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AI少女の転生特典  作者: 鳴島悠希


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第56話 半分の真実

 報告書を書いていて、手が止まった。


 ユミナの食事の席が、三日続けて空だった。


 最初の日は研究が長引いているのだと思った。文献解析部門には仕事量に波があり、忙しい時期は食事より作業を優先することがあるとヴェルダが話していた。二日目も、同じ理由で流した。三日目の夜、食堂でノルが「ユミナさんって最近食堂に来ないっすね」と言った。それを聞いて恒一は、三日分の欠席が数字として揃った。


 報告書の続きは後回しにした。


 ---


 ユミナの部屋のドアを叩いた。返事がなかった。


 もう一度叩いた。少しの間があって、「……どうぞ」という声がした。いつもより間が長かった。


 中に入ると、ユミナが机に向かっていた。碑文の写しが積まれていた。5層で採取した壁面の写しが混じっているのが見えた。ユミナが椅子を回した。目が恒一を確認して、碑文から戻るまで、一拍以上かかった。


 顔色が悪かった。悪い、という言葉より、色が薄い、という表現が近かった。頰の輪郭がはっきりしすぎていた。


「食事をしていない」


「……報告書の提出が」


「三日分だ」


 ユミナが少し黙った。「気づいていたんですか」と言った。


「三日気づかなかったことを反省している」


 ユミナが小さく笑った。疲れた笑い方だった。


 ---


 魔力石を手配し始めたのは、エルセアに来て一ヶ月が経った頃だった。


 ダンジョン産の素材がユミナの消耗に効く可能性がある——ダラの話を聞いてから、それが頭を離れなかった。実際に入手ルートを調べ、ドラク商会の素材取引部門経由で月に一度、指定の等級の魔力石を手配していた。ユミナの部屋に黙って置いてある。受け取ったという話はしない。置いておくだけだった。


 効いていた。少なくとも、最初の数ヶ月は。


 最近、効いていない気がしていた。


「魔力石の等級を上げる」と恒一は言った。「今月の報酬分で追加できる。言ってくれれば手配した」


「そこまでしなくて……」


「お前の消耗の原因について、正確に教えてもらいたい」


 ユミナが手を膝の上に置いた。


 恒一は部屋の端の椅子を引いて座った。急かさなかった。ユミナが何かを言う準備をしているのを待った。


 ---


「転生特典を、改変しました」ユミナが言った。「あなたを再構築(リライト)するために、旧き者の恩寵を私の文献魔法(アーカイブアーツ)で書き換えました。その代償として、私の魔力が継続的に消耗しています」


「継続的に、とはどういう意味だ」


再構築(リライト)の維持に魔力を使い続けています。一度構築した以上、維持コストがかかる——それが消耗の原因です」


 恒一は少し考えた。


「エリンに来る前から消耗していたのか」


「はい」


「ここに来てから、魔力石で緩和できていたのは」


「ダンジョン産の素材は魔力の回復を助けます。消耗を止めることはできませんが、回復が追いつく限りは均衡できます」


「最近はその均衡が崩れている」


「……はい」


 言い方が事務的だった。整合性があった。説明の構造が、答えるべき問いにきれいに答えていた。


 恒一はユミナの目を見た。


 ユミナの目が、一瞬だけ——泳いだ。


 ほんの一拍だった。視線が恒一から、碑文の写しの端へ、それから戻ってきた。それだけだった。話の内容は変わらなかった。表情も崩れなかった。


 ただ、その一拍があった。


 ---


「分かった」と恒一は言った。


 ユミナが少し驚いた顔をした。追及が来ると思っていたかもしれなかった。


「魔力石の等級を上げる。あと——研究の量を減らせるか。当面の間」


「ヴェルダさんに迷惑が……」


「そっちはグレンさんに話す。お前の体調は今の会社で一番重要な資産だと、それは本当のことだから言える」


 ユミナがまた、疲れた笑い方をした。「恒一さんは、そういう言い方をするんですね」


「会社員だったので」


「……はい」


「食事を持ってくる。今夜は食べろ」


 ユミナが頷いた。


 ---


 廊下に出て、恒一は少し歩調を落とした。


 説明は整合していた。転生特典の改変に魔力を使い続けている——それは恒一にとって受け入れられる理由だった。理屈が通っていた。エリンでユミナが「代償は私の魔力の一部です」と言った時から、恒一はそれを信じていた。信じていたというより、信じることにしていた。


 しかしあの一拍。


 視線が泳いだのは、泳いだ。恒一はそれを見た。


 前の会社で、部下が数字の報告をする時のことを思い出した。数字が正確でも、根拠の一部を省いている時——話し方の密度が変わる。説明が整いすぎる。問いに対して過不足なく答えてくる。それは答えとしては完璧だが、何かが足りない。


 ユミナの説明は、ちょうどその密度だった。


 だからといって、今夜これ以上聞くことを恒一は選ばなかった。ユミナが話す気になった時に、もう一度聞けばいい。今夜そこまで踏み込むことが正しいとは思えなかった。


 しかし、廊下の途中で足が止まりかけた。


 二夜前のことを思い出した。ヘルマとノルと、あの飯屋でスープを飲んだ夜。線を引いた覚えがなかった。引こうとした覚えもなかった。ただ隣にいただけだった。それで、二人のことを知った。ノルが膝をついた場所のことも、ヘルマが帰れない理由も、聞き出そうとしたわけでなく——気づいたら知っていた。


 あの夜、線を引かなかったことが正しかったと、今の恒一は思っている。


 では今夜は。


 ユミナの目が泳いだのを見て、それ以上聞かないと選んだ。「ユミナが話す気になった時に」——それは選んだ言葉だった。意図して選んだ、境界線だった。


 あの夜の「引かなかった」と、今夜の「引いた」は、違う。


 どちらが正しいのか、廊下を歩きながら分からなかった。ユミナを守るために引いたのか、ユミナに踏み込まないために引いたのか——その差が、自分の中のどこにあるのかも。


 食堂に向かった。今夜は閉まっていない時間だった。



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