持ちになった。

 しかし、お陰でガチガチに固まっていた身体の強張りが解けた気がする。


(そうよね。別にこちらから話しかけても、怯えられたり、嘲笑されるだけかもしれないし、少し時間を置いてもいいのかも)


 エリーゼはギルベルトの勧めに従い、軽食の置かれているペースへ行き、グラスを給仕から受け取った。アルコールは入っておらず、爽やかな炭酸が火照った身体に染み渡る。


「美味しい……」

「俺もいただこう」


 そうこうしているうちに主催者である男爵がやや小走りでこちらへやってきた。

 何だか申し訳ないが、爵位的にはギルベルトの方が上なので、彼から挨拶するのが正しいと言えば正しいのかもしれない。


「これはこれはギルベルト様。本日は我が領地へお越しくださり誠にありがとうございます」

「いや、招待してくれてこちらこそ感謝する」

「そんなそんな。ギルベルト様には毎年いろいろと相談に乗っていただけて、大変助けられているのですから。……それより、そちらの方は――」

「ああ。私の婚約者、エリーゼだ」

「婚約者!」


 男爵は仰天した様子でギルベルトとエリーゼの顔を交互に凝視する。


「何かおかしいか?」

「あっ、いえ! 今までそんな気配、微塵も感じませんでしたので、ギルベルト様の婚約はまだ先になるかと勝手に思っておりまして……大変失礼いたしました」

「謝ることではない。そなたの言う通り、私自身まだ結婚は先でよかろうと思っていた。しかし、エリーゼと出会い、その考えを改めたのだ」


 男爵の周りにはいつしか人が集まっており、みな聞き耳を立てていた。

 ギルベルトの一言一句、聞き漏らすまいと神経を集中させている。


 そうした者たちにわざと聞かせるよう、ギルベルトは朗々とした響く声で告げた。


「エリーゼこそ、我が運命。彼女の他には、もはや考えられないと」

「おお……!」


(ギルベルト!)


 これも彼の策略、必要な演出だとわかっていながら、エリーゼは恥ずかしくなる。


「そうですか。ギルベルト様がそこまで想われた女性なのですね。……失礼ながら、エリーゼ様はどういった出自の方で?」


 ギルベルトはエリーゼの腰に回していた手を自分の方へ引き寄せる。

 彼女は困ったように微笑みながら、男爵のぶしつけな視線にそっと目を伏せた。


「彼女は身体が弱くて、さるお方から頼まれて我がオルバース領で療養していたのだ」

「は? オルバース領で、ですか?」


 あの一年中曇り続きで、陰鬱な土地で? という心の声がはっきり聞こえたのか、ギルベルトが「何か問題でも?」と微笑む。


「あっ、いえ! そうですね。あんまり明るすぎると、かえって辛くなるかもしれませんしね。オルバース領くらいがちょうどいいのかもしれません」


(フォローになっていないような……)


