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第47話 ゴーレムの文字

 休日の午後、恒一はヴェルダの研究室に呼ばれた。


 正確には呼ばれたわけではなかった。三日前の食堂での会話——層によって起動命令の構造が変わる、という話——の続きを「よければ見に来てください」とヴェルダが言った。来る義務はなかった。しかし恒一には、断る理由もなかった。


 文献解析部門の奥、廊下の突き当たりの部屋だった。扉を叩くと、間があってから「どうぞ」と返ってきた。


 部屋に入った。広くはなかった。机が一つ、棚が壁を埋めている。棚には木箱が並んでいた。蓋に番号が書かれていた。机の上には、大判の紙が何枚も広げられていた。


 ヴェルダが立っていた。紙の一枚を指さした。


「これが一層で採取したゴーレムの破片から写し取った起動命令です」


 恒一は近づいた。


 紙の上に、文字が並んでいた。写し取り——ゴーレムの表面に刻まれた文字を、そのまま紙に転写したものだった。文字自体はミレオスの文字体系ではなかった。別の文字だった。直線と曲線が組み合わさった、記号に近い字形。一つひとつは小さく、密集している。


「読めません」


「読めなくていいです。形を見てください」


 ヴェルダが紙の一角を指した。


「この部分。同じ形の文字が、まとまって出てきます。このまとまりが、一つの命令単位に相当すると考えています——三年かけて、そこまで仮説を絞りました」


 恒一は紙を見た。言われた通り、文字の塊があった。塊の中でも、さらに細かいまとまりがあった。構造があった。


 しかし恒一が最初に目を引かれたのは、塊そのものではなかった。


 塊と塊の間の、空白だった。


 ヴェルダの説明は塊に向いていた。塊の数、塊の形、塊の内部構造——そこに三年間の研究が注がれていた。しかし空白の方は、説明されなかった。恒一が改めて空白を見ると、それが均等だった。塊と塊の間の距離が、ほぼ一定だった。紙の端まで目で追っても、乱れがない。


 偶然の間隔ではなかった。


 その空白も、誰かが意図して刻んだものだ——恒一はそう思ったが、口には出さなかった。ヴェルダの研究の外にある観察を、今ここで持ち込む必要はなかった。あるいは、気のせいかもしれなかった。


 そしてその配置全体を見た瞬間、別の何かが引っかかった。


 読めない文字だった。意味もわからない。しかし——塊と空白が作るリズムが、どこかで見たことがある。


「……これ」


 声が出た。自分でも気づかなかった。


「どうしましたか」


 ヴェルダが振り返った。


「いえ、何でもないです。続けてください」


 続きを聞きながら、頭の一部が別のことを探していた。記憶の棚を開けている感覚だった。どこかで見た。この配置。文字ではなく、配置が。


 ヴェルダが別の紙を出した。


「これが二層のものです。同じ箇所を比較してください」


 並べると違いがわかった。一層の文字の塊は、内部の細かいまとまりが単純だった。二層のものは、塊の中にさらに入れ子の構造がある。EP42で言った「塊として刻まれている」というのは、これだった。単純な塊から、複雑な入れ子へ——同じ文法の、違う書き方だった。


「一層が基本形で、二層以深が応用形、という理解で正しいですか」


「今のところはそう考えています。ただ、どちらが先に設計されたかはまだわかりません」


「設計した者がいる、ということは確かなんですか」


 ヴェルダが少し止まった。


「……確かではありません。ただ、これだけ一貫した文法構造があるということは、設計された可能性が高い。偶然の産物とは考えにくい」


 恒一は一層の紙に視線を戻した。塊の形を目で追った。


 思い出した。


 前世で、TRPGのセッションを準備していた頃のことだった。使っていたシステムのルールブックに、魔法の術式を表記する附録があった。実際のプレイでは使わない、設定読み物として収録されていた章——「ミレオスの術式記述法」だった。それがこれと同じ形だった。文字は違う。しかし塊の作り方、塊の中の入れ子の構造、塊同士の間隔の取り方——全部同じだった。


 恒一は少しの間、紙を見続けた。


 違う、と思った。似ているだけかもしれない。ルールブックの附録は、それらしい見た目にするための装飾だったかもしれない。ゲームのデザイナーが、それっぽく見える記号を並べただけかもしれない。


 しかしここには実物がある。本物のゴーレムに刻まれた、実際に機能している命令が。


「この文字体系について、いつ頃のものかわかっていますか」


「現在確認されているゴーレムは、少なくとも数百年前のものと推定されています。一部は千年を超えるかもしれない。ただし——」


 ヴェルダが棚から木箱を一つ取り出した。蓋を開けた。中に、石の破片があった。


「これを見てください」


 石の破片に、同じ系統の文字が刻まれていた。しかし一層や二層で見たものより、さらに複雑だった。入れ子の層が深い。塊自体の形も違う。


「これはどこで採取されたんですか」


「ここには届いていません。これは、壁面碑文の写しです。ユミナ導師が解析している碑文の一部を、私が写し取りました」


 恒一は石の破片を見た。


「ゴーレムの起動命令と、碑文の文字体系が同じ、ということですか」


「同じ文法構造を持っている、と今のところ考えています。ただし碑文の方が複雑で、ゴーレム命令には出てこない構造が含まれています」


「つまり」


「ゴーレムの起動命令は、もっと大きな文字体系の一部にすぎないかもしれない、ということです」


 部屋が静かだった。


 恒一は二つの紙と石の破片を並べて見た。ゴーレムの一層命令。ゴーレムの二層命令。碑文の写し。同じ文法を持ちながら、異なる複雑さを持っている三つ。


 ルールブックの附録にあったのは、どの層のものに近かっただろうか。記憶を探った。一層のものに近かった、と思う。単純な構造だった。ゲームの設定として掲載するには、一番わかりやすい形だったはずだ。


 では、複雑な形——碑文の構造——は、ゲームのどこにあったか。


 思い出せなかった。ルールブックには、なかった。もしくは、見落としていた。


「ヴェルダさん、一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「この文字体系を、他の場所で見た、という人間はいましたか。ダンジョンの外で」


 ヴェルダが恒一を見た。


「……あなたが見たことがある、ということですか」


「わかりません。似ている、と思っただけです。確信はない」


「どういう形で見ましたか」


「本、です。かなり古い本の、ある章に。ただし、その本は今手元にありません」


 ヴェルダがまた少し黙った。


「……興味深い」


 低い声だった。研究者が何かを発見した時の声だった。


「もし思い出したことがあれば、教えてください。どんな断片でも構いません」


「わかりました」


 部屋を出た。廊下を歩きながら、恒一は頭の中を整理しようとした。整理できなかった。


 ルールブックの附録は、設定の飾りだった——はずだった。実際のセッションで使う人間はほとんどいなかった。ゲームの製作者が、それらしい雰囲気のために追加した章だ、と恒一は思っていた。


 ではなぜ、その「それらしい雰囲気」が、本物のゴーレムの命令と同じ構造を持っているのか。


 製作者が何かを参照した、という可能性がある。しかし何を参照できるのか。本物のゴーレムの命令は、外部に公開されていない。ダンジョンの奥にある。


 答えは出なかった。


 問いだけが、手の中に残った。



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