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フライングサーカス その名はコハクギン 駆け出しのデュオのライブハウス初出演は電気系統不良に遭遇! 歌えるのか?

作者: あべ舞野

駆け出しの男性デュオ。デビュー前の下積み期間をがんばっています

「どうしよう…来ちゃった…」

 細い声で呟くのは、黒いギターケースを背負った佐藤(ぎん)。ちょっと背中が丸い。隣の林琥珀(こはく)を見下ろす。ちょうど肩くらいに頭がある。

 琥珀は大きく頷いた。迷子になったような表情の相方を見上げる。

「うん。いよいよだ。びびってんじゃねえ」

 こちらも四角い黒のケースを肩から下げている。

 賑やかな駅前を抜けて、居酒屋の角を曲がる。路地はすぐに行き止まりだ。奥には濃い灰色の雑居ビル。壁に緑のツタが絡む。

 二人はそこを目指す。眩い陽光を浴びて、額には汗がにじむ。無造作に羽織ったシャツも、少し色が変わっていた。太陽のせいばかりではない。楽器がいつも以上に重くかんじる。

 まもなくあのビルに着く。

 彼らはコハクギンというデュオだ。高校2年からコンビを組んで5年になる。大学卒業を機に、本格的に音楽活動に乗り出した。まだ四か月ほどだし、事務所にさえ所属できていない。しがないフリーター生活だ。二人が黒髪のままなのも、染めるお金が惜しいからだ。

「路上ライブでも宣伝しまくっただろう。今日、伝説作っちゃうかもよ?」

 このビルの地下が目的の場所だ。ツタの葉の間に、黒ずんだ『ミスティ』という店名が踊る。もともとはジャズ喫茶だったそうだ。だが色々なジャンルの歌手が出演するようになり、ライブハウスになった。そして数々のシンガーがここから育っていった。四十席の小さな店内だ。だがかつては最高百二十ほど客が詰めかけた事もあるらしい。ちなみに現在は消火法の関係で、こんな無謀な収容はしない。

「着いちゃった~」

 銀の声が震える。

 ここは楽曲発表の場としても使用される。平日の昼間限定で、新人限定の出演枠があるのだ。コハクギンはそのオーディションに合格した。ノーギャラだし、開催時間のせいで客の入りはあまり見込めないだろう。だがここで演奏するのに意味がある。あの!『ミスティ』で演奏したという実績ができるからだ。

 開始時間は十五時。今日の出演者は三組。コハクギンはトップバッターだ。

 琥珀は腕を組み、目を閉じた

「あ~今までのコトを思い出すよな~」

 親の説得。バイトの合間を縫っての楽曲作り。路上ライブの許可を取ったり、場所取り。呼び込み。

 銀も少し遠い目になった。

「最初は誰もいなくて淋しかったなあ。うるさいとか酔っ払いに大声を出されたりね」

「そりゃ絡まれているって言うんだ」

 大概は、銀は泣きそうな顔で震えてしまう。だから琥珀が前面に出る。半ばやけくそで、酔っ払いとド演歌を熱唱したりもした。

 そんな日々を繰り返し、足を留める人も増えてきた。ほぼ必ず来てくれる制服の女子もいた。いつも途中からだ。端っこでしゃがんで聞いている。

「彼女、来てくれるかな」

「平日だし、どうだろう。チラシは配ったから、場所と時間は分かっているはずだ」

 琥珀は箱を持ち直した。アンプなど機材が入っていない分、いつもより身軽だ。

「よし、行くぞ。まだ外の看板が出ていないんだな」

「早すぎても迷惑じゃない?」

「いや、打ち合わせはするって。そろそろだろ」

 時計に目をやる。十四時。店の都合でリハーサルなしだ。機材の調整や音合わせは、させてもらう予定だった。

 階段は暗い。電気が点いていなかった。時代と手の垢で黒ずんだ壁には、数々のサインがあった。中央のすり減った階段を下りたら『ミスティ』だ。あちこち金の色が剥げたドアノブを掴む。濃い茶色の木の内装が、いっそう暗さを強調している。壁に並ぶのは、往年のジャズプレイヤーの写真やレコードジャケットだ。

