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悪魔公爵の最愛 ~姉の引き立て役であるわたしが召喚したのは半分悪魔で未来の旦那様でした~  作者: 真白燈


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11/12

11、悪夢のような……最高の夜!

 彼の赤い瞳は朦朧としていない。爛々と生気を纏って輝き、エリーゼを見つめている。


「なっ。ななっ」

「お前っ、どうして!」


 国王たちのもとで腑抜けた面を晒していたはずではないのか。

 ローデリカや他の貴族たちの疑問に、ギルベルトは馬鹿にしたように笑う。


「何を言っている。あれは俺じゃない。ほら、よく見てみろ」


 ギルベルトが指差すと、ギルベルトの姿をした身体がガクガクと揺れ始め、額から鼻にかけて亀裂が入った。パキパキと普通ならば鳴らない音を立てて、ギルベルトの顔が真っ二つに割れていく。彼の近くにいた人々は狂った悲鳴を上げて逃げようとするが、腰が抜けて、その場に座り込む者もいた。


 ギルベルトの顔を割って出てきたのは、全く知らない顔をした男だった。ギギギ……と耳障りな鳴き声を上げて頭を押さえている。


「あれはローデリカ王女が呼び出した悪魔だ」

「お姉様が?」


 ギルベルトの言葉に人々の視線が一斉にローデリカへ注がれる。


「馬鹿なことを言わないで! わたくしがそんな悍ましい術を使うわけないでしょう!?」

「そうだ! 馬鹿なことを言うな!」


 イェルクがローデリカを庇うように声を張り上げた。


「そうか。では本人に訊いてみよう。おい。いつまで呻いている。こっちを見ろ」


 ギルベルトが悪魔の方を見てそう命じると、頭を押さえていた悪魔はあれ、と手を放し、きょろきょろと辺りを見回すと、あっ! という顔をしてギルベルトの方を見た。


 こうして見てみると、以前教会で見た醜い悪魔とは違い、小生意気な少年といった顔立ちをしていた。


「あ、あなた様は――」

「お前をこの世に呼び出した人間は誰だ。真実だけを述べろ」

「ひっ、そ、そこの女、ローデリカ・エクスタインです!」


 男がローデリカの名前を出したことで、周囲は騒めく。ローデリカは目をつり上げて怒った。


「何を言っているの! 今の回答はギルベルトが言わせたようなものでしょう!」

「そ、そうだ。濡れ衣だ!」


 イェルクも動揺しつつ、まだローデリカを庇おうとする。


「おい。この女はお前と交わした契約を破ろうとしているぞ」

「そんな! ローデリカ! 話が違うじゃないか! オレたち、共に熱い夜を過ごした仲じゃないか!」


 男女関係を匂わせる悪魔の発言にまた騒めきが起こり、今度はイェルクも擁護できなかった。


「ローデリカ様? 今の言葉はどういう意味ですか? まさか、あんな子どもみたいな男と……よりによって悪魔と寝たのですか!?」

「な、何を言っているの、イェルク。嘘に決まっているじゃない。あんな悪魔とわたくしが寝所を共にするなんて、わたくしを陥れようとしているんだわ」

「陥れるだって? それこそ嘘だ! アンタはオレのことが好きだ、愛していると言って、オレにすべてを捧げてくれた! そしてオレがギルベルトやそこの男を片付けたら、地獄まで一緒に逝ってくれることを約束してくれた!」

