桜御前の御出陣
美女・美少女な神様しか出てきません。
万物あらゆるものに神のおわすという国、日本。
もちろん、木々や花々が例外であるはずもなく。
神の住まう園の一角には、華やかな嬌声が響く。
もっとも有名な三女神が、今日も今日とて戯れておられる故に。
「ほほう。これは中々、美味いではないか」
「姉様、姉様。うちにもくださいましな」
「ほれ、桃も好きであろう、あまじょっぱい、というやつじゃ」
「うちの好きなきゃらめるをつこぉてますのね!」
きゃらきゃらと笑う美々しい少女が二柱。卓を挟んで揃いの装束で並ぶさまが愛らしい。薄絹を重ね、色を重ねた衣は軽やかに。艶やかな黒髪は頭頂のみ緩やかに束ねて結い、あとは流されて背を覆う。微笑む度に揺らめくは、領巾と歩揺である。髪を飾るそのまあるく鞠のようになった名の由来の花だけを違えるは、日の本の民の愛してやまぬ桜御前、そして春めく桃御前両名の、神々しさよりも愛らしさが先に立つ艶姿である。
「妾は、少し前に流行った塩の菓子が気に入りであった」
「梅姉様は、あまり甘いものは、お好きでないからのぅ」
様々な菓子を載せた皿や重箱が所狭しと並ぶ卓に付いているのはもうお一方。少し年が上に見えるが、なに、ここは神の御座所。それはその時の神の気分に左右される。とはいえ、梅御前が妹たちよりは大人びた姿を取られるのもまた、よくあることであった。
「せやけど、梅姉様? 手酌でそのぺーすで飲むんは、よぉ無い思うんよ」
減ることの無いグラスを優雅に傾ける梅御前は、嫋やかに寝椅子のひじ掛けに凭れるさまもなんとも色香溢れる風情である。桃御前に指摘されても涼しい顔で聞し召す。
「なに、これは妾由来の梅の酒。妾から生まれたものがこうして返って参っただけ。いくら飲もうと酔いなどせぬとも」
「梅姉様はずるいのじゃ。献上品に酒なぞ、我も桃にもないというのに」
「あら、桜姉様。うちにはお白酒やら献上されてきますえ」
たしかに、ひな祭りにはお白酒。かわりに甘酒というところもある。
「桜、桜の酒はっ」
「まあ、ないではないが、そう一般的ではないであろう」
「梅姉様には酒造めーかーがよぉけ、ついたはるしね」
「ふふふ。さすが妾よ。花は見て良し、香り良し。実は食してまた良し、酒にすれば更に良し」
「青梅の生食はあかんけどね」
「桃」
「はいな、梅姉様」
微笑みあう梅御前と桃御前がどことなく黒い。
「そこっ、陰険姉妹漫才やって、我を締め出すのはやめるのじゃ。姉様には、我にもその『呑みくらべせっと』を味見させて欲しいのじゃ!」
「かわいそうな桜姉様には、うちの桃のお酒もおすそ分けしたげます」
「熟成してまろやかになる前のものが、最近の妾の気に入りぞ?」
気前良く、用意されたグラスに注がれる梅酒。桜御前はろっくよりもそーだをご所望。
「梅酒、美味いのじゃ。桜でなぜできぬ」
桜御前はいささか拗ねておられるご様子。それを憐れに……はあまり思っていなさそうに、やんわりと梅御前。
「日の本の民はのう、桜花を愛しすぎておる。故にその色やその姿を酒にも活かそうとしやるのよ」
とどめを刺すのが桃御前。
「それで登場するのが桜の花の塩漬けなんよ。で、結果、香りが」
「桜餅」
「桜餅」
「桜餅。……貴様が戦犯かーっ!」
卓に臥せって嘆く桜御前は、すでに御酒が回っておられるよう。
「これ、桜餅にも罪はなかろう。妾も甘さ控えめのものは好いておるぞ」
「……姉様お気に入りのあそこの白い道明寺じゃね。夢枕で献上を促しておくのじゃ」
「うむ。皆で食そうぞ」
まあだいたいこんな感じで、三姉妹はゆるく仲良くお過ごしの御様子。最近は下界からの献上品の、質も量も種類も増えたと、それを肴にまたお喋りに興じられるばかり。
そんな折、ふいに三姉妹の側の空間が歪むと、そこから楚々とした美女が現れ、伏して述べる。
「桜御前に急遽、ご連絡を。下界の気温が急上昇しております。この様子では予定よりもご出座を早めることになるやもと」
「雪柳、先までは予定通りであったはずじゃが」
「それが、御前。この二三日で、春というよりも初夏のような有様で」
「ふむ。先陣を任せる菜の花の準備はどうじゃ?」
「恙なく、とのことにございます」
「この気温の上昇は続きそうであるのか?」
「多少は緩和されるようにございますが」
桜御前はしばし目を閉じた。手にしていたグラスが軽く上下に揺れ、とぷんと、ほの甘い酒精が香る。
「本来であれば、今は沈丁花の大一番であろう?」
「然様にございます。されど御前。この日の本において、御前に道を譲らぬ者などおりません故に」
花の王と冠されるは東に牡丹、西に薔薇。されどこの国において、どの花よりも愛され、尊ばれるは桜花。その桜色の眼を開いて、唇が弧を描く。
「よい。では出陣の触れを出すのじゃ。桃、そなたも共に参れ。せっかくの宴じゃ。狂い咲きもまた一興よ」
「姉様、では杏も李もさそぉても?」
「もちろんじゃ。連翹にも支度を急がすのじゃ」
梅御前が軽く手を叩いて妹たちを注目させる。彼女は一足先に咲いているので余裕があるのだ。
「それでは妾はここで高見の見物と洒落こもう。さ、二柱とも、支度を急ぐがよい」
「あい、姉様。しばし留守に致します」
「姉様、あとはよろしゅうに」
あっという間にその場には梅御前のみとなり。御前は手を振って、菓子満載の卓と椅子も消してしまうと、その代わりにひとつの窓を出現させる。その窓台に腰を下ろして眺むるは。下界を彩る壮大な塗り絵。いずれ一面、桜に染まる。
「さても日の本、津々浦々。桜御前の本気をとくと感ずるがよい。その民の血には、等しく桜の樹液が流れておろうよ。咲く花を眺むれば心浮かれ、咲く花を眺むれば心千々に乱され。今こそ狂乱の幕開けよ」
野も山も。街から街へと列島は、共に染まってしばしの祭り。
咲けや咲け。狂えや狂え。舞うだけ舞って、潔く、幕引く時まで酔うが勝ち。
日の本は、桜の国であるからに。
桃ちゃんは京女。実桃も花桃も自分のうち。
桜御前はあらゆる桜を司りますが、桜桃は管轄外のようです。