5、エリーゼにできること
幽霊たちの姿が変わり、エリーゼは以前より賑やかな毎日を送ることになった。
『エリーゼ様! 今日のリボン、どうですか?』
「水玉模様が入っていて、とっても可愛らしいです!」
『エリーゼ様。今日のおやつは、ふっくらパンケーキでございますよ!』
「わぁっ、楽しみです!」
気さくに話しかけてもらえて、エリーゼは心がぽかぽかする。
そんなある日。今日は珍しく、昼から晴れていた。ギルベルトも室内に籠って執務をするのはもったいないと思ったのか、外へ出ようとエリーゼを誘った。
「エリーゼ。お前に紹介したいやつがいるんだ」
「どなたです?」
「きっと気に入る。なにせ可愛いからな」
(ギルベルトってば、幽霊たちの一件から、何かとわたしに可愛いものを紹介してくれるわ……)
ギルベルト自身はかっこいいからそのままでいてほしいと言ったからか、彼はそれ以外に「可愛い」を追求するようになった。具体的にはエリーゼの持ち物、衣装を可愛いものにしようと、たくさん贈り物してくるのだ。
(お金、大丈夫なのかな……)
公爵家の財政状況を心配するなど失礼な気もするが、以前ギルベルトが領民からの税収の他に得ている収入があると伝えられて、どうも気になってしまう。
(悪いこと、はしていないと思うけど……)
半分悪魔で、時々揶揄う時もあるが、それ以外のギルベルトは公明正大のように思う。
だから悪事に手を染めて得たお金でプレゼントをしているわけではない……はずだ。
(でも、やっぱり気になる!)
「あの、ギルベルト。以前言っていた――」
エリーゼはそこで言葉を途切れさせた。障害物のない広い芝生の上に、突如黒い穴がぽっかり現れたかと思うと、その中から巨大な犬が落ちてきたのだ。
しかも顔、頭が三つもある。一つの胴体に繋がっていた。
「なっ、な、な……」
「クリーク、フランメ、アレス! 来い!」
「え、ま、待って、ギルベルト!」
ギルベルトの呼びかけに奇怪な生き物が勢いよくこちらに突進してくるではないか。
エリーゼは恐ろしくなって、ギルベルトの背中を盾に隠れてしまう。
「どうした、エリーゼ。安心しろ。こいつらは俺が飼っている犬だ。食ったりしない」
(飼っている犬、って……)
そろそろとギルベルトの背中から覗いてみると、確かに犬たちはスピードを緩めて、きちんと飼い犬の前でお座りしている。
しかし犬というには鋭い犬歯が見え隠れしており、人間など頭からバリバリ食べてしまいそうな獰猛さが隠しきれていなかった。はぁはぁと舌を出して芝生を涎で汚しているのも、迫力がありすぎる。何より犬と呼ぶには身体が大きすぎるのだ。
「ギルベルトが本当に飼っているのですか?」
「そうだ。俺が五歳の時に父が地獄から取り寄せてプレゼントしてくれた」
(お義父様!)