「わ、私まで、葬るつもりだったのですか!?」


 驚愕の事実にイェルクの顔が真っ青になって真っ赤になった。


「違うの。話を聞いて、イェルク。わたくしは――」

「あなたはどこまで私の気持ちを弄ぶつもりなのですかっ」


 エリーゼは初めてイェルクが姉に口答えするところを見た。あの騎士の鑑と言われた彼も怒るのだ。ローデリカも初めてだったのか、ビクッとなり、次いで眉間に皺を寄せた。


「なによ。あなたが悪いんじゃない。別に侯爵家の嫡男でもないくせに、わたくしにしつこく迫って、もうギルベルトに関わるな、なんて言うのだから」

「なっ……私はあなたの婚約者としてただ当然のことを言ったまでです!」

「言い方がねちっこいのよ。前からウンザリしていたの! そんなにわたくしが欲しいのならば、騎士として成果でも上げて、公爵位でも賜ってから求めて。わたくしより下の身分なのだから、口答えせず、従順に奉仕し続ければいいのよ」

「あ、あなたという人は……私が今までどれだけ……」


 恋人たちの修羅場に、周りの空気が変わってきていた。


 あのローデリカが、イェルクが、という驚愕と共に、清廉潔白な見た目など当てにならないのだと嘲笑する気持ちが生じたのだ。


「ククッ。ローデリカ! そんな矮小な男などさっさと捨てて、オレを選べ! オレなら、どんな願いでも叶えてやるぞ!」

「だったら、今すぐギルベルトを排除して!!」

「そ、それは」


 悪魔の威勢が急激に萎む。


「その悪魔に俺は殺せない。なぜなら俺よりも弱い存在だから。遅効性の毒をワインに含んで飲ませ続けて弱った俺を、衣装部屋に入ったところを狙おうとして、結局できなかったのだからな。お前が呼び出した悪魔はとことん弱い。ハズレを引いたな、王女殿下」


