第15話 登録
冒険者ギルドのエリン支部は、書庫街の外れにあった。
石造りの二階建て。周囲の建物と同じ灰色の壁だが、入口の上に木製の看板が掛かっている。剣と盾を組み合わせた紋章。その下にエリンの文字が刻まれている。恒一には読めない。
「あれが冒険者ギルド、か」
「はい。エリン支部です。他の都市にも支部があります」
ユミナと並んで通りを歩いてきた。朝の空気が冷たい。吐く息が白い。ギルドの前には数人の人影があった。革鎧を着た男。杖を持った女。荷物を背負った少年——恒一と同じくらいの年齢に見えた。子供が冒険者をやっている。年齢制限がないとユミナは言っていたが、実際に目にすると違う。
扉を開けた。木の扉。蝶番が軋む。中に入ると、酒場と事務所を足して割ったような空間だった。左手に木のカウンターがある。壁一面に紙が貼られている——依頼書だろう。右手には机と椅子が並んでいて、数人が座っている。朝飯を食いながら紙を読んでいる者。武器の手入れをしている者。
革と鉄と木の匂い。それに——インクの匂い。書庫街が近いからか、このギルドは武器庫より書斎に近い空気がした。
カウンターに人がいた。三十代くらいの女だった。短い赤毛を後ろで束ねている。カウンターの上に帳簿を広げ、羽ペンを持っている。恒一とユミナが近づくと、顔を上げた。
「いらっしゃい。何の用事?」
「登録をしたい」
恒一が言った。受付の女は恒一を見て、それからユミナを見た。視線が恒一に戻る。上から下へ。恒一の身なりを確認している。
「坊や、一人?」
坊や。恒一は内心で苦笑した。十四歳の見た目なのだから当然だ。会社の受付で「坊や」と呼ばれたことはない。四十五年間で初めてだった。
「彼は私の弟子です」
ユミナが隣から言った。声に導師の落ち着きがある。
受付の女の目が変わった。ユミナの服装を見ている。黒のコルセット付きワンピース。ダークグレーのクローク。金縁。腰のベルトに本。エリン魔法学院の導師の正装だった。
「……導師さまのお弟子さんですか。失礼しました」
声の調子が変わった。ぞんざいだった語尾が丁寧になる。恒一はそれを見ていた。肩書きで態度が変わる。この世界でも同じだ。前世の会社でも、名刺に書かれた役職で応対が変わった。係長と部長では、同じ人間でも受付の声が違う。
「登録に必要なものは」
「名前と、簡単な身元の確認だけです。身分証はお持ちですか」
「身分証は——」
「ないです」
ユミナが答えた。
「この世界にはそもそも統一的な身分証の制度はありません。ただ、私がこの子の身元を保証します。学院の導師として」
受付の女は頷いた。カウンターの下から一枚の紙を取り出した。登録用紙だろう。表面にエリンの文字が印刷されている。空欄がいくつかある。
「では、お名前は」
「コイチ」
「コイチね。——保証人は導師さまで?」
「はい」
ユミナが頷いた。恒一は受付の女が名前を一つ聞いただけで次に進んだことに、小さな違和感を覚えた。前世なら姓名を聞かれる。しかしこの世界で姓を持つのは貴族や大商家くらいだとユミナから聞いていた。名前が一つだけなのは、むしろ普通なのだ。
「年齢は」
「十四」
「見た目通りですね。——確認ですが、年齢を証明するものはありますか」
「ありません」
「はい、大丈夫です。自己申告で結構です」
受付の女は慣れた手つきで紙に書き込んでいった。恒一は隣からその紙を覗いた。読めない。しかし書式のレイアウトは見覚えがあった。名前、年齢、所属、保証人——項目の並びが、前世の社員登録書類に似ていた。
「所属は——導師さまの弟子、ということで学院付きで登録しますか?」
「個人登録で」
恒一が言った。ユミナが横を見た。
「個人でいい。学院に迷惑はかけたくない」
本当の理由はそれではなかった。個人で登録したほうが自由に動ける。学院付きになれば、ユミナの研究スケジュールに縛られる。収入と身体制御の両方を追うなら、行動の自由度が必要だった。
四十五年間の会社員生活で学んだことの一つ。組織に属すると便利だが、組織の都合に合わせなければならない。フリーランスは不安定だが、自分で判断できる。
「個人登録ですね。保証人は導師さまで。——魔法の使用はありますか」
「ない」
「今はありませんが、今後習得する予定です」
ユミナが付け加えた。受付の女はペンを止めて恒一を見た。
「文献魔法ですか」
「はい」
「では、文献魔法適性欄に『習得予定』と記載しておきますね。文献魔法系の依頼は資格が必要ですが、登録時点では不要です」
魔法の適性欄。文献魔法の項目が、公式書類に印刷されている。この世界では魔法が制度に組み込まれている。運転免許の欄に「AT限定」と書くのと同じ感覚だ。
受付の女が紙の最後に何かを書き込んで、恒一の前に置いた。
「こちらに署名をお願いします。エリンの文字でなくても構いません。本人確認用の印です」
恒一は右手でペンを取った。右手で。自然に取れた。紙の上に——カタカナで「コイチ」と書いた。この世界の文字は書けない。しかし受付の女は気にしなかった。
「はい、登録完了です。こちらが冒険者証になります」
受付の女がカウンターの下から小さな木札を取り出した。恒一の名前と登録番号が刻まれている。紐がついていて、首から下げられるようになっている。
恒一はそれを受け取った。木の札。手のひらに収まるサイズ。軽い。表面に彫り込まれた文字は読めないが、数字は読めた。
——会社員証みたいだな。
前世の会社員証はプラスチックのカードだった。首から下げるストラップ付き。毎朝それを下げてオフィスに入り、退社時にロッカーに仕舞った。十五年間、同じカードを使った。
この木札は、それと同じ重さだった。物理的な重さではない。「ここで働く」という証明の重さが同じだった。
「依頼は壁の掲示板に貼ってあります。取りたい依頼を持ってきてくだされば、受付で処理します。難易度と報酬は紙に書いてありますが——読めない場合は聞いてください」
「ああ。ありがとう」
恒一は木札を首から下げた。紐が首に触れる。革紐の感触。冷たくはない。
ユミナと一緒にカウンターから離れた。壁の掲示板を見た。紙が何枚も貼ってある。エリンの文字で書かれている。読めない。しかし紙の色が何種類かあった。白、黄、薄い青。色で難易度を分けているのかもしれない。
「白が一般依頼、黄が要資格、青が特別依頼です」
ユミナが説明した。
「まずは白の依頼から始めるといいでしょう。書庫整理や荷物運び、調査の補助などがあります」
恒一は白い紙を見た。一枚一枚が、仕事の依頼だ。この世界での、恒一の最初の仕事。
右手を開いて、閉じた。木札が胸元で揺れた。
「ユミナ」
「はい」
「この紙に何が書いてあるか、教えてくれ。全部」
ユミナは少しだけ目を細めた。
「全部ですか」
「全部だ。どの仕事が何をして、いくら払って、何が条件か。——仕事を選ぶのに情報がいる。それは前の世界でも、この世界でも同じだ」
ユミナは一枚目の紙を指さして、読み上げ始めた。恒一は腕を組んで聞いた。仕事の内容。報酬。条件。期限。一枚ずつ。丁寧に。
四十五歳の会社員が、十四歳の冒険者として、最初の仕事を選んでいる。




