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AI少女の転生特典  作者: 鳴島悠希


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第64話 刻まれたもの

 最初は熱だった。


 体の内側から広がる感覚——石の重さは、なかった。冷たい床もなかった。ゴーレムの赤い光もなかった。あったのは体の芯にある熱だけで、それが外に向かって広がっていくのを感じた。


 次に音が来た。


 足音が複数あった。石畳に当たる音の質——閉鎖空間だが、7層の空気ではない。乾燥の具合が違う。もっと上だ。7層の空気は古く、乾いていた。この空気には、それがない。どこか違う層の、別の空気の質だった。


 ランプの光が遠くにある。天井が低い。7層の広間ではない。


 ——どうやって出た。


 答えは後でいい。体の感覚を先に確認した。痛みがない。そのことの方が奇妙だった。崩落に巻き込まれて、石が来て、石が乗って——その後の記憶がない。普通ならどこかが動かないか、熱を持っているかするはずだった。しかし、ない。


 瞼を開けた。


 光が来た。目が慣れるまで数秒かかった。石造りの天井。柱の影。ランプが二つ、遠くに置かれていた。


「来た」


 声がした。ヘルマだった。


 首を動かした。ヘルマが立っていた。腕に包帯が巻かれていた。ノルが横に膝をついていた——顔が青白かったが、目が開いていた。ベックが壁際に立っていた。右腕を体に寄せていた——庇っている。リガードがその背後にいた。


 ユミナが、すぐそこにいた。


 床に片手をついて膝立ちになっていた。顔がいつもより白かった。目が合った。何か言いたそうな顔だったが、何も言わなかった。


「——外に出たのか」恒一は言った。喉が乾いていた。「7層から」


「上がった」ヘルマが答えた。「1層の、エントランス付近だ」


 崩落の下にいた。そのはずだった。石の重さが全部外の話になって——その先は覚えていない。どうやって外に出たのかの記憶がない。最後に見たのは、ゴーレムの赤い光だった。


「誰が」


「ユミナ導師が救ってくれたんですよ」ノルが言った。「物体転移とかとんでもないっすね」


 物体転移。恒一は言葉を一度頭の中で転がした。


 勿論、恒一はそんなことはないとわかっていた。

 潰れた物体を転移させたところで潰れたままである以上、今の自分が在るのは、転移されただけで済むはずもない。


 むしろ、崩落した石の下敷きになった恒一を石をそのままに救った、転移を伴ったという話であるなら、ユミナの再構築(リライト)は恒一の身体を治すなんてレベルの代物ではない。まさに再構築しているのだ。


 ユミナはまだこちらを見ていた。視線を返すのが辛かった。

 ここで働いているのは一体何のためなのか、さらなる消耗をユミナに強いてどうする。

 返す言葉はあるのか。ありがとう、なのか。ごめん、なのか。


 恒一は意を決して視線を返す。


「助かった」


 迷った挙句に出た言葉はそんなものだった。


 ユミナは頷いた。


 その後に続く声が出なかった。


 ノルが水袋を差し出した。受け取って飲んだ。冷たかった。乾いていた喉が少し戻った。


「外傷の確認、していいですか」ノルが言った。


「ああ」


 ノルが腕や側面を確かめていった。骨の感触を拳で叩きながら確かめる方法はこの二ヶ月半で見慣れていた。脇腹——7層で熱が走ったところ——を叩いて、ノルが眉を寄せた。


「——ここ、打ってませんか」


「打った」


「反応が薄いんですけど」


「気にするな」


 ノルが何か言おうとして、止めた。見立てを続けた。数分後、立ち上がった。「崩落に巻き込まれた割に、ほぼ無傷なんですよね」ノルは言った。「……どういうことなんですかね」


「悪運だろう」


「悪運で崩落から無傷ってことにはならないんですが」ノルはそれ以上は言わなかった。安堵の方が疑問より大きいらしかった。


 ベックが壁から離れた。近づいてきた。何も言わなかった。肩に手が来た。一度だけ、強く押した。それだけだった。ベックなりの言い方だと分かった。


 リガードは少し離れたところに立っていた。腕を組んでいた。恒一と目が合った。何も言わなかった。一秒、それだけ見て、視線を外した。


「担架を担いでくれたか」恒一は聞いた。


「ヘルマと二人でな」リガードは前を向いたまま答えた。「重かった」


「……そうか。ありがとう」


「礼はいらない」短く言った。「次も来るなら使えるものは使う、それだけだ」


 嫌味ではなかった。褒め言葉でもなかった。ただの事実として言った。合流したばかりの頃に「ガキは後ろにいろ」と言った男が、今は「次も来るなら」と言った。それが何を意味するかは、言語化しなくていい。