「こんにちは!」

 むっとした空気が押し寄せた。非常灯だけが付いていた。金髪の若者が振り返る。手には懐中電灯とニッパー。店の名前が入った黒いエプロン姿だ。

「ああっ! 今日の出演の人⁈」

 琥珀が挨拶した。

「はい、コハクギンです。俺は林琥珀、こいつは佐藤銀。今日はよろしくお願いします!」

 銀も一緒に頭を下げる。青年は額の汗を拭った。

「あ~…来ちゃったか。ついさっき…そのお…あ、俺はここのモンで高橋翔太(しょうた)。実はトラブルがあってさ~」

 店の奥から冷たい空気が吹き込んだ。厨房へのドアだ。電気も点いている。翔太は息を吐いた。

「あっちは生きてるんだよね。店の電気系統がイカレたんだ。何しろ古いビルだからなあ」

 え、と琥珀と銀は顔を見合わせた。ライブ開始まであと1時間だ。

 厨房の光を背負って、人影が現れた。まるで後光のようだ。白髪が輝く。彼は腰をかがめた。大きな送風機を店内に向ける。

「どうだ、翔太? 少しはマシか? おい、そっちの二人は?」

 翔太は風が当たる場所に移動した。Tシャツの首元を引っ張る。

「今日の1番目の出演者さんっす、店長」

 その人物こそ『ミスティ』の店長鈴木サチモである。琥珀と銀に面識はないが、ホームページの写真でも見ていて知っている。思わず気を付けの姿勢になった。目が慣れると、60代半ばだろうと分かる。グレイヘアをきっちりと撫でつけていたが、少しくったりしているのは暑さのせいだろう。翔太と同じエプロンだ。

 彼はやれやれと首を振った。

「連絡が間に合わなかったな。本当につい10分くらい前だ。ヒューズが焼けたかも」

 経年劣化と過電流の為に、配電盤がショートしてしまったようだ。

「もしそうなら交換だ。今日は閉店、ライブは中止。せっかく来てくれたのに悪いな」

「えっ⁈」

 心臓が握られたような衝撃発言だった。

 サチモは翔太に言った。

「こっちは後回しだ。事務所に行って、今日の出演者に急いで連絡してくれ。HP更新も頼む。俺は修理を手配する」

「了解っす!」

 二人は呆然と立ちすくんだ。地下の湿気が肌に絡みついて離れない。不快な温度が感情を麻痺させていくようだ。

 翔太が厨房へ消えた。更に奥があるのだろう。

 サチモは眉をひそめた。棒のような若者二人に目をやる。

「すまんな。今日は帰ってくれ。また連絡するよ。君らもSNSやっているなら中止って伝えて。呼んだ人がいたら、知らせてあげた方がいい」

 二人はすぐに返事ができなかった。サチモは肩をすくめた。

 仕方がない。黙って頭を下げた。店を出る。砂袋でもくくりつけたような足取りで階段を上がった。

「銀…。声をかけた連中に連絡しとくか…」

「…そうだね…」

 スマホをいじりながら、のろのろと階段を上がった。

 まだ高い位置の太陽が、まともに目を射る。俯いた視線の中にピンクのサンダルがあった。はっと顔を上げると、いつも路上ライブに来ている女性だった。ソーダの泡が弾けるような笑顔だ。白いワンピースを太陽が照らす。光が跳ねた。彼女はうちわを二人に向けて仰いだ。

