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不可解な出来事

 花嫁の迎えがやって来る日、桜蘭は密かに星流と旅立ち、雪花は身代わりの花嫁となって金の輿へと乗り込んだ。


◇◇◇


 雪花は輿が降ろされた振動に覚醒する。


「……もうついたのかしら? すっかり寝入ってしまったわ」


雪花が外を覗くと、黒尽くめの集団は知らぬ間に綺麗さっぱりいなくなっていた。輿は地面に降ろされ、雪花の前には輿から降りる為の踏み台がしっかりと設置されている。


「私、そんなに長い間、眠ってしまって居たのかしら」


雪花は踏み台を使って輿から降り、辺りを見渡す。


「もし? どなたかいらっしゃいませんか?」


暗闇に向かって声をかけ耳を澄ましてみるも、何の返事も無ければ、誰かが迎えに来る気配も無い。雪花の目に映るのは足下を照らす小さな灯籠のみ。黒光りする石畳の小道沿いに、等間隔に続いているのが見える。


「多分、この先に進めって事よね」


雪花は仕方なく、灯りの導きに従って、小道を一人歩いて行く。薄暗い小道を、花嫁衣装を引き摺らないよう気をつけながら慎重に進む。こんな高そうな衣装を、うっかり転んで破きでもしたら大惨事だ。


 暫く行くと巨大な壁が目の前に現れる。暗闇の中にそびえ立つ壁は何処までも高く、終わりが見えない。小さな灯籠は、そんな壁の一部に開いた小さな黒い四角形へと続いている。


「あれが入口かしら?」


そこに近づくと、墨で塗りつぶした様な黒い四角は、壁に開いたトンネル状の通路だと分かった。


「人が一人通れる位の広さだけど、このまま進んで大丈夫かしら……」


雪花が真っ暗な通路を恐々と覗き込んでいると、中から白くぼやっとしたものが近づいて来て、突然雪花の手首を掴み、通路の闇の中へと引き摺り込んだ。


「ひっ!」


雪花は吃驚してたたらを踏む。耳の中に心臓があるのかと思うくらい、激しく脈打つ音をうるさく感じる。


「……お待ちしておりました。さぁ、こちらへ」


 何のことはない。雪花の手首を掴んだのは、全身を黒装束で固め、顔に白い布面(ぬのめん)をつけた案内人だった。意味があるのかと思うほど薄暗い提灯の灯りに浮かび上がるその姿は、不気味としか言いようが無い。けれど、迎えの一団よりも軽装だった事もあり、体格や服装、声から、若い男である事は伺い知れた。真っ暗なトンネル状の通路を、案内人に手を引かれながら歩いて行く。小柄な雪花は男に引き摺られるようにして必死について行く。


「あの、これはどこへ向かっているんですか? 私、何の段取りも知らなくて」

「……」


雪花は思い切って男に話かけてみる。しかし男からの返事は無い。スタスタと無言で歩く案内人、その足音は不思議と聞こえず、雪花の足音だけが、ヒタヒタヒタヒタと通路内にやけに反響した。トンネルの終わりに差し掛かると、ようやく解放された雪花の手。力強く掴まれていた為、男が握った手の跡が少し赤くついている。雪花が通路から出ると、案内人は振り返ることなく、そのまま真っ暗な通路へと戻っていった。


 通路を抜けた先にあったのは、立派な(びょう)。外の灯りは最小限に抑えられていて、その全貌を知る事はできないが、かなり大きなものだ。屋根の上には何か獣の像だろうか、十二体が今にも飛び掛からんばかりの迫力でずらりと並んでいる。その造形があまりにも写実的で今にも襲って来そうな姿に雪花は恐々と上を伺いながら、廟の中へと入って行った。廟の中には何本もの蝋燭が灯されており、外よりは幾分明るく、雪花はその明るさに少しホッとする。


(婚家のご先祖様にご挨拶をしろってそういう事かしら?)


雪花は台の上に用意されていた新しい香に火をつけ、手順に則って礼拝し、そのまま正面に設置されている大きな香炉に香を立てる。祈り終わると顔を上げ、そこに祀られている煌びやかな像をまじまじと観察した。


(これ一つ作るのにどれだけのお金がかかっているのかしら? この像を一つ売っぱらうだけで、一生遊んで暮らせそうだわ)


不敬な事を考えながら、一歩下がり振り返った雪花は思わず小さく声を上げる。


「ひゃっ!?」


いつの間に現れたのか、廟の入り口には白い布面をつけ、黒い侍女服姿の人物が立っていた。


「……湯殿(ゆどの)に案内いたします」


 侍女に連れられてやって来られたのは、廟からそう遠くない離れのような建物。通された湯殿はやはり薄暗く、湯気もあって視界が悪い。雪花は侍女の手によって花嫁衣装をあっという間に脱がされ、慌ただしく体を洗われた後、がらんと広い湯船に一人残される。


(まだ花婿に会っても居ないのに、なんだかもう疲れたわ)


 湯船のヘリに頭を乗せ、ふぅと息を吐き目を瞑る。ぴたーんっぴたーんっと雫が垂れる音と、雪花が立てる水音だけが湯殿に響く。しばらくして、何処からか人の気配を感じて目を開ける。先ほどの侍女が様子を見に来たのだろうか? 雪花は湯船から出て声をかける。


「誰かいるの? 長湯をしてすみません。もう出ます」


脱衣所の手拭いでさっと体を拭き、用意されていた(ひとえ)を身に纏う。その間も、誰かに見られているような、じっとりとした視線を感じた。


(……偽物だと疑われているのかしら? まさかね)


