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第33話 街道

 三日目の朝、最初の火矢(ファイアボルト)が出た。

 宿場の裏手にある空き地。枯れ草と土と石。ユミナが十歩先の岩に印をつけて、「あそこに向けて」と言った。恒一は右手を前に伸ばした。指先に魔力を集める。灯火(ライト)のときの感覚。熱。それを光に変えるのではなく——押し出す。


 指先から、小さな赤い光が飛んだ。


 岩には当たらなかった。光は左に逸れて、地面の草を焦がした。焦げた匂いが鼻に届いた。枯れ草の煙が薄く立ち上る。


「方向制御が甘いです。射出の瞬間に手首がぶれています」


 ユミナの声。冷静な分析。恒一は右手を見た。手首が——確かに震えていた。魔力を押し出す感覚と、指先から何かが飛ぶ感覚。二つが同時に来て、身体が反応してしまう。


「もう一度」


 二発目。今度は出力を上げようとした。指先に魔力を多く集める。押し出す——。

 赤い光が飛んだ。一発目より明るい。しかし同時に、右腕が後ろに弾かれた。反動。射出の衝撃が腕を通じて体に伝わり——恒一の体が、後ろに飛んだ。

 背中から地面に落ちた。枯れ草と土の上に。衝撃で息が詰まった。


「恒一さん!」


 ユミナが駆け寄った。恒一は仰向けのまま、空を見上げていた。冬の朝の空。高い雲。背中が痛い。


「……飛んだ」


「反動です。魔力の射出には反作用がある。——恒一さんの体重では、出力を上げると体が持っていかれます」


 恒一は起き上がった。土を払った。背中が痛むが、怪我はない。しかし——今の感覚は、覚えておくべきだった。魔力を射出すると、体が反対方向に押される。体が軽いぶん、押される距離が大きい。不利だ。しかし——不利なのか?

 反動で体が動く。それは——推進力だ。使い方次第では。


 恒一はその考えを頭の隅に置いた。今は精度が先だ。


「手首を固定するのではなく、肘から先を一本の管だと思ってください。管の中を魔力が通る。方向は管の角度で決まる。出力は——もう少し抑えて」


 管。イメージした。肘から指先までを一本の筒として。出力を落とす。三発目。


 赤い光が飛んだ。岩の端に当たった。石の表面が黒く焦げた。反動は腕の中で収まった。出力を抑えたぶん、衝撃は——ユミナの火矢(ファイアボルト)に比べれば、蝋燭の炎で石を叩いたようなものだった。


「当たった」


「当たりました。出力はまだ弱いですが——方向は改善しています」


 ユミナの声に、微かな温度があった。教師としての手応えだろうか。恒一は気づいていた。ユミナが誰かに魔法を教えるのは、おそらく初めてだ。二十年間、一人で研究してきた人間が、初めて弟子に向かっている。


「次は氷矢(アイスボルト)を——」


「まだ早い。火矢(ファイアボルト)の精度を上げてからだ」


 恒一が遮った。ユミナが少し驚いた顔をした。恒一は自分の言葉に照れた。


「……前の仕事の癖だ。一つのスキルが安定する前に次に行くと、両方中途半端になる」


「それは……正しいです」


 ユミナが頷いた。小さく、だが確かに。



 街道の旅は、恒一が思っていたより単調ではなかった。

 馬車は朝に出て夕方に宿場に着く。日中は揺られながら過ごす。乗り合いの客は宿場ごとに入れ替わった。商人、旅の職人、巡礼の老女。それぞれが乗り込み、降りていく。恒一とユミナだけが、始発から乗り続けている。

 馬車の中で、二人の距離は近かった。肩が触れそうな座席。しかし言葉は多くなかった。ユミナは冊子を読んでいることが多い。恒一は窓の外を見ているか、指先に魔力を集める練習をしている。会話が途切れても、気まずさはなかった。二人の間には——言葉の代わりに、時間が流れていた。

 宿場では隣り合った部屋を取った。壁一枚を隔てて眠る。エリンの宿と同じ配置。夜、隣の部屋からページをめくる音が聞こえる。ユミナが研究を続けている。恒一はその音を聞きながら眠りについた。


 宿場に着くたびに、恒一は裏手の空き地で火矢(ファイアボルト)を練習した。五発、十発、二十発。日を追うごとに、岩に当たる確率が上がった。出力も——少しずつ、確実に上がっていた。


 五日目には、十歩先の岩に十発中七発を当てられるようになった。出力は相変わらず低い。ユミナの火矢(ファイアボルト)が変異動物を怯ませるほどの熱量なのに対し、恒一のは精々が皮膚を軽く焼く程度だ。しかし——ゼロではなくなった。


 六日目の宿場で、ユミナが氷矢(アイスボルト)を教えた。


火矢(ファイアボルト)の逆です。魔力を熱ではなく、冷気に変換する。射出の原理は同じですが、着弾時の効果が違います。凍結と減速。地面を凍らせれば、相手の足元を奪える」


 足元を奪う。恒一の戦い方——位置取りと選択肢の限定——と相性が良い。

 しかし氷矢(アイスボルト)火矢(ファイアボルト)より難しかった。冷気への変換がうまくいかない。指先が冷えるだけで、何も飛ばない。七日目になっても、形にならなかった。


氷矢(アイスボルト)は、もう少し時間がかかりそうだ」


「ターレ港に着いてからでも遅くありません。火矢(ファイアボルト)が使えるだけでも、2層では十分です」


 ユミナの声は事務的だったが、恒一を安心させる意図が透けていた。



 八日目の午後。

 馬車は山間の道を走っていた。レヴァン街道は平原を抜け、低い丘陵地帯に入っている。道の両側に木が生えていた。冬でも葉を落とさない常緑の低木。木の間から鳥の声が聞こえる。空気が変わった。エリンより湿度がある。南に来ている、と肌で感じた。


