第71話 転生者の証拠
診断が午前で終わった。「午後は整理に充てます」とユミナが言ったので、恒一は宿舎に戻る気になれず、城下へ歩いた。来た日から馬車の窓と宿舎の窓で眺めるばかりで、自分の足で歩いたことがなかった。
水路が近かった。
試験線の脇を流れる幅広の水路に沿って歩くと、街路の奥まで続いていた。底を目で辿ると、深さと幅の比率が計算されている。壁の角度がわずかに外に開いて流速が速い。本流から分かれる支流の分岐点に流量の調整機構が組み込まれていた。堆積物がたまりにくい断面形状だった。
水の流れを知った上で設計した人間の仕事だった。
前の職場で、下水処理の改修計画を担当したことがある。設計図を読んで、改修後の現場を歩いて確認した。あの時に見た断面の形に、この水路は似ていた。
市場の区画に入ると、食品・布地・金属工具が明確に分かれていた。石畳の摩耗を見ると、通り全体がほぼ均等だった。ターレの主要街路は中央が深く掘れて端が残る——人が集まる場所が削れるのが普通だ。ここは端から端まで均等だった。通行量の分布を計算して石の敷き方を変えなければ、こうはならない。
設計が先にある。機能を作る前に「どう機能させるか」を考えた人間がいた。そして水路も石畳も市場の区画も、全てが同じ考え方で作られていた。
宿舎に近い通りでカルスに会った。帳面を持ち、見回りの途中だった。
「陛下は——若い頃から、設計のことまで現場に関わっていましたか」
「……私が知る限りでは、まだ王太子だった頃からです」カルスは帳面を手にしたまま言った。「工事の現場に自分で来て、設計図を持って職人と話す。今は直接出られることは少なくなりましたが、現場を確認するやり方は変わっていません。精霊機関車も御自身の発案がきっかけです。担当者が複数の事業を横断して把握する方式も、陛下がお考えになりました」
恒一は頷いた。謁見の場でのヴァリスの問いの質を思い出した。実際に手を動かして失敗を重ねた者が持つ勘どころで聞いていた、という感触が、今になって意味を持った。
「ありがとうございます」
「特に何もお答えしていませんが」
「いいえ」
カルスは小さく礼をして歩き出した。夕暮れの街路に影が伸び、水路が光を返して揺れていた。
——このヴァリスという人間は、どこでこの種の知識を得たのか。
今の自分のことを思えば、容易に答えに繋がってしまうその問いを、声に出すことは憚られた。
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診断は三日目に入っていた。
ヴァリスが来たのは、午後が始まって間もない頃だった。随行が試験線の手前で止まり、ヴァリスだけが作業の区域に近づいてきた。
「続けてください」ヴァリスは言った。「邪魔をするつもりはありません。少し見ていていいですか」
ユミナが診断を続けた。術式を炉の外壁に当て直しながら所見を述べた。「上下に熱が回っていません。炉の内部でどう動いているかを確認していますが、上部への偏りが昨日より顕著です」
「上部というのは」ヴァリスが口を開いた。声は静かで、急かす調子ではなかった。
「炉の中央から上の三分の一程度です。そこに熱が集まって、下への流れがほとんどない状態です」
ヴァリスがわずかな間を置いた。
「……熱は消えないのにどこにいってるんだ?」
ほとんど独り言のような声だった。診断の場所から数歩引いた位置に立っていた恒一に、かろうじて届く音量だった。
恒一は、動かなかった。
「上部に溜まっています」ユミナが答えた。「出口がないので。下部への流路が設計段階で想定されていなかった可能性があります。高出力時の熱量を低出力の試算値で見込んだ——そういう種類のずれだと見ています」
「出口がないから上に溜まる、ということか」
「そうです」
診断が続いた。しかし恒一の耳は、先の短い言葉から離れなかった。
熱は消えないのにどこにいってるんだ。
魔法のある世界で、あの言葉は自然には出てこない。熱が問題を起こせば術式で冷やせばいい。結果だけを変えられるなら、「熱がどこにいくか」を追う必要はない。しかしヴァリスの問いは違った。「消えないのに」という言い方は、熱を量として——保存されるものとして扱う考え方の上にある。行き先を問うのは、消えると思っていないからだ。術式は「効果」を問うが、「保存」は問わない。
前世で——現代の工学的な思考に触れていた人間の問いの立て方だった。
診断が一区切りついた後、ヴァリスはカルスと短いやり取りをして引き上げた。カルスと宿舎へ向かう途中に恒一は聞いた。「陛下は——技術的なことが分かっていらっしゃいますか。今日の問いの立て方が、現場を理解している人間の聞き方に見えたので」
「設計のことについては、長けていらっしゃいます。経緯は、私には分かりません」
「そうですか。ありがとうございます」
問いに答えてもらったわけではなかった。しかし、聞いておく必要があった。
部屋に戻ると、まだ夕暮れ前だった。頭の中で並べた。水路の設計——底形状と勾配の計算、分岐点での流量調整。石畳の均等な摩耗。組織の横断的な把握方式。そして今日の問い——熱は消えない。