優雅な仕草を心がけながら湯殿から出ると、先ほどの侍女が音もなく現れ、寝室へと案内された。


 雪花は今から行われるであろう夫婦の営みを、知識としては知っていた。けれど、なにぶん始めての事。天蓋(てんがい)付きの広い寝台を前に激しく動揺している。


(落ち着いて、大丈夫よ。きっと耀源様はこんな事、慣れていらっしゃるでしょうし。私はしっかり初夜のお相手を務めるだけだわ)


意気込む雪花に侍女はさらりと告げる。


「花婿との顔合わせは明日となります。どうぞごゆっくりお休みください」


侍女は用は済んだとばかりにさっさと退室してしまう。雪花は出鼻を挫かれたような安心したような、なんとも言えない気分で大きな寝台に一人寝転んだ。しかし、いざ眠ろうとすると、疲れているはずなのに妙に目が冴えて眠れない。奇妙な花嫁行列、まだ見ぬ噂多き花婿に思いを巡らせながら目を瞑る。


 いつの間にかうとうとと微睡んでいたようだ。ふと、寝台の周りを何かが動く気配にぼんやりと目覚めた雪花。


(今何時だろう。そろそろ明け方に近い時間かしら?)


気配は雪花の枕元までやってくる。


(侍女が気を利かせて飲み水でも置きに来てくれたのだろうか……)


雪花は体を起こそうとしたが、何故だか体が動かない。


(えっ、何!? 金縛り?)


 じわじわと気配は雪花に近づき這い寄ってくる。身動きが出来ない雪花はなんとか体を動かそうと必死にもがいた。けれど、どんなに頑張っても体の自由は効かない。動かない体にどんどん焦燥感は増すばかり。背中をツゥーと嫌な汗が滴っていく。全てが不快でたまらない。


ギシリッ


 それは遂に寝台に上がってきた。のしりっと覆い被さってくる何かの存在に恐怖は増すばかり。必死にその正体を未定めようと視線を向けるが、動けない雪花の視界に捉える事が出来たのは、影のような黒い塊の断片だけ。


(怖い怖い怖い……)


悲鳴を上げようにも、声を出すこともままならない。何かは雪花の単の併せを緩め襟ぐりをガバリと開く。ヒンヤリとした空気に晒された素肌に、ふつふつと鳥肌が立つ。何かは心臓の上辺り、丁度雪の結晶のような六角形の痣の上をツゥーと一撫でする。ポタリポタリと生温かい雫が雪花の胸元に落ちた。


 雪花の脳裏に浮かんだのは、廟の上にいた獣の姿。食べられる! そう思ってぎゅっと目を閉じた時、雪花にのしかかっていた黒い塊は、スッと居なくなった。


「起床のお時間となりました」


黒装束に布面の侍女が扉を開け寝室へと入って来る。侍女は天蓋の幕を開け、寝台の中は途端に明るくなる。思っていたよりも寝過ごしているのかもしれない。雪花は眩しさに思わず手を翳し、その動作ができた事で、金縛りが解けた事を知り安堵する。


「……おはようございます」


雪花は侍女に挨拶をし、体を起こす。


(あれ? はだけて無い。さっきのは夢だったのかしら)


何かによって開かれたはずの襟ぐりはしっかりと閉じ、単の紐もきちんと結ばれていた。そっと併せに手をやると、かさりとした手触り。よくよく見ると、何かの紙片が差し込まれていた。雪花は小さく折り畳まれた紙を取り出し侍女に気づかれないように開いてみる。そこには走り書きしたであろう荒々しい文字で『ここで出された物を絶対に食べるな』と書かれていた。


(どういう事だろう、一体誰がこんな事を?)


雪花は手紙を元のように小さく畳んで、懐に仕舞う。


 ぼんやりと朝の出来事を思い返している雪花を他所に、侍女は手早く着付けを終わらせる。今日の衣装も豪華な物だった。トロリとした練絹に金糸を贅沢に使って吉祥模様が刺繍され、全体に淡い光沢をはなっている。体に沿うような意匠で、膝下がヒラヒラと金魚の尾鰭のように広がっているのが可愛かった。


「朝食の準備が整いました」


 食堂に案内され、席に着く。もはや見慣れてきた黒装束に布面の給仕が料理を運んでくる。食卓の上には、海鮮が入った具沢山の粥に、艶やかな果実。大皿の上には飾り切りされた野菜で描かれた鳳凰にハムでできた牡丹の花。これが雪花一人の為に用意された朝食だとすると、大変豪勢な物だ。


「どうぞ、お召し上がりください」


雪花は匙を手に取り、粥の椀を掻き回す。口に近づけて匂いを嗅いでみる。どう見ても美味しそうな粥だ。どうしても、あの紙片の文言を思い出して、口をつけるのを躊躇われた。


「せっかく用意して貰ったんですが、今は食欲がありませんの」

「それでは、果物はいかがです? 朝採りの新鮮な物ですよ」


給仕がその場でナイフを使い、食べやすいように真っ赤な果実を切り分けてくれる。滴る果汁は乾いた喉を潤してくれるだろう。


「ごめんなさい。この後の事を考えると胸がいっぱいで、申し訳ないんだけど、下げてくださる?」


目の前にあると、誘惑に負けて食べてしまいそうな雪花は、花婿との対面に緊張する物憂げな令嬢を装った。何も口にしないまま、朝食が終わる。


 居間に移動し、力が出ないまま長椅子に座り込む。


(早まったかしら。ハァ~お腹すいた)


久しく感じたことの無かった懐かしの空腹感に、思わず涙が出そうになった。

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