「こんにちは、来たよ! まだリハーサル中かな?」

 生ぬるい風を送る扇面には、手書きの『コハクギン』とピンクの字が躍る。

「いつも塾の帰りに寄っているの。今日は最初から聴けるんだよね? 嬉しくってつい早く来ちゃった!」

 口ごもる銀。琥珀の声が少し高くなった。

「今日は…学校は? もう夏休み?」

「うん! 受験生だから、これから塾へ行くんだ。エネルギーチャージさせてね」

 アスファルトからも熱と湿気が上がる。彼らの間で空気が揺らめく。まるで陽炎だ。

 琥珀は呻いた。

「そう…なんだ。ちょっと待ってて! 入れるか聞いてくるから!」

 そのまま、また暗がりへ駆け降りる。銀があわてて追った。

「待ってよ、琥珀! 今日は無理なんだろう?」

「このまま帰せるか! 店長さん!」

 ばん、と扉が回る。サチモは電話を掛けていた。耳から離す。

「どうした? 忘れ物?」

 琥珀の息があがっている。ぐっと拳を握った。頭を下げる。

「1曲だけ…1曲だけやらせてもらえませんか? ご迷惑なのは分かっています。でも…でもお客さんが来たんです! どうか…!」

「琥珀! やめよう!」

 銀が腕を掴んで揺する。しかし琥珀は頭を下げたまま動かなかった。体が小刻みに震えているのが銀の手の平にも伝わった。

 サチモは通話を切ったようだ。二人に向き合う。

「チャンスはまだあるよ? こんな悪いコンディションでやらなくてもいいだろう?」

「…はい…でも…」

 この願いは自分のわがままだ。でもせっかく来てくれた客に歌を聞いてもらいたい。少しでも彼女のエネルギーになれるのなら。

 『ミスティ』でチャンスが欲しいバンドや歌手はたくさんいる。店のスケジュールは、半年先まで埋まっているはず。だったら今しかない。

「客は何人?」

「…一人…です…」

 突然ゴオゥと天井が鳴った。ブルブル、と機械が震える。冷風が吹きぬけた。入り口の電気が灯る。

 翔太が奥から顔だけ出した。

「エアコンと客席の一部だけ蘇りました! 業者は夕方になるそうっす!」

 舞台とは配線が別らしい。

 サチモは少し遠い目になった。

「俺の名前はサッチモ・ルイ・アームストロングから付けられたんだ。知っているか? 伝説のジャズプレイヤーだ。こんな名前を付けてもらったら、もうジャズ界へ行くしかないよな。最初にここで演奏した時、客は四人だった」

 初出演となれば、友人や家族を呼ぶ者もいる。サチモは誰にも声をかけずにこの人数だった。彼は言った。

「一人ってのは、新人発掘イベントでは初だな。喜べ、初物は縁起がいい」

 はっと二人は顔を上げた。サチモは片方の頬だけで笑っている。

「どうした? 客がいるんだろう? 呼んで来い。リハーサルだ。一曲だけだぞ」

「は、はいっ!」

 二人はバネでも付いているように飛び上がった。

 翔太が首をかしげる。

「いいんですか? 他の出演者にだって…」

「リハ中に電気が落ちたんだ。しょうがないよなあ! 聴いているのはマネージャーかなあ?」

 中止なのに店内で歌わせたら、来店さえできなかった他の二組と対応が違ってしまう。特別扱いとしないように、リハーサル中に電気系統がダメになった事にするようだ。

「誰かの為に演奏したい気持ちってのは…分かる。お前もだろう? まあ、俺はプロにはなりきれかったが」

「えーっと、俺はまだなれるかもしれないです。修行中っすよ! 縁起でもない」

 三人が降りて来た。みんな心なしか顔がこわばる。事情を聞いたのだろう。彼女も不安げな顔をしている。

 舞台のライトは付かず、上がれもしない。客席で演じる。翔太がテーブルを少し寄せてくれた。灯りのある入り口の方に、コハクギンが立てる場所を作る。その真正面に、彼女の為の椅子が一つ。とびきりのスペシャルシートだ。彼女の頬が赤らんだ。店内の暑さばかりではない。瞳が輝いた。

 銀はギターを用意した。アンプが使えない。まさかのアコースティック演奏となったが、こちらの方が楽器本来の響きだ。琥珀はマラカスだ。ボーカルとMC担当である。琥珀はぴんと背筋を伸ばす。マイク無しだ。声を張り上げた。

「ようこそ、コハクギンのライブへ! ここ伝説のライブハウス『ミスティ』であなたの為に歌います! ギター、佐藤銀! ボーカルと賑やかしは私、林琥珀! よろしく! そういえばあなたのお名前を聞いていませんね? 聞いてもOK?」