五歳の子どもになんてものをプレゼントしているんだ。
「小さい頃は屋敷の番犬をしてくれていたんだが、今は身体が大きすぎて、この土地では狭すぎるからな。普段は地獄の谷底や山を駆け巡っている。餌も、自分で捕る賢いやつらだ」
まるで飼い主の言葉の意味を理解しているように、犬たちはギルベルトに頭をすり寄せた。三頭分なのでエリーゼの目には頭が回っているように見えて、そっと目を逸らした。
「ちなみに餌って……」
「霊魂だ」
「魂ですか……あっ、でも、地獄にある魂ってことは悪霊、ですよね?」
「そうだ。天国へ逝けるような善良な魂は食わないから安心しろ」
(なら、いいか)
なんて思う自分も、だいぶこの城での生活に慣れてきたのだろう。
「今日はこいつらの背中に乗って一緒に散歩しようと思っている。前に行った村とは別のオルバース領を視察に行くぞ」
「えっ、領地を見て回るんですか? それはちょっと、危なくないですか?」
領民たちが犬たちを見て腰を抜かすのではないだろうか。
「安心しろ。クリークたちの姿は普通の人間には見えない」
「そうなんですか? わたしには、見えていますけれど……」
「それはお前が俺の婚約者だからだ」
「婚約者だから?」
「間違えた。契約者だからだ」
ギルベルトは言い間違えても堂々としているので、エリーゼの方が何だか照れてしまう。
「では、そういうわけだから早速行くぞ。これを羽織れ」
そう言ってギルベルトは今までずっと手にしていたフード付きの黒いマントをエリーゼに着せる。用意がいいなぁ、と思い、マントがやけに上等な生地であることに気づいた。
「ずいぶんと高価そうなマントですね」
「普通の人間には姿が見えなくなる、地獄用のマントだからな」
なるほど。犬たちの姿が見えないのに、ギルベルトとエリーゼの姿だけ見えては不気味に見えるからか。そう考えたエリーゼだったのだが――
「えっ、この犬、飛べるんですか!?」
「背中に翼があるだろう?」
(ほ、本当だわ……)
恐怖からあまりよく見ていなかったので、エリーゼは乗って初めて気づいた。
「地獄で怪鳥を食った際、生えてきたみたいだ」
「どういう仕組みなんですか!? って、わわっ」
「しばらく口は閉じていろ。久しぶりに地上を散歩できるから、はしゃいでいる」
ギルベルトと以前馬に乗った時、全力疾走を大したことないと彼は言っていたが、犬たちの背中に乗っていると確かにそうだ、とエリーゼは目を回しながら実感するのだった。
「――どうだ、エリーゼ。少しは慣れたか?」
「うう……今は山を下りたり、大きく飛躍していないので、慣れてきた、と思います」
犬たちはずっと空中を羽ばたいているわけではなく、途中見えた山に急降下して行ったり、そこから木々を渡って大きく空へ飛翔したりした。エリーゼは自分がまるで細長い瓶の中に押し込まれて上下に激しく揺すられている気分を味わっていた。
「ギルベルト、絶対に落とさないくださいね。わたしが落っこちそうになったら、首根っこでもいいので、掴んで放さないでくださいね」
「こんなにくっついているんだから、絶対に落ちない」
ぎゅうっと後ろから抱きしめられて、陸の上だったら甘いときめきを覚えたかもしれないが、今は唯一の命綱に思えて、別の意味で心拍数が上がっている。ずっと前に視線を固定していればいいのだが、どうしても下が気になってしまい、つい目線を下げてしまった。
(うわぁ……やっぱり高い!)
そして以前訪れた村と同じような光景が広がっていた。しかし上から見下ろすのとはまた違い、どこまでも同じような景色が続くからこそ壮観な眺めだった。
「どうだ。慣れたか?」
もう一度ギルベルトに訊かれて、エリーゼは頷いた。
「はい。だんだん風が心地よく感じてきました」
「よし。じゃあ、少しスピードを出すか。しっかり捕まっておけよ」
「えっ、いや、このままで、きゃあっ」
今までのは軽い準備運動だったと言わんばかりに犬たちが強く翼をはためかせて空中を飛び始めた。
(犬って、普通は陸に足を付けて走るのよね。空を飛んでも、満足するのかしら)
そんなことを現実逃避に考えかけたが、自分の口から勝手に漏れた悲鳴でかき消された。
「――あ、おい、クリーク、フランメ、アレス、止まれ!」
突然ギルベルトが待ったをかけ、犬たちがスピードを緩めて、その場を旋回する。
「どうしたんです?」
「オルバース領を出てしまった」
どうやら夢中になりすぎて、オルバース公爵領の隣の領地にまで来てしまったらしい。
「それは見つかったら大変……でもないのかしら」
「クリークたちの姿は普通の人間には見えないし、俺たちもマントを着ているから見つかることはない。せっかくだから街を上から見ていくか」
街、とギルベルトが言ったとおり、隣の領地は出店が並び、通りを歩く人の数も多くて賑やかなのが一目見てわかった。
(やっぱり、オルバース領は人も少ないし、あまり栄えているとは言えないのね……)
それに先ほどから太陽が照り付けるのを肌に感じる。
