第82話 無甘の女
―国境の町 大通り
緻密に編まれた動物の毛皮による外套の色は、自然の染料で染められた紅色をしており、金属で作られた細かなビーズが縫い付けられている。処により幾何学模様が施され、裾や袖口には鮮やかなの布で縁取られている。
質素な蛮斧世界にあって、このような贅沢な服装はより目立つ。道行くその女を認めた男たちは必ず振り返って、再確認している。女は、勇気ある男たちに話しかけられれば足を止め、必ず笑顔で応対し、対面する者達から落ち着きを奪い去る。
彼女は自身の魅力を知り尽くし、活用することに躊躇をしない性格なのだろう。
タクロがこの娘に触れずにいることは野生の勘なのかもしれないが、レリナもタクロには媚を示していない。互いに警戒しあっているからとするならば大変興味深く、私がこの娘を調査する価値は高いと言えよう。では、と識別をかけてみる。カラスを近くに降ろし、識別を展開する。
「……」
女は追いすがる男達を置き、また自信たっぷりな歩調で道を進み始めた。
「……」
これは。
「……」
おかしい。私の魔術の識別で、レリナの状態が判明しない。彼女はさらに歩き続ける。何かを警戒している様子はない。では意識の状態は?
「……これは」
それも判明しない。この二つの魔術は原理が異なるが、どちらからも不明なまま。私の魔術が効力を発揮できていない。まるで彼女から相反する力が生じているような奇妙な感覚がある。
もはやタクロやレリアの勘以前に、不審な状態だ。一蛮斧族長の娘でしかない者が、私の魔術を退けているとしたら……我が誇りは微塵とも揺らがない、とは言えないし、興味深くもある。
「さらなる試験を加えなければ」
身体操作を旨とする魔術ならば、もちろん通じるのではないか。それよりも身体的特徴に特筆する点は無い。例えば、私の魔術を無効化するウビキトゥを所持しているのか。そもそも効果が無かったという評価は正当か?私にミスは無かったか?体調は悪くないのだが。
「あ」
気がつけば、城壁隊の兵舎敷地へ入っていたレリナ。考えすぎ、時宜を逸してしまったようだ。ここでは派手な試験は行いにくい。彼女は門番に近づいていく。
―城壁隊兵舎
「何だ」
「タクロ様の命で参りました。参事官閣下にお渡しするものがあります」
「あ、新しく入った庁舎のメイドさん?」
「ハイ。レリナと申します」
彼女が品を作って一礼をする。なるほど、良い佇まいだ。
「参事官殿ならいるよ。隊長は居ないけどね。案内するよ」
「ありがとうございます!」
「へえへ…‥俺あんた初めて見たなあ。みんな噂してたんだ」
「あら、どんな噂ですか?」
「なんか可愛い新人が入ったって」
「そんなことないですよ。私なんかより先輩たちの方がよっぽど素敵です」
城壁隊兵舎内に猫は居ない。カラスを通して確認するしかない……ふと、覚えのある波長を捉える。そこには一人の蛮斧戦士がいた。彼の名はクリゲル、私が前軍司令官からインエクを奪取する際に、操作した履歴のある人物だ。
これはなんとも好都合。クリゲルの肩にカラスを降ろし、
「うおっ、なんだこいつ馴れ馴れしい……、!」
では、追跡再開。そして、
「タクロ君」
「早速なんかありましたか?」
レリナに関する情報を伝えると、
「怪しい、これは怪しい!」
「あなたもそう思いますか」
「というかもう黒でしょ。同じく黒い閣下から見てワカらんというのであれば」
「……」
「あ、怒りました?」
「そんなことはありませんよ」
むしろ、士気が高まったと言える。この男は相変わらず私を正しく評価できているのだから。それに、同じく、という言葉は私にとって閃きだ。考えてみれば、タクロの持つウビキトゥの走査を私が防いでいる現象と原理は同じなのかもしれない。つまり、魔術師の可能性だ。
「私はこのまま継続します。彼女の目的が何か、探れるかもしれません」
「閣下、おれも行きますよ」
「軍司令官としての仕事が溜まっているのでは?」
「えっと、まあ、多少は」
「大丈夫、良い報告を期待して下さい」
城壁隊兵舎内マップは、私の頭の中に入っている。順調に、戦士クリゲルが進む。
「やあクリちゃん」
同僚に話しかけられる。相手の名前はワカらないからせめて愛想良く。
「やあ」
「庁舎隊長をブッ殺す目処はたったかい?」
