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AI少女の転生特典  作者: 鳴島悠希


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第63話 三度目のリライト

 通信術式の板が鳴ったのは、石灰岩の欠片を紙の上に並べていた最中だった。


 七十三番碑文の第四節——残欠の三文字がいまだに読めていない。参照元を三冊開き、欄外に書き込みを続けていた。ランプの明かりが今朝からずっと微かに揺れていた。窓枠のどこかから海風が入っているのか、あるいは手が揺れているのかを確かめることを、ユミナはしていなかった。どちらでもよかった。


 板を取った。ヘルマからだった。


「コイチが崩落の下にいる。掘り出せない——石の量が多すぎる。文献魔法(アーカイブアーツ)に重量制御はないか」


 ユミナは板を持ったまま、しばらく立っていた。


 重量制御はある。文献魔法(アーカイブアーツ)は物質の物理的性質を直接書き換えることができる。


 しかしヘルマが問うているということは、地盤整流でも手が届かないということだった。

 地盤そのものを動かせても、崩落した石の重量がすでに積み重なって固定されているなら——すでに恒一は生きてはいない。


 心臓が冷えるのがわかった。


「行きます」とユミナは打った。「他の方法があります」


 板を置いた。


 補助薬を飲んだ。今朝から二回目だった。三回目は取り出しかけて、やめた。午後に使う分を残す。そう判断した——そう判断できたということは、冷静だった。冷静であることと、急いでいることは別だった。


 引き出しを開けた。


 下書きの束を取り出した。


 一回目のそれは薄かった。二十年分の理論は詰まっていたが、実物のデータはほぼなかった。二回目は修正だった。八日間の観察——癖、歩幅、利き手の細い誤差。理論ではなく実物に引き寄せた。あの時は馬車の轍の中でやった。急いだ。間に合った。


 今回の束を手に取った。


 厚い。指先でわかるほど厚い。七層分が加わっている——二ヶ月半の探索と、無数の接触と、恒一が積み上げてきた観察と判断の記録が刻まれていた。文献魔法は「読む者が読んだもの」を蓄積する。ユミナが恒一の構造を読み続けた分だけ、下書きは厚くなる。ページを繰ると、見慣れない記述が何枚か混じっていた——ユミナが意識的に書いたのではなく、いつの間にか積み上がっていた痕跡。恒一の身体が「考えたこと」の記録。解析の副産物ではなく、彼自身が書いた記述だった。


 彼自身の記述なら。


 下書きの束を胸元に抱えた。部屋を出た。


 ---


 ダンジョンの入口から少し奥、一層の東側通路の手前に彼らはいた。


 崩落は予想より広範囲だった。天井から落ちた石が床に積み重なり、通路の幅の半分以上をふさいでいた。石と石の隙間から白い粉が細く流れていた——崩落はまだ完全に安定していなかった。


 リガードが横面を叩いていた。石を割ろうとして、止めた。割れば上がさらに崩れる。


「来た」ヘルマが言った。全員が振り向いた。「重量制御は——」


「ありますが間に合いません」ユミナは石の山に近づきながら言った。「別の方法を使います」


「別の方法、というのは」ノルが言いかけた。


 ユミナは崩落の端、手前の石に左の指先を当てた。返事をする前に、先に確認した。


 文献魔法(アーカイブアーツ)は物体の構造を文字として読む。石は石で文字ではないが、その存在の情報を「テキスト的な存在」として文献魔法(アーカイブアーツ)は読める。探した。石の下、三歩ほどの深さ——


 あった。


 損傷の状況を確認した。石の重量による圧迫が全身に及んでいた。骨格への影響はこの範囲、神経の優先順位はここ。息は止まっている。しかし構造はまだ読める。読めるということは、間に合う。