「こちらは天気も良さそうですね」
「そうだな。うちを見てみろ」
そう言ってギルベルトの指した方向を見ると、どんよりとした雲が見えた。
「……まさかあの下がオルバース領ですか?」
「そうだ。今日は珍しく晴れていたが、あの雲が滞在しているから鬱屈とした天気の方が多いな」
悪霊が好む天気だと言われて、エリーゼは複雑な気持ちになる。
雨は大切だが、やはり晴れの日の方が気分は陽気になる。
(天候にも恵まれないなんて……やっぱり呪われた土地なのかしら)
シュンと落ち込むエリーゼは下を見ていたが、ふとこちらを見ている女性の姿が目についた。
「……ギルベルト。あの人、わたしたちの姿が見えていませんか?」
「気のせいじゃないか」
「いえ、でも、すごく目を瞠って、じゃっかん青ざめていますし、あっ、今、目が合って、顔を逸らしました」
絶対気づいている! とエリーゼは確信する。
「では下りて、話しかけてみるか」
「えっ、ちょっと!」
いきなり会うのはまずいのでは、とエリーゼが止める暇もなく、ギルベルトは犬たちを屋根の上に下ろさせた。
「な、なんだ!?」
「今この建物が揺れたぞ!」
「ギルベルト! 下りるなら静かに下りないと!」
見えないとはいえ、犬たちは巨体なのだ。
しかも見るからに力があり余っており、家一軒など、容易く破壊してしまうに違いない。
「わかった、わかった。ほら、お前たち。少し休憩だ。ここで大人しく待っていろ」
三頭の頭をそれぞれ撫でてやるギルベルトの表情は優しい。
エリーゼは不覚にもきゅんとしたが、彼が突然自分を抱き上げたのでぎょっとする。
「な、何をなさるのです!」
「下へ降りる。首に腕を回せ」
待って! とやはりこちらの制止は聞かずに、ギルベルトはひょいと三階の高さから飛び降りた。エリーゼはきゅっと目を瞑り、ギルベルトにしがみつく。
「エリーゼ。着いたぞ」
ギルベルトはふわりと実に軽やかな足取りで地上へ着くと、エリーゼに声をかけた。
「もう、ギルベルト!」
「そう怒るな。人目のつかぬ場所に下りたじゃないか」
家と家の隙間で、確かに人はいない。
「とにかくさっきの女のもとへ行くぞ」
「会っても相手は困るのでは……」
それにあの怯えた様子ではとっくにどこかへ逃げたのではないだろうか。
そう伝えても、まぁ行くぞとギルベルトはエリーゼの手を取って歩き始めた。
「せっかく来たのだから、可愛いものも見つけておきたい」
「……もう、たくさんいただいています」
通りに出ると、案の定たくさんの人々が行き交っていた。
マントを羽織っている自分たちの姿は見えていないのか、ぶつかると訳が分からない顔をされる。今マントを脱げば急に現れたように見えて人々を驚かせてしまうので、通りに出る前に脱いでおけばよかったなとエリーゼは後悔した。
「エリーゼ。あっちの方が空いているように見える」
「広場があるそうです」
道案内の看板が目に入る。ではとりあえずそちらへ行こうとギルベルトが言い、人を避けながら向かった。
広場には噴水やベンチが配置されており、エリーゼは「あ」と小さな声を漏らした。
「運よく見つかったな」
先ほどの女性がベンチに腰かけていた。その表情は遠くから見てもわかるほど曇っており、エリーゼたちの姿に気づくとさらに悪くなった。
「あ、あなたたちは……っ」
「今逃げると、周りから怪訝な顔をされるぞ。俺たちの姿は今、普通の者には見えていないから」
普通の者には、という部分をやけに強調してギルベルトが告げると、腰を上げかけていた女性はぴたりと止まった。
「ギルベルト。それじゃあ脅しているように聞こえます」
これでは怯えて当然だとエリーゼはため息をつくと、女性に微笑んだ。
「あの、驚かせてしまってごめんなさい。わたしたち怪しい存在に見えるかもしれませんが、決してあなたに危害を加えるつもりはありません」
「あなたたち、幽霊なのですか?」
女性はエリーゼの警戒しないでくれという接し方でいくらか警戒が解けたのか、それでもまだ訝しむような眼差しで訊いてきた。
「いいえ。人間です」
「俺は半分悪魔の血を引いているがな」
「ひっ、悪魔……!」
「ギルベルト! 今はそういうこと言わないでください!」
「だが事実だろう。俺は嘘は嫌いだ」
「時と場合を考えてくださいよ……」
嘘をつきたくない気持ちはわかるが、これではますます女性を怯えさせるだけだ。
案の定、彼女は己の肩を抱きしめてぶるぶると震えている。
「ああ……やっぱり私は呪われているんだわ……母さんや父さんの言う通り……どこに行っても上手くいかない……」
「あの、大丈夫ですか? その様子だと何か困っているようすですね。よかったら相談に乗りましょうか?」
「お前、案外逞しいな」
こういう時普通は引くだろう、とギルベルトに言われ、エリーゼちょっとおかしかった。
(わたしだってギルベルトに初めて会った時、ひどい有様だったわ。でもギルベルトは普通に接してくれていたし……いえ、もしかして引いていたのかしら?)
