12、悪魔公爵の最愛
「エリーゼ様!」
「マルガ! みんな! ただいま!」
エリーゼはクリークたちから降りると、マルガに抱き着かれて王都からの帰りを労われた。
「ご無事でなによりです!」
「えっと……もしかして、向こうで起きたこと、知っているの?」
「はい。一足先に戻ってきた幽霊たちを締め上げ……いえ、詳細を求めたところ、話してくれたのです」
『あんな怖いマルガ、俺、初めて見た』
『私も。一瞬天に昇りそうになったもの』
なんてひそひそ話が後ろで交わされていたが、幸いマルガはエリーゼが無事であることを確かめるのに忙しそうで聞こえていないようだった。
「ささっ。お疲れになられたでしょう。湯浴みの準備ができていますので、ゆっくりとお浸かりください」
「ありがとう。……バゼルやパウリーネも、留守の間、ありがとうね」
二人はにっこりと笑って、とんでもございませんと言った。
『エリーゼ様と坊ちゃまが無事にご帰宅なされて、私どもも嬉しゅうございます』
エリーゼは微笑んで、ギルベルトの方を見た。幽霊や使用人たちと話していた彼は視線に気づき目元を和らげた。
あの阿鼻叫喚の舞踏会は夜遅くまで続き、踊りに疲れたエリーゼはギルベルトに抱き上げられて部屋に戻る途中、いつの間にか眠ってしまっていた。
そしてまだ夜も明けないうちにギルベルトに起こされて、父から婚姻を承諾するサインをもらったので屋敷へ帰ろうと言われた。身体はきつかったが、喜びと帰りたい気持ちが勝り、馬車で帰宅したのだった。
「……本当にギルベルト様は急すぎます。ただでさえエリーゼ様はお疲れだったでしょうに、急がせるように帰らせて……」
エリーゼを薔薇の花びらが浮かぶバスタブに浸からせて、髪を丁寧に洗いながら、マルガがため息を零すように言った。
「ふふ。いいの。これも素敵な思い出よ。それに、わたしも早くこの家に帰りたかったもの。やっぱり王宮は気疲れするわ」
あっけらかんとそう言い放ったエリーゼにマルガは困ったように左様ですかと言った。
「あ、そうだ。お父様から結婚のお許しを得たの。ギルベルト、一週間後には式を挙げるって言っていたけれど、さすがに無理よね?」
「…………いえ、たぶん、大丈夫だと思います」
「えっ!?」
マルガは明後日の方向を見ながら「実は……」と教えてくれた。
「ギルベルト様に今回の舞踏会が終わったらすぐにでも式を挙げられるようにと、エリーゼ様に内緒でウエディングドレスを制作していたのです」
「ええっ」
そんないつの間に。でも、とエリーゼは以前マルガやパウリーネ、他の女性幽霊や使用人たちを交えて、どんなウエディングドレスがエリーゼに似合うか議論したことを思い出す。やけに真剣に訊いてくると少し不思議だったのだが、まさか内緒で作るため参考にしていたとは。
「他にも、式場の雰囲気とか……エリーゼ様が留守の間、残った者たちでせっせと準備しましたから、その……ええ、一週間後で、よろしいのではないでしょうか」
「そ、そんなマルガまで……」
「結婚、したくありませんか?」
そんなことない、とエリーゼはぶんぶん首を横に振った。
「でも、いきなりすぎて……わたしとしては、もう少し、婚約者としての気分を味わいたいかなって……」
「えっ、あれでまだ足りないのですか?」
そんな馬鹿な、と驚愕の表情をするマルガにエリーゼは恥ずかしくなり、言い訳する。
「だ、だって、あれはまだ婚約者もどき? のような関係だったし」
「いえいえ。どこからどうみても立派な婚約者同士のイチャイチャでしたよ」
「そ、そう?」
「ええ。まぁ、エリーゼ様がどうしても期限を伸ばしたいのなら、私はそれに従いますが……本音としては、早く奥様、と呼ばせてほしいです」
「マルガ……」
「今まで何度も呼び間違えそうになりましたからね。私だけでなく、他の幽霊たちも、早く奥様と呼びたいと言っていましたよ」
「そっち!?」
ガクッとなるエリーゼだったが、マルガに言われたことをもう一度よく考え直し、まぁ、結婚してもいいかなと思った。
「うん。マルガ。わたし、結婚する」
こうしてエリーゼは一週間後、ギルベルトと結婚式を挙げることになった。
純白のドレスは裾がふんわりと広がっているデザインで、薔薇をモチーフにした繊細な刺繍など、エリーゼは一目見て気に入った。
式場は城の聖堂だ。長いトレーンを子どもの幽霊に持ってもらい、花婿であるギルベルトのもとまで行けば、彼は目を細めて、エリーゼを己の腕に抱きしめた。
