第39話 同期
翌朝、一階に降りると知らない顔が二つ増えていた。
ヘルマの隣に、男が二人立っている。一人は恒一と同じくらいの——いや、少し高い。恒一のこの体より頭半分ほど上。しかし大人というには足りない体つきだった。細い。手足が長い。まだ身体の成長が追いつく前の、伸びかけた若木のような体。明るい茶色の髪を後ろで適当に束ねている。目が大きい。表情が——忙しい。立っているだけなのに、視線があちこちに動いていた。
もう一人は大人だった。三十代半ば。がっしりした体格の男。短い黒髪。額に古い傷がある。腰に片刃の幅広い剣を佩いていた。腕を組んで壁に寄りかかっている。目は静かだった。
「揃ったか。——紹介する」
ヘルマが顎で若い方を示した。
「ノル。支援兼治療。神聖魔法の使い手だ。入って半年」
ノルと呼ばれた若い男が、恒一を見た。目が合った。ノルの顔に——笑顔が浮かんだ。人懐こい笑顔だった。
「ノルっす。よろしく。——えっと、先輩って呼んでいいっすか?」
恒一は戸惑った。先輩。この体は少年に見える。ノルは恒一より年上に見える。しかしノルは恒一を「先輩」と呼ぼうとしている。
「俺の方が後に入ったのに、先輩はおかしいだろ」
「いや、ダラさんの紹介で来た人でしょ? それだけでもう先輩っすよ」
論理が飛躍している。しかしノルの笑顔には、論理とは別の力があった。否定しにくい明るさ。
「……好きに呼べ」
「じゃあ先輩で」
ヘルマが次を示した。大人の方の男。
「ベック。戦闘要員。うちの班の盾だ」
ベックが壁から背を離した。恒一に軽く頷いた。
「ベックだ。よろしく」
低い声。短い言葉。それだけだった。恒一は頷き返した。ベックは愛想がないのではなく、言葉が少ない人間なのだと感じた。目は恒一を見ていた。品定めではなく——確認。新しい班員がどういう人間か、見て判断している目だった。
「以上がヘルマ班の全員だ。四人。——五人目は欠員のままだが、当面はこの四人で回す」
ヘルマが全員を見渡した。
「今日は一層の巡回探索だ。素材採取と地形確認。新入りに中を見せるのが主目的だ。——コウイチ、お前は後ろにいろ。見て覚えろ。ベック、前。ノル、中間。俺はコウイチの横につく」
全員が頷いた。ヘルマが歩き出した。四人がドラク商会を出た。
ダンジョン口まで歩いた。昨日恒一が一人で見た、あの石造りの建物。鉄の門。門番。朝の入坑列に並んだ。恒一たちの前に十人ほどの別の班が並んでいた。揃いの上着を着ている。大手の社員だろう。
列が進んだ。門番にヘルマが書類を見せた。探索許可証。門番が確認して、通した。
門をくぐった。
最初に感じたのは、空気の変化だった。外の潮風が遮断されて、湿った重い空気に変わった。温度が下がった。壁は石だが、苔が生えている。灯りは——壁に埋め込まれた石が、薄い青白い光を放っていた。魔力を含んだ鉱石だろう。等間隔に並んでいる。人工的な配置。誰かがこの通路を整備している。
「入口通路だ。ここはまだダンジョンの中じゃない。各社が共同で整備している区間だ」
ヘルマが説明した。通路は広かった。馬車が一台通れる幅。天井も高い。荷車を引いた人間がすれ違っていく。上がってくる荷車には、革袋が積まれていた。素材だ。採取して戻ってきた班のものだろう。
通路が下り坂になった。百歩ほど下ると、空間が広がった。
天井が高くなった。横幅も広がった。壁の青白い灯りに加えて、松明が何本か立てられている。この広い空間が——分岐点だった。通路が三方向に分かれている。それぞれの通路の入口に、木の札がかけてあった。
「ここから先が一層だ。三つの区画に分かれている。今日は東区画に入る」
ヘルマが東の通路に入った。四人が続いた。
通路は狭くなった。二人が並んで歩ける程度。天井が低い。恒一の頭上、手を伸ばせば届く高さ。壁の灯りはまばらになり、暗がりが増えた。ベックが腰のランプに火を入れた。揺れる炎が壁を照らした。
空気が——さらに変わった。湿気だけではない。何かの匂いがあった。土と苔と——獣の匂い。薄いが、確かにある。変異動物の気配。
恒一は魔力感知を広げた。微かな反応が、通路の奥にいくつかあった。小さい。一層の変異動物は弱い——ユミナにそう聞いている。
「先輩、魔力感知使えるんすか」
ノルが後ろから小声で言った。恒一の集中の変化に気づいたらしい。
「使える。精度は低いが」
「マジっすか。俺は敵意感知しか使えなくて。敵意を持った相手はわかるんすけど、魔力そのものを拾うのは無理で」
