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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第66話 接触

 ヴェルダが先に来ていた。


 ドラク商会の応接室——グレンが客と話す時だけ使う、椅子が四脚並んだだけの小さな部屋——の端に立って、術式の板を両手で持っていた。板の表面に文字が並んでいた。恒一が覗き込んでも読めない文字列だった。ヴェルダはそれを見ながら、何かを指でなぞっていた。


「停止命令は送れますか」恒一は聞いた。


「送信は問題ありません。問題は接触です」ヴェルダは板から目を離さずに言った。「胸部制御核——赤い光が出ている部分です。そこに半歩以内まで近づくか、直接触れる必要があります。外殻の継ぎ目から試みましたが、遮蔽が厚すぎました」


「腕を止める時間が必要だ」


「……術式一つで送れます。ただし——」ヴェルダがわずかに間を置いた。「発動の確認まで、数える間は待つ必要があります」


 それだけあれば十分だ——前世の時間感覚で言えば三秒ほどか。ゴーレムの両腕が同時に出てくる状況で、誰かが胸部まで踏み込める間を作る。昨日の休養日に、恒一はその絵を何度も頭の中で描いていた。右腕が来た時の角度、左腕の振り幅、胸部まで踏み込むための残り歩数——考えて出る答えではなかった。繰り返すうちに体が先を知るようになっていた。三度目の再構築の後から、そういう動きが速くなっていた。


「案がある」


 ヴェルダがようやく板から顔を上げた。


「……どうぞ」


「ゴーレムが動いた瞬間に、俺が火矢(ファイアボルト)を推進に使って側面に飛び込む。右腕が来る。左腕が来る。その間に、ヴェルダさんが胸部まで入る」

「ゴーレムの両腕を同時に捌けるか」リガードが言った。

「捌く必要はない。一本ずつ時間をずらせればいい。角度で流す」

「お前が片方を受けている間に、もう片方はヴェルダに向く」

「そこは」恒一はヘルマを見た。「足元を固めてもらう。ゴーレムの前進が止まれば、片腕を抑える時間が出る」

 ヘルマが一度頷いた。

「俺の班が前に出て注意を引く。ゴーレムの向きを制御する」リガードが言った。「それでいいか」

「頼む」


 ガルシュタインとドラク商会の間に深層攻略に際して業務提携が結ばれたのは、崩落から三日後のことだった。


 深層探索の情報共有と区画調整——ドラク商会にとって有利な条件だったと、グレンが事務的に伝えてきた。

 リガードが直接話を通した、ということも。動機を恒一は聞かなかった。しかしリガードが今ここにいる理由として、それだけで十分だった。

 もっとも最終的に深層から産出する多くの素材はドラク商会だけでは持て余すことを考えるとガルシュタインに利が無い話というわけではない。


 ヘルマが壁際に立っていた。ノルとベックが後ろにいた。全員が休養日から一日で戻っていた。


 ---


 7層への下降は、以前より速かった。


 崩落で塞がれていた通路は、ヘルマの地盤整流で迂回路を確保していた。4層を過ぎた頃から、足の裏が情報を拾い始めていた。石畳を通じて伝わる振動——ゴーレムの踏み込みが、下から来ていた。等間隔の重い音だった。崩落の前に広間で聞いたものと、同じリズムだった。停止していない。まだ動いている。広間に出る前から、体がそれを知っていた。


 広間に出た。


 ゴーレムはいた。同じ場所にいた。胸の赤い光が脈打っていた。恒一が崩落の前に見た時と、リズムが変わっていない。誰も動かなかった。数秒だった。広間の空気が重い——石の匂い、地下の乾いた空気、それと何か焼けた気配が混ざっていた。ゴーレムの熱源か。


「位置に着け」リガードが言った。小さく言った。


 リガードの班が左に散った。ヘルマとベックが右に広がった。ノルが後方に下がった。恒一はその場に残った。


 ヴェルダが恒一の横に来た。「……準備ができましたら」小さく言った。それだけだった。


「今から確認する」


 恒一は剣を抜いた。利き手の感触を確かめた——術式の組み方を体の中で辿った。崩落の瞬間に即興でやったこと。あの時は止まれなくていい、届けばいい、と思っていた。今日は着地点が必要だった。胸部まで踏み込んで、数える間だけ腕を受け続ける。


 剣の先に火矢(ファイアボルト)の術式を引き込んだ。先端で熱が溜まり始めた。引力に近い感触——崩落の時にあった感触と同じだった。しかし今日は手が止まらなかった。制御が、整っていた。横目でヴェルダを確認した。術式の板を持ったまま、体を低くしていた。走れる姿勢だった。