「しかしさるお方とは……ギルベルト様がお受けするということなのですから、さぞ高貴なお方なのでしょう」

「ああ、その通りだ。誰だと思う?」


 五大公爵より上の存在となれば、答えは自ずと限られてくる。


「まさか――いや、しかし……」

「あの、わたしの方からご挨拶させてください」


 見かねたエリーゼがそう言うと、辺りはシンと静まり返った。居心地の悪さを感じつつ、いつかはばれることなのだと、エリーゼはお腹に力を込める。


「わたしはエクスタイン国の第四王女、エリーゼ・エクスタインと申します」


 ざわっと一気に場が騒然となった。さすがにエクスタイン国の名を上げれば、驚くのも無理はない。


「ほ、本当に王女殿下であらせられるのですか!?」

「おい。エリーゼの出自を疑うのか?」


 ギルベルトがすっと目を細めて男爵を睨む。


「そ、そういうわけでは……しかし、末の姫は神経がおかしくなって……いえ、病状の悪化により、遠い地に住まわれるとお聞きしました」


 幽閉、という言葉は使わずに、男爵は婉曲にエリーゼについて知っていたことを教えてくれる。


「そう。病状の悪化のため、しばらく静かな土地で休むことにした。それで選ばれたのが我がオルバース家の領地だったのだ」

「お父様が娘であるわたしのことを心配なさるあまり、理由が曲解して、みなさんの耳にまで届いてしまわれたのでしょう」

「は、はぁ……」


 本当にそうなのだろうか? と男爵をはじめ周りの人間は懐疑的な様子だったが、エリーゼそうですと自信満々に微笑んだ。


「わたしも最初は、この身体はもうよくならないとばかりに諦めていましたが、ギルベルトが献身的に支えてくれたお陰で、ご覧の通り元気になりましたの。本当に感謝しておりますわ」


 このあたりは本当の気持ちだったので、エリーゼは心を込めて言葉にすることができた。


「エリーゼ。しかしまだみな信じられないようだ。そこでどうだろう。私と踊って、あなたが元気になったと証明するのは」

「とてもよいアイデアですわ。では、ギルベルト。どうぞお相手の程、お願いしますね」

「ああ。承知した」


 というわけで、とギルベルトはエリーゼの手を取り、群がる人々が自然と引くよう、前を見据えた。まだ誰も踊っていなかったが、気にしてはいけない。自分たちが主役になったつもりでエリーゼはギルベルトとステップを踏み始める。


「……少し、図々しかったでしょうか」

「気にするな。あの様子では、何を言っても、何をしても騒がれる。俺たちが踊り出したところで大して違いはない」

「もう、ギルベルトったら……」


 しかし彼の言う通りにも思えたので、エリーゼは考えるのをやめた。


(こうしてギルベルトと踊ることができて、嬉しい……)


 恋愛小説で読んでからずっと夢見ていたのだ。素敵な殿方……好きな人と踊ることを。


「何を考えているんだ」

「……まるで夢を見ているだと思って」

「夢ではない」


 エリーゼの背中が反り、体勢が不安定になるも、ギルベルトの逞しい腕や手が支えてくれるのでちっとも怖くない。


「お前も俺も、間違いなく現実を生きている」

「ふふ。ええ、わかっています。夢のように幸せだという意味です」

「ならば俺がずっと、その幸せな夢から覚めないようにしてやる」


 エリーゼは微笑んで、少し潤んだ瞳でギルベルトを見つめた。


「ありがとうございます。でもギルベルトがいてくれれば、わたしはそれだけでいいのです」

「お前は変わっている。みな俺の外見に惑わされて群がってくるが、中身を知ると、逃げ出してしまうというのに」

「あなたは優しい人ですわ。それに……」

「それに?」

「秘密です」

「何だ。隠されると気になる。教えてくれ」


 ギルベルトは聞き出そうとするが、エリーゼはまだ勇気が出なくて、伝えることができなかった。でも永遠に内緒にするつもりはなかった。


(結婚する時に、伝えよう。わたしがギルベルトと初めて会った時、今、どう思っているのか)


「婚約者に内緒だとは、良い度胸だな」

「あ、ギルベルト、は、早いです。意地悪しないでください」


 わざとワンテンポ速めるギルベルトにエリーゼは文句を言いながらもきちんと合わせて踊っていた。もはや彼女の踊りが下手だと思う人間は誰もいないだろう。


 二人の当てつけとも言えるダンスを見て、客人たちもいつまでも見守っているのが馬鹿らしくなったのか、同じように踊り出したり、談笑を再開したりした。


 中にはエリーゼとギルベルトの美しさにうっとりなっている者もいて、お似合いだということを口にしていたが、残念ながら二人の耳には届かなかった。


 さすがに三曲も立て続けに踊り終わると疲れてしまい、少し休憩することにした。


「エリーゼ様。ギルベルト様。とても素敵でしたわ」

「ありがとうございます」


 ダンスでほどよく緊張がほぐれ、今なら何でもできそうな気持ちで、エリーゼは話しかけてきた客人に笑みを返す。彼らはエリーゼ自身のことやギルベルトのことについて知りたがり、褒めながらあれこれと情報を聞き出そうとした。