 ギルベルトの言葉にローデリカはぷるぷると震え、何を思ったのか、近くにいた衛兵の剣を奪い、突進してきた。


「危ないっ!」


 エリーゼがとっさに前へ出て庇おうとすると、ローデリカは口元に笑みを浮かべた。

 まるでエリーゼならば、そうすることを見越していたように。


「お前はどこまで健気なんだ」


 後ろからギルベルトがエリーゼを抱きしめて背中を向ける。彼を守りたかったのに、もうこれでは間に合わない。エリーゼの心が絶望に染まった時、甲高い女性の声が聞こえた。


「え?」

「な、何よこれは!!」


 剣を持っていたローデリカの手首が不自然に上へ吊り上げられていた。まるで誰かに持ち上げられているように。


「どうした。剣舞でも披露してくれるのか」

「ちがっ、腕が勝手に、いやぁっ」


 ローデリカの身体が今度は浮き始めた。人々の視線が釘付けになり、恐れ慄き始める。


「きゃあぁっ、イェルク! ヌルフ! わたくしを愛しているのなら何とかして! 今すぐ下ろして! 助けてえぇ!」


 婚約者と悪魔の名を交互に叫びながらローデリカがジタバタと手足を動かす。


 名を呼ばれたイェルクとヌルフが助けようとしたが、どちらもローデリカに懸想しており、一緒に名前を呼ばれたことが気に障ったようだ。


「ローデリカ様! あなた様は私のことを愛しているのですよね!?」

「そうよ!」

「ローデリカ! この男はただの人間だ! 空を飛ぶこともできないやつがお前を助けられるはずがない!」

「じゃああなたの方を愛しているからあなたが助けて!」

「ローデリカ様!」


 ヌルフが目を輝かせてローデリカのもとへ飛び立とうとするが、嫉妬に駆られたイェルクがヌルフの胴体に飛びかかり、行く手を阻もうとする。


「くそっ、離せっ、人間!」

「悍ましい悪魔を行かせるはずがないだろっ!」

「はっ。ローデリカはオレの方がいいって! オマエは女々しいんだよっ!」

「何だと! このチビがっ」

「チビだとっ!?」

「どっちでもいいから助けてぇ!!」


 もう天井近くまで届きそうなローデリカはパニックになった様子で一緒に手にしていた剣を無茶苦茶に振り回す。その時ギルベルトが大声で叫んだ。


「見ろ! あれは亡霊たちを蘇らせる儀式だ! ローデリカ王女は悪魔に魂を売っただけでなく、死者たちをこの世に呼び出して地獄を作り出すつもりだ!」


 悲鳴の混じった騒めきを合図にしたかのように、ふっとその時大広間が暗闇に満ちた。

 だがすぐに場が明るくなり――今度こそ、大広間にいる全員が絶叫した。


 至るところに悍ましい姿をした亡霊が漂っていたからだ。


「さぁ、お前たち。待たせたな。ようやく楽しい宴の始まりだ。今宵は存分に楽しめ!」


『やったぁ!』

『もぉ。姿を消して待ち続けるの、すっごく退屈だったんですよぉ?』

『ここにいる人間、全員驚かせていいんだよね?』

『よぉし! 頑張っちゃうぞぉ!』


 陽気な掛け声も、恐怖で顔を引き攣らせている人間たちにはぞっとするような声にしか聞こえないのだろう。


『うわぁ。そのお酒、すごく美味しそう。一口ちょうだい!』

『俺はそっちのお肉がいいなぁ。あっ、おじさんのお腹もいい感じに出ているね。ごくり』

「いやあああ。近づかないでえええ」

「私の腹は肉じゃない! 美味しくない!」


『お嬢さん。よかったら、一曲私と踊ってくれませんか』

『あっ、爺さんずるい! お嬢さん。そんな年寄りより、若い俺と踊りましょう?』

『あら。じゃ、あたしはその間、その隣のお兄さんに付き添ってあげる』

「きゃああああ。どっちも同じよおおお」

「ひぃいいっ、ぴたって、いま、僕の腕に悪霊がぁああ」


 もはや阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


 エリーゼも普通であったら気を失っていただろうが、人々があまりにも泣き喚いているのでかえって冷静になり、また見たことのある幽霊たちだったので、ギルベルトに尋ねた。


「ギルベルト、彼らを呼び寄せたのですか?」

「呼び寄せた、というよりも、後でこっそり来るよう予め命じておいた。お前の姉のことだから絶対に何か仕掛けてくると思ったからな。いざという時のためにお前を守るよう頼んでおいた」

「……あ。もしかしてイェルクに吹き飛ばされた時も?」


 あの時ふわりと何かに受け止められた感触があった。


『ふふふ。とっさにクッションを挟ませて、衝撃を押さえたのです』


 近くにいた幽霊――エリーゼの前だからか、可愛らしい姿をした幽霊が、得意げな顔で教えてくれた。エリーゼが怪我をせずに済んだのは、姿を隠した幽霊たちのお陰だったのだ。


「ありがとう。守ってくれて」

『いえいえ。エリーゼ様を傷つけた男にはきっちりと制裁を食らわせてきますから、ご安心ください!』


 そう言って幽霊はぴゅーっと、ヌルフと取っ組み合いしているイェルクのもとへ飛んでいき、ヌルフの強烈なストレートパンチが顔面に直撃するよう身体を固定して加勢した。


 その頭上では白目を剥いて気絶しているローデリカを天井に磔にしようと、幽霊たちが彼女のドレスにせっせと剣やナイフを突き刺して縫い止めていた。果たして彼女は意識を取り戻した時、そこから見える光景に耐えられるだろうか……。


 エリーゼはそんなことをぼんやりと考えていたが、ギルベルトに顔を覗き込まれて、涙腺が緩んだ。


「ギルベルト。怪我はありませんか」

「それは俺の台詞だ。こんなに血を溢れさせて」


 エリーゼの血だらけの左手を口元へ運び、ギルベルトが口づけする。舌でぬるりと拭われて、かっと燃えるような熱が傷口から全身へと広がった。見ると、傷は綺麗に癒えており、いったい何をしたのだと問う前にギルベルトに抱きしめられた。


