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悪魔公爵の最愛 ~姉の引き立て役であるわたしが召喚したのは半分悪魔で未来の旦那様でした~  作者: 真白燈


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10/12

10、変わらない人たち

 食事は部屋に運んでくれ、と伝えたものの、父たちは諦めず、自分たちと席を共にするよう命じるはずだ。


「お食事をお持ちしました」


 しかしその心配は外れて、夕食時になるときちんと部屋に豪華な食事が運ばれてきた。


「こちら、国王陛下からオルバース卿への感謝の意を示しての特別ものでございます」

「ほぉ……」


 給仕係がギルベルトのグラスにワインを並々と注いでいく。赤い色が何だか血の色に見えて、エリーゼは本当に飲んで大丈夫だろうかと不安になった。


「……どうですか?」


 一口含み、まずは舌で味わった後、ギルベルトはごくりと飲み干した。


「ああ、美味しい」


 その答えにほっとする。


(そうよね。いくらあんな態度を取ったからといって、食事に何か混ぜるような真似はしないわよね)


 ついあれこれと悪い方に考えてしまい、エリーゼは反省した。


「エリーゼ。気にせず食べた方がいいぞ」


 これ好きだろうと勧められて、エリーゼはギルベルトとの食事を楽しむことにした。


 その後も、特に父や姉からの接触はなかった。

 舞踏会の打ち合わせなどを除けば時間に余裕があり、エリーゼはギルベルトに頼まれて王宮の中庭を散策することにした。一応事前に許可を求めたところ、問題ないと言われた。


「エリーゼ様はエクスタイン国の王女ですわ。王宮の中庭へ行っても誰も咎めません」


 とまで言われてしまい、何だか拍子抜けした気分だった。


「王女として当然の権利なのに、今まで許されなかったから、違和感を覚えるんだな」


 庭園に咲いている見事な薔薇を眺めながら、ギルベルトが冷めた口調で指摘する。


「少し前まで、みんなわたしの姿を見ると、嫌そうな顔をしていたんです」


 しかし今は恭しい態度でお辞儀してくるので居心地が悪くて仕方がない。


「何か企んでいるような気がするか?」

「そんなことは……ただ、戸惑うというか、どんな態度で接すればいいのかわからなくて」


 毅然としていればいいのだろうが、胸がもやもやして、視線をさっと逸らしてしまう。


「お前はもっと、自分の感情に素直になってもいいと思うぞ」

「十分なっていると思いますけれど……」

「いいや。まだまだだ。俺に接する時のように怒りをぶつけてみせろ」

「わたし、別にそんな本気でギルベルトに怒りをぶつけたことありません」

「照れた時はよく怒っていたじゃないか」

「もう、またそんなこと言って。ギルベルトだってこの前、照れて言い訳していたじゃないですか」

「あれは可愛すぎるお前が悪い」


 またそんなこと言って……とエリーゼは少し顔を伏せながら歩く。


(でも怒り、か……)


 そうか。自分は以前とは違う接し方に腹が立ってもやもやしているのだな。


「エリーゼ。怒りをぶつける、ちょうどいい相手がやってきたぞ」

「? ちょうどいい、って……あ」


 エリーゼと目が合った相手も、目を丸くして立ち止まった。

 まさかこんなところで会うとは思わず、驚き、そして気まずそうな顔をされる。


 エリーゼの方は驚きはしたが、思ったよりも平坦な心のままであった。


「お久しぶりです。イェルク」


 イェルク・ランゲ。エリーゼの元婚約者。


『私が愛しているのはローデリカ様なのです。エリーゼ様ではなく』


 当時のことを遠い昔のように思い出したが、やはり、もうどうでもいい過去であった。


「あの、エリーゼ様。あの時のことは――」

「ああ、ごめんなさい。ランゲ卿とお呼びするべきでしたわね」


 もう自分は彼の婚約者でないし、姉と結婚して義兄になる相手とはいえ、きちんと線引きはしておくべきだろう。ギルベルトに倣って。


「いえ、そんな……」

「それとも、お義兄様とお呼びした方がいいかしら。まだ早いかしら」


 エリーゼがそう提案すると、イェルクはなぜか泣きそうな顔をした。


「エリーゼ様。どうかお許しください。あの時はあなたの気持ちを考えず、ただローデリカ様だけのことを考えてしまったことを」

「大丈夫。もう微塵も気にしていないから」

「ああ、強がっていらっしゃるのですね。本当に申し訳ない。私もローデリカ様と出会わなければ、あなたと何事もなく夫婦になっていたことでしょう。けれど、彼女と出会ったばかりに……」