「それにしても、噂でお聞きしていたエリーゼ様とずいぶんと違うので驚きましたわ」

「ふふ。噂は当てにならないということですね」

「本当ですわね。そう言えば、ローデリカ様はお元気そうですか? 何でも、妹であるエリーゼ様が幽閉……いえ、療養なさることになって、ずいぶんと心を痛めていらっしゃるとお聞きしたものですから」


(そうなの?)


 エリーゼにそう言った夫人の様子を見る限り、ローデリカがエリーゼに嫌がらせを受けていた、という虚実までは知らないようだった。それとも知らない風を装ってエリーゼのことを探っているのだろうか。


(お姉様が、心を痛めて、か……)


「実は王家の近況についてはあまり知りませんの。恐らく父がわたしにいらぬ心配をかけさせまいとして、あえて秘密にしているのですわ」

「ま、まぁ、そうでしたの。でしたら私、余計なことを言ってしまいましたわね」

「いいえ。教えてくださってありがとうございます。姉はわたしの元婚約者と結婚する予定になっていたのですが、その様子だと、もう少し先になりそうですわね」

「えっ、エリーゼ様の元婚約者?」


 妹の元婚約者が姉であるエリーゼと結婚することは、夫人の仰天した表情から初耳なのだとエリーゼは推察した。


「ええ。驚いたでしょう? わたしが年頃になった時に、お姉様が離宮へ彼と一緒にご挨拶しに現れたのです。お姉様は彼のことを、自分の護衛騎士だったから、わたしにも安心して任せられるとおっしゃいました。今思えば、もうその時にお相手の方は、わたしではなく、お姉様のことを慕っていたのだと思います。でも、主人であるお姉様に勧められて断ることができなかったのでしょう」

「まぁ……」

「けれど時が経つにつれて、お姉様もご自身の気持ちに気がついたのです。ええ。わたしの婚約者である彼のことを好きだと……わたしにも、正直に打ち明けてくれましたわ」

「まぁ。ご自分で紹介しておきながら?」


 一緒に聞いていた若い娘が怒った口調でそう言った。


(お互いに抱きしめ合っている姿を見せられて、弁解されたのよね……)


 しかしそこまで詳細を述べるのは、はしたないだろう。

 ここは聞き手の想像に任せるとして、エリーゼは寂しげな笑みで先を続けた。


「わたしも知ってしまった時は悲しみましたけれど、仕方がないとも思ったのです。だってお姉様と彼はとてもお似合いで……わたしの出る幕などありませんでしたから」

「エリーゼ様……」


 客人たちはエリーゼの悲しみに暮れた表情を憐れむように見てくる。暗く、重い雰囲気になったところで、「でも」とエリーゼは花開いたように微笑んでみせた。


「今はお二人が自分の気持ちに正直になってくれて、本当によかったと心から思いますわ。だってそうしなければ、わたし、ギルベルトに会うことができなかったもの」


(ええ。本当に、そう思うわ)


 完璧な計算で今へと繋がっていた。ギルベルトふうに言うならば――


「すべて運命だったのですわ」


 エリーゼの締めの言葉に、客人たちの表情も明るくなった。少し、照れたように隣の客と見合わせる者もいた。


「エリーゼ様も、ギルベルト様に負けず劣らず、情熱的な方なのですね」

「あら、ここにいらっしゃるみなさまも、同じ想いを抱いたことがおありだと思いますわ」


 ご夫婦の方は特に、とエリーゼが言えば、夫婦と思われる男女は顔を見合わせて照れたり笑みを浮かべたりした。


「わたしたちのことだけじゃなくて、みなさまの馴れ初めもぜひ教えてくださいな」



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