「ギルベルト。まだ……」
「似合っている」
エリーゼにだけ聞こえる声でそう熱っぽく囁くと、ギルベルトはさっと抱擁を解き、前を向くようエリーゼの背中をそっと押した。
『おほん。ギルベルト・ルヴィデ・フォン・オルバース。並びにエリーゼ・エクスタイン。双方、病める時も健やかなる時も、互いを慈しみ、愛することを誓いますか?』
神父の役を任されたバゼルが重々しい口調で、しかしまどろっこしい言葉で長々と確認することはせず、問いかけた。
「ええ。誓います」
「エリーゼが死んだ後も、愛することを誓う」
わざわざ訊かずとも、すでに十分ギルベルトとエリーゼの想いを知っている。
ただバゼルが思っていたよりもギルベルトの誓いは重いようであった。
『坊ちゃま! 祝いの場で死んだなど口にしてはなりません!』
「しかし事実だ。もしエリーゼが死んだなら、俺も人間であることをやめて、あの世までエリーゼを追いかけて離さない」
なんて重い愛。いっそ執着しているとも言っていい。
……だが、当の本人であるエリーゼは感激していた。
(ギルベルト……そんなにわたしのこと、想ってくれていたのですね)
素敵! とエリーゼはうっとりした表情になる。後ろではそんな女主人の態度にマルガが呆れて、他の参列者たちは『ひゅーひゅー、お熱いねぇ!』と冷やかしている。
『ゴホン! 静粛に! ええ、では、互いの愛が十分に証明されたところで、誓いの口づけをなさってください』
ギルベルトにヴェールを持ち上げられて、エリーゼは微笑んだ。
「愛しています、ギルベルト。――わたしの召喚に応えてくれたのがあなたでよかった」
「ああ、エリーゼ。俺も愛している。――俺を呼んでくれて、ありがとう」
二人は口づけし、夫婦となった。その後聖堂を出て、祝福しに訪れていた村人たちに向かって手を振ったりし、お礼の言葉を返したりした。
エリーゼは隠れている幽霊たちの姿が村人たちに見えないかひやひやしていたが、村人たちは熱心にギルベルトに視線を注いでいるので大丈夫なようだ。
「みんなお前の美しさに見惚れている」
「ギルベルトの方だと思いますよ?」
村人たちは二人の眩い美しさに目を奪われていたのだが、気づかないのは当人たちばかりであった。
「エリーゼ様が嫁いできてからというものの、村に何人か人が増えたなぁ」
「ええ。少しずつ活気も戻って、ありがたいですな」
エリーゼは幸運の女神だ、と噂していたのを使用人やギルベルトは耳にして、まさしくその通りだと心の中で同意した。
「みなさん。庭に食事の用意をしていますので、よかったら召し上がってください」
「おお!」
「やったぁ!」
「オルバース夫妻に幸あれ!」
村人たちの陽気な掛け声に笑いが起こり、エリーゼも笑った。
空は相変わらずどんよりと曇っていたが、心には何の曇りもないので、問題はない。
「エリーゼ」
(わたしにはギルベルトがいるもの)
エリーゼは花が綻ぶように愛しい人に微笑んだ。
◆ ◆ ◆
エリーゼと結婚して数カ月後。
ギルベルトは王宮に呼ばれて、人払いを済ませた部屋の長椅子に腰かけていた。
「殿下……いえ、陛下。私に何かご用でしょうか」
ギルベルトを実に複雑そうな顔で見る青年は、長年隣国に留学していたエリーゼの従兄フロリアンだった。彼は王家のやり方、特にエリーゼへの接し方を内心嫌悪し、故国から距離を置くようになった。
「オルバース卿。私はまだ国王ではない」
「ですが今やこの国を継ぐのに相応しいのはあなた様しか残っておりませんよ」
国王は気でも触れたのか一日中呻き声を上げて床や壁に頭をぶつけて、時々虚空、誰かがそこにいるかのように、阿婆擦れとか地獄へ堕ちろなど、聞くに堪えない罵りの言葉を吐いている。こんな調子では、公務はとても務まらなかった。
「王太子殿下や他の王子や王女たちも似たような症状に苦しまれているようで、幽閉――失礼、療養中でしたよね? この国は男性が治めるのが好ましいとされていますから、適任者はあなたの他におりません」
「それはわかっている! ……だが、私はずっとこの国にいなかったし、向こうで骨を埋めるつもりでいたのだ。それがこんな急に……伯父上たちだけじゃない。大臣や城に仕える者たちもみなどこかおかしくなって……まるで集団ヒステリーにでも陥ったようだ。現場は混乱して、今も、落ち着いていない」
ギルベルトは優しい声でフロリアンを励ました。
