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新月の夜の帰り道

 男はその日、森を超えた隣街まで品物を届ける仕事を申し付けられていた。隣街までの使いは何度もこなしているので慣れたもの。但し、今日はいつもとは違い、幼い妹を連れていて、半日ほどで行き来出来るところを、随分時間がかかってしまった。街に着いたのは昼過ぎ、すっかり遅くなった。


 早くに両親を亡くした男は、年の離れた妹と二人暮らし。両親が勤めていた町の商家で下男として働いていた。日中、男が働いている間は、商家の下女をしている老婆が妹の面倒を見てくれている。この日は老婆が腰痛で寝付いており、仕方なく妹を連れて使いに出る事になった。


 街に着くのが何時もよりずいぶん遅くなったが、品物を届けてその足でそのまま帰れば、日が傾くまでには町に帰り着けるだろう。男は初めて来た街に興奮気味の妹を宥めながら、荷物を取引先の店まで届けた。


「待たせたね。さぁ、帰ろう」

「兄さま、せっかくきたのに、もうかえるの?」

「あぁ、暗くなると危ないからね」

「つまんないの」


 男は仕事で忙しく、聞き分けの良い妹には、いつも我慢をさせてばかり。残念そうな妹の頭をそっと撫でると一つ提案をする。


「そうだ。今日はお前も荷運びを手伝ってくれたからね、ご褒美に飴でも買ってやろう」

「ほんとう? 兄さま、ぜったいよ!」

(帰りがてら、飴を買う時間くらいあるだろう)


妹をつれ、飴屋に向かって歩き始めて直ぐに、店の従業員に呼び止められる。


「主人からの手紙を持ち帰って欲しいので、しばらく待つように」


と申し付けられた。


 兄妹は仕方なく店の門前で待つことになった。けれどいくら待っても一向に手紙が渡される気配は無い。日はどんどん傾いてきて、夕暮れが近づいてくる。


(飴を商う様な店はもう閉まっただろうな)


 どんな飴を買うか、棒っきれで地面に飴の絵を描いている無邪気な妹に、その事を告げられないまま、時間だけが過ぎていく。


(さて、どうしたものか。このままでは家に帰るのが真夜中になってしまう)


 貧しい兄妹には、隣街で宿に泊まるような金銭的な余裕など、あるはずもなかった。ようやく手紙が渡されたのは、すっかり日が落ち、門前の燈籠に明かりが灯る頃合い。


「今日は遅くなってしまった。飴は今度土産に買って帰るから、許しておくれ」

「……うん」


 妹を背負った男は、隣街から町へと続く森の中の一本道を、手に持つ小さな灯りを頼りに、黙々と歩いて行く。


 運悪く、今夜は闇に飲み込まれたような新月の夜。木の陰や闇の中から夜盗や化物がいつ現れてもおかしくはない。日中とは全く違った不気味な夜の森に、男の足も自然と速くなる。


 帰り道の丁度半ばまで辿り着いた時、遠くの方から先払いの声が微かに聞こえてくる。


「……下に~下に~。金の花嫁様のお通りだ~……」


 男は慌てて道を外れ、手元の小さな灯りを吹き消すと、木の陰に隠れるようにして辺りを伺う。深淵に浮かんだような大きな丸い提灯が、ぽわりぽわりと道行を照らし、何処からともなく花嫁行列が現れる。


 黒装束でも纏っているのか、人の姿は不思議と目につかない。提灯の明かりに照らされた黄金の輿だけが淡い光を放っている。吊り下げられた、いくつもの豪奢な金の飾りが、風に吹かれてシャラシャラと音を立てている。


「……わぁ。きれいね、兄さま」

「シッ、静かに。通り過ぎるまでここでやり過ごそう」


 あれは関わってはいけないもの……男は直感的にそう感じた。大きな声を出さないように妹を抱き寄せ、口をふさぐ。どんどんと近づいてくる行列に、男の心音はどんどん早くなっていく。


 人の姿は見えないのに、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえて来る。行列が男が隠れているすぐ側まで来ているのが分かった。


「……こうして、金の花嫁を迎えるのも幾度目か。今度こそは主様のお眼鏡に叶えば良いのだが」

「なぁに。駄目ならば、又探しに出れば良いだけのこと。それよりも久しぶりの帰郷だ、ようやく美味い酒にありつける」

「そうだな、夢幻の郷に帰るのはいつ振りだったか」


息を潜めていた男は “夢幻の郷”という言葉にハッとする。もっと会話をよく聴こうと思わず身を乗り出す。


ガサリッ


(しまった!)


男が身じろぎしたことで、足元の落ち葉が僅かな音を立てる。


「おい! 今、何か物音がしなかったか?」


声の主は、耳聡く男の立てた音を聞きつけ、明らかに警戒した様子。相手に聞こえてしまうのではないかと心配になる程、男の心臓はドクドクとうるさく鳴る。


「なぁに、獣が腹を空かせて、餌でも探しているんだろうさ」

「う~む。しかしなぁ~……」


まだ、警戒を解いてはいない声の主を別の声が急かす。


「おい、何してる! 急がないと開門に間に合わなくなるぞ!」

「すまない、すぐ行く」

「お前達、開門の合図はちゃんと覚えているだろうな」

「無論だとも。青い星を右に二回、赤い星を左に三回、月の影にそって真っ直ぐ進むだ」

「一つでも間違えると、夢幻の郷には辿り着けぬからな」

「分かっているのならば良い。やれ、もう少しで到着だ。花婿様も待ちかねていらっしゃるに違いない」


 声と気配が遠ざかって行く。花嫁行列が通り過ぎ、森には再び闇が戻ってくる。男は詰めていた息を深く吐いた。龕灯(がんどう)に再び火を灯すと、妹の不安そうな顔が目に入る。


「兄さま、さっきのは……」

「いいかい。さっき見たもの、聞いたものの事は、決して他人に話してはいけないよ」

「……うん」


 男のいつにない真剣な声に、妹は神妙に頷いた。男は妹の頭を優しく撫で、おぶさるようにと背中を向ける。


「さぁ、帰ろう。眠かったら眠てしまって大丈夫だから」


 妹を背負ってしばらく夜道を歩いていると、規則正しい寝息が聞こえて来る。子供特有の高い体温を背中に感じながら、男は昔、母に背負われて聞いた寝物語を思い出す。


『夢幻の郷はとても不思議なところ。不意に現れては、ある日突然に消えて無くなる。偉い神仙様が治めていて、そこに住む人達は一様に見目麗しく、働き者ばかり。軽やかに蝶が舞い踊り、色鮮やかな鳥達は高らかに謳う。四季折々の作物が一年を通してたわわに実る田畑は、正に神々の庭そのもの。美しく整えられた庭園では年中花々が咲き乱れ、枯れることはないという……』


 夢幻の郷へと迎え入れられ、神仙より不老不死の妙薬を賜った女が永遠の時を生きている話。運良く郷にたどり着いた幸運な男が神仙と誼みを結んだ後、時の権力者まで成り上がったものの、夢幻の郷を掌中に収めようと攻撃を仕掛け、神仙の怒りを買って一夜にしてその全てを失った話。そんなおとぎ話を信じて一攫千金、不老不死を夢見る人々は、いつ現れるとも知れない夢幻の郷を今も語り継ぎ、探し続けている。


そんな夢幻の郷を舞台にしたおとぎ話がいくつもある。男は今までそんな郷が実在するとは微塵も思っていなかった。


「夢幻の郷……本当にあるんだろうか」


男は先ほど耳にした開門の合図を思い出し、忘れないように何度も何度も繰り返し唱えた。

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