第四章:言いかけたのに、届かない
文化祭当日。
校舎中が非日常の色に染まっていた。
飾り付け、衣装、教室の雰囲気。すべてがいつもと違って、だからこそ——その中で変わらないあいつの姿が、やけに綺麗に見えた。
「はいっ、湊。帯、曲がってる。じっとして」
「うわ、近……。あー、はいはい」
琴羽は、和風喫茶用の衣装である薄い着物をきっちりと着こなしていた。
俺の浴衣も直してくれながら、近すぎる距離にちょっとだけ照れてるようだった。
……いや、こっちのほうがヤバいくらい照れてるんだけどな。
「はい、完成。うん、まあまあ似合ってるんじゃない?」
「まあまあってなんだよ。せめて“かっこいい”って言えよ」
「……言ってほしいの?」
「……いや、別に」
「そ。じゃあ言わない」
言葉の表面は軽口でも、その裏にある空気は、あきらかにいつもと違っていた。
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午前の接客は大盛況だった。
琴羽はクラスの看板娘状態で、他クラスの男子がこぞってやってくる。
そのたびに、なぜか心臓の奥がチクリと痛んだ。
(……俺、何やってんだろ)
嫉妬? 独占欲?
どれも格好悪くて、だけど否定できない。
昼休憩に入ったタイミングで、俺はこっそり琴羽の袖を引いた。
「ちょっと抜けね?」
「……今?」
「うん、約束しただろ。ちょっとだけって」
琴羽は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……うん。行こっか」
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人気の少ない旧校舎の裏庭。
文化祭中は立ち入り自由エリアになっていて、散策コースのように使えるらしい。
木陰にベンチがあって、風が心地よかった。
「意外と静かだな」
「うん……ここ、いい場所だね」
隣に座る琴羽との距離が、さっきよりもずっと近く感じた。
「……なあ、琴羽」
「なに?」
「今日、いろんな男子に話しかけられてたけど……その、うっとうしくなかった?」
「え? 別に。湊が見てたから、平気だったよ」
……え?
ちょっと何言ってんのかわかんなくて、言葉を失う。
「湊って、昔からそう。ちゃんと見てるのに、なんにも言わないんだもん」
琴羽は、まっすぐこっちを見て言った。
「……でも、今日だけは、ちゃんと言ってほしかったかも」
「……っ」
心臓が、音を立てて鳴った。
言わなきゃいけない。
ずっと、飲み込んでた言葉を。
ここで言わなきゃ、もう二度と届かないかもしれない。
「俺、さ——」
「……うん」
「ずっと前から、お前のこと——」
そのときだった。
突然、スマホのアラームが鳴り響いた。
現実に無理やり引き戻されるような、冷たい音だった。
「あっ……これ、集合時間のやつ……」
「……っ、そっか。戻らなきゃだな」
琴羽は、立ち上がりかけて、でも少しだけ振り返った。
「……ねえ、湊」
「……ん?」
「言わなくても、だいたいわかるよ」
そう言って笑ったその顔が、今日いちばん綺麗だった。
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午後の喧騒の中で、俺はただひたすらに、さっき言いかけた言葉の続きを反芻していた。
——“好きだ”。
それを口にするチャンスは、たぶんもう何度もあった。
だけど、そのたびに怖くなって、逃げて、タイミングを失って。
それでも、今日みたいに、すぐ隣で笑ってくれるなら。
(……まだ、“幼なじみ”でいたいなんて思ってないくせに)
そんな自分が、ほんの少しだけ——情けなくて、愛おしかった。