「すまなかった。危険な目に遭わせて」

「大丈夫です。大したことではありませんから」


 人々が今味わっている恐怖を想像すると、心底そう思えた。


「それより、ギルベルトこそ毒を飲まされていたと……」

「ああ。毒だとわかっていたから、何かあるのだろうと思って、飲んでいた」

「わかっていたのに飲んでいたのですか!?」

「安心しろ。俺に毒は効かない。半分悪魔の血を引いているのと、昔から慣れるよう訓練されてきたからな」


 さらりと衝撃の過去を打ち明けられて、エリーゼは絶句する。


「ちょうどいいから、俺の振りをさせて、うまいことローデリカに一杯食わせてやろうと思っていたんだが、お前が呼んでくれるまで、嫌な思いをさせた。本当にすまなかった」

「ギルベルト。待ってください。呼んでくれるまでって、その間あなたはどこにいたのですか」


 彼がエリーゼの危機を静観していたとは思えない。

 ヌルフに何もされなかったという風に話していたが、本当は違うのではないか。


『エリーゼ様のおっしゃる通りです! それではギルベルト様が誤解されてしまいます!』

『ギルベルト様は衣裳部屋に入ると同時に、地獄へ突き落とされたのでございます!』

「地獄に?」

『はい! クリークたちが普段いるような場所でございます』


 エリーゼは以前ギルベルトがぽっかりと空いた穴からクリークたちを呼んだことを思い出す。大きな穴の向こうの景色は暗く、どこまでも陰鬱な雰囲気が広がっていた。


 あんな場所にギルベルトも落とされたというのか。


『しかも! 落とされた場所には、凶悪な地獄の生き物が待ち構えていたのです!』

『ヌルフのやつは自分には倒せないからと、他の連中にギルベルト様を殺させようとしたのです!』

「そんな……」


 エリーゼはもう一度ギルベルトの顔を見て、胸から下へと視線を移した。


(黒で目立たないけれど、血がついている……顔色だって、悪い……)


「エリーゼ、気にするな。俺はお前に感謝している。お前があの場で俺を呼んでくれた。お前が俺を助けてくれた」

「わたしが……ギルベルトを?」


 そうだ、と彼は優しく微笑んだ。


「しかもお前は、俺がずっと欲しかった言葉をくれた。俺だけが欲しいと願ってくれた!」


 少年のように無邪気に喜ぶギルベルトにエリーゼはポカンとし、力が抜けたようにふふっと笑った。そして自然と口にしていた。


「ギルベルト。あなたはわたしにとって、太陽のような人です」

「太陽?」

「はい。あの暗い地下室で不幸のどん底にいたわたしの目の前に現れた時からずっと――あなたはわたしの心を明るくしてくれて、生きることの喜びを与えてくれた。隣にいるとほっとして温かい気持ちになる。……そんな太陽みたいな人。わたしの好きな、愛する人です」


 エリーゼの告白にギルベルトは目を見開き、だが次の瞬間には嬉しそうに笑った。

 今まで見た中で一番の笑顔だった。


「そんなこと言うのは、お前くらいだ、エリーゼ!」


 湧き出る感情に心を任せたまま、ギルベルトはエリーゼを抱きしめ、彼女の身体を持ち上げて、ふわりと回った。


「ギ、ギルベルト!」

「エリーゼ。このまま俺と踊ろう」


 そんな急に、とか、この状況で? など思わなくもなかったが、エリーゼははにかんで「ええ。ぜひ」と応えた。


 悲鳴や泣き声を音楽にして、二人はくるくると舞い続けた。


 愛する人と踊ることのできた舞踏会はとてもよい思い出となった。


     ◆ ◆ ◆


「うぅ……」


 真夜中。真っ暗な闇の中でエクスタイン国の国王、マグヌスは目を覚ました。


 彼は頭痛のする頭を押さえながらのっそりと寝かされていた長椅子から起き上がる。ひどくおかしな格好で寝ていたせいか、身体のあちこちが痛い。


「ここは……私は今まで何を……」


 確か末娘であるエリーゼとギルベルトが出席する舞踏会に参加していたはずだ。腑抜けたギルベルトが自分の近くに座っていた。


(そうだ。それから……)