城壁隊士達もタクロに対して恨みと嫌悪を持っているのだろうか。
「まだまださ」
「はは、ま、給料上げてもらったし、お前の恨みも晴れるかもな。ともかく頑張れよ」
「ワワワ」
なるほど。戦士クリゲル個人がタクロに恨みを抱いているのか。確かに、殴られたり、妙な事件に巻き込まれたりでその気持ちは理解できる。
さて、城壁隊長の執務室が見えてきた……ここにはレリナも参事官もいないが、その付近の応接室に人の反応を感じる……いた。扉の前には人払いなのだろう、二代目城壁隊長が立っている。その目に触れぬよう、両者の会話の波を捕捉できる位置にクリゲルを立たせる。私は揺り椅子に深く身を委ねる。
「……」
―城壁隊兵舎 応接室
「今、私は庁舎で労働をしていますが、この場には持たざる漢の代理人の資格で来ています」
「父君のご高名は聞いている」
「タクロ氏による騒乱後のこの都市、考えていたより落ち着いていました」
「その臨時の軍司令官が奮闘しているようだな」
「城壁隊長殿の支援があるから、でしょう。」
「……」
「族長会議は一つの関心を持っています。非公式な参事官ではなく公式な城壁隊長殿、あなたがこのまま従いつづけるか否か?」
「今は国防を優先している。光曜人の破壊工作も活発だ」
「私、数日間、タクロ氏を見ていました。とても軍司令官としては相応しく無いように見えました」
「それは?」
「この騒動下にあり、氏は執務室で書類処理ばかり、対外活動は秘書に任せ、メイド達と戯れる日々。まあ、多少の巡回はこなしているようですが」
「ほう?」
「なにより族長会議と積極的に和解する姿勢がありません。前線都市の軍司令官職とは、族長会議の信任を得なければならないこと、これは忘れてはいけない事です」
「必ずしもその限りではない、とヤツは考えているのかもしれないがな」
「実力で地位を維持すると?」
「前任者殿の職場放棄後の混乱を鎮めた自分を認めない族長会議にも問題がある、とは公言しているし、これは一定の理解を得ている」
「その前任者たるシー・テオダム氏は、族長会議が信任した人物です。権威を蔑ろにしている、との非難は当然でしょう」
「そうだ、シー・テオダム殿の、その後のお加減は?」
「負傷が酷く、復帰は叶いません」
「お気の毒だ」
「しかし、私の父が話を聞ける程度には」
「それはよかった。まあ、あの方にも問題はあったがね」
「……シー・テオダム氏は心を病み、今彼の言葉に耳を傾ける族長は少なく、後援者たるアリオン殿ですら話を聞いているふり」
「……」
「しかし、私の父は違います。そして父はシー・テオダム氏の話は狂っていない、と考えています」
「その話とは?」
「ここからが本題です。シー・テオダム氏は、タクロ氏は操られている、と主張しています」
「操られている?誰に」
「光曜の魔女に、と」
「魔女……光曜……」
「お心当たりがあるようですね」
「まさか塔の上の女宰相に?」
「その通り」
「だが捕虜ではないか……まさか。いや、あの事件の日、タクロが応接室の施錠を確認している」
「魔術を用いるからこそ魔女、と言います。そう考えれば、納得が行くことが、城壁隊長殿にはお心当たりがあるのでは?」
「……」
「どうですか?」
「ある」
「でしょう。シー・テオダム氏はこうも主張しています。操られているのはタクロだけではない、庁舎の多くの者も同じ被害者なのだと」
「では、前任者殿の目を抉った、いや抉らせたのは」
「光曜の前宰相マリスその人です」
「前宰相?」
「光曜で人事の変更があった、と伝わってきています。今、宰相は王太子が努めているとか。つまり捕虜のまま、シー・テオダム氏を害した、宰相でも無くなった人物が、今もこの都市を隠然と支配している、ということ。蛮斧の恥では?」
「事実ならな。これから確認する」
「どのように?」
「尋問し、僅かでも確信を得たら首を刎ねる」
「タクロ氏が立ちはだかるはず。それに、よしんば魔女の前に到達したとして、どう魔術に対象するのですか?彼女は光曜最高の魔術師、という逸話もあるそうですよ」
「こんな話を持ってきたのだ。持たざる漢はなにをあんたに委ねた?」
「私も同行します。道中、説明しましょう」
「今だ」
「ダメです。裏からこの都市を支配する魔女が、私たちの会話を聞いていないとも限らないのです」