物体転移(アポート)で取り出せます」ユミナは言った。石から指を離さずに、後ろへ向かって言った。「下がっていてください」


 沈黙があった。


「——物体転移なんて出来るのか。そんなことが出来る魔法使いなんて長くこの仕事で聞いたことがない」リガードが言った。


文献魔法(アーカイブアーツ)の秘奥の一つです。対象の構造を読んで、解いて、別の場所に再現します。石の下から救い出せます」


「救い出せる」ノルが繰り返した。「石を退けずに?」


「はい」


 また沈黙があった。ヘルマが石の山を見た。それからユミナを見た。


「使えるのか」


「使えます。時間をください」


 足音が後退した。三人分——リガード、ノル、ベックが下がった。ヘルマだけが数歩分その場に残り、しばらくして、ヘルマも動いた。


 ---


 文献魔法(アーカイブアーツ)における物体転移(アポート)の原理は——「対象の構造を読み、解き、別の場所に再現する」ことにある。


 ユミナが今から行うことは、その原理と、ほぼ一致していた。


 ほぼ、だった。


 しかし、テレポートではなく、アポートと呼ばれる理由は何か。

 文章情報にして再現する秘奥であることから、文章に変換できる情報量には制限がある。


 つまり、高密度情報の塊である人間を物体転移(アポート)させるなんて本来なら人の把握できる情報量を超えてしまい誰にできない。


 だが再構築(リライト)は。


 その人間という膨大な情報量をLLMとしての処理能力で実現し「あるべき記述」を参照して再定義する——損傷を補完し、蓄積された観察を身体に刻み直す。

 物体転移(アポート)を人の情報量までに拡張したものがユミナの再構築(リライト)。そして、その拡張の方向性では再現できないはずの魂、精神をそこに戻すのは——。


 ユミナは、軽く首を振り、その思考を頭の中から追い出した。

 今はそんなことを考えている場合ではないし、神聖魔法(ディヴァインアーツ)を使うノルが気にはなるが、今の彼の力程度であれば、大丈夫だと確信できる。


 左手を石の山の表面に当てたまま、右手で下書きの一枚目を取った。


 読み始めた。


 最初は確認だった。石の下の構造——崩落による損傷の範囲。骨格、筋組織、神経。石の重量からの推算と、直接読んだ結果が一致した。把握した。


 次に、解いた。


 石の下の「恒一という構造」を、ユミナは文献魔法(アーカイブアーツ)で解き始めた。物理的に動かすのではない。テキスト的な存在としての構造を、一度読み切って——解放する。石が邪魔なら、石の外でもう一度構築すればいい。物体転移と呼べばそうなる。リライトと呼べばそうなる。やっていることは同じだった。


 二十ページ目に入った時、手が止まった。


 その記述は、ユミナが書いたものではなかった。


「足元の微振動から荷重移動を読む——地盤が先に動く。重心を後ろに——」


 地盤整流の運用下での身体感覚。ヘルマが整流を使いながら戦う場に、恒一は七層まで立ち続けた。それが身体の記録として刻まれていた。


 次の一枚。


「拍動のリズムの変化から——術者の消耗を先読みする。リズムが短くなり始めたら——」


 ノルの敵意感知(センスエネミー)の展開リズムを、横で読み続けた結果だった。


 また次の一枚。


「重量を乗せた打撃の反動を——角度で吸収する。流すのではなく、受けた重さを方向に変える——」


 ベックの盾さばきか、リガードの旋転打撃か。恒一が隣で見て、観察して、自分の剣に応用しようとした記録だった。


 また次の一枚。


「剣に纏わせれば、引っ張られる形になるか。完成形ではない。方向だけ合わせる。止まれなくてもいい。届けばいい——」


 恒一が自分自身に書いた記述だった。


 使用された後の記述だった。崩落の中で、誰かを守るために使った後の記録。使い切った記述は、使う前と密度が違う。ユミナには分かった。


 これが全部、今から彼の身体に刻まれる。


 ユミナは続けた。


 ---


 消耗が来た。


 底が静かに遠くなる感覚だった。それでも続けた。解く作業と、参照する作業と、再構築する作業——三つを同時に走らせながら、次のページ、また次のページ。石の下で解かれていく構造が、崩落から数歩離れた開けた場所に集まり始めていた。


 ユミナには見えていなかった。目を開けていたが、見ていなかった。手の中の下書きと、左手の先で続く構造の読み取りに、視界の全部が使われていた。


 最後の三枚。


 読んだ。


 読み終えた。


「——」


 後ろで、誰かが息を呑んだ。


 ユミナは顔を上げた。


 崩落から数歩離れた石畳の上に、恒一が横になっていた。石灰の粉が服についていた。顔はほぼ無傷だった。胸が——微かに動いた。


「あれだけの崩落に巻き込まれたのに——この程度で済んでいるとは」


 リガードの声だった。低く、抑えた声だった。


「崩落が全部避けたとしか思えない」ノルが言いかけた。「どうして——」


「転移の過程で、状態を参照します」ユミナは言った。声が、想像より平らに出た。「多少の整合は入ります」


 誰も返事をしなかった。


 しばらく沈黙があった。崩落の石からまだ白い粉が落ちていた。遠くで、7層の空気が動く音がした。


「……悪運が強いな、あいつは」


 リガードが言った。称賛でも呆れでもなかった。もっと別の何かだった。


 ノルが恒一の横に膝をついた。脈を確かめ、息を確かめた。「生きてます」と言った。声が少し震えた。「生きてます、普通に」


 ヘルマがユミナの横に来た。恒一の様子を確認してから、ユミナを見た。


「ユミナ、お前の方は」


「問題ありません」


 消耗の底はまだ遠くにあった。声の出る間は、大丈夫だった。


 石畳の冷たさが膝から来た。いつの間にか膝をついていた。声が出る間は、立っていられると思っていた。それだけのことだった。



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