身代わりの花嫁
新月の夜、人目を避けるように闇夜を進む花嫁行列があった。時折、行く先を示すようにリーンリーンと鈴の音が聞こえてくる。その音に混じってシャラシャラと鳴っているのは、花嫁の乗る輿に付いた金の装飾。輿の中には金の衣装を身に纏った花嫁の姿が見える。花嫁は顔にかかる蓋頭布をそっと捲り、辺りを伺う。
「……これじゃあ花嫁行列というよりも、お弔いみたいね」
不穏な感想を小さく呟くと、布で顔が隠れるようにきちんと元に戻した。
花嫁の名前は雪花。これから嫁ぐ身の上だというのに、幸せそうには見えず、むしろ不安でいっぱいの顔をしている。それもそのはず、この花嫁行列は何もかもが雪花の知るものとは違っていたのだ。
(花嫁行列は朱色や金色を纏うものだけど……私が知らないだけで、高貴なお家に伝わる伝統的な何か特別なものなのかしら)
輿を運ぶ人足も、提灯を掲げる先導役も、皆一様に、全身をすっぽり包む黒装束を身に纏い、顔も、年齢も、性別も分からない。婚儀の為の特別な衣装なのか、普段からそういった服装の規定があるのかは、雪花には判断がつきかねた。しかも、通常であれば昼日中に行われるであろう花嫁行列を、こんな夜半に行うのも特異な事。もし、夜道を帰る人がこの行列に遭遇したら、黒装束の一団は闇に同化して見えず、金の輿と花嫁である雪花だけが宙に浮いて進んでいるように見えるに違いない。
(……やっぱりなんだか、気味が悪いわ)
雪花の不安を他所に、花嫁行列は夜の闇の中を滑るように進む。どの辺りまで進んだのか、普段からほとんど外出する機会の無かった雪花には全く分からない。溜息を一つ溢し、何も見えない道ゆきを見つめる。商家を出発してから、どれくらい時が経ったのだろう……緩やかな振動と装飾品が奏でる一定調子の音に、最近寝不足ぎみだった雪花の瞼は次第に重くなっていく。
(……桜蘭は今頃、国境を越えた頃かしら……)
主人であり親友でもある“本物の花嫁”の事を想いながら、雪花は深い眠りに落ちていった。
◇◇◇
雪花に両親の記憶は殆ど無い。雪花が生まれて間もなく、流行病で亡くなったらしい。親代わりだった年の離れた兄も、ある日フラリと何処かに出て行ったまま、今日まで帰って来ていない。
「雪花、お前にもっといい暮らしをさせてやるからな。お前はここで待っていておくれ」
兄が最後に言い残した言葉。雪花がその言葉を信じるのを辞めたのはいつの事だっただろう。
身寄りのない幼い雪花を待ち受けていたのは、厳しい現実だった。いつか兄が迎えに来てくれる。そんな淡い希望に縋って、兄が働いていた商家で世話になりながら一日一日をやり過ごしていた。幼い雪花に出来たのは、毎日のご飯にありつく為に、とにかく働く事だけ。雪花の境遇を哀れに思った女中頭の温情で、なんとか商家の下女として働かせて貰える事になったものの、下女の仕事は雪花にとって大変な重労働だった。
雪花に申しつけられたのは、大量の洗濯、屋敷の掃除にご不浄の始末と、きつい水仕事が多く、指のあかぎれは治る暇が無かった。下働き用の食事はきちんと用意されていたものの、大人の使用人達が先に食べ、一番年下の雪花が食事を貰いに行く頃には殆ど残っておらず、空腹にシクシクと痛むお腹を抱えて寝れない夜を過ごすこともざらだった。
そんな辛くひもじい下女としての生活だったが、一年程で終わりを告げる事になる。もちろん、居なくなった兄が戻って来たからでは無い。雪花にとっては運が良い事に、商家には雪花と丁度同じ年頃の娘、桜蘭が居たからだ。
その日の雪花は、風に飛ばされた洗濯物を追いかけ、いつもは入らない奥の庭に入り込んだ。最後の一枚をようやく回収出来てほっとする雪花。一枚でも紛失すると、大目玉を喰らうのだ。
「あなたは誰?」
奥の庭で雪花に声をかけてきたのは、物語に出てくるお姫様のような少女。
「……私は、雪花」
「そう、雪花。こっちへいらっしゃい。一緒に遊びましょう?」
それが、商家の一人娘、桜蘭との出会いだった。
桜蘭は少し体が弱く、床に着きがちで、屋敷奥で大切に育てられていた。外に遊びに出る事も殆ど無かった桜蘭は、屋敷内で唯一歳が近かった雪花を、遊び相手として見い出したのだ。商家の夫妻は可愛い娘の願いとあって、その日の内に雪花を、娘の遊び相手兼侍女見習いとした。