『きゃああああ』

『助けてくれえええ』

「うっ……」


 マグヌスは激しい頭痛に襲われて両手で頭を抱えて蹲った。

 今、とんでもなく恐ろしい光景が頭の中に流れ込んできた気がする。……いいや。気のせいだ。自分は疲れすぎているのだ。


「まったく……あの娘に関わると、ろくな目に遭わん」


 やはり忌まわしい娘だ。自分の娘なのにまったく愛情が湧かない。恐らく悪魔の子なのだ。


 すべてをエリーゼのせいにして、マグヌスはよろよろと長椅子から下りて寝台へ向かう。きっとエリーゼを見ているうちに不快な気持ちになり、それを払拭するために酒を呷って意識を失ったのだろう。侍従が部屋へ運ぶ前に自分の足で戻ってきた。


 休むならば寝台だ。戻ろうとしたマグヌスがふらふらした足取りで歩き出そうとした瞬間。何かに足を掬われたように転んだ。


「足元はよく見ないといけませんよ、お義父様」


 背中をなぞられたような声にぞくりとする。


「だ、誰だ!」


 その時パリンと割れる音がしてびゅうっと音が鳴った。

 びくっとなりながらそちらを見れば、カーテンが揺らめいて、窓ガラスが割れていた。月が出ていて明るい夜の光が部屋に差し込み――


「だ、誰かいるのか!?」


 立ち上がって目を凝らすも、窓際には誰もいない。

 まだ安心できないのにひとまずほっとするマグヌスの肩を誰かが叩いた。


「こちらですよ、お義父様」

「ひぃっ」


 マグヌスは振り向くと同時に腰を抜かし、その場に尻餅をついた。

 それを見て、声の主はくすりと笑った。今度こそ光が男の顔をゆっくりと照らし出した。


「申し訳ない。驚かせるつもりはなかった」

「ギルベルト!」


 ギルベルトは不気味な赤い瞳を細め、マグヌスを見下ろした。


「き、貴様、なぜここに、どうやって……っ」


 そんなことはどうでもいいとばかりにギルベルトはマグヌスにペンを投げつけた。


「あなたにサインをしてもらうのを忘れていた。今、書いてくれ」


 差し出されたのは婚姻証明書。証人の欄に記入してほしいと言われた。


「こ、こんなことのためにわざわざっ」

「我慢できなかったので。さぁ、早く。ここです」


 なんて無礼な男だと憤慨しつつ、相手がギルベルトだとわかった安堵感からか、マグヌスは素直に自分の名前を記入した。


 さっと紙を取り上げ、ギルベルトが間違がないか確認する。失礼なやつだ。


「ありがとうございます。これで何の憂いなくエリーゼと式を挙げることができます」

「ふん。言っておくが、王都では挙げさせんぞ。挙げるならば、貴様の陰鬱な領地で――」

「そうだ。結婚を認めてくれたお礼と言ってはなんですが、私からあなたに会わせたい人がいるのです」

「私に会わせたい人だと? ……もしやエリーゼか? ならば絶対に会わん。あの娘の顔を見るだけで吐き気がする」

「いいえ。エリーゼではありません。あなたがずっと会いたがっていた人。エリーゼを愛する人間です」

「そんな人間、この世にいるはずが――」


 ぷつんとマグヌスが言葉を途切れさせた。

 ギルベルトの背後から、夢にまで見た女性が現れたのだ。


「ドロテア? ドロテアなのか!?」


 エリーゼを産んでしまったばかりに亡くなった、マグヌスの最愛の女性。この国の王妃であり妻が目の前にいた。


 なぜ亡くなった彼女がここにいるのか。


 マグヌスはそんなことどうでもよくて、こちらに飛び込んでくるドロテアを抱きしめようと腕を広げた。


「ドロテア。お前に会いたかった! お前に――ぐあぁあっ」


