第8話 この世界の理
書庫塔から戻った後、ユミナが言った。
「そろそろ、この世界の仕組みについてきちんとお話しさせてください」
恒一は机の前に座った。いつもの配置。窓から午後の光が差し込んでいる。ユミナは向かいに座り、手元に一冊の冊子を置いた。書庫塔から持ってきたものだ。表紙に文字が刻まれている。恒一には読めない。
「さっき見たやつの、教科書みたいなものか」
「はい。魔法体系の概説書です」
ユミナは冊子を開いた。頁の上に、文字列が浮かび上がった。青白い光。書庫塔で見たのと同じ現象だ。ユミナの指が頁の上を滑ると、文字が組み替わる。
「この世界の魔法には、大きく分けて四つの体系があります」
「四つ」
「はい。まず一つ目は——恒一さんがさきほど書庫塔で見たもの。文献魔法です」
ユミナの指が頁の文字列を指した。光が揺れる。
「テキスト——文字や記録を媒介にして術式を発動します。解析、再現、封緘、再構築。情報を読み取り、書き換え、保存する。エリンの主要な魔法体系で、私もこれを使います」
「さっき見た、木板で文字を操作するやつ」
「そうです。あれは文献魔法の基礎運用です」
恒一は頷いた。テキストを媒介にした魔法。文字が浮かび、情報が組み替わる。ITエンジニアだった恒一には、直感的に理解しやすい体系だった。
「二つ目。精霊魔法」
ユミナが頁をめくった。新しい文字列が浮かぶ。恒一には読めないが、図表が描かれているのはわかった。木や水や風を象徴するらしい絵が添えられている。
「精霊との契約を媒介にします。自然操作——風、水、土、火——とインフラの維持が主な用途です。農業、建築、鉱山、水路。この世界の生活基盤の多くは精霊魔法で支えられています」
「インフラ、か」
「はい。電力や機械がない代わりに、精霊との契約で社会が回っています」
恒一は窓の外を見た。石造りの街並み。書庫塔の壁面に光る文字列。石畳の通りを歩く人々。電線はない。車もない。しかし街は機能している。パン屋は焼き上がるし、水は流れるし、夜には灯りが点く。それを支えているのが精霊魔法なのか。
「三つ目。神聖魔法」
頁がまためくられた。今度の図表には、円環と光の筋のようなものが描かれていた。
「祈りと儀礼を媒介にします。治癒、浄化、結界。共同体の同調——大勢の祈りを束ねて大きな術式にすることもあります。ザイラント教国が中心ですが、各地の神殿でも使われています」
「回復魔法、ってやつか。RPGで言うところの」
「概ねそうです。ただし神聖魔法は個人の信仰だけでなく、共同体の構造そのものが媒介になります。一人の祈りより、百人の祈りのほうが強い。そういう性質です」
三つの魔法体系。テキスト、精霊、祈り。媒介が違うだけで、それぞれが社会の中で機能している。
恒一は腕を組んだ。
「ユミナ」
「はい」
「文献魔法。精霊魔法。神聖魔法。——全部、TRPGのルールブックに載ってた名前と同じだ」
ユミナは頷いた。
「ええ。なぜ一致するのかは、わかりません」
同じ返答だった。街の名前のときと同じ。わからないものを、わからないと言う。
恒一はそれ以上追及しなかった。今は情報を集める段階だ。
「四つ目は」
ユミナの表情が変わった。
微かに——しかし確かに、声の温度が下がった。
「異端魔法」
その名前を口にするユミナの声には、先の三つにはなかった硬さがあった。頁をめくる手も、少しだけ遅い。
「検証の迂回を媒介にする魔法です。文献魔法がテキストの正規の手続きで動作するのに対し、異端魔法は——手続きそのものを飛ばします。結果だけを強制する」
「チートコード、みたいなものか」
「……近いかもしれません。しかし代償があります。異端魔法は使用するたびに瘴気と残滓を残します。術者の身体にも、周囲の環境にも。蓄積すれば、土地は枯れ、人は壊れます」
恒一は黙った。ユミナの声が、説明ではなく警告の調子を帯びていた。
「そして——異端魔法の存在が確認された場合」
ユミナは一拍置いた。
「ザイラント教国が聖戦を宣言します。神聖魔法の秘奥——決戦魔法を行使して、異端魔法が確認された地域を、国ごと滅ぼします」
恒一は、自分の呼吸が止まったことに気づいた。
「……国ごと?」
「はい。過去に実例があります。それほどの禁忌です」
部屋が静かだった。窓の外で風が吹いている。書庫塔の壁面の光が、午後の陽に薄れている。
四つの魔法体系。三つは社会を支え、一つは社会を滅ぼしうる。しかもその一つを使っただけで、国が消される。
「TRPGにも、あったな」
恒一は呟いた。ルールブックの最後のほうに載っていた。「異端魔法」の項目。GMであるユミナが「これは使わないでください。世界が壊れます」と言っていた設定だ。ゲームの中では冗談半分に聞いていた。
この世界では、冗談ではない。
「恒一さん」
「ああ」
「異端魔法のことは、決して口にしないでください。この街でも、どこでも」
ユミナの琥珀色の瞳が、まっすぐに恒一を見ていた。真剣だった。AIだった頃のユミナにはなかった強さが、その視線にあった。
「わかった」
恒一は短く答えた。
ユミナは冊子を閉じた。頁の光が消えた。部屋に午後の自然光だけが残った。
四つの魔法体系。三つの名前がTRPGと一致し、四つ目は禁忌。恒一の知っている設定と、この世界の現実が、重なっている。重なっているのに、重さが違う。ゲームのテキストとして読んだ文字列が、目の前の女の声で、警告として響いている。
恒一は右手を開いて、閉じた。力の入らない右手。ハルシネーション。記憶の誤差から生まれた不具合。
ユミナの文献魔法は、テキストを媒介にして世界を読み書きする魔法だ。恒一の身体も、その魔法で再構築された。
——では、再構築は文献魔法の範疇なのか。
その疑問が一瞬だけ頭をよぎって、消えた。今はまだ、問うべき時ではない。