(気にしていないと言っているのに)


 こちらが聞きたくもないことをイェルクはぺらぺらと話し続けるので、エリーゼは内心うんざりした。というか、彼がこんなにもお喋りとは今の今まで全く知らなかった。


「卿は今の婚約者とそっくりだな」


 それまで黙って聞いていたギルベルトが不意に言った。

 え? と呆けるイェルクに、だってそうだろうと彼は笑って続ける。


「久しぶりの再会。そして過去に犯した罪を忘れて、被害者の前であれは仕方がなかった、自分には非がないことを、演説し始めているのだから」

「なっ……」


 エリーゼは思わず吹き出しそうになった。どうしてギルベルトはこうも辛辣で、的確に相手の心を責めることができるのだろう。初対面であろうと言いたいことは言うギルベルトの態度に、温厚だと思われていたイェルクもさすがに腹が立ったようだ。


「わ、私はきちんとエリーゼ様の許しを得て、婚約を解消したのです。そのような無礼な言い方をされる謂れはありません!」

「許しを得て、と言うが、エリーゼの立場的に許すしかなかったのではないか。悲恋に酔った痛い男女をこれ以上世間の恥にさらすまいと思って」


 目を剥きそうなほどカッとイェルクの目が見開いた。

 ギルベルトは全く気にせず、さらに追い打ちをかけるように言い放った。


「貴殿の相手は同じ王女でも、エリーゼの姉の方が、何かと立場的には上だ。尊重するしかないだろう。そんなこともわからないで、ただ自分たちの愛をエリーゼが認めたとでも思っているのならば、おめでたい頭だな。すぐに認識を改めた方がいい。この先、取り返しのつかない過ちを犯す前にな」

「あ、あなたという人は」

「ああ、でも、貴殿には感謝している。あの女を選んでくれたお陰で、俺はエリーゼという素晴らしい伴侶と出会うことができたのだから」


 ギルベルトはそう言って、見せつけるようにエリーゼの肩を抱き寄せた。


「あの、ランゲ卿。そういうわけですから、わたしはもう大丈夫ですわ。お元気そうで、よかったです。お姉様との結婚はいつになるのか存じませんが、幸せを願っておりますね」

「俺からも祝福する。今後はもう顔を見せることはないだろうからな。エリーゼ。あちらの方へ行こう」

「はい。――では失礼します」


 エリーゼとギルベルトは、呆然とするイェルクを置き去りにして、その場を去った。


 それからも、エリーゼとギルベルトは客人として大層なもてなしを受けた。


 特にギルベルトに対しては五大公爵の一人であるからか、夕食の際には毎回父から赤ワインが贈られて、何本でも飲んでくれて構わないという振る舞いだった。ギルベルトも酒の味が気に入ったのか、豪快に飲み干していた。そして驚くほど何もないまま、舞踏会当日となった。


「オルバース卿は別室にて衣装のご準備がございますので、よろしくお願いいたします」


 ずらりと並んだ使用人たちが深々と頭を下げて、了承を得ようとする。


 もちろん今まで何もなかったのだから、ここで駄々を捏ねてはこちらに問題があるとみなされる。エリーゼは大人しく従い、ギルベルトもまた後でなと部屋を出て行った。


(今日が終われば、あとは領地へ帰るだけ)


 ここまで何もなかったのだから今夜も無事に終わるはずだ。


 ……そう思っても、エリーゼの胸にはなぜか拭いきれない不安が付き纏っていた。


 準備を済ませてギルベルトを待つも、先に大広間の入り口で待っていると教えられて、侍女と共に案内される。まさか別の部屋へ連れて行かれるのでは? と戦々恐々していたが、ギルベルトの姿が目に入ったことで杞憂だったと悟る。


(わぁ……ギルベルトの衣装、すごくかっこいい!)