 ドロテアの伸ばされた手はマグヌスの首をガシッと捕まえると、華奢な女の力とは思えない力でぎりぎりと絞め上げてきたのだ。


「ぐっ……がっ、やめ……うぅ……」

『お前はわたくしが命懸けで産んだ可愛い我が子を愛さないばかりか、あんな寂れた離宮に閉じ込めて冷遇し続けたな!』


 違う。誤解だ。だってあの娘は愛しいお前を奪った悪魔じゃないか。


『お前はそれでも父親か! 許さない! 絶対に許さない! お前など、殺してやる!!』


 ドロテアの鋭い爪がぶすりとマグヌスの太い首に突き刺さり、貫通させるかのように食い込んできた。意識が薄れていくマグヌスの目に、溢れ出す自分の鮮血が映る。


 ――ああ。これは悪夢だ。最愛の女に殺されてあの世へ逝くなど……。


「――――……っ、あ、あああっ――」


 喉奥からあらん限りの絶叫をほとばしらせ、マグヌスは跳ね起きた。


 全身びっしょりと汗をかいてぜぇぜぇと胸を上下させる。喉元に手をやれば、穴は開いておらず、血も出ていない。自分はまだ生きている。


「はは……あれは、やはり悪夢、だったのだ……」


 そうだ。あんなのがドロテアなはずがない。

 彼女はどこまでも夫であるマグヌスに優しく、女神のような女性だった。


「――そう。あれは悪夢だ。本物のドロテアはお前の目の前にいる」


 その声は自分が発したものではなかった。

 またギルベルトか。しかし真っ暗でやつの姿は見えない。どこにいる。どこに――


『ええ、あなたを愛しています……』


 マグヌスは目を見開いた。光が照らしたのはドロテアだ。まるで残像のようにぼやけて見えるが、確かに彼女で間違いない。着ているドレスなどから、生前のドロテアのようだ。


 愛している。普通なら、その言葉は夫であるマグヌスに贈られるはずだ。もしくは自分と彼女の子どもたちに。しかし。


「あ、ああ……」

『あなたが陛下の弟であることをわかっていながら、わたくしはあなたを愛してしまいました』


 ドロテアが愛を告げているのは、マグヌスの弟だった。人目を忍んで睦み合う二人の光景が次々と映し出される。ドロテアは自分の弟と不貞を働いていた。それだけではない。


『この子、あなたにそっくりでしょう? ……大丈夫。ばれないわ。叔父に似ていると言えば、わたくしを愛しているあの人は微塵も疑わず、信じてくれるもの』


 ドロテアが腕に抱いているのは王太子だった。第二王子だった。第一、二王女だった。


 ドロテアに一番似て可愛がっていたローデリカだった!


「では、エリーゼも……エリーゼも、そうだというのか?」

『……ああ、どうしましょう。あの人の子をとうとう身籠ってしまったわ。きっと産んでも、愛せないわ。だってあなたとの子どもではないもの!』


 ふらりとマグヌスは眩暈がした。ドロテアが最後の最後に産んだ子ども。


 エリーゼだけが唯一、マグヌスとの子どもだったのだ。それなのに自分はドロテアを奪った女だからといって、ろくに愛さず、冷遇し続けて、挙げ句の果てには――


「う、ああああああっ」


 マグヌスはもう一度絶叫した。悪夢だ。これはすべて嘘だ。


「いいや。すべて真実だ」


 ぽんと肩を叩かれてのろのろと振り返る。赤い瞳をした悪魔がそれは綺麗に微笑んでいた。


「お前がたった一人の娘を甚振ってまで会いたがっていた女だ。エリーゼとの婚姻を認めてくれた礼に、これから死ぬまで毎晩、起きている時も永遠に、その女の過去を見させてやろう」


 マグヌスはもはや悲鳴を上げることもできず卒倒した。




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