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金の花嫁と事の顛末

 雪花が空腹感と戦っていると、髭を蓄えたの背の低い、かくしゃくとした老人が部屋へと入って来た。黒ずくめでも、顔を隠してもいない初めての人物だ。


「失礼致します。金の花嫁様、これより花婿との対面を行います」


長い渡り廊下を歩き、着いたのは一段と豪華な建物。更にその奥の広間へと案内される。


「ここで暫くお待ちください」


老人は花婿を呼びに行ってしまった。一人取り残された雪花は天井を見上げた。


「凄い。なんて綺麗なの!」


 広間の天井には玻璃(はり)を贅沢に使った巨大な水槽がはめ込まれており、頭上を美しい黄金の魚達が悠々と泳いでいた。フワリと翻る大きな尾びれが可憐にたゆたう様は天界の世界を舞う仙女の衣のごとく華やか。雪花は思わず我を忘れて天井の水槽に魅入っていた。そのせいで、雪花は花婿の登場に気づけなかったのだ。


「美しいだろう? ここまで集めるのには、なかなか骨が折れたが」


雪花のすぐ横で同じように天井を見上げて、ゆるりと微笑を浮かべる花婿耀源。透き通るような木目細かい肌に、長い睫毛が覆う紫紺の瞳。濡れ羽色の艶やかな髪の毛は、緩く結い上げられている。襟元を緩め、着物を着崩した体躯からは気怠げな色気が漂う。


(なんて麗しい方なのかしら……)


雪花は挨拶も忘れ、耀源に見惚れた。


(……ってぼーっとしている場合じゃ無かったわ)


雪花はハッとして、目上の者に対する礼をとり、挨拶を述べる。


「お初にお目に掛かります。昨晩嫁いで参りました桜蘭と申します。支度金や数々の贈り物をありがとうございました。改めて御礼申し上げます」


雪花が姿勢を戻して顔を上げると、耀源は不思議そうに雪花を眺めていた。


「おや、どうもこれは、選ばれたものとは違うようだね」


(身代わりが、バレた?)


雪花は必死に言い訳を探すが、咄嗟にうまい言葉が出てこない。


八兎爺(やとじい)、残念だが、これは他の魚達とは一緒に飼うことはできないよ。生命力が強すぎる。他の魚達を傷つけてしまうからね」

「申し訳ございません。不手際があったようで御座います。直ぐに本物の花嫁をお連れいたします」


雪花は二人の遣り取りを聞き、血の気が引いていく。


「待ってください! 事情があって、入れ替わっていた事は謝罪致します。私の処分も如何様にも……ですが、桜蘭を連れ戻すのだけはどうか、どうかお許しください!」


桜蘭を連れ戻されたら、何のために身代わりになったのか分からなくなる。雪花は必死に言い募った。


「ふむ、どの道あれは、(じき)命数(めいすう)がつきる。何もせずに放っておくと、消える故、こちらで掬い上げるつもりだったが」


「……どういう事、ですか?」


雪花には、耀源の言葉の意味が全く理解出来ない。


「どれ、今回(あがな)ったあの美しい魂がどこにあるのか、見てみるとしよう」


 耀源の言葉に八兎爺が合図を出すと、黒装束に布面の従者達が大きな水盆(すいぼん)を運んでくる。耀源が手をかざし、何かを小さく唱えると、水盆は光を放ち、たちまち遠くの景色を映し出す。


「あぁ、残念な事だ。完璧な形で掬い上げるつもりが、既に器が壊れているようだ」


雪花は耀源の横から、水盆を覗き込む。そこには、賊にでも襲われたのか、血まみれで無残に横たわる桜蘭と星流の姿が映し出されていた。


「嫌ぁぁぁぁっっっ! 桜蘭っっっ! 嘘でしょう? ねぇ、嘘だと言って!!」


雪花の慟哭は広間の玻璃を震わす程に響いた。


「やれ、可哀想に、魚達がすっかり怯えてしまった」

「耀源様、お願いです! 桜蘭を、桜蘭を助けてくださいっっ!」


 耀源は目の前で必死に訴える雪花の事など見えていないようで、玻璃の水槽で泳ぐ金の魚達を心配そうに見やり、優しい言葉をかけ労わっている。


「あぁ、誰か、桜蘭を助けて! お願いよ……」


従者の一人が泣き叫ぶ雪花を肩に担ぎ上げ、広間から引き離す。最初は暴れていた雪花も次第におとなしくなり、くたりと項垂れたまま運ばれて行く。


 従者は壁の入口の前でようやく雪花を下ろした。布面越しに雪花に問いかける。


「ここで出されたものを口にしていないね?」


雪花は素直にコクリと頷いた。従者は雪花の両肩に手を置き、ゆっくりと言い聞かせる。


「お前は、元の場所にお帰り。ここはお前のいるべき場所じゃない」


 身代わりの花嫁だとバレた以上、ここには置いて貰えないのは分かっていたが、まさかこんなに早くに追い出されるとは雪花も思っていなかった。やはり、騙した上に、泣き叫んだりして、主人の不興を買ったのだろう。その場で手打ちにされなかっただけでもありがたい事なのかもしれない。しかし、桜蘭の居ない商家に自分の居場所はもう無いのだ。水盆が見せた幻影を思い出し、雪花は一旦止まった涙がじわじわと込み上げてきた。従者は雪花の頭を撫でると、小さな紙袋を手渡す。


