第92話
前回の続きです。どうぞ宜しくお願い致します。
ヒデさん。
いつも「純」でクリームソーダを啜ってたっけ。
そして、さりげなく「名言」を放つ、素敵な人。
そんなヒデさんを見送った余韻が残るまま、しばらくの間、集まった一同はなんとなく言葉が出せなかった。
けれども、不意にヒュ〜ッと冷たい風が吹き抜けると、誰ともなく「寒〜い!」の声が上がった。
「…じゃあ…ゆりちゃん!僕達もそろそろ行こうか!」
「うん、そだね」
私達の会話を聞いた純子さんが、すかさず聞いてきた。
「あら、お二人さん、これから初詣?」
「いいえ…あの…僕達、これから結婚してきます!」と原さん。
「えっ!」
そこにいる全員がびっくりした顔で、私達を見た。
「えっ…これから結婚って…」
戸惑う純子さんに、
「あ、あのですね…これから、市役所に行って、2人で婚姻届を出して来ようかと、思ってまして…」と原さんが続けた。
「あ〜!な〜るほど〜!そっかあ、そうなのねえ、おめでとう!ゆりちゃん、原君!」
「おめでとう!そっかあ!とうとう籍を入れるんだね!よかったねえ!よかったあ!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうなの〜!」
みんなから「おめでとう!」を言ってもらうと、急に恥ずかしくて照れた。
一同に見送られ、私達は出発した。
元旦の早朝なので、道路は案外空いていた。
2人共、結婚の挨拶をしに行った際の格好。
今日の様な日にぴったりの晴れ着だ。
お正月にこんな風に「きちんとした服」を着たのは、何年ぶりなんだろう?
子供の頃はほぼ毎年、着物を着せてもらったり、兄弟でお揃いの新しい服を着せてもらって、いつもより随分おめかししたものだ。
けれども、大人になるにつれて、徐々にそういうこともしなくなり、去年までは普段と変わらない楽な格好のまま、帰省もせず、アパートの部屋で1人ダラダラと過ごしていたっけ。
言い訳になっちゃうけれど、大晦日までものすごく忙しかったから、そういう「おしゃれ」を楽しむ気力も体力もなかった気がする。
そして、元旦だけ休むと、2日から初売りでまた大忙しの日々が1月の真ん中あたりまで続いてたから。
助手席で不意に、そんなことを思い出していた。
それにしても、さっきの原さん、かっこよかった〜!
「これから結婚してきます!」なんて、男らしくて素敵だったなあ。
…あ、今は「男らしさ」とか「女らしさ」とか、迂闊に言っちゃいけないんだったね。
変な世の中だよ…
「ん?どうしたの?もうすぐ着くよ!」
原さんに声をかけられ、何故かドキッとした私は、バッと顔をあげて窓から外の景色を確認した。
目の前にデカデカと見えているのは、市役所。
ここに来るのは随分久しぶりだったので、なんだか急に緊張し始めた。
駐車場に車を停めると、私達の様な雰囲気の男女が、市役所の裏手にある小さい出入り口方向に歩いている。
元旦なので、正面の大きな玄関は閉まっているらしい。
原さんと手を繋ぎ、嬉しさと緊張が混じるドキドキのまま、建物の中に入った。
多分、同じ目的の方々の後について行くと、やっぱりそうだった。
どこの誰かも知らない方々はみんな、特別に開いている受付で婚姻届を出していた。
原さんと2人、どこか不備はないか入念に確かめたのち、ようやく提出。
「はい、確かに受理しました…おめでとうございます!」
年配のメガネの男性からそう言われ、私達も一緒に「ありがとうございます!」と返した。
同じ様なやりとりが、その後も何組か続いた。
「…やっぱり…僕らと同じこと考えてる人達、結構いたね」
「本当ねえ…あんなにいると思わなかった」
帰りの車内でしみじみ。
でも、これで私達、「夫婦」になったんだね!
もう「広瀬川ゆり」じゃなく、「原ゆり」になっちゃった。
えへへ。
婚姻届を書いてる時、苗字のことで、原さんから聞かれた。
「本当にいいの?なんなら、僕が広瀬川でも…」
けれども、私は自分の苗字が変わることに、特に抵抗はない。
世間にはそれがどうしても嫌だとか、困るって言う人もいるみたいだけど。
うちのお母さんが言ってたみたいに、私も「奥さんになる悦び」が嬉しいの。
だから、自分の苗字が変わったって言うのが、なんとなく「奥さんになった」感があるなあと思うから。
誰かから「原さん」って呼ばれても、きっとすぐには自分のことだとわからないかもしれない。
徐々に慣れていくしかないんだろうなあ。
うちのお母さんも新婚の頃、家の電話に出る際「はい、広瀬川でございます」となかなか言えず、結婚前の「松野」と名乗ることも多々あったそうだ。
それと晩御飯の買い物で出かけた商店街の八百屋さんや魚屋さんなんかに、「奥さん!」って、声をかけられるのも嬉しくて恥ずかしかったって言ってたな。
1人で外歩いていると、結婚したってのを忘れちゃってるってのか、そういうのをまるっきり考えていないもんだから、いきなり「奥さん!」なんて言われると、ドキッとしちゃったり、その場に自分しかいないのに他の誰かに言ってるもんだと、周りをキョロキョロ見ちゃったりしたって。
その話を聞いた時は、「え〜」なんて思ってゲラゲラ笑っちゃったけれど、私も同じことやらかしそう。
家の電話はないものの、職場で急に「原さん」って言われても、雄大さんのこと?って思っちゃいそう。
「もうすぐ到着だよ〜!」
またしても脳内であれこれ考えていたので、街の外れの「崖岬」にもう着いちゃうの?と驚いてしまった。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。お話はまだ続きますので、引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。