それぞれが別の場所にある。しかし全て、同じ種類の考え方から来ていた。前世で現代の工学的な思考に触れていた人間でなければ、自然には辿り着きにくい。
——転生者、か。
声には出なかった。確認はまだできていない。しかし、その方向に疑念が寄っていくのを、止める材料が見当たらなかった。
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診断の休日だった。ユミナが「午前は記録の整理に充てたい」と言ったので、恒一は農業地区を見ることにした。カルスに声をかけると、「案内できます」と返ってきた。
城下の南側に農業地区があった。内側の壁に近い方から畑が連なり、近づくと土の匂いがした。それに、発酵しかけた堆肥の匂いが混じった。鼻をつく臭気ではなく、分解途中の、微かに熱を持った匂いだった。
入り口に近い場所に、堆肥の積まれた区画があった。段階的に管理されていた。新しい廃棄物の区画、発酵途中の区画、使用できる状態になった区画が、はっきりと分けられていた。農夫が長柄の道具を使って材料を区画の間で移動させていた。手順が確立されている様子だった。
農道に入ると、隣り合う畑に違う作物が植えてあった。一方は豆の蔓が棒に絡まり、もう一方は根菜の葉が地面から出ていた。
「輪作ですか」
「陛下が推奨されました」とカルスが言った。それ以上は説明しなかった。
農道の端で、老人が道具を手入れしていた。日に焼けた顔、厚い手のひら。恒一が声をかけると、一度カルスを見てから答えた。
「まだ王子だった頃に、若い人が畑に入ってきた。侍従みたいな連中を後ろに置いて、一人で土を触って、『前から豆だけ育てていましたか』と聞いた。豆と根菜を交互に植えてみろと言われたが、最初はさっぱり分からなかった。にこりともしないで、『やってみてから考えてください』と言われた」
「でも変わった、と」
「変わった」老人は畑の方を顎で示した。「根菜の出が良くなった。豆の後に植えると、土が違う。説明できんが、良くなる」
老人はそこで少し手を止めた。「良くなったのが土だけじゃないような気がした——と、あの頃に思ったことがある」。それ以上は言わなかった。照れているのか、うまく言葉にならないのか、恒一には判断できなかった。
「根が土に窒素を固定する。豆科の後に植えると土が肥える、という仕組みです」カルスが補足した。
別れて農道を戻った。
腐敗と発酵を区別して段階を分ける、輪作による地力回復——特別な魔法は関係なかった。物質の性質を理解している人間が設計した管理の方法だった。
四つが、同じ種類だった。水路の設計、石畳の摩耗の均等さ、精霊機関車の熱伝導の問いの立て方、そして農業——前世の知識体系に触れていた人間でなければ、辿り着きにくい。老人が「最初は分からなかった」と言ったことの意味が、はっきりした。習慣で積み上げた農法ではなく、別の世界の知識が元になっているのだから、分からないのは当然だった。
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夜、宿舎に戻ると、ユミナが机の前でデータを整理していた。
「農業地区を見てきた。輪作をやっていた。堆肥の管理も、段階を分けていた。ヴァリス陛下が王子だった頃に、直接畑に来て教えたらしい」
「……そうですか」
「ユミナ」
ユミナが向き直った。
「水路、石畳、精霊機関車の問いの立て方、農業——全部、同じ知識から来てる。俺たちのいた世界の知識だ」
ユミナは答えなかった。
「この国の王は、俺たちと同じ世界から来た転生者だ」
「……はい」ユミナが言った。「そう見ています」
「なぜ黙ってた」
「……確証がありませんでした。推測で話せることでは、なかった」
それが全部ではないとは分かった。しかし今は、それだけだった。恒一は踏み込まなかった。
「ヴァリス陛下に、協力を求めてみないか」
「……」
「善政を敷いている。転生者であるなら、話は通じるはずだ。陛下の庇護があれば、ミリアや教国もそう簡単には手が出せない。ユミナの消耗についても——高純度の魔力石だけでなく、何か手段があるかもしれない」
長めの沈黙があった。
「……わかりました。恒一さんが、それを望むのなら」
静かな言葉だった。——どうすれば内密に話を通せるか、と考えかけた時、扉を叩く音がした。
恒一が出ると、カルスが立っていた。帳面は持っていなかった。表情がいつもより固かった。
「陛下が明日の午後、私的にお時間を取りたいと仰っています。コウイチ様とユミナ様の両名に」
「……私室に」
「はい」カルスは言った。「なお、本件についてエルセアの所属されている組織への報告は、ご遠慮いただけますと」
恒一はユミナを見た。目が合った。——やはり、という顔だった。
「わかりました。明日の午後、伺います」
カルスが礼をして引き上げた。扉が閉まった。試験線の方向に向いた窓の外は、もう暗かった。
れた。




