第36話 ドラク商会
午後、二人はドラク商会の前に立った。
朝に下見した通りの石造りの建物。三階建て。入口の扉は開いていて、中から荷物を運び出す人間と、入っていく人間がすれ違っている。恒一はポケットの紹介状を確認してから、中に入った。
一階は倉庫と作業場を兼ねていた。木箱が積まれ、革袋が並び、棚には瓶や道具が整然と収められていた。壁に沿って作業台がいくつかある。素材の仕分けをしている人間が三人。恒一たちに一瞥をくれたが、すぐに作業に戻った。
奥に階段があった。その手前に、小さな受付のような台があり、若い女が座っていた。
「何の用だ」
声は硬かったが、敵意はなかった。門番としての確認だった。
「ダラの紹介状を持っています。社長にお取り次ぎいただけますか」
ユミナが言った。紹介状を差し出した。女は封蝋を見て、恒一とユミナを見て、封蝋をもう一度見た。
「ダラ。——あのダラか」
「はい」
女の態度が変わった。硬さが消えたわけではないが、目に関心が浮かんだ。
「二階だ。上がれ」
階段を上がった。二階は事務所だった。机が並んでいる。書類が積まれている。壁に地図が貼ってある。地図は——ダンジョンの断面図だった。層ごとに色分けされた横長の図。一層、二層、三層。書き込みが多い。赤い印、青い印、黒い文字。現場から上がってきた情報を地図に反映しているのだろう。
事務所の奥に、仕切られた部屋があった。扉が半分開いている。女が扉を叩いた。
「社長。客です。ダラの紹介状を持ってきた」
中から声がした。低い。太い。
「通せ」
恒一とユミナは部屋に入った。
部屋は狭かった。机が一つ。椅子が三つ。机の上に書類と帳簿が積まれ、壁にはまた別の地図がかかっている。こちらの地図はさらに詳細だった。層の内部が区画ごとに分割され、それぞれに日付と数字が書き込まれている。
机の向こうに、男が座っていた。
大きな男だった。座っていてもわかる。肩幅が広い。首が太い。髪は白髪交じりの短髪で、顔には古い傷が何本か走っている。頬から顎にかけての一本は深い。五十代半ばの顔だが、目は若い。鋭い——というより、よく見る目だった。恒一を見て、ユミナを見て、二人の装備を見て、足元を見た。一瞬で。
そして——右腕。
男の右腕は、肘から先が違っていた。肌の色ではなく、灰色の金属。関節の部分に歯車のようなものが見える。指は五本あるが、人間の指より太い。金属の指が机の上の帳簿を押さえていた。義腕。ゴーレム部品の転用だとダラが言っていたことを思い出した。
「座れ」
グレン・ドラクが言った。恒一とユミナは椅子に座った。グレンは紹介状の封蝋を親指で割った。金属の右手で紙を押さえ、左手で手紙を広げた。読んでいる。目が左右に動いた。
恒一はその間、部屋を見ていた。壁の地図。帳簿の山。古い剣が一本、壁にかけてある。刃が欠けていた。飾りではなく、使い込まれて退役した剣だった。グレンが現役の頃に使っていたものだろう。
「ダラの紹介か」
グレンが手紙を置いた。恒一を見た。
「あいつがわざわざ手紙を書くのは珍しい。二十年の付き合いで、三通目だ」
恒一は何と答えるべきかわからなかった。ダラが寡黙な人間だったことは知っている。しかし手紙を書かない人間だとまでは思わなかった。
「ダラは何と書いてある」
グレンは手紙を恒一の前に置いた。恒一はまだ文字が読めない。ユミナを見た。
「——『面白いのが来る。使ってやれ』」
ユミナが読み上げた。恒一は絶句した。紹介状にしてはあまりにも短い。
「それだけか」
「それだけだ。あいつらしい」
グレンが笑った。笑うと顔の傷が動いた。怖い顔の男が笑うと、余計に怖いということがある。グレンはそうではなかった。傷だらけの顔が笑うと、傷ごと柔らかくなった。
「名前は」
「コイチです」
「コウイチ。聞かない名だな。どこの出だ」
「——遠いところです」
「まあいい。歳は」
恒一は一瞬迷った。この体は少年に見える。
「見た目の通りです」
「見た目の通りだと、餓鬼だな。——ダラがそんな餓鬼に剣を持たせるか」
グレンの目が恒一の腰を見ていた。ダラの幅広のロングソード。恒一が佩いているのを、入室の時点で見ていたのだろう。
「あれはダラの剣だ。見間違えるわけがない。あいつが七層にいた頃から使っていた剣だ。——なぜお前が持っている」
「餞別にもらいました」
グレンが黙った。金属の右手が机の上でわずかに動いた。指の歯車がかちりと鳴った。
「……餞別、か。あいつが剣を手放すのか」