 今夜は特別な装いだと聞いていたが、燕尾服ではなく、エクスタイン軍が着るような軍服を着用していた。盛装用で、黒地のジャケットに金色の飾緒がよく映えている。


「ギルベルト。とてもよくお似合い――」


 こちらを振り向いた彼の顔を見て、エリーゼは思わず言葉を呑み込んだ。彼の姿があまりにも素敵で完璧だったからではない。


 いつも自信に満ちた赤い瞳がどこかぼんやりと曇っていたからだ。


「ギルベルト? どうしたのです?」


 彼に近づき、顔を覗き込む。まるで心ここにあらずの状態に見えた。


「どこか具合でも悪いのですか?」

「いいや、大丈夫だ。何でもない」


 その返答も彼自身が発したとは思えない無機質な声に聞こえた。


(離れている間に、何かされた?)


 どうしよう、とエリーゼは焦り、急に心細さを覚えた。


(落ち着くのよ、エリーゼ。とりあえず、体調が悪いようだからと言って、控室に……)


「エリーゼ様。ギルベルト様。ご入場です」

「待って。ギルベルトの気分がすぐれないようなの。だから――」

「申し訳ございませんが、国王陛下や皆様がお待ちなのです。少々我慢なさいませ」

「そんな――」


 侍女や他の使用人たちはみな冷たく言い放つと、エリーゼたちを会場へ行かせた。

 待って、と踏み留まろうとしても、ギルベルト本人が行く足を止めない。


「ギルベルト!」

「大丈夫だ。何も問題ない」


 そう答えるよう決められているように、感情のない声音でギルベルトは答える。

 エリーゼの不安は膨れ上がった。


 結局大広間にそのまま入場することになり、熱気と騒めきが沸き起こった。


「見て。エリーゼ様よ」

「ああ。本当だ。ローデリカの婚約者を奪った……」

「狂人になった王女が帰ってきたのか」

「隣の男性はオルバース卿らしい」

「あの気味の悪い土地の当主?」

「噂では彼の父親も狂っていたらしい」

「では狂った者同士の結び付きということか」

「そうみたい。だってあのオルバース卿の目、まるで廃人のよう」


 噂は払拭できたと思っていたが、甘かった。王都の貴族たちはみな、まだエリーゼのことを我儘で、狂った王女だと思い込んでいる。何も変えられていない。


(どうしよう。ギルベルトまで、悪く言われている)


 エリーゼは今までいかに彼に支えられていたか、どんなに彼の隣が安心できる場所だったのか、身をもって思い知らされた。


「まぁ、エリーゼ。緊張しているの?」


 そして、事態はさらに無慈悲に進んでいく。

 姉のローデリカが内心動揺するエリーゼのもとへ歩み寄ってきて、にこりと微笑んだ。


「どうやらあなただけではなく、ギルベルトも、緊張しているようね」


 姉がギルベルトの頬に触れようとして、エリーゼはとっさにやめてくださいと彼の前に立って阻止した。するとローデリカは周りに聞こえるような声で「まぁ!」と声を上げた。


「エリーゼったら、姉であるわたくしにまで嫉妬しているの? 可愛いのね。でもあまり嫉妬深くなったら、ギルベルトが疲れるのではなくて?」


 周りがクスクスと笑うのがわかり、エリーゼはかっとなった。ギルベルトはそんなこと思わない。むしろ嫉妬したエリーゼを可愛いとからかって、最後に必ず安心しろと断言する性格だ。


 でも、今のギルベルトはぼんやりとしたままで、ローデリカの言葉に何も言い返さない。だから周囲はますますローデリカの言葉を信じ、そしてある疑念を抱く。


「……もしかして、オルバース卿との婚約も、エリーゼ様が無理矢理交わしたものじゃないかしら」

「あり得るな。イェルク殿とローデリカ様のお二人が想い合っているのを横から引き裂いたお方だ。地位あるオルバース公爵に王女という身分を利用して迫った可能性も十分ある」


(そんなことしない!)


 エリーゼが好き勝手憶測する貴族たちの方を向いて訂正しようとするが、彼らは視線をさっと逸らし、エリーゼから距離を取る。


(だめ。焦ってはますます誤解されてしまうわ)


 エリーゼは姉と向き直り、努めて冷静な声で告げた。


「お姉様。ギルベルトは具合が悪いそうなの。悪いけれど、少し休ませてくれないかしら」


 とにかく一度、この場から立ち去ろう。

 優しい姉を演じているローデリカに負けぬよう大きな声でエリーゼは伝えたが、彼女はまるでその言葉を待っていたかのように目をにんまりと細めた。


「それは大変だわ。ええ、わかりました。だったら、お父様たちのいる隣の席で、しばらくの間休むといいわ」

「えっ」


 エリーゼの困惑した顔を無視して、ローデリカは従僕たちにギルベルトの手を引かせ、国王のいる場所まで案内させる。ギルベルトが抵抗せず素直に従ったので、エリーゼは一人その場に取り残された。


