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第43話 同業者

 ドラク商会の食堂は、朝と夕方で人口密度がまるで違った。


 朝は探索班が入れ替わりで使う。食べながら装備を確認する者、報告書を膝に置いて粥をすする者、壁際で地図を広げて今日の行程を相談する者。騒々しいが、騒々しさの質が統一されている——全員が何かを考えながら食べている。


 夕方は遅かった。探索班が戻って、一部はすでに宿に引き揚げていた。


 その日、恒一は報告書の仕上げに時間がかかった。二層の地下水脈の移動について、数日前の経路図と突き合わせて記述していたからだ。ヘルマに提出してから食堂に下りた時には、もう他に三人しかいなかった。


 角の席に、一人で座っている女性がいた。食事の皿が脇に半端に押しやられていた。食べ途中のまま、厚い束の紙を広げている。紙に何かが刻まれた書き写しだった。


 ノルが恒一の横に来た。


「あの人、文献解析の人っす。ヴェルダさん、って言うんすけど——毎日あの席で仕事してますよ。食事、三分の一くらいしか食べないで気づいたら冷えてる」


「ユミナの部署か」


「一緒に碑文の解読やってるとか言ってましたね。専門が違うから組んでるって。先輩のお師匠の話、よく出るらしくて——俺、廊下ですれ違った時に『ユミナ導師の方針はどう思うか』って聞かれました。答えられなかったっすけど」


 恒一はノルと別れて、食事を受け取った。


 席についた時、視線を感じた。ヴェルダの方だった。


 女性だった。三十代半ばか。髪は暗褐色で短く切り揃えられていた。目元が鋭く、しかし今は書き写しの紙に向いていた。向いていたが——顔を上げないまま、言った。


「ユミナ導師の弟子の方ですか」


 恒一は少し驚いた。視線を向けただけで、近くには座っていなかった。


「そうです」


「……見ていました。ここ数日。記録の仕方が独特だったので」


 ヴェルダが顔を上げた。目が合った。品定めする目つきではなかった。ただ、観察している——何かを確認しようとしている目だった。


「観察と記録が役割なので。ヴェルダ・ロートさんですか」


「ええ」


 短い返答だった。自分の名前に対して感情がなかった。


「ユミナから聞きました。一緒に碑文の解読をしていると」


「……そう言っていましたか」


 言葉の質が、わずかに変わった。何が変わったかを恒一は考えた。「ユミナ導師から」ではなく「ユミナから」と言ったことか。あるいは「一緒に」という言葉に何かがあったか。


「エリン学院で同時期に在籍されていたと聞きました。ユミナと同期ですか」


 ヴェルダが紙に視線を戻した。


「……同期ではありません。私が二年先に入りました。ですが——在籍が重なった時期があります」


「重なった時期というのは、ユミナが学院に来てから、ですか」


「そうです」


 それだけだった。ヴェルダはそれ以上言わなかった。恒一は続きを待ったが、来なかった。


 会社に、こういう人間がいた。仕事の話以外の言葉を使うことを、極力省略する人間。省略しているのは感情を持っていないからではなく、言葉にしたくないからだ。区別はつく。


 恒一は食事を始めた。しばらく黙って食べた。


「ゴーレムの起動命令を研究されているとも聞きました」


「ええ」


「二層で古いゴーレムの痕跡を見ました。遭遇はしていませんが——刻まれた文字列が、一層のものと配列が違うように見えました」


 ヴェルダが顔を上げた。今度は、さっきより速かった。


「違う、とどういう意味で」


「一層で見たゴーレムの破損残骸には、文字が短冊状に刻まれていました。二層の痕跡は——もう少し塊として刻まれている印象でした。ただし私は解読できないので、印象の話です」


「塊として」


 ヴェルダが書き写しの紙の束から一枚を引き抜いた。ためらいのない動作だった。


「こういう配列ですか」


 紙を恒一に向けた。文字の写しだった。塊ごとに行が変わっている。


「……似ています。ただ、もう少し塊が小さかったように思います。二層のものは」


「層によって起動命令の構造が変わる」


 ヴェルダが紙を引き戻した。何かを書き込み始めた。恒一に向けて話しているのか、自分に向けて話しているのか、区別がつかない口調だった。


「一層は汎用。二層以深は特化。同じゴーレムを制御するのに、異なる構文が使われている——なぜそうする必要があるのか、まだわかっていません」


「一層と二層で環境が違うから、命令の構造も違う——という可能性はありますか」


「……興味深い」


 ヴェルダが書く手を止めた。恒一を見た。


「詳しく」


「環境の想定が変われば、命令の前提も変わる。一層と二層では地盤の状態も、空気の密度も、変異動物の種類も違います。ゴーレムが稼働する前提条件が異なるなら、起動命令もそれに合わせて書かれている可能性がある——と思いました」


 ヴェルダが少しの間、恒一を見ていた。


「……あなた、解読の訓練を受けたことがありますか」


「ありません。観察の話です」


「観察だけで、そこまで」


 今度は独り言の色が強かった。書き込みが再開された。恒一は食事を続けた。


 しばらくして、ヴェルダが顔を上げずに言った。


「ユミナ導師は、今日も碑文の分析に来ませんでした。顔色が悪い日が続いています」


 恒一は食べる手を止めた。


「知っています」


「……私から言うことではありませんが」


 それだけだった。続かなかった。


 ヴェルダがどういう意図で言ったのかはわからなかった。心配しているのか、記録として伝えているだけなのか——どちらとも取れる言い方だった。ただ、言ったということ自体が、何かだった。


「ありがとうございます」


 恒一が答えた。ヴェルダは頷かなかった。すでに紙に向いていた。


 食事を終えて席を立った。ヴェルダの皿は、まだ三分の一が残っていた。冷えている。恒一はそれを見て、何も言わなかった。


 廊下に出た。宿の方向へ歩いた。


 ヴェルダの話し方を頭の中で繰り返した。「同期ではありません」「在籍が重なった時期があります」——ユミナについて話す時だけ、言葉が少し増えた。増えたが、方向を持たなかった。好意でも悪意でもなく、ただ事実の記述に近かった。


 しかし感情はある。恒一には見えた。ユミナの名前を聞いた瞬間の、一秒もない反応の変化——紙に視線を戻す速度が上がった。見ないようにしている何かがある。


 前の会社でも似たことがあった。同期に大きく差をつけられた人間は、その同期の名前に対して独特の反応をする。怒りでも嫉妬でもない、もっと静かな——何かを終わらせた後の表情。


 ヴェルダは、エリンからここへ来た。エリンにはユミナがいた。


 恒一には詳しい経緯はわからなかった。わかる必要もなかった。ただ——ヴェルダは今日、ゴーレムの起動命令の話を真剣にした。あの集中は本物だった。それだけは確かだった。


 ユミナの顔色の話を最後に付け加えたことも。



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