 魔力感知(センスオーラ)が反応した。


 恒一の皮膚がざわついた。前方。道の左側。木の間に——何かがいる。距離は二十歩ほど。魔力の反応は弱い。変異動物か、あるいは——。


「ユミナ」


 恒一は低い声で言った。名前だけ。護衛依頼のときと同じだ。


 ユミナの目が動いた。恒一と同じ方向を見た。ユミナの魔力感知(センスオーラ)は恒一の比ではない。一瞬で状況を把握したはずだ。


「変異動物。小型。二頭」


 ユミナの声も低い。馬車の中の他の客は気づいていない。御者も前を見ている。


「危険度は」


「高くありません。鼠型の変異動物です。通常は人を襲いません。ただし——馬車の食料の匂いに反応している可能性があります」


 恒一は判断した。

 馬車を止める必要はない。しかし二頭が道に出てくれば、馬が驚く。馬が暴れれば馬車が危険になる。先に追い払うのが正解だ。


「ユミナ。俺がやる」


 ユミナが恒一を見た。一瞬の間。それから——頷いた。


 恒一は馬車の座席から降りた。「ちょっと失礼」と御者に声をかけた。馬車は低速で進んでいる。歩いて追いつける速度だ。


 道の左側に向かった。木の間。枯れ葉を踏む音。靴底に伝わる地面の柔らかさ。湿った土の匂い。


 二頭の変異動物が見えた。鼠に似ている。しかし猫ほどの大きさがある。灰色の毛皮。背中に青い筋。エリン近郊の変異動物と同じ特徴だ。二頭は地面の何かを嗅いでいた。恒一に気づいて、四つの目——一頭に二対——がこちらを向いた。


 恒一は右手を上げた。指先に魔力を集めた。肘から先を管にする。方向を定める。


 火矢(ファイアボルト)


 赤い光が飛んだ。二頭の間の地面に着弾した。小さな火花。枯れ葉が焦げた。煙が上がった。

 二頭が跳ねた。鼠型は臆病だ。火と煙に驚いて、木の奥へ走っていった。がさがさと枯れ葉を鳴らしながら遠ざかっていく。


 恒一は息を吐いた。


 ——当たった。狙った場所に当たった。


 二頭の間。殺すためではなく、驚かせるために。位置取りと同じだ。力で排除するのではなく、最小限の介入で結果を出す。護衛依頼のときと——同じだ。ただし今回は、ユミナの火矢(ファイアボルト)ではなく、恒一自身の術式で。


 馬車に戻った。座席に座った。御者は何があったか気づいていない。商人は相変わらず居眠りをしている。


 ユミナが恒一を見ていた。


「上手くなりました」


「……まぐれだ」


「まぐれでも当たるのは、下地があるからです」


 恒一はユミナの顔を見た。ユミナの表情は事務的だったが——口元が、ほんの僅かだけ緩んでいた。



 十日目の午後、街道が分岐した。

 南に続く道と、東に折れる道。分岐点に石碑が立っていた。恒一にはまだ読めない文字が刻まれている。


「あれは何て書いてある」


「南はバルニカ。東はターレ港。——ここで東に折れます」


 馬車が東の道に入った。景色が変わった。丘陵が低くなり、遠くに——海が見えた。灰色の水平線。空との境目が曖昧な、冬の海。恒一はこの世界で初めて海を見た。


「ミレオス」


 恒一は呟いた。


「え?」


「いや——この世界の名前。ミレオス。TRPGでも同じ名前だったな」


 ユミナは答えなかった。


「街の名前が同じ。魔法の名前が同じ。世界の名前も同じ。——なぜ同じなんだろうな」


 恒一は窓の外を見ながら言った。独り言に近かった。


 ユミナは少しの間黙っていた。それから。


「わかりません」


 同じ答え。かつてエリンに辿り着いた時に聞いたのと同じ答え。しかし——今のユミナの声には、あのときよりも深い沈黙が含まれていた。わからない、ではなく、わかっていることがあるが言えない——そういう沈黙に、恒一には聞こえた。


 踏み込まなかった。今は。


 馬車は東に進んだ。海が近づいてくる。潮の匂いが風に混じり始めた。エリンにはなかった匂い。塩と藻と水の匂い。新しい匂いだ。

 恒一は深く吸い込んだ。肺の奥まで海の空気が入ってくる。前世で海に行ったのはいつだったか。思い出せないほど昔だ。社員旅行か何かで——曖昧な記憶。しかしこの海の匂いは、記憶の中のどの海とも違っていた。魔力を含んだ空気。ダラが言っていた、ダンジョンの空気に似た重さが、海風にもわずかに混じっている。


 ユミナが窓の外を見ていた。水平線を見ている目は——遠かった。二十年前、この世界に来たとき、ユミナも海を見ただろうか。赤子の目で。何を思っただろう。


「ユミナ」


「はい」


「……いや、何でもない」


 聞きたいことはあった。しかし今は聞かない。ターレ港に着いてから。ダンジョンに潜ってから。一つずつ——線を越えていく。


 あと二日で、ターレ港に着く。エルセア王国。中央ダンジョン。冒険会社。ドラク商会。グレン・ドラク。ダラの紹介状。恒一の腰にはダラの剣があり、新たな戦う力として火矢(ファイアボルト)がある。


 馬車が丘を越えた。眼下に海岸線が広がった。その先に——港町の輪郭が見えた。まだ遠い。しかし確かに、そこにある。


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