独り言のような声だった。グレンはしばらく黙って、それから恒一を見た。目が変わっていた。品定めの目ではなかった。もっと深い——何かを確認しようとする目。
「お前、戦えるのか」
「少しだけ。ダラに教わりました」
「魔法は」
「火矢が使えます。精度はまだ甘い。出力も低い」
「正直だな」
「嘘をついて困るのは自分です」
グレンがまた笑った。今度は声を出して。
「いい答えだ。——そっちの嬢ちゃんは」
ユミナを見た。ユミナは背筋を正していた。
「ユミナです。文献魔法の使い手です。解読、引用、検索を専門にしていますが、それ以外も一通りは使えます」
「文献解析が専門か。エリンの学院出だな。しかも、それ以外も一通りとなるとその若さで導師級か」
ローブを見て、グレンが告げる。
遠く離れたエルセア王国であってもエリンの導師の肩書は有効らしい。
「はい」
「うちの文献解析部門は人が足りない。使える文献魔法の使い手は、どこも取り合いだ。——ただし」
グレンが机に肘をついた。左肘。右の義腕は机の上に置いたまま。
「うちは中堅だ。大手じゃない。給料は高くないし、設備も最新じゃない。深層の探索権もまだ持っていない。浅層から中層——三層までが、うちの守備範囲だ。それでもいいなら、話を続けよう」
「構いません」
ユミナの即答に、グレンが片眉を上げた。
「随分あっさりしているな。導師なんぞ引くて数多だ。大手に行けば、もっといい条件があるぞ」
「条件で選んでいるわけではありません」
「じゃあ何で選んでいる」
ユミナが一瞬黙った。恒一は——ユミナが何と答えるか、わかっていた。
「ダラの判断を信頼しています」
嘘ではなかった。しかし全部でもなかった。ユミナがターレ港に来た本当の理由は、中央ダンジョン産の素材——自分の消耗を遅らせる魔力石を手に入れるため、つまり自分の命がかかっている。。しかしそれを初対面の相手に言う必要はない。
グレンはユミナの答えをしばらく見つめていた。それから恒一を見た。
「お前は。なぜここに来た」
「ユミナを守る為です」
考える前に出た言葉だった。言ってから、恒一は自分の答えに少し驚いた。嘘ではない。嘘ではないが——もう少し体裁のいい答えがあったはずだ。
グレンが三度目に笑った。今度は——深い笑いだった。椅子の背に体を預けて、天井を見上げて。
「なるほどな。ダラが『面白い』と書くわけだ」
グレンは椅子を戻した。机の引き出しを開けて、紙を二枚取り出した。
「面接はこれで終わりだ。契約書は明日用意する。今日のところは、仮の受け入れだ。——明日の朝、朝一でここに来い。遅れるなよ」
「……もう決めるんですか」
恒一が訊いた。面接というには短すぎた。経歴も、技能の詳細も、まだ何も話していない。
「ダラが紹介状を書いた。ダラが剣を渡した。それで十分だ」
グレンが立ち上がった。立つと——大きかった。座っていたときの印象以上に。恒一の頭一つ半は上にある。義腕の右手を差し出した。
「グレン・ドラク。ドラク商会の社長だ。——ようこそ、ターレ港へ」
恒一はその手を握った。金属の指は冷たかった。しかし握る力は——生きている人間の手と変わらなかった。強すぎず、弱すぎず。相手を見て力を加減する握り方だった。
「よろしくお願いします」
前の会社で何百回も言った言葉だった。しかし今、この金属の手を握りながら言う「よろしく」は、あの頃と違う重さを持っていた。
部屋を出た。階段を下りた。一階で、さっきの受付の女がこちらを見た。恒一が軽く頭を下げると、女は少し驚いた顔をして、それからわずかに頷き返した。
外に出た。午後の陽が港を照らしていた。潮風に金属の匂いが混じる。もう慣れ始めている匂いだった。
「ユミナ」
「はい」
「……面接、あれで良かったのか」
「ダラさんの信用が、そのまま採用基準になっている。合理的だと思います」
「俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて——」
恒一は言いかけて、やめた。聞きたかったのは、「ユミナを守る為」と答えた自分の言葉が、場にふさわしかったかどうかだった。そして、ユミナに守られている自分が口にすべき言葉だったのか、と。しかしそれを聞くのは——何か違う気がした。
「何ですか」
「いや。何でもない」
ユミナが恒一を見た。表情は事務的だったが、目の奥にかすかな温度があった。聞こえていたのだろう。恒一の迷いも、迷いの理由も。
「明日、朝一で。遅れないように」
「わかってる」
二人は宿に向かって歩いた。港の方から、取引所の競りの声がまだ聞こえていた。恒一の腰で、ダラの剣がわずかに揺れた。