「でも、そのお陰で才能のある若い人間が仕事を任されて、あなたのことも支持してくれている。城で働いていた人間も、調べると性格に問題のある人間ばかりだったそうで……陛下、物は考えようでございます。私も若くして公爵家の当主となりましたが、周りの支えで何とかなりました。大丈夫ですよ」
「……そなたは本当に、何も知らないのだな」
探るような目つきでフロリアンがギルベルトを見てくる。彼は素知らぬ顔をして答えた。
「ええ。何も知りません」
「……みながおかしくなったのは、王家の舞踏会の後だったようだ。卿も参加していただろう? 何かおかしなことはなかったのか」
「いいえ。特に。舞踏会では私の婚約者であるエリーゼ様と何曲か踊った後、彼女が疲れたようでしたので、失礼させてもらいました。ですから何も……。ああ、でも、何かおかしなことがあっても、私はエリーゼ様しか目に入らなかったので、気づけなかったと思います」
「そうか……では、最後に一つだけ。ローデリカの行方も知らないか」
ギルベルトは腰を浮かせて、笑うように言った。
「知りませんよ。男性と駆け落ちでもしたのではないですか」
「婚約者であるイェルクを放ってか?」
「その婚約者殿ですが、ローデリカ王女に隠れて、ご夫人方と付き合っていたそうですよ。それを知ったショックで、慰めてくれた殿方と愛の逃避行に及んだのではないですか」
「詳しいな」
勝手に出て行こうとするギルベルトをフロリアンは強いて止めず、どこか諦めたように言った。
「噂好きの人間から勝手に聞かされたのです。それより陛下。正式に即位をする時は教えてください。妻とお祝いに参りますから」
では、と振り返ってちらりと見たフロリアンの顔はひどく憂鬱そうであった。
ローデリカを連れ去ったのは、もちろん悪魔のヌルフだ。
彼女は当然嫌がり、イェルクに助けを求めようとした。その時、親切心からギルベルトは先ほどフロリアンに告げた内容を教えてやったのだ。その男はお前では満たせない欲を、他の女性に慰めてもらっていると。当然ローデリカは激怒した。その時の顔は母親であるドロテアとそっくりであった。
ローデリカにとって、イェルクはどこまでも一途で健気な男でなければならなかった。他の女で浅ましい欲を発散しているなど、許し難い行為であったのだ。
あなたには失望したとゴミを見るような目でローデリカが吐き捨てれば、イェルクは顔を真っ青にさせつつ、言い訳した。それをヌルフが嘲笑し、ローデリカはオレがもらうと彼女を抱き上げた。
「やめて! ギルベルトのような最上級の顔の良さならともかく、お前のようなチビで大して顔もよくない悪魔に攫われても嬉しくも何ともない!」
辛辣な拒絶にもヌルフは卑下た笑みを浮かべて地獄の穴へ堕ちようとした。
「いやぁああ! 助けて! ギルベルト!」
イェルクは当てにならないと悟ってか、ローデリカが傍観していたギルベルトに助けを求めてきた。
「エリーゼにしたこと、謝るわ! だから助けて!」
「お前は可哀想な自分が大好きなんだろう? 悪魔に惚れられて地獄へ連れ去られる悲劇の王女。最上級の役どころじゃないか。お前以上の適任者はいない。おめでとう」
かくして、ローデリカは一匹の矮小な悪魔に地獄へ連れ去られた。エリーゼを真似して、自分のような悪魔を手に入れようとしたのだ。当然の結末だ。
残った憐れな婚約者は悲劇の男に酔いしれて、やはりご夫人方に慰められている。ローデリカ一人を想って清い身であり続けるなどの殊勝な心は欠片も持ち合わせていない。
「人間とはまことに罪深い生き物だな。俺たち悪魔も驚嘆するほどの醜悪さだ」
口にして、ギルベルトは顎に手をやる。
「いや、俺には半分人間の血が流れているから、俺自身も罪深いのか」
エリーゼが自分の家族を捨てて、自分だけを望んでくれることをずっと願っていたのだから。夫である自分もまた、十分罪深い存在だ。
だがそんな自分がギルベルトは嫌いではない。人間と悪魔の血を半分ずつ引いて、中途半端な存在であることを心のどこかでずっと忌まわしく思っていた。
しかしエリーゼに会ったことで、変わった。悪魔の血のお陰でエリーゼに会えた。人間の血のお陰でエリーゼと結婚できて、人間界で暮らしていける。
太陽みたいな人、と言ってくれた愛しいエリーゼを幸せにするためにも、これからは悪魔としての自分も大事にしていこう。
そんなことを決意して、ギルベルトは早くエリーゼに会いたいとクリークたちに乗ってオルバース領への帰路を急ぐのだった。




