第三章:お前は私のものだと宣言してやろうか?
日曜の午後。俺はなぜか、駅前のショッピングモールにいた。
そして隣には、私服姿の葛城会長——いや、葛城さんがいる。
“会長”と呼ぶのが当たり前だったのに、今日ばかりは、なぜかそれがしっくりこなかった。
白のブラウスにグレーのロングカーディガン、黒のパンツという落ち着いた装い。
制服とは違う雰囲気に、彼女の気品はより際立って見えた。
「神谷。遅い。庶民にしては健闘しているが、集合時間は守れ」
「駅の時計でピッタリでしたけど……」
「私は五分前集合を是とする。庶民の感覚に合わせてはならん」
そんなやりとりも、もう慣れた。
今日の目的は生徒会で使う備品の買い出し。だが、どこか遠足のような緊張感があったのは、俺だけじゃないはずだ。
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まず向かったのは文具店だった。
「このファイルとこのインデックスラベル。あと、帳簿用紙。神谷、リストに従って選べ」
「わ、はいはい……あ、こっちの方が安いですけど?」
「価格ではなく、品質と信頼性が重要だ。庶民感覚は度外視せよ」
ぶつぶつ言いつつも、結局は彼女の指定通りにカゴを満たしていく。
制服姿しか知らなかった彼女が、街の空気に自然と馴染んで見えたのが不思議だった。
すれ違う人が思わず振り返るのも、無理はない。俺も何度目かの視線をそっと送っていた。
「……なんだ、神谷。黙って見て」
「いや、私服、似合ってますねって思って」
「当然だ。私が選んだのだからな」
少しだけ目を逸らす仕草に、意外なほど人間らしさが見えた気がした。
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買い物の合間、近くのカフェで休憩を取ることになった。
並んで座ったカウンター席には、静かな音楽と甘い香りが漂っていた。
俺はミルクティーを、彼女はホットコーヒーを選んだ。
「……神谷」
「なんですか」
「貴様は、今日私といることを、どう感じている?」
「え? いや、そりゃ……緊張してるし、疲れるし……」
でも、と俺は続けた。
「でも……嫌じゃないです」
その一言に、彼女のまつげがピクリと揺れた。
「それは、私の“庶民代表”としての義務感からではなく?」
「……違います」
言った瞬間、自分でも驚いた。
正直、会長と一緒にいるときの俺は、いつもよりちゃんとした“自分”でいられる気がしていた。
いいところを見せたいとか、怒られたくないとか、そんな単純な理由だけじゃなくて——
彼女に、認められたいと思っていた。
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帰り道。会長は、俺の隣をいつもより半歩近く歩いていた。
街灯の下、彼女の黒髪が風に揺れ、横顔がほんのりと橙色に染まる。
「神谷」
「……はい」
「今の私は、“命令”でなく、“意思”でここにいる」
その言葉は、どこか告白にも似ていた。けれど、それ以上踏み込むことはなかった。
「……俺も、そうです」
「何?」
「今日の買い出し。庶民代表としてじゃなくて、俺自身が一緒にいたいって、思ったからです」
会長の足が、ぴたりと止まった。
「……なぜ、そう思う?」
「わかりません。でも、会長といると、ちゃんとしようって思えるんです。だから——」
俺は一度息を吸って、彼女の横顔を見た。
「だから、これからも隣にいたいって、思ってます」
しばらくの沈黙。
それから、彼女は小さく首を振った。
「……理解不能だ。貴様は、本当に厄介だ」
「すみません。でも、それが俺ですから」
会長はふっと笑った。珍しく、穏やかな笑みだった。
「ならば、私も言おう」
彼女はまっすぐこちらを向き、静かに、でも確かに言葉を重ねた。
「神谷、貴様は——私にとって、ただの庶民ではない。私の、特別だ」
「……!」
不思議と、怖くはなかった。ただ胸が熱くなって、まっすぐに彼女の目を見返した。
「……俺も、そう思ってます」
「よろしい」
彼女は、少しだけ照れたように視線を逸らしながらも、口元をゆるめて言った。
「返事は合格。次回は、もう少し明瞭に言え」
「……はい、会長」
そう答えると、彼女は少しだけ眉を寄せた。
「……今は、それではないだろう」
「え?」
不意に、彼女がほんの少しだけ視線を落とす。
「……“美琴”と呼べ。今日くらいは……そう呼んでほしい」
「……美琴、さん……」
そう口にした瞬間、彼女はそっぽを向いたが、その耳はほんのり赤くなっていた。
「——よろしい。……合格だ」
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その夜、布団に入っても眠れなかった。
“会長”ではなく、“美琴”と呼んだ彼女の顔が、何度も頭をよぎっていた。
——明日もまた、隣にいられるだろうか。
そんなことを考えて、少しだけ幸せな夜だった。