「これは、外のものだから食べても大丈夫。もってお行き」


雪花は言われるがままに、小さな紙袋を懐にしまった。従者は雪花の手を握ると、トンネル状の真っ黒な通路を、先に立って歩き始める。行きはあんなに長く感じた通路だが、あっという間に反対側の出口へと辿り着く。


 従者はゆっくりと手を離し、雪花を送り出す。


「この先、何が見えても聞こえても、答えず、立ち止まらずに帰るんだ。いいね」


優しい口調に何故か懐かしさを感じる雪花。


「ありがとう。……さようなら」


雪花は振り返らずに歩き始める。


「お前の魂はまだここに縛られてはいない。お前は帰れるんだ。美しく成長したお前が、雪花だと確信が持てず、怖い思いをさせて悪かった……約束を守れなくてすまない」


小さくなっていく後ろ姿にかける男の小さな呟きは、雪花に届く事は無かった。


◇◇◇


 雪花は一人、暗い森の中を歩いていた。かろうじて道はあるものの、いつ迷ってもおかしくはない。森の木は大きく揺れ、ザワザワとした葉擦れの音が不安を煽る。風が強く吹いて、聞こえないはずの声を運んでくる。


「……雪花、お前さえいなければ……」

「……あなたのせいで私は死んだのに……」

「……お前のせいだ! 償え! 命を差し出せ! ……」


幻聴は風の音に混じってくわんくわんと鳴り響く。


(何が見えても聞こえても、答えず立ち止まらずに帰る)


 呪文のように心の中で何度も唱えながら、雪花は歩いた。刺繍が美しく施された布張りの靴は、森を歩くのには向いていない。靴はいつしかボロボロになり、つま先には血が滲んでいる。痛さに立ち止まりそうになるが、一歩、また一歩と足を前へ前へと運ぶ。


「おい、あれは金の花嫁じゃあないか?」

「確かにその様に見えるな」

「まさか、郷から逃げて来たのか?」

「そんな事、八兎様がお許しになるはずが無い。きっとよく似た紛い者が、迷い込んだに違いない」


暗闇からヒソヒソザワザワ聞こえてくる話声。雪花は思わず耳をそば立てる。


「それならば、我らが食べてしまった所で問題は無いよな」

「それはいい。若い娘など、いつぶりか」

「俺は肉付きのいい足を貰おう。脂がのって旨そうだ」

「それならば、俺は頭を。頭蓋(とうがい)を噛み砕くときの歯応え、あれが堪らないんだ」

「いやいや、待て待て。ここは公平に決めようじゃないか」


獣が吠え、激しく取っ組み合うような音に雪花は戦慄する。


(何が見えても聞こえても、答えず立ち止まらずに帰る)


 心の中で何度も何度も唱え、ただひたすら、前へ前へと歩き続けた。いつの間にか獣の声は聞こえなくなった。遠くに微かに見える灯りに雪花の足は早くなる。


「……下に~下に~。金の花嫁様のお通りだ~……」


 花嫁行列の先払いの声が遠くから聞こえてくる。ふと幼い頃に、兄とお使いの帰り道に見た風景を思い出す。


(そういえば、あの日は兄さんに飴を強請って困らせたっけ)


 帰る際に侍従が持たせてくれた小さな紙袋を懐から取り出す。中には思った通り飴が入っていた。朝から何も食べていなかった雪花は飴玉を一つ口に入れる。あの日食べたいと兄にねだり、雪花が思い描いていた飴の味。雪花は少しだけ元気を取り戻した。


 そうこうしているうちに、花嫁行列が近づいてくる。雪花は道の端に避けて歩き続ける。すれ違いざま、思わず雪花は見てしまう。通り過ぎて行った金の輿に、金の花嫁衣装を身に纏った桜蘭の姿があった事を。


(……死んだなんて嘘だったのね)


「桜蘭! 待って……私も一緒に行くわ!」


雪花は振り返り、通り過ぎた輿に向かって叫ぶと、来た道を駆け戻って行った。

お読みいただきありがとうございました。

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