第58話 深層許可
素材取引所から圧搾機の音が届いていた。
午前の探索班が帰ってきた時間帯で、1層で採取した鉱石が搬入されていた。取引所前には荷車が並び、石板の上に木箱が積まれていた。恒一は会社への道すがらそれを横目に見た。荷の量が先週より少ない気がした。気がした、という程度のことを、恒一はこのところ頭のどこかで積み上げていた。
ユミナの顔色が戻っていた。魔力石の等級を上げてから三日、食事もとれている。「均衡が崩れている」と言っていた状態が少し持ち直した——少し、だった。根本は変わっていない。それは恒一が一番よく知っていた。しかし今日のところは、朝食の席に現れた。それだけで報告書の筆が進む気がした。現金だとは思った。思いながら、事実だった。
今週から等級を上げた魔力石が届いている。先週より少し大きく、重い石だった。価格も上がった。月の報酬から出せる金額だった。
事務棟の廊下に入ったところで、人だかりがあった。
掲示板に紙が貼られていた。「臨時探索許可・6層以深——有効期間:来月末まで」。文字の端に社長の花押がある。恒一は後ろから読んだ。隣でベックが一言も言わずに踵を返した。何かの準備をしに行くつもりだと、恒一は思った。
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午後、全班長と主要メンバーが応接室に呼ばれた。
グレンが立っていた。椅子には座らなかった。義腕を机の端に載せて、右手だけで紙を一枚持った。応接室に石油ランプが三つ、壁際に置かれていた。昼間でも光が足りない部屋だった。ランプ油の匂いが薄く漂っていた。
「ガルシュタインが3〜5層の優先探索権を競売で取った」
グレンが言った。余分な前置きがなかった。
「今季から奴らが中層の大半に優先的に入れる。うちの探索権も残るが、収益の上限が見える。素材を大量に流通させて相場を下げれば——ガルシュタインはそれをやる——うちが同じ層で採取しても利幅が縮む。来期は赤字になる可能性が高い」
恒一はその構造を、三十秒で把握した。前の職場で何度も見た話だった。以前から予測できた帰結だった。買収提案を断った後、次の手を打つことは見えていた。大手が主戦場を押さえて、競合を主要市場から締め出す。残った市場だけで戦わせて、徐々に消耗させる。金の問題じゃない——排除だ。感情ではなく、経営の手順だった。
「6層以深の臨時許可を取った。来月末までの期限付きだ」
ヘルマが手を上げた。「現状、6層以深の他社マップは」
「断片的だ。参考になるものは少ない」
「自社での先行調査は」
「していない。お前たちが最初になる」
「分かりました」
ヘルマの返答は短かった。「分かりました」は受け入れた、という意味ではなかった。状況を把握した、という意味だった。そこから先は自分の仕事だと、ヘルマはそういう人間だった。
部屋の奥で別の班長が「準備期間は」と言った。「二週間だ」とグレンが返した。短いと思うかもしれなかった。誰も言わなかった。
「ガルシュタインは6層以深に入っていない。大手が手をつけていない唯一の域が、今のところそこだ。期限中に実績と安全データを積む。それが来季の競売で使える材料になる。深く潜れば大手にない素材で差をつけられる——それが賭けだ」
「ただし7層には今期は入らない」グレンが続けた。声の質が少し変わった。「6層の安全確認が完了するまで、7層は全面禁止にする。命令違反は解雇だ」
応接室が静かになった。誰もグレンの義腕を直接見なかった。見ないことで、全員が同じことを考えていることが分かった。
ゴーレム部品を転用した義腕だと、入社の早い時期に聞いていた。7層で片腕を失い経営に転じた——それがグレン・ドラクという人間の来歴だった。動く指が三本。力仕事には使えない。書類を抑えることと、コップを持つこと。それだけの義腕だった。
「利益は生きて帰ってから数えろ。それがうちの方針だ。6層を徹底的に調査する。それだけだ」
解散後、廊下でヘルマに捕まった。
「6層の密度環境について、仮説はあるか」
「5層より均一な密度になる可能性があります。魔力感知の精度は5層でも落ちていました。6層ではさらに下がると想定しています」
「正直に言えた」ヘルマが言った。「私の精霊感知も、深くなるほど応答が鈍くなる。5層より条件は悪くなる」
「補完できますか」
「試みながら進む。お前の観察眼は感知術式に頼らない部分もある——6層で役に立つかもしれない」
ヘルマはそれだけ言って、装備室の方向に歩いた。
ノルが後から来た。廊下の角でばったり会う形だった。
「先輩、6層って行ったことある人いるんすかね」
「断片的だと聞いた。降りた人は少ないかもしれない」
「ですね」ノルが壁に手を当てた。「父が死んだのが5層で——6層はその向こうで」
少し止まった。
「まあ。行ってみれば分かるっすよね。先輩も一緒ですよね」
「一緒だ」
「じゃあ大丈夫っす」
軽い言い方だった。ノルが「大丈夫っす」と言う時は、大丈夫だと思い込もうとしている時だった。恒一はそれをこのところ少し分かるようになっていた。
「ノル」と恒一は言った。「5層で膝をついた場所——また通ることになる」
「知ってます」ノルが頷いた。「6層はその先っすよ。向こうに行けば、向こうの話がある。そういうことっす」
それだけ言って、ノルは別の棟に折れていった。
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夕食の食堂で、ユミナが席にいた。
碑文の写しを広げて、皿の上に食事があった。研究と食事を同時に進める形で、少なくとも食べてはいた。恒一は自分のトレイを持って別の席に座った。今夜は魚のスープだった。塩が少し強かった。
今日の話は、今夜ユミナにする必要はなかった。グレンが全員に通達を出している。どこかで耳に入るだろう。
ユミナは碑文に集中していた。来月末まで。ユミナはここで研究を続ける。恒一は6層に入る。分かれた目的が、この場所で一時的に重なっている——今はそういう時期だった。
夜、報告書を書きながら今日の話を整理した。
ガルシュタインが3〜5層の優先権を押さえた。ドラク商会の中層での収益が縮む。グレンが6層に出た。前の職場で見た構造だった——大手が主要市場を押さえ、競合を締め出す。対抗策は一つしかない。相手がまだ入っていない場所で実績を作り、そこを強みにすること。
グレンの判断は正しかった。選択肢の中でリスクとリターンが最も釣り合っている手を、グレンは使っている。経営者としてのグレンがその理由を持ち、元冒険者としてのグレンが7層の禁止令を出した。その両方が、一人の人間の中に同時にあった。
6層での自分の役割を、恒一は考えた。浅層では魔力感知と観察を組み合わせて地形を記録した。5層でその限界を確認した。6層ではさらに精度が落ちる。感知できないなら、記憶を頼りにする。歩いた道を身体に刻む。報告書に書けることが少なくなるかもしれない。書けないことが、増えるかもしれない。
報告書の紙が、指の下でわずかに湿っていた。夜になると港からの湿気が入ってくる。最後の行を書いた。6層に何があるかを、今の恒一は知らない。知らないまま降りる——それがこの仕事の形だった。来月末まで。準備に使える時間は多くない。




