第67話 転機
灯油の匂いが応接室に染みていた。
ランプが一つでは足りなかった。ベックが倉庫から古いランプを持ってきて、卓上に置いた。煤で曇ったガラスに火が入ると、光が揺れた。昼間でも薄暗い部屋だ。灯りが増えるほど、匂いも濃くなる。
ヴェルダが術式の板を横向きに広げた。板の表面に文字が並んでいた——恒一にはもう少しだけ見慣れた、ゴーレムの制御文字だった。
「命令は正常に受理されました」
ヴェルダは板の左側を指先でなぞった。
「停止命令を送った後、制御核から確認信号が返ってきた。そこまでは想定通りです」
一度止まった。指先が板の右側に移る。
「同時に——別の方向へ、確認信号の一部が流れていました」
「別の方向?」
リガードが短く言った。
「ゴーレムの制御核が持っていた、通常の命令チャネル以外の接続です」
ヴェルダは板から顔を上げなかった。
「能動的な受信者ではありません。命令を解析している訳でも、応答している訳でもない。受け取って、記録する——それだけの機能を持った何かが、接続先にありました」
「記録……」
恒一の口が、その言葉を拾った。
会社の監査ログの匂いがした。何をしたかが残る。残れば、誰かが——いつか見る。
「はい。停止命令が、いつ、どこで、どの経路で発令されたか。——その情報が、制御体系の外側に書き込まれた、ということです」
ランプの炎が揺れた。窓の隙間から夜風が入っている。崩落の影響でできた壁の亀裂が、影を伸ばしていた。ヘルマが亀裂を一度だけ見上げ、何も言わずに視線を戻した。
「接続先はどこですか」
恒一が聞いた。
「特定できませんでした」
ヴェルダは淡々と言った。
「位置情報の推測では——7層より深い。今日の段階では、それ以上は分かりません」
リガードが腕を組んだ。ベックは椅子の背に手を置いたまま、沈黙している。
「もう一つあります」
ヴェルダが板を恒一の方へ向けた。
「その接続先で使われていた表記が——私がこれまで扱ってきたゴーレム制御言語と、全く異なります」
板の右端に、細かい文字列が並んでいた。
形が違う。密度が違う。——体系そのものが違う、という感触だけが伝わってくる。恒一の目には、記号の連なりにしか見えなかった。
「標準的な文献魔法の参照資料にも一致するものはありません。私が見たことのない体系です」
沈黙が落ちた。灯油の匂いだけが濃くなる。
「解読できるのですか?」
恒一は聞いた。
ヴェルダがゆっくり板を閉じた。
「……時間をかければ。年単位になります。今すぐは無理です」
「持ち帰って調べます」
それだけ言った。声が少し掠れていた。疲労ではなく——興奮に近い掠れ方だった。
「ゴーレムは止まった」
リガードが言った。確認のための言葉だった。
「今は、それで十分だ」
「ああ」
恒一は答えた。
椅子を引く音が続いた。解散の気配が応接室に広がっていく。
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翌朝、グレンが班長と主要メンバーを呼んだ。
説明は短かった。七層採取権の確保で、今季の収益は持ち直す。無理に深層へ踏み込まずとも採算が立つ。文献解析部門の成果が出れば、追加の利益も見込める。——だから、今期は「これ以上」を狙わない。
魔力石も、当面は優先的に回す。緊急の手配で困ることはないだろう、と。
ありがたい話だった。安全マージンを崩さずに会社が回る。現場にとっては正しい判断だ。
けれど。
廊下に出たところで、恒一は足を止めた。
状況は整う。安定する。——会社の都合は。
ユミナの消耗は、止まっていない。
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二日後、恒一は文献解析部門の作業室の扉を叩いた。
ヴェルダから写しの許可をもらっていた。板に並んでいた図形の一部を紙に書き取ったものを、内ポケットに入れてきた。
扉を開けると、ユミナが碑文の写しと鑑定書の束の中にいた。ランプが二つ点いている。窓からの光を足しても、部屋は暗い。
先に顔色を見た。昨日より白い気がした。——気がするだけだ、と恒一は自分に言い聞かせてから、入った。
「少しいいか」
ユミナが筆を置いた。
「何ですか」
恒一は紙を差し出した。言葉は添えなかった。
ユミナが目を落とす。
次の動作が来なかった。椅子の背に伸ばしかけた手が止まり、息が——わずかに、詰まった。
「これは」
ユミナが言いかけた。止まった。
「……どこで」
「7層のゴーレムだ」
恒一は淡々と説明した。
「停止命令の確認作業で、別の接続先が見つかった。そこで使われていた表記らしい。ただ受け取って記録しているだけのようだ」
ユミナは紙を持ったまま、もう一度見た。長く見た。指先が紙の端を押さえている。
「ヴェルダさんは、解析に年単位がかかると言っていた。ユミナならどうだ?」
「……」
ユミナはすぐには答えなかった。ユミナにしては珍しいと言ってよいほどに明らかな動揺が見て取れた。
「これが何なのか、ユミナにはわかるのか?」