「ここには誰もいない。どのように聞くというのだ」
「城壁隊長殿は魔術への理解が足りていないようですね。魔術とは、まだ公式に解明されていない技術そのものなのです」
「名言だな。よし、ついて来るのだ」
「相手は魔女と、その支配下にある庁舎隊と見るべきです。十分に武装するべきでしょう。例えばそこの鎖帷子など」
「そうだな。すぐに用意する」
「……」
やはり、シー・テオダムを殺しておくべきだったし、城壁隊長を支配下に置いておくべきだったのだ。この後に及んで、私はタクロのように甘くはないし、容赦はしない。戦士クリゲルを動かす。
「やあ隊長」
「……クリ。どうした」
「ちょっと話がある」
「今、俺はここを動けない。何のようだ」
「まあ、急ぎの話があるんだ。来てくれないか」
疑ってはいないが、梃子でも動かない顔つきの二代目城壁隊長。
「話ならここで聞いてやる」
私は城壁隊副官時代のこの男も操作したことがある。思い返せば、シー・テオダムと対峙したことは、私にとって多くの準備を為したと言えよう。クリゲルが相手の肩を掴んで曰く、
「おい、ヴァルフトゥム」
「な、なんだてめえその態度は……うっ!」
二代目城壁隊長の体を掌握した。クリゲルの体は意識を失ったまま、倒れた。幸い、二代目は短刀を腰に下げている。手に握り、そのまま応接室に入る。
バン
「!」
「……」
ドン
体当たりとともに、二代目城壁隊長の体はレリナに衝突した。これでレリナの企みがなんであれ、それは葬られた……瞬間、私の脳裏に声が響く。
おぢ@ほ゜ウ|と、な&に@か$がは゜あ|セいしま|し┐た
「!」
不可思議な言葉。さらに二代目城壁隊長に対する私の支配喪失を確信した。不可思議な声はさらに続く。
つ|ん#が$ぎれて|しま&し┞た#ようです。|し#らくおま*ちい┞たいた*くか、さい@|し|こうしてみてくだ|さ#い。もん@だ゜ウいが|かイいけつ|セしないば@あ|いは、さーとにお*といあ|わ@せいたくか、ふた@たびせつ|ぞくしてくだ|さ&い。お*て|だてできる*ことがあれば、どう$ぞお|しら*せく%ください。おた#すけできることがあれば、よろこんでお*て|だていさせていたくます。
「これは!ヴァルフトゥムよ!」
反応しない。それどころか、私にはあちらの状況すら掴めない。何が起こっているのか、一切の情報が無くなった。私は付近の鳥を急行させる。
全く理解できない。
だが、これがレリナが述べていた、持たざる漢が携えさせていたものではないか。仮に、私の魔術に対抗てきる何かだとしたら、何よりも優先して排除しなければならない。
カラスが城壁隊兵舎上空に至る。それほど時間は経っていないが、すでに兵舎前に城壁隊隊士が整列し、参事官スタッドマウアーが檄を飛ばしていた。
「これより庁舎にて軟禁されている光曜の捕虜を尋問する!その目的の障害となるものは排除しろ!今、この場にいる戦士たちだけで進むが、他の者は後から追いかけて来るだろう!」
「隊長は!?」
「今は気を失っている!クリゲルもだ!二人とも、光曜の女宰相に面会したことがある者たちだ!そして、この捕虜に前軍司令官殿の争乱に関する重大な疑義が発生している!それを確認するため、尋問するために向かうのだ!全員、武器は持ったか!」
「ワ、ワワ!」
「ワワワワ!」
「今の……臨時の軍司令官タクロが我らに同意すれば、戦いは光曜人とのみ交わされるだろう!繰り返すが、軍司令官または庁舎隊に対する攻撃ではない!捕虜に対する尋問である!では出撃!」
なるほど、動きが速い。優秀な軍人だ。明示された目的のために動き出した城壁隊は二つのルートに分かれて庁舎を目指している。
余りに急な行動だからだろうか、道行く人々も何の疑念も抱いていない。それほどの規模でも無い。訓練か何か、とでも思っているに違いない。到達は時間の問題だった。
私は応接室を見る。
「……」
この部屋に過ごしてそろそろ三か月。今やそれなりに愛着のある部屋だ。天窓から空を見つめ、大きく空気を吸い込み、鼻からゆっくりと排出する。
気分が落ち着いた。早速タクロに連絡を。
「タクロ君、あなたの友人が私の下へ向かってきています。そしてどうやら私たちは、彼と戦う事になりそうです」