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第14話 冒険者ギルド

 ユミナの研究費は、学院からの助成金で賄われていた。

 恒一がそれを知ったのは、ユミナの部屋の机の上に積まれた書類を見たときだった。エリンの文字で書かれた帳簿のようなもの。読めないが、数字は読めた。アラビア数字ではない。しかし数の並びと増減のパターンから、これが収支の記録だと推測できた。

 入金の欄は一つだけだった。出金の欄は——多かった。


「ユミナ。この帳簿」


「……見ましたか」


「数字の並びを見ただけだ。字は読めない。ただ——出ていく方が多いだろう」


 ユミナは少し間を置いて、頷いた。


「学院からの助成金で、研究費と生活費を賄っています。ただ……最近は研究の進捗が遅れていて、次期の助成が不透明です」


「理由は」


「再構築に時間を取られたこと。それから——体調の問題で、研究時間が減っていること」


 体調の問題。恒一はその言葉を聞いて、三日前の夕食の会話を思い出した。パンが一切れ減っている。顔色が悪い。「大丈夫です」とユミナは言った。大丈夫ではないから、研究が遅れている。


「俺のせいだな」


「そんなことは——」


「再構築がなければ、研究は予定通りだったんだろう。俺が馬車の前に出なければ、二回目の再構築は必要なかった」


 ユミナは口を閉じた。否定の言葉が出かけて、止まった。事実は事実だった。


「生活費は、いくらかかっている」


「恒一さんが気にすることでは——」


「いくらだ」


 ユミナは帳簿の数字を指さした。恒一には読めない。ユミナが口頭で説明した。宿賃、食費、研究用の素材費、書庫塔の利用料。一人分の生活に必要な金額。今は二人分。


「二人分か」


「はい」


「俺の分がまるまる余計だな」


「余計ではありません。恒一さんがいることは——」


「経済の話をしている」


 恒一は言った。感情の話ではなく、収支の話だ。入金が一つで、出金が二人分で、しかも入金が減る見込みがある。この構造は——前世でも何度も見た。中小企業の資金繰り。プロジェクトの予算超過。固定費が利益を食い潰す。

 対策は二つしかない。支出を減らすか、収入を増やすか。


「俺が働く」


 ユミナが目を見開いた。


「何を言って——」


「収入源がもう一つ必要だ。お前の助成金だけでは持たない。特に——お前の体調が回復するまで時間がかかるなら、その間の生活費を別の収入で補うべきだ」


「恒一さんは十四歳の——」


「見た目はな。中身は四十五の会社員だ。働くのは慣れてる」


 ユミナは黙った。反論を探している顔だった。しかし恒一の言っていることは経済的に正しい。ユミナは論理に弱い——いや、論理に強すぎるから、論理的に正しい主張を感情で退けることができない。LLMだった名残かもしれない。


「この街で働くなら、何がある」


「……エリンは学術都市ですから、研究補助や書庫の整理は常に需要があります。ただ、安定した収入にはなりません」


「他には」


「冒険者ギルドがあります」


 冒険者ギルド。恒一は、TRPGで何度も聞いた言葉を、ユミナの口から現実の制度として聞いた。


「個人登録制の互助組合です。依頼を受けて報酬を得る仕組みです。エリンの支部は学術系の依頼が多く——遺跡調査の護衛、書庫の特殊整理、魔法素材の採取補助など。危険度の低い依頼もあります」


「登録に条件は」


「ありません。名前と、本人確認だけです。この世界には戸籍制度がありませんから——見た目と自己申告で登録できます。年齢制限もありません」


「年齢制限がない」


「正確な年齢を証明する手段がないんです。出生届も住民票もありません。アルヴェリア王国だけは若年層の保護制度がありますが、エリンにはそういった規制はありません」


 恒一は腕を組んだ。戸籍なし、年齢制限なし。十四歳の見た目でも登録できる。TRPGの設定と同じだ。ゲームでは当たり前の仕組みが、この世界では社会制度として機能している。


「収入はどの程度見込める」


「依頼によります。書庫整理のような軽作業で、一日分の食費程度。護衛や素材採取になると、数日分の生活費に相当します」


「十分だ。食費分でもいい。お前の助成金への負荷を減らせる」


 恒一は椅子から立ち上がった。窓の外を見た。書庫塔の向こうに、エリンの街並みが広がっている。石造りの建物。通りを行き交う人々。この街で、十四歳の身体で、四十五歳の頭で、働く。


 しかし——収入だけが理由ではなかった。


 恒一は右手を開いて、閉じた。力がある。この身体は動く。前の身体よりよく動く。階段を二段飛ばしで降りられる。

 そして——あの日、馬車の前で、恒一の意思とは無関係に走り出した。


 冒険者ギルド。依頼をこなす。身体を使う。

 恒一は馬車事故のことを思い出していた。身体が勝手に動いた。最適解を選んだ。恒一は何も考えていなかった。身体に乗っていただけだった。

 それが——怖い。次にいつ起きるかわからない。次に何をするかわからない。この身体の中にある「何か」が、恒一の判断を飛び越えて行動する。


 制御しなければならない。


 この身体が何をできるのか。どこまでが恒一の意思で動いて、どこからが身体の自動判断なのか。それを知るには——身体を使うしかない。実際に動かして、負荷をかけて、反応を見る。

 会社のシステムと同じだ。仕様書だけでは挙動はわからない。テスト環境で動かして初めて、バグが見つかる。


「ユミナ。冒険者ギルドはどこにある」


「……本気ですか」


「本気だ。金を稼ぐ。それから——」


 恒一は少し迷って、言った。


「この身体を使いこなしたい。あの馬車のとき、俺の身体は俺の知らないことをした。次にそれが起きたとき、せめて何が起きているか理解できるようになりたい」


 ユミナは恒一を見ていた。琥珀色の瞳に、複雑な光が浮かんでいた。恒一の身体に何が埋め込まれているか、ユミナは知っている。恒一は知らない。しかし恒一は——知らないなりに、正しい方向に歩こうとしている。


「……わかりました。明日、ご案内します」


「ああ。頼む」


 恒一は窓の外を見た。夕暮れのエリン。書庫塔の文字列が、夕日を受けて橙色に光っている。

 金を稼ぐ。身体を知る。この世界で、自分の足で立つ。四十五歳の会社員が、十四歳の冒険者になる。

 不思議と——悪い気分ではなかった。働くことなら、知っている。


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