恒一は椅子を引いて座った。作業の邪魔にならない距離を取る。
「……いいえ、私であっても解析には時間がかかります」
ユミナが紙をゆっくり作業台に置いた。
「そうか」
部屋の外から港の音が聞こえる。荷積みの鎖が引かれる金属音と、鴎の声が混ざっていた。
恒一は一度、言葉を選んでから口を開いた。
「ユミナ。消耗の話をしたい」
ユミナの指先が止まった。
「……現在の水準は維持できています」
「できていない」
静かに言った。否定はそれだけで足りた。
「ターレに来てから二ヶ月半、毎日見ていた」
恒一は続けた。
「三回目のリライトの後。あれだけの規模の術式を使った翌日に、消耗の水準がほとんど変わっていなかった。——リライトが主たる原因ではない」
ユミナの視線が一拍、泳いだ。紙の端へ。それから戻る。
「原因が何かは、今は聞かない」
恒一は先回りして言った。
「けど、ダンジョン産の魔力石で稼ぐ方法には限界が来ていることは分かる。今期は7層以深へ入らない。商会の判断だ。会社としては正しい。けど、このままでは状況は変わらない」
言葉を切り、息を整える。
「俺が知らない選択肢があるなら、言ってくれ。手段を選んでいられない」
沈黙があった。
波の音が、遠くから来ては引いた。もう一度来て、引いた。
「……あります」
ユミナは言った。
「一つだけ」
アルヴェリア王国。
説明は短く、事務的だった。けれど、情報の芯が硬かった。
「ターレで入手できる魔力石の等級には限界があります。アルヴェリアであれば、精霊力と組み合わせた精錬魔石が入手できる可能性があります」
一度区切ってから、続ける。
「また——アルヴェリアは現在、精霊機関車の安定稼働に課題を抱えています。私が技術顧問として協力する、という条件を出せば、入手への道筋は出来るでしょう」
今、問われて思いついた内容にしては、具体的過ぎた。
「なぜ今まで言わなかった」
恒一が聞く。
ユミナがわずかに止まった。
「恒一さんの身体が安定していなかった間は、長距離移動の負荷を避けた方がよいと判断していました」
取ってつけたような理由。
何かをユミナはずっと隠している。
——エリンに居た頃にも気になっていたことだがここに来てからはさらに顕著だ。
しかし、ユミナが恒一の為に行動しているのは痛いほどわかる以上、今は、そこに踏み込めなかった。
「分かった」
恒一は言った。
「手紙は書けるか」
「書けます」
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返答は予想より早かった。
打診の手紙を出して四日後、グレンが恒一の部屋に封書を持ってきた。王家の紋章が押されている。封はすでに切られていた。
「商会長権限で読んだ」
グレンは机に封書を置いた。
「必要と判断した」
承知の上だった。
王立魔法学院への研究員派遣の受諾。滞在中の宿舎の提供。技術顧問として歓迎する旨。余分なことは書いていない。余計な感情がない文面ほど、重い。
「研究員としての派遣の書類は俺が整える」
グレンは言った。
「帰る場所は取っておく」
扉に向かいかけて、一度だけ振り返る。
「コウイチ」
「はい」
「ダンジョンの戦い方は、ここに来てから覚えた」
グレンは言った。
「アルヴェリアで何が待っているかは分からないが——帰ってきたら報告書を出せ。経費は精算してやる」
言い終わる前に歩いていた。廊下に足音が遠ざかっていく。
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出発まで三日あった。
ヘルマの挨拶は短かった。
「無事に帰れ」
——それだけだった。ヘルマは頷き、いつもの調子で「報告書は忘れるな」とだけ返した。
ノルが「帰ってきたらアルヴェリアの話、聞かせて欲しいっす。教国におわす聖女様の出身国なんすよ」と言った。声は明るいが、視線は真面目だった。
ベックは一度、頷いた。
廊下でリガードとすれ違った。互いに言葉はなかった。けれど、視線が交わった。それで分かった、というだけのことがあった。
荷物は多くなかった。着替えと、ダラから贈られた幅広ロングソード。
ユミナは本を五冊だけ選んで、残りを作業室に置いていった。どれを選ぶか、三度やり直していた。——必要なものだけを取る、という判断に、時間がかかっているように見えた。
最後の夜、港の桟橋に出た。
波の音。ランプの光が水面に映って揺れている。
ターレ港の匂い——潮と金属と魚と煙が、夜の冷えた空気の中で重なっていた。来た日から二ヶ月半、この匂いを嗅ぎ続けた。普通だと思うようになっていた匂いが、今日だけ少し鮮明だった。
ゴーレムは止まった。ヴェルダの発見は持ち帰られた。
あの表記が何なのかは、まだ分からない。
ユミナの消耗の原因も、まだ分からない。
ゴーレムから得られたという記述を見てユミナが息を詰めた理由も、まだ聞いていない。
材料は増えた。答えは出ていない。
——それでいい、と思う恒一も居る。
そんな思いを抱え、明日、アルヴェリアへ向かう。




