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第17話 初仕事と初戦

 第三書庫塔の二階は、埃っぽかった。

 石の壁に木の棚が並び、棚には冊子と巻物と木板が隙間なく詰まっている。高さは天井近くまで。脚立がなければ上の段には手が届かない。窓は小さく、光は足元まで届かない。蝋燭の灯りが棚の間に置かれているが、数が足りていなかった。

 紙と革と埃の匂い。それから微かに、黴の匂い。


「シルトル先生。依頼を受けたコイチです」


 恒一は棚の奥に声をかけた。返事があった。棚の向こうから顔が出てきた。六十代くらいの男だった。白髪を後ろに束ね、分厚い眼鏡のようなものをかけている。レンズではない。薄い石を研磨したもので、文献魔法(アーカイブアーツ)の文字が表面に浮かんでいた。


「ああ、来たか。子供か。——まあいい。手順を説明する」


 シルトルは早口だった。指示は明確だった。二階の西棚の冊子を分類し直す。分類基準は三つ。著者名、年代、テーマ。冊子の背表紙に刻まれた番号で判別する。番号の読み方は——


「先生。番号の読み方だけ先に教えてもらえますか。文字はまだ読めないので、番号で仕分けます」


 シルトルが目を丸くした。


「……段取りがいいな。普通の子供は全部聞いてから何もわからなくなるんだが」


「仕事の癖です」


 恒一は番号体系を教わった。この世界の数字は十進法ではなく十二進法だった。しかし位取りの概念は同じだ。三桁の番号で、上位が著者区分、中位が年代区分、下位が通し番号。恒一はそれを頭に入れた。

 作業に取りかかった。


 棚から冊子を取り出し、背表紙の番号を確認し、分類先の棚に移す。単純作業だった。しかし単純作業にも効率がある。恒一は最初に全体の量を把握した。西棚は六段、各段に三十冊ほど。合計百八十冊前後。これを三つの基準で仕分ける。

 一冊ずつ移していては、棚と棚の間を往復する回数が多すぎる。恒一は床に冊子を仮置きして、まず著者区分ごとに山を作った。山ができたら、各山の中で年代順に並べ替えた。最後に通し番号を確認して棚に戻す。三段階。


 四十五年間の仕事で身についた習慣だった。手順を分解する。ボトルネックを見つける。無駄な移動を減らす。報告書を書くなら、作業中にメモを取っておく。メモは——エリンの文字が書けないので、番号だけを紙に控えた。


 シルトルが途中で覗きに来た。床に並んだ冊子の山を見て、眉を上げた。


「……お前さん、変わった子だね」


 ダラと同じことを言った。恒一は曖昧に頷いた。



 昼過ぎに、作業の八割が終わった。残りは西棚の最下段だった。最下段の冊子は古く、番号が擦れて読みにくい。恒一は蝋燭を近づけて番号を確認していた。


「コイチくん」


 シルトルが棚の向こうから声をかけてきた。


「下の階に、追加の冊子がある。取りに行ってくれるか。地下一階の第四区画、棚番号は——」


 番号を教わった。地下一階。恒一はまだ書庫塔の地下に入ったことがなかった。


「地下は暗い。灯りを持っていけ」


 蝋燭を一本渡された。恒一はそれを持って階段を降りた。一階を通り過ぎ、地下への階段に入る。石の段が狭くなった。壁に苔が生えている。空気が変わった。湿っている。紙と埃の匂いに、石と水の匂いが混じる。


 地下一階は暗かった。蝋燭の光が届く範囲は狭い。棚が並んでいる。上の階よりも古い冊子が詰まっている。革表紙が黒ずんでいる。背表紙の文字が光を反射しない。

 恒一は棚番号を確認しながら歩いた。第四区画。奥だった。蝋燭の光が棚の間を照らす。足元に水が滲んでいた。石の床が濡れている。


 第四区画の棚を見つけた。目当ての冊子を探す。番号を確認する。あった。棚の下段に三冊。恒一は膝をついて手を伸ばした。


 音がした。


 石と石が擦れるような音。低い。重い。壁の向こうからではない——棚の奥から。

 恒一は手を止めた。蝋燭を持ち上げて、棚の奥を照らした。


 棚の向こうに、何かがいた。


 石でできた人形だった。膝丈ほどの大きさ。四角い胴体に太い腕が二本。頭はない。胴体の上面に文字が刻まれている。文字が——脈打つように明滅していた。青い光。不規則な点滅。