今さら気づいた事実に傷つきかけるが、今はそんな場合ではないとエリーゼは腰を屈めて女性と同じ目線になる。そしてなるべく優しい口調で伝えた。
「実はわたしも、少し前まで幽霊を見て怖がっていたんです」
「……あなたも見えるの?」
「ええ。あなたにも、見えるのですね?」
女性はゆっくりと頷いた。そこからぽつりぽつりと身の上を語り始めた。
「幼い頃から、他の人には見えないものが見えていたんです。そのせいで友達にも気味悪がられて、婚約者もできなくて……最初は両親も心配してくれていたんですけれど、弟夫婦に孫ができると、いつまでも居座り続けている私が邪魔になったのか、嫌味を言うようになって……相変わらず仕事も見つからなくて、何だかもう生きているのが辛くて……」
半分悪魔のギルベルトと契約してから見えるようになったエリーゼと違い、女性――マルガは、最初から幽霊が見える人間だった。人間関係は上手くいかず、精神的にも疲弊して、今も幸せとは言えない生活を送っている。
(苦労なさっているのね……)
自分も離宮という閉じられた環境で孤独に育ってきたが、マルガは他の人たちと一緒に暮らす環境の中で誰にも理解されない孤独を味わってきた。
(何か、力になりたい……)
ふと、エリーゼはあることを思いついた。
「あの、ギルベルト」
「なんだ」
「少し、ご相談が……」
身体を傾けて耳を貸してくれるギルベルトに、エリーゼはつま先立ちになってごにょごにょと話す。そんな二人の姿を見せつけられて、マルガが「目の前でイチャつかれるなんて、私ってやっぱり不幸だわ……」と零していたが、気づかなかった。
「……どうでしょうか」
「いいんじゃないか」
「本当ですか!?」
「お前が提案したことだろう。それに、行くかどうかは、その女が決めることだ」
二人そろって視線を向けられ、マルガが「え、何?」と怯える。
「マルガ」
エリーゼがマルガの手を取ると、彼女はさらにビクッとし、だがエリーゼの気品ある顔立ちにそのまま固まる。
「あなた、わたしたちのお城で働いてみない?」
「へ?」
「実はね、わたしの城にも幽霊がたくさんいるの。ああ、でも心配しないで。幽霊にもね、悪い幽霊と良い幽霊がいて……そこは人間と一緒で、それで、城にいる幽霊たちはみんなとっても気さくでいい幽霊ばかりだから、怖がる必要はないわ。それにね、見た目もとっても可愛いの! それはわたしが保証するわ! 人間の見た目に近い幽霊もいるから、慣れれば平気よ。わたしも最初は怖かったけれど、今では家族みたいな存在だって思っているの。あなたもきっと大丈夫よ。ええっと、だからどうかしら?」
「ええっと……」
口を挟ませない勢いで捲し立てたエリーゼにマルガは目をぱちぱちさせている。
「エリーゼ。お前、俺やパウリーネたちに似てきたな」
「うう、どうしてもマルガにわたしの城に来てほしくて……」
一度冷静になれとエリーゼは深く息を吐いて、再度マルガに言った。
「マルガ。急にあれこれと言ってしまってごめんなさい。でも、少し視野を広げてみると、世界ってぐんと広がると思うの。だから、勇気を出してみない?」
真剣な口調で伝えるエリーゼに、怯えていたマルガはいつの間にか落ち着いて、じっとエリーゼの顔を見つめ返していた。
「あなたはどうして見ず知らずの私にそこまで言ってくださるのですか?」
「え? そうね……。実はわたしも少し前まで、不幸のどん底にいたの」
「あなたが?」
信じられないと言いたげな顔をするマルガに朗らかに笑う。
「ええ。自分が世界で一番不幸で、もうどうなってもいい。……死んでもいい、って思っていたの」
「死んでも、いい……」
「でも、今はそんなこと考える暇がないくらい賑やかで、充実した日々を送れているわ」
「エリーゼ。それは誰のお陰だ?」
するりと手を掴まれて、指先を絡ませると、ぎゅっとギルベルトが握りしめた。
