第88話 スニーク男/遠隔支援の女
「ワワッ!?」
「ワワッ!?」
「ワワッ!?」
「おら!」
「おら!」
「おら!」
ザグッ プッシュ―
ザグッ プッシュ―
ザグッ プッシュ―
「ふうっ」
豪雨の中、手斧を振い続けて敵を倒せど倒せど倒せどデバッゲンは見つからない。地面は沼のようになってきて歩き難い。視界も悪い。しばらく前から女宰相からの声も届かない。なんだかまずいな。
「あ、あれ?」
周りにトサカ頭どもがいない。ヘルツリヒも見えない。一人突っ込み過ぎたか。布陣を思い出してみよう、ええと確か、
(敵進行方向)
↑
デ蛮斧蛮斧蛮斧
蛮バ斧蛮斧蛮斧 ←出撃隊
蛮斧ッ蛮斧蛮斧 ←庁舎隊
蛮斧蛮ゲ斧蛮斧 ←巡回隊
蛮斧蛮斧ン蛮斧
蛮斧蛮斧蛮軍斧
蛮斧蛮斧蛮斧団
デ蛮斧蛮斧蛮斧
蛮バ斧蛮斧蛮斧
・・・・・・・
・・・・・・・
「ワワワワ!」
「おっ、おらあ!」
ザグッ プッシュ―
ダメだ考えをまとめる余裕がない。さっきからこんなのばかり。敵中で斧を振るうおれはどうやら目立つようだ。孤立してるから?落ち着け落ち着け。周囲を再確認だ。
この大雨。この奇襲。まずは、驚いた腰抜けトサカソルジャーどもを一度は蜘蛛の子の如く散らせた。が、落ち着き直って戦場に戻ってきている。もうちょっとすれば元通りだろうか。それは不味い。
「ワワワワ!」
「おらあ!」
ザグッ プッシュ―
おれ一人こんな苦労を背負い込んで理不尽な気がしてきたぞ。他の隊はなにやっていやがる。様子が知りたい。でも女宰相との連絡が取れない。ってことは、彼女今まさに突撃非デブを操っての闘争真っ最中のはず。
自分で何とかするしかない……か。
「ワワワワ!」
「おらあ!」
ザグッ プッシュ―
だが。
プッシュー
女宰相の声が聴きたい、と戦闘時にも思ってしまうとは。おれは病気なのだろうなあ。恋の病気かあ。しかし、それで彼女に頼りきり、自分の足で動けないとなると問題だ、男として。
雨が強烈になって、方向感覚が怪しくなってきた。
ふと敵の出現が途切れた。チャンス。茂みに身を潜めて上空を見上げる。勘のいい翼人はこれで気がついてくれる……はず。
…
……
………
来ない。逃げたか?それとも視界不良のせいか?
「旦那」
「おらあ!」
ビタッ!
手斧をぶつけそうになるが、寸止め成功。期待した通り翼人だった。二人の内、そんなに下りてこない方の男。それに、顔面スレスレで手斧が止まったってのに、全然動じていない。
「強い心臓してんな」
「そんなことより、あんた孤立してるぜ。そろそろ退かないとヤバいぞ」
「いつもの気の利くアイツは?」
「上空で様子を追っている」
「そうか、まだいるのか……情が深いな」
「カネもらってるし。他人に親切な事は精神衛生面から言って、有益な効果が得られるんだ」
「そうかな?そうかもな……聞け、おれはこのままデバッゲンを追って、殺す」
「敵のボスだろ?そいつ、だいぶ後ろまで後退してるよ。いくらなんでもあんた一人じゃ無理だぜ。数が違う」
「一人孤独ならそれでやりようが……ん?お前らはデバッゲン……この軍勢のボスの位置を把握できてるのか」
「もちろん」
「こんな雨の中でか?」
「目が良いし、なんてことないね」
「じゃあそいつの人相は?」
「白髪交じりの壮年フルビアード、お堅そうな」
「お、お前ら、優秀だな」
「どうも。それよりあんた、場所もワカらないまま追跡しようとしてたの?」【黄】
「お、おう。それが蛮斧魂ってやつだ」
よし決めた。
「しかしだ。諸君らのおかげで場所がワカりそうだから、おれはこれより隠密活動に移行する」