 ゴーレム。書庫塔の自動管理用の術式構造体だと、ユミナが以前説明していた。文字列で動く石の自動機械。通常は書庫の環境維持——湿度調整や害虫駆除——を行っている。


 しかしこのゴーレムは、通常の状態ではなかった。表面の文字が正常な配列ではない。文字が重なり、崩れ、意味のない光の塊になっている。術式が暴走している。


 ゴーレムが動いた。

 腕が振り上がった。石の腕が棚を薙いだ。冊子が飛び散った。ゴーレムは恒一のいる方向に向かって——突進してきた。


 恒一の身体が動いた。


 あの感覚だった。

 馬車のときと同じ。足が石の床を蹴った。恒一が蹴ったのではない。膝が曲がり、重心が移り、身体が横に跳んだ。蝋燭が手から離れた。暗闇の中で、恒一の身体だけが正確に動いていた。

 ゴーレムの腕が空を切った。恒一がいた場所を、石の拳が叩いた。床が割れる音。


 恒一の意識は追いついていなかった。暗い。見えない。蝋燭を落とした。しかし身体は見えているかのように動いている。足が棚の角を避け、手が壁に触れて位置を確認し、身体が低く沈んでゴーレムの二撃目をかわした。


 ——俺が動いたんじゃない。


 馬車のときと同じ言葉が浮かんだ。身体が動いた。恒一は乗っているだけだ。


 しかし今回は——恒一の意識が、身体の動きを追おうとしていた。馬車のときは何が起きたかわからないまま終わった。今は、暗闇の中で、身体がどう動いているかを感じようとしていた。

 右足で床を蹴る。左手で壁を掴む。重心を低くして、ゴーレムの腕の軌道の下に入る。この身体は——ゴーレムの動きを読んでいる。腕の振りの速度、軌道、次の動作の予測。恒一にはできない判断を、身体が自動で行っている。


 ゴーレムが三度目の腕を振った。恒一の身体は棚を蹴って後方に跳んだ。着地。石の床に足裏が触れる。衝撃が膝に来る。膝が受け止める。


 ゴーレムは追ってこなかった。棚にぶつかり、方向を見失っている。術式が暴走しているせいで、動きが不安定だった。壁に腕を叩きつけ、反転し、また壁にぶつかっている。


 恒一は荒い息をついた。暗闇の中に立っている。心臓が速い。手が震えている。しかし足は——身体は、安定していた。恒一の心は追いついていないのに、身体は呼吸を整え、姿勢を保ち、次の行動に備えている。


 階段を駆け上がった。地下から一階へ。一階から二階へ。シルトルに報告した。シルトルが学院の保全班に連絡を取った。保全班が地下に入り、暴走したゴーレムの術式を停止させた。


 恒一は二階の棚の前に座り込んでいた。膝を抱えて、壁に背を預けて。手の震えが止まらなかった。



 夕方、ユミナの部屋に戻った。恒一は茶を飲みながら、地下での出来事を話した。


 ユミナは黙って聞いていた。聞き終えた後、長い沈黙があった。


「恒一さん」


「ああ」


文献魔法(アーカイブアーツ)の基礎を、教えさせてください」


 恒一は顔を上げた。ユミナの表情は真剣だった。


「体術だけでは危険です。今日は暴走ゴーレムでしたが、ダンジョンや遺跡の近くでは、もっと危険な遭遇もありえます。最低限の術式——照明と探知だけでも、身を守る手段になります」


文献魔法(アーカイブアーツ)を、俺が使えるのか」


「恒一さんの身体には……文献魔法(アーカイブアーツ)への適性があります」


 ユミナの声が、一瞬だけ揺れた。適性がある。その言い方に含みがあると恒一は感じたが、追及はしなかった。


「基礎の術式を二つ、覚えてください。灯火(ライト)——照明です。今日のように暗所で蝋燭を落としても、自分で光を作れます。もう一つは魔力感知(センスオーラ)——周囲の魔力の流れを感じ取る術式です。ゴーレムのような術式構造体の存在を、接近する前に察知できます」


 灯りと感知。攻撃ではなく、生存のための術式だった。恒一は頷いた。


「わかった。教えてくれ」


「明日から始めましょう」


 ユミナは茶の杯を持った。その手が微かに震えていたことに、恒一は気づいた。しかし今日は——それについて問わなかった。


 恒一は右手を開いて、閉じた。地下で、あの身体が勝手に動いたとき。暗闇の中で、石の腕を避け、壁を蹴り、着地した身体。恒一の意識は追いつかなかったが——追おうとした。

 馬車のときより、少しだけ。身体の動きを、感じられた気がした。


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