梨花(りんか)、山本梨花だよ」

「いつもありがとう梨花さん。リクエストがあったら応えちゃうよ」

 うちわが揺れた。

「アレ! 『フライング・サーカス』!」

「了解! 梨花さんの受験勉強を応援して。行くぞ、銀!」

 スポットライトがない。いや、舞台ですら遠い。薄暗い店内だ。それでも演者と客がいる。壁に貼られたセピアの写真に見守られて、たった一曲のステージが始まる。アップテンポの軽やかな曲だ。銀のギターは、性格とは相反して音が強い。どこか攻撃的でさえある。琥珀の中音で柔らかい声と絡み合う。マラカスが軽やかなアクセントだ。メロディーに躍動感を添える。


 …僕らは 走り始めたばかり 

  まるで 空飛ぶサーカスに放り込まれたようだ

  空中ブランコ 猛獣使い 曲馬に道化

  賑やかに輝く彼らを 見つめるばかり

  でも いつかは きっと 

  ライトを浴びて 輝くだろう…


 サチモと翔太も壁際で聴いている。

「歌詞、若いっすねえ」

「青春っていいなあ」

 受験生の梨花への応援歌のようだ。

 曲はすぐに終わった。銀のギターが余韻を響かせる。そして静寂。彼女が大きく手を叩く。

「アンコール! ねえアンコールは?」

 コハクギンはすぐに言葉が出なかった。喜んでもらえたようだ。

 琥珀は顔を上げた。ちらっとサチモを見る。それから梨花に言った。

「今日は一曲のスペシャルバージョン、ごめん。アンコールは、いつもの路上ライブでぜひどうぞ。お待ちしています」

 二人揃って彼女に頭を下げる。それから壁の二人を示した。

「場所の提供、イケオジ店長鈴木サチモ氏! 会場設営、ナイスガイ高橋翔太氏! 感謝! 皆さま、ありがとうございました!」

 ライブは終わった。達成感とやりきった故の虚脱感。さらに、もっとやりたいという焦燥感。二人の内面を様々な感情が焼く。

 梨花を送り出した。二人はゆっくり楽器をしまった。名残惜しい。

 もう翔太は奥へ消えた。あちこちへ電話をかけているのだろう。声が聞こえる。

 二人はサチモに大きく礼をした。最大角度九十度越えである。

「ありがとうございました!」

「いやいや。ただの予行演習だから。他のバンドとも合わせて、埋め合わせは考えておくよ。それから、あ~…よくある言い方だけどさ」

 彼は頬をこすった。

「このライブを伝説にするか幻だったで終わるか、君ら次第だから」

「もちろんです!」

 またも最敬礼。彼らの背中が階段へ消えた。

 翔太はぶつぶつと呟く。

「本当に店長は新人さんに甘いんだから。俺にももっと優しくしてくださいよ」

「各所へ連絡ご苦労さん。後で一杯おごるわ。どうだ、優しいだろう。どこが不満だ」

 サチモはセピアの写真を見上げた。それぞれ伝説となったプレイヤーだ。だが彼らも最初はただの演者である。どうなるかはそれぞれ。

(俺は写真を貼れなかったな)

 せめて少しは後押しをしてやりたい。その心意気こそが『ミスティ』が伝説のライプハウスとなった原動力かもしれなかった。

 琥珀と銀はビルを出た。トラブルが無ければ、まだ歌っている時間だ。いつの間にか、出入口には『本日臨時休業』と手書きの紙が貼られていた。梨花はもういない。塾へ向かったようだ。

 陽光が二人をあぶった。それでも薄暗い店内から出た解放感がある。

 銀がギターを背負い直した。

「時間、空いちゃったねえ。ファミレスでも行って何か飲む? 喉がカラカラ」

 暑さと緊張のせいだろう。

「俺もだよ。そうしよう。それから曲を書くぞ」

 琥珀はシュッとと親指を立てる。

「いつかは『ミスティ』の階段にサインを書きたいなあ。よし、俺たちは伝説を作る!」

「くっさ~! その決めゼリフ、なんだか古いよ」

「温故知新を知らないのか?」

「ナニそれ? 突然の四字熟語! 物知りさんか!」

 琥珀と銀は笑いあった。そして煌めく町へ踏み出した。

 

お読みいただきありがとうございます。

若い二人の熱量と掛け合いを楽しんでいただければ嬉しいです!

エブリスタ、アルファポリス同時掲載です。

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