「スニークキルすんのか」
「おう。お前らは何とかしておれにデバッゲンの位置というか方角を伝え続けろ」
「それは……無茶だぜ。こんな野原じゃオレたちは見つかりやすい。この翼が目立つんだ」
「この悪天候が身を隠す。大丈夫!」
「隠すかなあ」
「雨が目に当たって痛いだろ!誰も上なんか見ない!おれ以外は」
「それにも限界あるだろ……」
「どうすりゃ手助けしてくれる?」
「……いざと言う時あんたを見捨てていいなら。あとは報酬次第」
「無論だ。弾むし、おれがデバッゲンを始末出来たら倍にだってできる。いや、断言しよう。そうする」
「……わかった。上空で方角を指し示す。しっかり見ていてくれ……おれたちが逃げたらそこまでと覚悟して欲しい」【黄】
「了解だ」
女宰相との連絡はまだつかない。が、彼女手配の叩きつける雨が平原を泥沼に変えた今、そこにおれは影のように潜んでいる。翼人二名の慎重な影が上空からのおれの目となり、雨に煙る地表の先にいるはずの目標デバッゲンの位置を伝える。雨影に紛れるあいつら翼人の合図を見逃さない。見逃さないぞ。
しかし、冷静に考えて、おれはなんて惨めな境遇で戦っているんだろう。それもこれも、こんな不利な戦いを強いられているからだが、それは何でだっけ?あのクソ生意気な前軍司令官野郎のせい……それとも女宰相の色香に惑った挙句、口車に乗っちまったからか?
冷たい泥の上に横たわり、濡れた草を掻き分け、泥に足を取られながらぼんやりと考える。ただ、同時に別の思考が浮かんできて、それは確実に獲物に近づいているはず、というもの。
そう思わねばやってられないからかな?きっと今、おれの眼光は鋭く、揺るぎない決意が全身から溢れてる、そんな理想像が思い浮かんだ。そうでなければ、敵は獲れないとの自覚があるからかもしれない。
風の吹き荒れる音、雨粒が地面に叩きつける調子、遠くの敵のざわめきが聞こえる。おれの感覚は研ぎ澄まされている。まるで音や気配のすべてがおれの意識の一部となった気分だ。デバッゲンを追うおれの心は、泥水の上でさらに研ぎ澄まされる。野生の本能と融合していく。おれはただひたすら、貪欲に目標へと突き進む蛮族戦士の理想に近づいているのかもしれない。
「……」
気が付いたとき、視界にデバッゲンがいた。その威圧感がそびえ立っている。野郎の周りでは岩石のような身体をした精鋭っぽい戦士らが結集し、雨に濡れながらも淡々と進軍している。デバッゲンの手には指揮棒が握られている……いい面構えだぜ。なんでも自分の思い通りになる、って眼差しが前方を睨んでいる。今、空は暗く、雨は激しい。が、その立ち振る舞いから、ヤツは一際目立っている。
「……」
おっと。ふと、女宰相の横顔が脳裏を過ったか?もしかしてこの土壇場で、彼女に頼ろうとしている?このおれ様が?やめやめ。あのおっさんをこの手斧で殺す、それだけを考えるんだ。
「なんだ、あそこに誰かがいる!」
げっ、バレたか。
「翼?翼人どもだ!二匹!」
あいつら、おれのために陽動を?雨をものともせず弓を構えるトサカ戦士数人。多くの者の意識がそちらへ向かう。これは好機。
だが、すでにおれは走り出していた。いい具合に足が泥に滑って脚力限界突破、素早くトサカ戦士らの間をすり抜け、すり抜け、すり抜け、手を振り払い、足払いを踏みにじり、自信に満ちたフルベアード顔面に向かって突撃、雨粒とともに手斧を振り下ろす。濡れた刃先が鈍く光った。
ガッ!
やったぜ、顔面に命中した!深々と!しかも振り抜けた!これなら助かるまい、大金星だ!すぐに逃げる!