エリーゼは少し顔を赤くしながらも、しっかりと答えた。
「ギルベルトやバゼル、パウリーネ、そして幽霊たちのお陰です!」
「何だ。俺だけじゃないのか」
それでもギルベルトは嬉しそうだった。ニヤニヤしながら顔を覗き込んでくるので、エリーゼは繋いだ手をぶんぶん振って反抗した。そうするとますます強く握りしめてくるので、ちっとも放してくれる気配がない。
「もう! 痛いです、ギルベルト!」
「おお、悪い悪い。我が妻の身体は非常にか弱いのだったな」
「そんなにか弱くありません! あなたの力が強すぎるんです!」
それにまだ妻ではないと怒っても、ギルベルトはちっとも悪いと思っていない様子で謝ってくる。
「あのー……私の存在、忘れていませんか?」
マルガが非常に気まずい顔をして声をかけてきた。
エリーゼは自分たちのやり取りを見られていたことが恥ずかしくなり、蚊の鳴くような声で「ごめんなさい……」と言って俯いた。
「あ、いえ、そこまで落ち込まなくても……」
「それで、女。どうするんだ。俺の城で働くというならば、衣食住は保証するが」
「マルガです……。そうですね、今の状況では行き詰ってどうしようもないので、働かせてもらえると助かります」
「っ、いいの!?」
ばっと顔を上げれば、困ったように笑うマルガと目が合った。
「はい。奥様の熱意に私も勇気が湧きました」
「マルガ! ……まだ奥様じゃないわ」
そう訂正しつつ、エリーゼも笑みを浮かべた。
「これからよろしくね。若い人が入ってくれるからみんなも喜ぶと思うわ」
「私、もうすぐ三十なのでそんなに若くはないのですが」
「生きている限り、あいつらにとっては赤子のようなものだ」
「それはまた……」
マルガはどう反応していいかわからないと困っていたが、一緒に暮らしているうちに慣れるだろう。
「じゃあ、さっそく……ってのは、急すぎるわよね」
家族と一緒に暮らしているようだし、いきなり城へ連れて行っては困るだろう。
「厄介者扱いされているんだろう? 家出したと思って来ればいいじゃないか。必要なものはまた後で取りに来ればいい」
「それはちょっと……そんなに持って行く荷物もないので、少し時間をいただければ、すぐに別れも済みます」
では夕方、広場で落ち合おうと決めて、マルガは家へと帰って行った。
「……こういう時、ご家族にご挨拶しなくていいのかしら」
邪険にされているとはいえ、いざ出て行くとなれば心配するのが親ではないか。
エリーゼたちは雇い主としてきちんと説明するべきではないのか。
「別にいいだろう」
「でも……」
「離れてみて初めて実感することもあるんじゃないか」
「どういうことです?」
「今は邪魔で仕方ないが、距離を置くと冷静になれて、急に心配になり始める。特に親の方はな。……なんだ」
今度はエリーゼが顔を覗き込んできたので、ギルベルトが眉根を寄せる。
「何だか、ギルベルトらしからぬ言葉だと思って」
「ばれたか。これはバゼルが言っていた言葉だ」
「バゼルがそんなことを……」
生前、彼にも家族がいたのだろうか。
「俺の父は母を追いかけるために自死して……悪魔になって空へ飛び立った。その姿を幼い俺が見上げていた時に、隣にいたバゼルが言ったんだ」
(ギルベルト……)
幼い頃の彼を想像して、エリーゼは何だか切なくなった。当時の彼は強がっていてもまだ子どもだ。バゼルの目から見て、どこか寂しそうに見えたのではないだろうか。
エリーゼはそっと身を寄せてギルベルトに身体をくっつけた。彼はそんなエリーゼを横目でちらりと見た後、自身も身体をくっつけてくる。何なら体重までかけてきたので、少し重い。
「まぁ、もしまた会う機会があったら一発ぶん殴ってやると決めている」
「……それも、いいかもしれませんね」
エリーゼが賛同すると、ギルベルトはくくっと笑った。
その表情にこっそり安心して、エリーゼも笑みを零した。
(離れたら冷静になって、心配になる、か……)