「行ける」


 ゴーレムが動いた。


 リガードの班が前に出た。旋転打撃が継ぎ目を叩く音が広間に響いた。石に金属が当たる鈍い衝撃音——刃が滑る音が続いた。ゴーレムが左腕を振った。リガードが横に弾かれた。ベックが盾で受けた。ヘルマが地盤を隆起させた。


 ゴーレムの注意がリガード班に向いていた。右腕の稼働軸が左を向いた。胸部の赤い光が、恒一の方を向いていない。


 今だ、と思う前に体が動いた。


 放った。


 剣先の熱が推進力に変わった。体が前に引かれた。床を蹴った感触が一瞬あって、すぐに足が石畳を離れた。速い。崩落の時より速い——制御が整っている分、推進力が全部前に乗っている。ゴーレムの側面が来た。


 右腕が来た。


 反射で剣の平を立てた。角度で流した。衝撃が来た——重い。しかし流れた。体が横に弾けた。弾けながら、剣で石柱を叩いた。衝撃を逃がした。ダラの言葉を逆に使っていた——「切るんじゃない、殴るんだ」の裏側。重さを受けて、角度で方向を変える。ベックが盾で受け続けてきた動作が、体の中にあった。


 左腕が来た。


 もう術式はなかった。体だけで受けた。剣で流して、体ごと下に落とした——ゴーレムの前腕の下を通った。石畳に膝をついた。胸部の赤い光が近い。三歩、いや二歩。ゴーレムの動作に遅れが来ていた——右腕を流された後の次の動作が、一拍遅れる。それが見えた。


「行け」


「——」ヴェルダが走った。


 右腕が戻ってきた。リガードが追いついて、前腕に体ごとぶつかった。減速した。ヘルマが足元を隆起させた。ゴーレムの前進が止まった。ヴェルダが胸部に近づいた——外殻の継ぎ目に手を当てた。術式を走らせた。数秒。


 ゴーレムの両腕が、また来た。


「伏せろ」リガードが叫んだ。


 恒一は石畳に伏せた。腕が頭の上を通過した。風圧が来た。次の動作を待った。


 来なかった。


 音がした。低く、機械的な音——ゴーレムの内部から。赤い光が、一度強くなって、消えた。


 胸部が暗くなった。


 両腕が止まった。半分まで上がりかけていた右腕が、その位置で固まった。動かない。次の動作が来ない。


 広間に、静寂が来た。


「止まったか」ノルが言った。


「停止を確認しました」ヴェルダが言った。声が少し掠れていた。「命令が受理されました」


 恒一は石畳から体を起こした。脇腹に熱があった。右腕の衝撃が残っていた。どちらも動ける範囲だった。


 ゴーレムは動いていなかった。半分に上がった右腕が、そのままの角度で固定されていた。胸部の光が消えていた。目——眼球に相当する部分があるとすれば、だが——は、前を向いていた。何も追っていなかった。


「命令の内容は」恒一は聞いた。


「停止です。作戦行動の終了」ヴェルダは術式の板を収めながら言った。「元々の起動命令の相手が発信しているわけではありません。外部からの強制停止です。ただし——」ヴェルダが少し止まった。「命令の送信先を確認した時に、想定していなかったものがありました」


「何が」


「後でお話しします」ヴェルダは板を完全に閉じた。「ここでする話ではありません」


 リガードが近づいてきた。ゴーレムの前腕を叩いた——石が石を叩く鈍い音がした。微動だにしなかった。「完全に止まっているな」リガードは言った。確認のための言葉だった。


「ああ」ヘルマが答えた。


 ヘルマが広間の壁を一度確認した。崩落の影響が、この層まで伸びている亀裂を目で追っていた。ベックが剣を収めた。ノルが後方の通路を振り返った——習慣的な警戒だった。敵意感知の緊張が、少し緩んでいた。それが広間にいる全員に伝わっていた。


 足の裏が石畳の振動を読んでいた。ゴーレムの踏み込みが来ない。その無音が、停止の証拠だった。


 沈黙が広間に広がった。7層の空気が、音の伸びを飲み込んでいく。ランプの光だけが揺れていた。胸部の赤い光がない分、広間が暗かった。


 二ヶ月分の積み重なりが、この瞬間で区切りを打った。そういう感覚があった。


「上がろう」恒一は言った。「ヴェルダさんの話を聞く」



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