最終章:それでも、明日も
文化祭の片づけが終わった校舎には、いつもの日常が戻っていた。
飾りも照明も、制服じゃない特別な衣装も全部、もうどこにもない。
あんなに浮ついた空気があったのが嘘みたいに、教室は静かだった。
「ふう……終わったね」
琴羽が窓際で、椅子の背に肘をかけながらぽつりとつぶやく。
「疲れたな」
「うん。でも、なんか寂しいね」
「……まあ、そうかもな」
俺も窓の外を見ながら、なんとなく返す。
斜め前に並ぶ校舎の壁が、夕焼けに照らされて赤く染まっている。
気づけば、もう秋が近づいてきているんだな、と思った。
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「……ねえ、湊」
「ん?」
「昨日のことだけど」
ドキッとした。
琴羽はベンチで俺の言葉を遮った、あの瞬間のことを話そうとしている。
「言いかけたよね、何か」
「……ああ」
「言わないの?」
その問いは、優しくて、でも鋭かった。
少し黙ってから、俺は小さく笑って言った。
「今さら言って、関係壊したくないんだよ」
「……そっか」
琴羽も笑った。でも、それは少しだけ泣きそうな笑顔だった。
しばらく沈黙が続いたあと、琴羽がぽつりとこぼす。
「……でも、ちゃんと伝えてくれたら、嬉しかったかも」
「そうか」
「うん。でも、言わなかった湊の気持ちも、ちょっとわかる気がする」
それは、たぶん琴羽なりのやさしさだった。
同じように迷って、同じように怖がってたからこその、寄り添いだった。
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帰り道。
校門を出ると、季節外れの金木犀の香りがどこからか漂ってきた。
ふたり並んで歩く道。何も変わってないように見えるけど、少しだけ何かが違っている気がした。
「……来年もさ」
「ん?」
「文化祭、また一緒にやろうよ。受験とかいろいろあるかもだけど、最後だし」
琴羽の声は、どこか照れているようだった。
俺は少し考えてから、うなずいた。
「……ああ、そうだな」
それだけ。たったそれだけの言葉なのに、妙に胸が熱くなる。
そのまま、ふたり並んで歩く。
手はつながない。でも、それでいい。
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家の前に着いて、玄関の前で立ち止まる。
「じゃ、また明日ね」
「おう。またな」
それだけの会話。
だけどそこには、確かに何かがあった。
琴羽は、ドアに手をかけながら小さく言った。
「……言わなくても、伝わることって、あるよね」
そう言って、少しだけ振り返って笑う。
その笑顔が、俺の心に焼きついた。
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部屋に戻って、制服を脱ぎながら思う。
(言わなかった。言えなかった)
でも——
(きっと、伝わってる)
それでいい。
それが、今の俺たちにとっての、精一杯なんだ。
だけどいつか——
いつか、ちゃんと伝えられるようになったら。
そのときはもう一度、あの場所で。
(そのときはもう、“幼なじみ”じゃなくていい)
そう思いながら、今日という一日を、そっと閉じた。