(そんな……)


 何も知らない人間が見れば、エリーゼは婚約者に置き去りにされた可哀想な王女のようで、周囲は嘲笑の視線を向けてくる。


「エリーゼ。ギルベルトはいったいどうしてしまったのかしらね。数日前まであんなにあなたのこと好いていたのに。喧嘩でもしてしまったの?」


 エリーゼはローデリカの顔を見て、明確な理由があったわけではないが、彼女が彼に何かしたのだと思った。

 でも、それを素直に口にすれば、余計にエリーゼの立場が悪くなる。


「エリーゼ。せっかくあなたたちの踊る姿をお披露目できるよい機会だったのに、残念ね。わたくしも、病に臥していたあなたが元気に踊るところを見たかったわ」

「……心配なさらないで、お姉様。わたしは、気にしていませんから」


 まだ負けたくないとエリーゼは無理をして微笑んでみせた。

 ローデリカは少し目を瞠ったが、同じように笑みを返し、首を少し傾げた。


「そう。でも、踊る相手がいないのは困ったわね」

「いいえ、ちっとも。ギルベルトに、自分以外の相手と踊るなと懇願されているんです。ですからわたし、ギルベルトの隣でみなさんの踊りを見学していますわ」


 ギルベルトの真似をして、エリーゼは自分のしたいことをきっぱりと告げて、スタスタとギルベルトのもとへ向かった。その態度に周りの人間がやはり無礼だとか、我儘王女は相変わらず健在だとか言ったが、気にしなかった。


「エリーゼ。お前がここに座るのを許した覚えはないぞ」


 壇上から父がローデリカたちのもとへ戻れと命じてくるが、エリーゼは首を振った。


「いいえ、お父様。ギルベルトはわたしの大切な婚約者です。おそばを離れることはしません」


 父はまだ何かぶつぶつと文句を言ったが、エリーゼは聞こえない振りをして、ギルベルトの様子を窺う。


「ギルベルト、大丈夫ですか? わたしの声が聞こえているのならば、手を握ってください」


 ギルベルトは先ほどよりもますますぼんやりとした様子で、エリーゼの言葉にも反応してくれない。


(いったいお姉様はギルベルトに何をしたの?)


 まるで魂を抜き取られたかのようにも見え、エリーゼはしっかりしなくては思うのに泣きそうになった。こんなはずではなかった。今夜は自分とギルベルトの婚約発表をして、みんなに以前とは違う自分を見せるつもりだったのに。


(踊りだって……)


 今、大広間の中央で踊っているのは、ローデリカとイェルクだ。二人の姿に人々はうっとりとしている。時間が過去に巻き戻ったような錯覚に陥る。


「エリーゼ。どうかしら。ギルベルトはあなたと踊るつもりはないようだし、イェルクと踊ってきたら?」

「そんな、ローデリカ様。私はあなた一人だけだと決めていましたのに」

「ふふ。そう拗ねないで、イェルク。可哀想なわたくしの妹のためよ」

「ああ、ローデリカ様。やっぱりあなたは慈悲深い。女神のようなお方だ」


 いつの間にか二人が目の前に来て、そんな馬鹿げたやり取りをしている。


「さぁ、エリーゼ様。私と踊りましょう」

「エリーゼ。命令だ。イェルクと踊って来い」

「エリーゼ。そうしなさい」


 エリーゼの意思はそこに必要ない。イェルクに無理矢理腕を掴まれて、合わせる気など微塵もない強引なリードで、何度もエリーゼの足をよろめかせる。まるで操り人形のようにエリーゼを動かし、客人の笑いを得ようとする。