果たして自分の家族はそうなのだろうか。
(お父様やお姉様は、わたしのこと……)
「エリーゼ」
「あ……そういえば、マルガを城へ連れて帰るとなると、馬車を手配した方がいいかもしれませんね」
ギルベルトに心配をかけたくなくて、エリーゼは別のことを考えていたというように言った。
「馬車? 必要ないだろう」
「え、では……」
「クリークたちに乗せて一緒に帰ればいい。一人増えたところで、何も問題はない」
その後、マルガの絶叫と共に、エリーゼたちは帰城したのだった。
◇ ◇ ◇
『マ、マ、マリー? だっけ? よろしくね~』
『ちょっとちょっと。マリーじゃなくてマルティナだよ』
『マリカじゃなかったっけ?』
「マルガです! マ・ル・ガ!」
マルガがオルバース家に仕えるようになって二週間あまりが過ぎた。
最初は驚いてぎこちなさがあったものの、今ではすっかり幽霊相手にも物申すことができる立派なメイドに成長した。
「すごいわ、マルガ」
「奥様」
「まだ奥様じゃないわ」
失礼しました、とマルガはエリーゼを名前で呼び直すと、畏まった態度で述べた。
「エリーゼ様のおっしゃる通り、ここの幽霊たちはみな親切ですから。……名前を間違えられるのが少し困りますけれど」
「みんな死んで二百年以上経っている人が多いから、仕方がないわ」
物を覚えるのが苦手なのだ、と慰めれば、マルガは苦笑する。
「エリーゼ様ってば、逞しいですね」
「そうかしら。たぶんここで暮らしていると、自然とそうなってしまう気がするのよね」
「……そうかもしれませんね」
マルガはどこか遠い目をしてエリーゼの言葉に賛同した。幽霊と過ごしていると、どうしても生身の人間との生活に違いがあり、一々驚いて怒ったりするときりがないのだ。
「でも、あなたが来てくれてみんな喜んでいるのは間違いないわ。わたしも、嬉しい」
マルガは本もたくさん読んでいたようで、エリーゼ好みの恋愛小説も勧めてくれた。一緒に本の感想を語り合うことができて、まるで友人のようだと心の中で思っていた。
「……私も、以前の自分では考えられないほど、忙しい日々を送ることができて、絶望していた過去が懐かしく思います」
「ふふ。それはよかった。あ、お掃除が落ち着いたら、あとで一緒にお茶をしましょう」
「将来、公爵家の奥方となる女性とメイドが気軽にお茶をしては周りに示しがつきません」
「マルガって意外とそこらへん厳しいのね」
出自を聞いたところ裕福な商家の出で、礼儀作法についても厳しく教わったという。
「エリーゼ様が緩すぎるのです!」
(この様子だと、わたしが王女だと知ったら卒倒しそう……)
教えるのはもう少し後の方がいいだろうと思って、その時の彼女の反応が少し楽しみだった。なんて考える自分も、ギルベルトにだいぶ影響を受けているようだ。
「まぁまぁ。周りに示しがつかないといっても、幽霊たちは気にしないと思うわ。バゼルやパウリーネも」
「俺も気にしないな」
第三者の声にエリーゼは振り返った。ギルベルトがニヤリと笑みを浮かべて戸口に立っていた。どうやら先ほどのやり取りをずっと見ていたようだ。
「ギルベルト。見ていたのなら声をかけてください」
「女主人であるお前をメイドが叱りつけているのが面白かった」
「面白いって……もう。またそんなこと言って」
エリーゼがむっとすれば、そう怒るなとギルベルトが宥めながらこちらへ寄ってきた。
「俺は感心していたのだ。最初は幽霊たちの姿に怯えて、小鹿のように震えて俺に泣き縋っていたというのに」
「泣き縋ってなんかいません! ……確かに腕に縋ったり、背中に隠れたりはしましたけれど……」
「なかなか悪くなかった。たまにはしていいぞ」
「しません!」
やっぱり揶揄っている! とエリーゼがポカポカとギルベルトの胸を叩くが、彼にはちっとも効かない。ニヤニヤした表情がこの上なく腹立たしい!