桜蘭と出会った日を境に、雪花の待遇は一変。食事は三食きちんと食べられるようになり、小さいながらも自分の部屋まで与えられた。更には、桜蘭の侍女として恥ずかしくないようにと綺麗な着物が支給され、侍女としての教養を学ぶ日々が訪れる。雪花は熱心に学んだ。乾いた土に水が染み込むように、多くの事を身につけていく。雪花が見習いの身分を抜けて、桜蘭の正式な侍女となるのに時間は掛からなかった。
「お嬢様、風が出てまいりました。そろそろお部屋にお戻りに」
「もう、雪花ったら。二人だけの時は、そんな畏まった言い方止めてって、いつも言ってるでしょ」
「桜蘭、そうも行かないわ。分かってちょうだい。普段からしっかりした言葉使いを意識していないと、うっかりお客様のいる前で、いつものように呼んでしまいそうになるもの」
「雪花は真面目なんだから」
「桜蘭が大雑把なのよ」
桜蘭と雪花はお互い膨れっ面をして向き合うと、我慢できなくなって笑い合った。気さくで心優しいお嬢様の桜蘭と、努力家で負けず嫌いな侍女の雪花。二人は主従関係にありながらも、身分を越えて、仲の良い姉妹のように一緒に成長していった。
二人も年頃となり、美しく成長した桜蘭のもとには、多くの見合い話が来るようになっていた。
「桜蘭お嬢様、おはようございます。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
桜蘭の部屋へ、そそと入ってくる雪花の手には山のような荷物が。
「本日届いたお手紙と贈り物をお持ちしました。お返事が必要なものはこちらに分けてございます」
机の上にお見合いの釣り書きやら、絵姿。手紙に、贈り物の数々が積み上げられる。
「ハァ~、今日もまた、こんなにあるの? お礼状や返事を書くだけで一日が終わっちゃうじゃない」
桜蘭はこの所、断っても断っても一向に減る気配を見せ無いそれらにげんなりしていた。
「桜蘭お嬢様がいい加減に、さっさとお相手を決めてしまえば、こんな日々ともおさらば出来ましてよ」
「もう、雪花。知ってるくせに、そんな言い方しなくても良いじゃない。ねぇ、返事書くの手伝ってよ」
「仕方がないですね。それでは、焙烙堂の飴で手を打ちましょう」
「焙烙堂の飴ね、分かったわ。何個でも買ってあげるわよ。だから、こっちの山はお願いね」
「桜蘭お嬢様の、仰せのままに」
雪花は出来る侍女然としておどけて答えると、早速紙と墨の用意をする。二人は手紙の山を手分けして処理していった。
粗方返事を書き終わった頃、桜蘭がそわそわしながら時刻を気にし始める。
「そういえば、今日は午後から月に一度の診察の日よね? 先生はいつ頃いらっしゃるのかしら?」
いかにも、少しだけ気になった風を装っている桜蘭だが、本心を全然隠せていない。雪花はニヤニヤしながら桜蘭に抱きつく。
「桜蘭~~~本っっ当~~に、あなたって可愛いいんだから! 正直に言えばいいのに。あなたが気にしているのは先生じゃなくって、星流様でしょ~?」
「それはっ……」
桜蘭は真っ赤になって口籠る。桜蘭は、商家に昔から出入りしている主治医の助手である星流と恋仲にあった。けれどその事実は、桜蘭と星流、雪花だけの秘密である。星流が『ちゃんと独り立ちして医者になるまでは、二人の仲を公にするのは待って欲しい』と口止めしているからだ。ゆえに、文句を言いつつも、桜蘭は数ある見合い話を黙々と断り続けていた。
その日の午後、星流から『もう少ししたら正式に医者になれそうだ。そうしたら君の父君に求婚を申し込もうと思っている』そう真摯に告げられた桜蘭。雪花はその様子を見守りながら、侍女として桜蘭の婚家について行く事を密かに思い描いていた。
それからあっという間に一年が過ぎた。星流と桜蘭の事は、まだ桜蘭の両親には報告出来ていない。あれほど来ていた桜蘭への見合い話も、最近ではすっかり無くなり、贈り物どころか手紙すら来なくなって久しい。そんな頃、ずっと出ずっぱりで家に居ない事が多かった桜蘭の父が、久しぶりに帰ってきた。話があると呼ばれた桜蘭は、雪花を連れて執務室へと足を運ぶ。
「お父様、お帰りなさい。待っていましたわ」
「旦那様、無事のお帰り何よりでございます」
「あぁ、私の可愛い桜蘭。ただいま。雪花も変わり無いようだね」
桜蘭の父は、忙しかったのか、頬がこけ、目の下には隈ができている。かなり疲弊しているようだ。
「お父様、お話が有るとの事でしたが」
「あぁ、そうだ。急な話なんだが……」
