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第35話 ダンジョン都市

 翌朝、恒一は一人で街に出た。

 ドラク商会への訪問は午後にした。ユミナが「午前中は街の構造を把握してからのほうがいい」と言った。正しい判断だった。面接に行くなら、街のことを知っておくべきだ。前の会社でも、取引先を訪問する前に業界の基礎知識を入れたものだ。


 宿を出て、広場を抜けた。昨日通った道を逆に辿り、馬車溜まりの方向へ向かった。朝の空気はまだ冷たかったが、潮の匂いはすでに濃い。通りには昨日ほどの人混みはなかった。朝が早いのだ。日が昇りきる前に動き出す街——労働の街の朝は、学術都市より早い。


 馬車溜まりを過ぎて、港の方へ下った。坂道。石畳が濡れていた。朝露か、それとも海からの霧か。靴底が滑りそうになる。手すりのない坂道を、荷車を引いた男が上がってくる。荷車の上には木箱。木箱の側面に焼き印が押されていた。読めない文字と、何かの紋章。


 坂の下で、道が二手に分かれた。右は港。左は——恒一は足を止めた。

 左の道の先に、人の列が見えた。列は長い。五十人は並んでいる。いや、人だけではなかった。荷車も並んでいた。大きな荷車。馬に引かせた荷車が、人の列の脇に何台も連なっている。列は道の先にある大きな石造りの建物に向かっていた。建物の正面に、鉄の門がある。門は開いていたが、門番が立っていた。


「あれは何だ」


 独り言だった。しかし近くを通りかかった男が恒一を見た。四十代くらいの、革の前掛けをした男。


「よそ者か。あれはダンジョン口だ」


 ダンジョン口。中央ダンジョンの入口。恒一は足を止めて見た。門の奥は暗かった。しかし暗がりの中に、明かりがちらちらと見える。松明か、魔法の灯りか。門番が列の先頭の人間と何かやりとりしている。書類を見せている。検問だった。


「あの列は」


「朝の入坑組だよ。各社が荷車を出して、降りていく。素材も人も、あの門を通る。帰りもあそこからだ」


 男は当たり前のことを説明する口調だった。ここでは、ダンジョンに降りていくことが日常なのだ。


 恒一は列を眺めた。並んでいる人間の装備はさまざまだった。軽装の者もいれば、金属の胸当てをつけた者もいる。剣を佩いた者。槍を持った者。杖を持った者。しかし全員に共通していたのは——荷だった。全員が何かしらの荷を持っている。空の背負い袋。空の木箱。空の革袋。降りていくときは空で、上がってくるときに中身が入る。

 物流の入口だった。


 恒一はダンジョン口を離れて、港の方へ歩いた。

 港の東側に、別の区画があった。建物が密集している。しかし住居ではなかった。窓が少なく、壁が厚い。煙突が多い。煙が出ている建物と出ていない建物がある。煙が出ている建物から、金属を打つ音が聞こえた。


 加工工場だった。

 一つの建物の前で足を止めた。扉が開け放たれている。中が見えた。広い作業場。天井が高い。中央に大きな炉がある。炉の周りに人が三人。一人が炉から何かを取り出していた。長い鋏で挟んでいるのは——骨だった。獣の骨ではない。形が違う。関節が多すぎる。変異動物の骨だ。

 炉の熱が扉の外まで届いていた。顔に熱気がぶつかる。炉の中で骨が赤く光っている。骨を加工している。熱を加えて、形を整えて——何にするのかはわからない。しかし工程があり、手順があり、道具がある。


 恒一は歩きながら、工場の並びを数えた。この通りだけで十二軒。すべてが何かを加工していた。骨、皮、鉱石、植物。ダンジョンから上がってきた素材が、ここで加工されて製品になる。製品は港から船に乗る。船は海を渡って、他の王国に行く。


 産業構造だった。

 採掘——いや、採取。加工。流通。販売。ダンジョンを起点にした垂直統合型の産業構造が、この街の骨格を形成していた。前の会社で見た製造業のサプライチェーンと、構造は同じだ。原料の供給元がダンジョンになっただけで。