「俺に制裁を下そうとするのはいいが、いいのか? マルガが部屋を出て行こうとしているが」
エリーゼがはっとそちらを見れば、マルガが「あ、見つかった」と言いたげな実に面倒臭そうな顔をした。
「マルガ!」
「エリーゼ様。私、お茶の準備をしてまいりますわ。ですから、旦那様と思う存分イチャついてくださいまし」
では失礼しますと、逃げるように去ってしまった。
「もう……ギルベルトのせいで、恥ずかしいところを見られてしまったじゃないですか」
「今さらじゃないか。それにこれから一緒に暮らすなら、早めに慣れてもらった方がいい」
何だかもっとイチャイチャする予定だから、と言われている気がして、エリーゼは恥ずかしさから口を噤んでしまう。
それを腹を立てたとでも思ったのか、機嫌を取るようにギルベルトが頬をくすぐった。
「俺の目から見ると、マルガはお前に危害を加えていないように見えるが、どうだ? 上手くやれているか?」
何かされていないか、と遠回しに確認されて、エリーゼは顔を上げる。
「マルガはとてもいい子ですわ。……彼女をこの城で雇ってくださって、ありがとうございます」
「お前が満足しているならいい」
尊大な物言いなのに、とても甘やかされている気がして、くすぐったくなる。
「そんなふうに言われると、もっと我儘を言いたくなってしまいます」
「いいぞ。言ってみろ」
「……マルガのような人を、もっと雇ってみたいです」
幽霊が見える人間ならば、この城でも上手くやっていけるのではないか。
「城だけじゃなくて、オルバース領にも、そんな人が増えたら……いいかな、って思っています」
そう言って、ちらりとギルベルトの顔を見ると、彼は呆れた顔をしていた。
(やっぱり我儘すぎたかな……)
エリーゼが謝ろうとすると――
「それのいったいどこが我儘になるのか、俺にはちっともわからん」
「え、でも」
「お前は俺の領地に人が少ないことを憂慮していた。どうにか増やせないかと、ずっと考えていただろう。今の願いも、そうした気持ちから言ったんじゃないのか?」
だったらちっとも我儘の内に入らないとギルベルトは言った。
「それになかなかいい提案だと思う」
「では、いいのですか?」
「ああ。だがそう簡単に見つかるとは限らない。地道な活動になるぞ。それでもいいか?」
「構いません! この領地のためになると思えば、どこへだってわたしは向かいます! 頑張って探し出して、口説き落としてみせます!」
つい威勢よく宣言してしまうと、ギルベルトは目を丸くして、声を立てて笑った。
「わ、笑わないでください!」
「くくっ……許せ」
笑っていたギルベルトは不意に目を細め、エリーゼを愛おしげに見つめた。
(そんな目で見ないで……)
すごく落ち着かない気持ちになる。
「エリーゼ」
「は、はい」
「今夜。こっそり夜出かけようと思っているんだが、いいか?」
エリーゼは戸惑ったようにギルベルトを見つめる。彼は「怖いか?」と静かに尋ねる。
(さっそく、探しに行くのかな)
「いいえ、大丈夫です。ご一緒させてください。……でも、マルガやパウリーネに見つかると心配させてしまうので、ばれないよう、こっそり来てくださいね」
以前も婚約中とはいえ、夜更けまで語り合うのはどうかと思いますとマルガに苦言を呈されたのだ。
『ギルベルト様はエリーゼ様のことをとても大切にしていらっしゃるので大丈夫だと思いますが、エリーゼ様は少々ふんわりしているので……』
ふんわりとはつまり、鈍臭いという意味だろうか。
エリーゼは失礼な! と怒って、ギルベルトよりもよほど男女の機微には聡いはずだと言い返した。マルガは生温かい目ではいはいと答えていたが……。
「わかった。見つからないよう行くから、待っていてくれ」
手をそっと握られて、約束させられる。
(なんだか……)
逢引の約束みたい、と思って、ギルベルトの顔をうまく見られなかった。