桜蘭の父は言いづらそうに目を泳がせ、眉間に一度ぎゅっと力を入れると、桜蘭に告げる。
「驚くだろうが……桜蘭、よく聞いて欲しい。お前の婚姻が決まった」
「本当ですか!」
遂に流星が父に求婚を申し込んでくれたのだと桜蘭は思い、喜んだ。けれどそれは、父が告げた婚姻相手の名前を聞くまでだった。
「お相手は、榮月楼の耀源様だ」
「……ようげんさま?」
桜蘭の動揺をそのままに、父は静かに事の経緯を話し始めた。
そもそもの始まりは二年前。天候が多いに荒れ、商家で商っていた穀物が不作続きで大きな損失が出た。桜蘭の父は何とかそれを取り返そうと、新しい商売を起こすも、大失敗に終わる。商家はその失敗が元で坂を転がり落ちるように一気に傾いていった。桜蘭達には知らされていなかったが、現在商家は火の車で、このまま行けば従業員共々心中する他ない状態にまで至っているとか。そんな時に、父に話を持ちかけたのが榮月楼の主人である耀源。『資金援助の代わりに美しいと噂の桜蘭を嫁に貰い受けたい』と。
「婚儀は今月の新月の夜だ。花嫁衣装やら、全てあちらが用意して下さるそうだ。桜蘭、本当にすまない……」
桜蘭の父は堪えきれないように俯き涙を流す。初めて見る父の涙に、桜蘭が否と言えるはずもない。二人は呆然としたまま執務室を後にする。桜蘭は部屋へ戻るなり寝台に突っ伏した。
「雪花、どうしよう。星流様になんて言おう……」
「桜蘭、考えましょう。きっと何かいい方法があるはずよ!」
雪花は涙に震える桜蘭の背中を優しく撫で続けた。
桜蘭の婚姻が決まった日から、まだ見ぬ耀源からは数々の贈り物が届くようになった。真珠のネックレスに、宝玉と珊瑚で作られた花の簪、琥珀に鼈甲、螺鈿で描かれた花々が目にも鮮やかな飾り箱。そして何より目を引くのは、金糸を織り込んだ煌びやかな花嫁衣装。精緻な刺繍が施され、花嫁の顔を隠す蓋頭にもふんだんに金糸が使われている。
「凄いわよ桜蘭。この衣装一体いくらするのかしら。色々噂はあるけれど、金満家で金払いがいいってのは本当なのね」
雪花は花嫁衣装をそっと撫で、その手触りに溜息を吐く。雪花はあれから桜蘭の為に、“榮月楼の耀源”についての情報を集めていた。
耀源は、食事処を有する高級宿屋“榮月楼”の主人を勤めている資産家だ。榮月楼では、美姫達の演ずる豪華絢爛な舞台を見ながら味わえる美食が売りで、まさに王侯貴族にでもなったかのような愉悦を味わう事が出来るらしい。そんな夢の一夜を過ごす為には、下々のものが一年間は遊んで暮らせるような金額を積む必要があるという話。耀源は、人前に出ることは滅多にないらしく、とにかく謎が多い御仁。高齢で醜く、若い娘を食い物にする狒々爺とも、女に生まれていれば傾国の美姫だっただろうというものまで、容姿や人柄については全て噂の域を出ない。
ほとんどは信憑性のない噂話しか伝わって来なかった。分かったのは、金に困っている家の美しい娘を次々に娶っている事と、どこの婚家も娘と引き換えに没落を免れている事実。しかし娶った娘のその後の消息はいくら調べても分からなかった。
雪花はその事実を知ってから、密かにある決意をする。そして数日後、雪花は気落ちする桜蘭に一つの提案を持ちかけたのだ。
「ねぇ、いい事思いついたわ。桜蘭、あなた星流様と駆け落ちなさいよ」
「雪花……そんなの無理よ。今の我が家に、資金援助は絶対必要だわ。その為には耀源様に嫁入りするのが条件だもの」
「それじゃぁ、聞くけど。桜蘭は星流様を忘れられるの?」
「それは……分からない。でも、私にはどうする事もできないわ」
「じゃあ、こういうのはどう? 私が桜蘭の身代わりで耀源様に嫁ぐの。私達、丁度同じ年頃だし、相手は私達の顔も知らないんだから、入れ替わったってばれやしないわよ」
「雪花、本気で言ってるの?」
「もちろん本気よ!」
「だけど……」
考え込む桜蘭に雪花はからりと笑って言った。
「いい事、桜蘭。私は桜蘭にも旦那様にも今まで、返し切れないくらい恩があるわ。できれば私にその恩を返す機会を与えてくれないかしら?」
「……雪花!」
桜蘭はポロポロ泣きながら雪花にぎゅっと抱きつく。
「ありがとう雪花、大好きよ!」
「寧ろこちらこそありがとうだわ。下女だった私が大出世よ。桜蘭の代わりにお金持ちと結婚できるんですもの! これで私の将来も安泰ってものよ」
雪花の言葉に桜蘭は泣きながら笑った。こうして二人は、花嫁の入れ替わり計画を秘密裏に進めていった。