 恒一は港に沿って東に歩いた。工場区画を抜けると、また別の景色が現れた。

 広い建物。木造だが、壁が高い。入口に人が出入りしている。声が聞こえる。怒鳴り声。数字を叫んでいる。


 素材取引所だった。

 中に入った。広い一室。天井から吊るされた灯りが室内を照らしている。中央に長い台があり、台の上にさまざまなものが並んでいた。鉱石の欠片。乾燥させた植物。瓶に入った液体。獣皮の切れ端。それぞれに札がついていた。

 台の周りに人が集まっていた。声を上げている。値をつけている。競りだ。一人の男が台の端に立ち、品物を指しながら叫んでいた。


「三層産の蛍光鉱、二十リブラ! 二十五! 二十五出たぞ! 三十はないか!」


 恒一は壁際に立って見ていた。競りの仕組みは単純だった。品物を見せて、値を叫んで、最も高い値をつけた者が買う。前世の魚市場と変わらない。変わらないのに——取引されているものが、変異動物の骨や未知の鉱石や魔力を帯びた植物だった。


 値の動き方を見た。三層産と表示された品物は競りが激しい。一層産は静かだ。深い層から上がってきたものほど高値がつく。当然だ。深い層ほど危険で、到達できる人間が少ない。希少性が価格を決める。経済の原理は、世界が変わっても変わらない。


 恒一は取引所を出た。

 港に沿って歩きながら、頭の中で情報を整理していた。ダンジョン口で入坑する冒険会社の社員たち。加工工場で素材を製品にする職人たち。取引所で値をつける商人たち。港で荷を船に積む労働者たち。全員がダンジョンという一つの穴で繋がっている。

 エリンが書庫塔を中心に回る街なら、ターレ港はダンジョンを中心に回る街だった。知識ではなく、素材。研究ではなく、採取。ギルドではなく、会社。個人ではなく、組織。

 恒一は——この構造に、奇妙な安堵を感じていた。会社という組織。上司がいて、部下がいて、業務があって、報酬がある。二十年勤めた世界の論理だった。異世界の冒険者ギルドより、こちらのほうが肌に馴染む。


 港の東端まで歩いた。そこに、石造りの倉庫群があった。倉庫の一つに看板がかかっていた。文字は読めない。しかし看板の下に、小さな紋章が彫られていた。盾の中に歯車と剣を交差させた意匠。

 恒一はポケットから紹介状を出した。封筒の表に押された封蝋の紋章と見比べた。同じだ。


 ドラク商会。


 ここだ。恒一は建物を見上げた。三階建て。石造りの一階、木造の二階と三階。窓から人の声が聞こえる。入口の扉は開いていた。人が出入りしている。作業着の男が木箱を運び出していた。

 恒一は建物を眺めるだけにして、その場を離れた。午後に来る。ユミナと一緒に。紹介状を持って。


 宿に戻る道で、屋台に寄った。昨日匂いを嗅いだ焼き魚の屋台。串に刺した白身の魚が炭火の上に並んでいた。脂が滴って煙が上がる。

 二串買った。一串を噛んだ。塩が効いている。身がほろほろと崩れる。脂が舌の上で溶ける。うまかった。エリンで食べたどの魚より、うまかった。港町の魚だ。獲れたてを焼いている。当たり前のことが、当たり前にうまい。

 もう一串は、ユミナの分だった。冷めないうちに——恒一は少し足を速めた。


 宿の階段を上がった。隣の部屋の扉を叩いた。


「ユミナ。魚、買ってきた」


 扉が開いた。ユミナが紙束を持ったまま立っていた。エリンから持ってきた研究資料だろう。目の下にわずかな隈がある。昨夜も遅くまで読んでいたのだ。


 恒一は串を差し出した。ユミナは串を見て、恒一を見て、また串を見た。


「……ありがとうございます」


 ユミナが串を受け取った。一口、噛んだ。咀嚼する顔に、かすかな変化があった。目が——少しだけ、丸くなった。


「うまいだろ」


「……塩加減が、適切です」


 恒一は笑った。ユミナの「適切」は、ユミナなりの「うまい」だった。


 午後、ドラク商会に行く。紹介状を渡す。面接か、あるいは雑談か。新しい仕事が始まる。

 恒一は自分の部屋に戻って、冷めかけた魚の串にかぶりついた。窓の外から、取引所の競りの声がかすかに聞こえていた。


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