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AI少女の転生特典  作者: 鳴島悠希


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第51話 手が覚えていた

 退路の判断については、書くことが多かった。


 魔力感知(センスオーラ)で天井の亀裂密度を比較した。来た道の亀裂は熱脈の圧力上昇以降に広がっていた。右の分岐の亀裂は小さく、床下の熱脈がやや遠かった。その差を根拠に、右の分岐を選択した。根拠と結果を並べれば、報告になる。


 問題は、次の項目だった。


 ヘルマから指示された「石を受けたときに使った術式の組み合わせ」——それを書こうとして、恒一は何度か手を止めた。


 事実を並べると、こうなる。センスオーラで落石の軌道を確認した。火矢(ファイアボルト)を後方の床に向けて放った。反動で前方に移動した。剣の平で落石を受けた。体の重心が調整され、衝撃を逃がした。


 問題は「調整され」という部分だった。


 体が動いた。考えた、という記憶がない。センスオーラが弾けて、次に気づいたら二人の前に立っていた。その間に何を判断したのか、順序が分からない。体が先に動いて、判断が後からついてきた感覚だった。前の会社でも、部下の資料に数字の誤りを見つけた瞬間、手が先にそのページを開いていたことがあった。しかしあれは習熟の問題だった。これは違う。


 「体が自動的に術式を発動し、最適な位置に移動した。本人の意図的な判断の記憶はない」


 書いてみた。消した。正確だが、班長への報告としては異常すぎる。


 結局、事実の列挙だけにした。「意図」については書かなかった。


 書き終えて机の上に置き、窓の外を見た。ドラク商会の建物の影が、港に向かって伸びていた。今日は曇りだった。日の光が薄く、影も薄かった。


---


 翌朝、ヘルマに呼ばれた。


 奥の部屋ではなく、一階の記録室だった。地図と報告書が並んでいる部屋で、ヘルマは机に向かっていた。恒一の報告書がその前に置いてあった。


「読んだ。退路の判断については問題ない」


 ヘルマが報告書を指で叩いた。


「術式の記述について、一点確認する。火矢を後方に放って反動を使った——これは意図してやったのか」


「……やりました。ただ」


「ただ、何だ」


「なぜそのタイミングでそうしたのか、自分でも説明できません。気づいたら放っていました」


 ヘルマが恒一を見た。評価する目だった。責める目ではなかった。


「センスオーラで落石の軌道を確認してから、どれだけの時間があったと思うか」


「短かったです。一秒もなかったと思います」


「その間に判断したか」


「……していないと思います」


「では術式の発動を選択したのは誰だ」


 答えられなかった。「自分だと思います」とは言えた。しかし「自分が判断した」とは言い切れなかった。


 ヘルマが少し間を置いた。


「以前から、こういうことがあったか。考える前に体が動く、という」


「ありました。戦闘中に位置を変える、ということは何度か」


「今回が初めて、術式と組み合わせた、ということか」


「そうです。火矢の反動を前方への力として使ったのは、初めてです」


 ヘルマが視線を報告書に戻した。しばらく、何も言わなかった。何を考えているのかは分からなかった。恒一は黙って待った。


「ベックの怪我が治るまで、探索は延期だ。三日から四日かかる」


「はい」


「その間、火矢を一人で練習しておけ。後方に放って前に出る——あれを、意図してできるかどうか確認しろ」


「できなくてもいいですか」


「できなくてもいい。記録しておけ」


 ヘルマが書類を重ね直した。それ以上は何も言わなかった。


---


 廊下に出たところで、ノルが待っていた。壁に寄りかかって、腕を組んでいた。


「どうでした」


「練習しておけ、と言われた」


「あー」ノルが頷いた。「ヘルマさんがそう言う時は、ちゃんと見てる証拠っすよ。問題ない、で終わったら引き出しに入れて終わりっすから」


「ベックの状態は」


「ひびなし、強打で確定。明後日には動けるって。——先輩」


「何だ」


「あの時、なんで飛び込んだんすか」


 恒一は何と答えるべきか分からなかった。


「見えたので」


「……それだけっすか」


「それだけだ」


 ノルが少し黙った。それから「そうっすか」と言って、廊下の奥に歩いていった。振り返らなかった。


---


 午後、ベックの部屋を訪ねた。


 ドアを二回叩くと、「入れ」という短い声がした。ベックはベッドに座っていた。右肩に布が巻かれていた。剣は壁に立てかけてあった。


「肩の具合は」


「問題ない」


「明後日から動けるそうだ」


「聞いた」


 部屋が静かだった。港の音が遠く聞こえた。ベックは恒一を見ていた。何かを言おうとしているのか、それとも何も言う気がないのか、判別がつかない顔だった。


「あのとき」


 ベックが口を開いた。ゆっくりと、一語ずつ確かめるように言った。


「ノルのそばに入ったのを、見ていた。肩に当たった後、見ていた」


「そうか」


「……助かった」


 それだけだった。恒一は頷いた。ベックも頷いた。それ以上の言葉は、二人とも出なかった。


 部屋を出た。廊下に出て、一人になった。「助かった」——あの言葉を、ベックは今回で二度言った。ノルが言っていた、半年で初めて聞いた、と。それから数週間で、二度目になった。


 恒一には、それが何を意味するのか、まだよく分からなかった。


---


 その夜、中庭で一人で試みた。


 壁から三歩離れた位置に立って、後方の地面に向けて火矢(ファイアボルト)を放った。反動が来た。後ろに飛んだ——いつも通りの反動で、前ではなく後ろだった。


 前を向いた状態で撃った。今度は後方下に向けた。反動で一歩、前に出た。膝の出し方が浅かった。あの時のような速度が出なかった。


 三度やった。四度やった。毎回、一歩か二歩だった。あの日、二人の前に入り込むまでに何歩あったか——感覚では四歩か五歩は移動していたはずだった。


 五度目の後、中庭の石の縁に座った。左肩がまだ少し痛んだ。石が掠めた場所だった。


 体がやったのは本当だ。しかし体は、今は同じことをやってくれない。あの場所に、あの二人がいて、あの石が落ちていたから——体が動いた。その条件のどれかが欠けていると、同じ反応が出なかった。条件反射とは違う。ただの反射でもない。あれは、考える前に出た答えだった。誰の答えかは、まだ分からなかった。


 ヘルマは「記録しておけ」と言った。恒一は今日の試みを頭の中で整理した。何度やったか、どの程度前に出られたか、できなかったことは何か。報告書として書けば、事実の列挙になる。なぜできなかったか、という欄は——今は空白のままにしておくしかなかった。


 夜風が来た。潮と、どこかで焚かれている薪の匂い。地上の空気は、ダンジョンと全然違う。


 三日後か四日後、また降りる。次に同じことが起きたとき——体が動いてくれるか、それとも今度は間に合わないか。


 恒一には分からなかった。それだけ分かった。



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