「軍司令官閣下!」
「なんだ!」
「お、お前じゃねえ!デバッゲン閣下!」【青】
なんだ、ずらかるか……でもなんか音がおかしかったか?斧を顔面に当てたったのに、ガッって。
「か、閣下……?」
「デバッゲン閣下!」
はあっ、あれで生きてたんか?とんずらを停止し、後を見る。
トサカファイターに囲まれつつ、デバッゲンの身体は動いていた。ただし、割れたような顔面からは溢れ出てるはずの血ではなく、黒い泥が溢れていた。泥だけじゃない。粉っぽいものや黒い破片のような何かが剥がれ落ちていた。
異様な姿に声が出ないのはおれだけではないようだ。雨音だけが響いている。でもあの感じ、どこかでみたような……。
「タクロ君!すぐにデバッゲンから離れて!」
おお、女宰相殿の声!これ何度目かな?と数え始めた時には、条件反射で動き出していたが、視界には逃げ去り中の翼人二人の姿が入った。ヤツらを見殺しにはできない。手を振り、大声を張り上げる。
「もっと離れろ!もっとだ!」
振り向いた二人はおれを見て、さらに加速。どうやら意図は伝わった。次の瞬間、
バ ン
正面から圧倒的破裂音が響いた。耳がツーンとし、それより速かったかどうかはワカらないが、目の前に滝があった。しかも下から流れる濁った滝。視界の端には炎や光が見える。濁水の冷たさ、光の熱さ、蒸発後の湯気。うーん、心地よい。ああ、これは女宰相殿のテクに違いない、と思っていると、
「……クロ君!私の声が聞こえますか!」
「……」
「応えて、タクロ君!私の声が」
「あ、ああ聞こえます。聞こえました!」
「良かった」
脳内に響く、彼女のため息は心地良く温い。あへあへ。
「もう戦場に用はないはず。急ぎ戻り、本隊に合流しましょう」
「いや、デバッゲンの野郎の死亡確認がまだだ」
「それならば私が確認済みです。デバッゲン、という人物は消え去りました」
「え、嘘!」
「嘘ではありません。先ほどの大爆発でね。あなたは大金星を挙げたのよ」
「でも、顔面に斧をぶち込んだのに、奇妙な感じがあったんだ」
「説明は後。さあ、武器を手に、立ち上がって」
そう言われて、尻餅ついていることに気がついた。大雨は続いているが、風景は一変して、周囲にトサカ戦士たちの死体が散乱していた。さっきの爆発に巻き込まれた連中だろうか。哀れとしか言いようがない。
詳細は女宰相が教えてくれるだろう。戦場から離脱するため、おれは疲弊した身体に喝を入れるのであった。
敵司令官がいなくなった以上、戦場の趨勢は決した。族長会議の軍勢の混乱は、まず奇襲を受けた前衛から、ついでタクロがデバッゲンを倒した事で後衛からも発生した。私はこのこれをさらに広げてやる。私はすでに戦場へマガモを飛ばしており、その体を音響として、
「後衛が襲われた!軍司令官が負傷!」
「いや、軍司令官は火に包まれて死んだ!おれは見た!」
「おれも見た!もうお終いだ!」
と戦場に流布させると、あちこちで集団瓦解の兆しが見え始める。
「とどめ、ね」
空飛ぶマガモの群れが声を響かせる。
「逃げろ!」
「タクロが攻めて来る!」
「殺される!逃げろ!引き返すんだ!」
これでタクロだけでなく、その統率から離れている各隊も生きて戦場を離脱できるだろう。
タクロの根性は評価に値するが、それにしてもデバッゲンという人物の奇怪さには驚愕した。タクロが斧を当てる時からしか確認できていないが、あれは人間ではなく、サイカーと同種の存在だった。が、外見は人間そのもので、軍司令官が務まるのだ、恐らく振る舞いも人間そのものだったのではないか。未知のウビキトゥに関連しているに違いない。
勘の良いタクロの事だ。組長エルリヒのサイカーが破壊された時のことを覚えているだろう。きっと説明を求めて来る。私の仮説を披露するよりも、この勝利を活用するべきなのだが。
「ふう」
それにしても中々に疲れた。揺り椅子に身を沈め、目を瞑る。上空に多くの鳥を配置しながら雨を制御しつつ、タクロと意思の疎通をしながらデバッゲンを捜索し、ガイルドゥムを操作して強蛮斧戦士と戦い、倒しながら衝力の大爆発からタクロの身を守る。衝力をかなり疲労させてしまった。これはタクロから何がしかの報酬を頂きたいものだ。