「ゴーレムは」恒一は聞いた。


「崩落で通路が塞がれた」ヘルマが言った。「今は7層に戻っている。一時的に封じられた状態だ」


「停止命令は」


「ヴェルダが別の手段を探している。接触が必要という条件は変わっていないが——接触できる状況を先に作る方法を、ということだ」


 恒一は一度頷いた。崩落が幸いして、時間が稼げた。しかしゴーレムが止まったわけではない。塞がれた通路はいずれ迂回される——あるいは、こちらが先に接触の手を作る必要がある。


「いつまで持つ」


「崩落の安定次第だ。早ければ——」ヘルマが少し止まった。「翌日から次の策を立てる必要がある」


 一日。それだけある。


 体を起こした。石畳に手をついて、片膝を立てた。


 立ち上がった。


 ——何かが、違った。


 足の裏に来るものが、変わっていた。石畳を通じて伝わる微振動——これは普通に分かることだ。しかし今は、振動の方向が読めた。どの柱が、どの壁が、どの方向に重さをかけているか。床を介して空間の重心が見える——そういう感覚があった。


 ヘルマが地盤整流を使うたびに、足元が隆起し、踏み潰され、また隆起していた。あの繰り返しの振動を、恒一はずっと足の裏で受け続けていた。それが今になって——


 違う。覚えていた、のではない。


 体が読んでいる。


 恒一は一歩踏み出した。左前方の柱の基部が微かに傾いている——崩落の影響がこの層まで来ている。それが足から分かった。頭で考える前に、足が教えてくれた。


「立てるか」リガードが言った。


「立てる」


 答えが出るより先に、体が答えていた。


 ノルを見た。ノルが地面に座っていた——敵意感知(センスエネミー)を展開し続けた消耗か。ノルの呼吸が浅い。普通に見れば分からない差だが——リズムが短くなっている。今の彼に負担はかけられない。


 その判断が、頭より先に来た。


 ノルの呼吸のリズムを、いつから読んでいたのか。横にいるだけで、次の術式が来るタイミングが分かる感覚があった——二ヶ月半、ノルと並んで戦ってきた蓄積か。しかしこれまでそういう感覚はなかった。気づかなかっただけか、今初めて出てきたのか。判断できなかった。


 何がどう変わったのかは、まだ言葉にならない。しかし何かが変わった。それだけは確かだった。


 ユミナがゆっくりと立ち上がった。膝が揺れた。一歩踏み出して、止まった。


 恒一は一歩前に出た。


「無理するな……しないでくれ」


「しては…いません」ユミナは言った。事務的な口調だったが、声が少し掠れていた。「恒一さんの身体はどうですか」


「何も問題ない」恒一は言った。「同じようなことを、俺も言った気がする」


 ユミナが少しの間、黙った。


「——どちらも嘘ではないので」ユミナはまた事務的な口調に戻った。「同じようなことは、よく言います」


 崩落の直前に何を思ったか——ユミナに何かを言ったか——言えたかどうかも、はっきりとは覚えていない。聞くことは、しなかった。


 聞かなくていい理由が、今ここにある。どちらが先でも、どちらが後でも、ここにいる。


「上がろう」恒一は言った。「報告がある」


「ヴェルダに」ヘルマが言った。「グレンにも」


「ゴーレムの停止についても。崩落で通路が塞がれている間に、接触できる状況を作る手を考える必要がある」ヘルマが頷いた。「それも含めて、だ」


 エントランスに向かって歩き始めた。


 足の感触は、まだそこにあった。石畳の継ぎ目ごとに、わずかな重さの偏りが来る。壁の厚みが変わる場所で、振動の質が変わる。それが分かる。


 二ヶ月半前の恒一には、分からなかった。


 ヘルマが横を歩いていた。地盤整流を使っていない——今は1層だ。しかし、ヘルマの歩き方そのものに、整流の名残がある。重心の置き方が、地盤の応答を常に読んでいる者のそれだった。その歩き方を、恒一の足が追っていた。


 どこから来たのかは、まだ分からない。


 ユミナが後ろを歩いていた。一歩の幅が短い——消耗している時の歩き方だった。二ヶ月半で覚えた、彼女の消耗の出方だった。それは以前から分かっていた。しかし今は、それが数歩先から読める。追いつく前に遅くなることが分かる。


 何が変わったのかは、上がってから考えればいい。今は、上がることだけだった。



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