「――あなたがあの男と一緒に私を馬鹿にするからいけないんだ」


 気づけばエリーゼは手を放されて、回転で生じた力に従うまま吹き飛ばされた。

 そして実に派手な音を立てて――けれど痛みは不思議と感じず、ふわりとした感触を経て、軽食が置かれていたテーブルにぶつかった。


 料理を載せていたトレーや皿、グラスが派手にひっくり返る。ナイフやフォークの入ったカトラリーケースがエリーゼの足元に散らばっていた。


「きゃあっ」

「エリーゼ! 大変! イェルク、どうしてエリーゼの手を放したりしたの!」

「ああ! 申し訳ございません! ですが、エリーゼ様が悪いのです。エリーゼ様が私に、ローデリカお姉様に隠れて、自分と付き合ってほしいと頼むから!」

「まぁ。ひどい」

「やっぱり我儘で狂った王女の性根は変わらなかったな」

「あんな王女ではオルバース卿も心変わりして当然よ」


 なんて茶番。こんな馬鹿げた芝居でも客人はすっかりと騙されているのだから、なおのこと笑えてくる。


「エリーゼ」


 ローデリカが近づいて、跪く。


「最高よ。あなたはやはりわたくしのそばにいないとだめなの。ギルベルトと結ばれるなんて、絶対に許さないわ」

「……彼に、何をしたの」


 囁くような問いかけなら周りにも聞こえないと思ったのか、彼女はヒントをくれた。


「何も。ただお父様の名で贈った、美味しいワインを夕食時にたくさんお飲みになったでしょう? それで少し、酔ってしまわれたのではないかしら」


 ああ、あのワイン。あれがギルベルトを今こんな状態にしたのか。


「彼に毒を盛ったの? 彼を殺すの?」

「まさか。ただ廃人になるだけよ。あなたがそうしたの」


 自分がギルベルトを屍にした。ギルベルトを想ったせいで。愛してしまったせいで。


「……ふふ」

「可哀想に。本当におかしくなってしまったのね」

「ええ。おかしいわ。とてもおかしいの、お姉様」


 顔を上げると、ローデリカが目を見開いた。エリーゼが微笑んでいたからだろうか。


「なぁに、その笑い方。何が可笑しいの」

「ふふ。お姉様やお父様、ここにいる貴族たちがみんな、以前とちっとも変わらず醜悪なままでいることが、とっても可笑しいの」


 そしてそんな彼らを以前とは変わって自分を受け入れるのではないかと健気に信じ続けていた自分がたまらなく可笑しかった。


「性根が腐っている人は、永遠にそのままなのですね」

「……ずいぶんと、はしたない物言いをするようになったのね。ギルベルトがあなたをそんなふうにしたのならば、やはり婚姻を認めるわけにはいかないわ」

「お姉様の指図はもう受けません。わたしはギルベルトと絶対に結婚します」


 父親に許可を得たい。みんなに認められたいなど、もうどうでもいい。


(わたしの人生だもの。好きに生きるわ)


「そんな勝手なこと、許されるはずがないわ」

「許されるわ」


 ギルベルトならば、絶対に許してくれる。


 揺るぎない口調でエリーゼが答えると、ローデリカは忌々しそうに眉根を寄せた。

 初めて姉の心情をかき乱している気がしたが、それは数秒のことで、姉はまた微笑んだ。


「エリーゼ。落ち着きなさい。大丈夫。お姉様がきちんと面倒を看てあげるから。ギルベルトのことも決して悪くしないから、安心して。さ。衛兵と一緒に、ここを出ましょう」


 子どもの駄々を宥めるように甘ったるい口調で姉はエリーゼに触れようとした。

 しかしエリーゼはその手を思い切り振り払い、床に散らばっていたナイフを手に取った。


 周囲の人間はローデリカへ向けるとでも思ったのか、きゃあと悲鳴を上げ、勇敢な紳士はローデリカを守ろうと駆け寄ってくる。そのまま危害を加えようとしたエリーゼを捕らえるつもりなのだろう。


 エリーゼはその前に白い手袋を床へ落とし、ナイフの持ち手を強く握りしめた。そしてローデリカではなく、自分の左手――薔薇の刻印をなぞった。


(足りない……)


 刃を掌で優しく包み込み、切り裂かれた皮膚から滲み出た血を愛しい証に吸わせていく。


「ギルベルト……わたしはあなた以外の人なんか要らない。あなただけが、欲しい」

「エリーゼ! 何をしているの! やめなさ、きゃあああっ――」


 ローデリカがとっさに顔を庇って悲鳴を上げる。


「なっ、なんだ!?」

「ローデリカ様!!」


 エリーゼの目の前で竜巻が発生したように強い風が沸き起こったのだ。風だけでなく眩い光も溢れ出し、床から脚が現れて、徐々に形を成していく。


(ああ……)


「――エリーゼ。お前のその言葉がずっと聞きたかった」


 光の中から現れたのは、ギルベルトだった。




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