「敵意がわかるなら、ダンジョンではそっちのほうが重要だろ」
「そうっすかね。——父がよく言ってたんすよ、『害意を感じろ、それがザイ・アリオスの導きだ』って。父は司祭だったんで」
ノルの口調は軽かった。父の話を、世間話のように語った。しかし——恒一は気づいていた。ノルの目が、一瞬だけ通路の暗がりを見たことに。暗がりの先——もっと深い層を。
「お前の父親は」
「五層で死にました」
軽い口調だった。あまりにも軽い。まるで天気の話をするように。恒一は——その軽さの形を、知っていた。前の会社で見たことがある。過労で倒れた同僚が、復帰した翌日に「いやあ、死にかけちゃいましたよ」と笑っていた。笑うしかないから笑う。軽くするしかないから軽くする。
「そうか」
恒一はそれだけ言った。それ以上は聞かなかった。ノルが自分から話すまで、踏み込まない。
「でも俺は全然平気っすよ。もう三年前のことだし。——あ、先輩、そこ足元気をつけて。苔で滑るんで」
ノルが恒一の腕を掴んだ。足元を見ると、確かに苔で湿った石があった。恒一は体勢を直した。
「ありがとう」
「いえいえ。新入りの面倒見るのが半年先輩の仕事っすから」
ノルが笑った。歯を見せる笑い方。十七歳の笑い方。恒一は——この笑い方の裏に何があるか、見ないふりをした。見ないふりをすることと、気づいていないことは違う。恒一は気づいていた。ノルの「軽さ」が、何を覆い隠しているか。
通路が広い空間に出た。天井が高い洞穴。壁に鉱石の脈が走っている。青白い光を自ら放つ鉱石。ベックがランプを下ろした。鉱石の光だけで十分に明るかった。
「ここが東区画の採取ポイントだ。この鉱石が一層の主要な収入源。週に二回、ここに来て採取する」
ヘルマが壁に手を当てた。精霊魔法。掌の下で壁が微かに震えた。
「脈の状態を確認する。精霊に聞けば、どこが取っていい部分で、どこがまだ育っている部分かわかる。取りすぎると鉱脈が枯れる。——大手は根こそぎ持っていくが、うちはやらない」
「利益は生きて帰ってから数えろ、ですか」
恒一が言った。グレンの言葉。ヘルマが恒一を見た。
「社長の受け売りか。——まあ、間違ってはいない」
ベックが道具を取り出して、壁の鉱石を慎重に採取し始めた。ヘルマが指示を出す。ノルが瘴気の濃度を確認する。恒一は——見ていた。四人の動きを。道具の使い方を。鉱石の色と光の違いを。壁の形状を。退路の方向を。
全部覚えた。
帰り道、ノルが恒一の隣を歩いた。
「先輩、初ダンジョンどうだったっすか」
「暗かった」
「それだけっすか」
「あと、湿っていた」
ノルが笑った。声を出して。通路に笑い声が響いた。ヘルマが振り向いて、眉をひそめた。
「静かにしろ。一層でも油断するな」
「すんません班長」
ノルが口を押さえた。しかし目はまだ笑っていた。恒一を見る目が——親しみを含んでいた。恒一が面白い返しをしたからではない。恒一が、嘘をつかなかったからだ。初ダンジョンの感想を聞かれて、格好をつけなかった。暗くて湿っていた。それだけ。
地上に出た。門をくぐった。午後の陽光が目を刺した。
「報告書は明日の朝までだ。——コウイチ、お前は口頭で俺に報告しろ。俺が書く」
ヘルマが言った。恒一は頷いた。
解散した。ノルが恒一に手を振った。
「じゃあ先輩、また明日っす」
「ああ」
「あ、先輩って歳いくつなんすか。見た目だと俺より下っすけど」
「見た目の通りだ」
「マジっすか。じゃあ俺が年上じゃないっすか。でも先輩は先輩っすよね」
「好きにしろ」
ノルが笑って走っていった。港の方に消えた。恒一はその背中を見送った。
十七歳。父を五層で亡くしている。神聖魔法の見習い。軽い口調の裏に、重いものを抱えている。
恒一はこういう人間を知っていた。前の会社にもいた。明るくて、周りを気遣って、自分のことは軽く語る。そういう人間が、ある日突然折れる。あるいは——折れないまま、静かに摩耗していく。
宿に戻った。ユミナの部屋の扉を叩いた。
「ダンジョン、行ってきた」
「どうでしたか」
「暗くて、湿っていて、苔が多かった」
ユミナが恒一を見た。事務的な顔の奥に、何かを探す目があった。恒一が無事であることを確認する目。
「——一層ならそうでしょう。深くなるほど、空気が変わります」
「知ってるのか」
「文献では」
文献では。ユミナはまだこのダンジョンに入っていない。恒一の方が先にダンジョンの空気を吸った。それが——少しだけ、奇妙な感覚だった。ユミナの方が先を歩いていると、ずっと思っていた。




