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境界防衛  作者: 蓑火子
懲戒処分過程にて
73/131

第73話 鑑賞の女/説得の男

 一つの翳りも無い突き抜けた青天。こんな天気は珍しく、鳥瞰すると、河川右岸側の雲霧の存在感がくっきりと浮かびだされている。タクロの政策実現開始日に似つかわしく、その合図とともに、給与支払手続きが開始された。



………城城城城城  ク トサカ

………補補補補補  ア 漆黒 タ 庁舎

………出出出出出  レ トサカ



 列の先頭を進む蛮斧戦士たち。彼らはメイドたちへの身分申告の後、名簿への消込を目視確認した後に、現金給与を受け取る。疑惑の感情たっぷりの先発者たちは、早速のチェックを開始する。


「おいヌカ喜びかもだ。お前も枚数確認しろ」

「ワカってるぜ……おお、増えてる……増えてるよう!お給与増えてる!」

「いや待て、贋金かもだ」


 蛮斧戦士たちは銀貨を噛み始める。タクロ支給では信頼が置けないのかもしれないが、


「本物感はある……本物か……?本物だ」

「こっちもだ!間違いない!」

「すげえ!生きて昇給できる日が来るなんて」


 疑惑が一転、歓喜の声。


「しょ、昇給。ワワワワワ、涙が止まらないよう」

「これで俺たちもちょっとはまともになった!なれた」

「ついに犠牲が報われたんだ!カネが増えたってことは、もっと強くなったってことだ!」


 給金を受け取った戦士から、喜色あらわに飛び跳ねるように会場を後にしていく。これを見ている庁舎隊士らの顔が綻んでいく。タクロに辛辣な者たちにすら、昇給されたカネが支払われたのだから、自分たちも間違い無いだろう、という表情だった。


「……ヴァッハマン、城壁隊歩哨組所属だ」

「ヴァッハマン殿……はい。お給与です」

「ワワワ!」

「オレだ。補給隊運送第二組のプロフィアントだ」

「……こちらが給与になります」

「ワワワワ!」

「出撃隊、アインザッツ、カネよこせ!」

「はい」

「ワワワワワ!」

「後が迷惑するからサインしたらとっとと消えてよ」


 戦士達が受け取っている金額は、光曜では大した金額ではない。光曜兵と比べても、格段に低い。国の経済力の差のほかも、如何に彼らが安く使われているかがワカるが、これでは確かに戦士達はタクロへの忠誠心を否が応でも高めるに違いない。手続きも順調に進んでいる。


 今この瞬間、騒乱を狙っている光曜人は、こんな事情など知るはずがない。油断は出来ないが、彼らが何をしても、この喜びの流れを押し留めることなど出来ないのではないか。


 などと考えていると、アリシアの窓口で、戦士が大声を上げ始めた。


「だから補給隊倉庫組のトライプストフだよ!まだ給金はもらってねえって!」

「いいえ。先程支給済みです。ほら、ここに署名が」

「……いいや俺のサインじゃねえぞ。似てるけど違う!こう書くんだ!」


 空に指で必死に字を描く戦士。それは字というより、マークであった。蛮斧戦士の識字率は低いから、自然とそうなる。


「名前、所属、部隊と正しく、やはり支給済みです」

「ふざっけるんじゃねえ!誰かが俺のカネを盗んだんだ!」

「エルリヒ行け!」

「承知!」

「ぐわっ離せ!」

「うるせえこの二重取り野郎!」

「こ、こんなんありかよ!」


 タクロの号令とともに飛びかかっていったエルリヒ組長により、庁舎の恐らく牢内へ連行される戦士。私の簡易的な走査では、彼の意識は嘘を述べていない。そしてすぐにエルリヒが戻って来ると、


「お前らナメられんじゃねえ。ワカってんのか?」

「おう!」

「はい!」


 と檄を飛ばすタクロ。なるほど、確かに中々厳しい面もある。一番真面目そうに見える、仮面サイカーは、真面目に補助業務を行っている。


「タクロ君、このようなことは給与支給時によくあるのですか」

「毎回あるあるですね」

「本人確認はどのように?」

「勇敢女が言ったように、名前、配属、所属その他情報でチェックします。帳面にサインがあれば、もうそれまで」

「彼が空を切って描いたサイン、帳面のサインとは微妙に異なっています」

「ナヌ?」

「誰かが彼の名を騙り、サインは模倣したのでしょうね」

「光曜の工作員の仕業とか……誤配給を装っての騒動狙いか?」


 愉快なシナリオだが、そんな工作はあるまい。


「……しかしもう追跡なんてできないからなあ。ヤツには泣いてもらうしかない」


 それでいいのか。やれやれ。仕方ない。


「タクロ君。私はこのような事態を想定しており、すでに給与の支給を受けた者の顔を記録しています」

「は?」

「それによると……」

「え?何、そんなのワカるんですか」

「事前準備は必須ですが」


 カラスを通した上空監視の記録から偽称した該当者の顔を特定しさらに抜き出して、タクロの脳内に、浮かべてやる。


「うおっ!」


 脳裏の映像に今更な声をあげるタクロ。


「……詐欺を働いたのはこの人物。根拠は次の場面で……ここよ。そのサインをしている通りです。彼に心当たりは?」

「なんだこりゃ、魔術怖……」

「はいはい、それで心当たりはありますか?」

「コイツは補給隊の組長補佐だよ。リューゲンマルクていうゴミだ。大人しく受け取りに来てたのか」

「アリシアの帳面の今の状態も確認済みですが、その名前の人物はまだ給与を取りに来ていませんね。詐欺師ならば、最後の方に来るのが定石でしょう」

「じゃあその時に捕まえるか?証拠は無いけどな」

「あなたやアリシアが、二度目の受取だと言い張ればいいでしょう。その後、先ほどの気の毒な戦士に給与を返してあげたらいかがでしょうか」

「ウン、そうしよう」


 その後は、問題なく手続きが進んでいく。拍子抜けするほど順調だが、油断はしてはならないはず。それこそレリアの占いを警戒して。


「そろそろ全戦士の半分くらいは行ったかな」

「おお、まあなんだ、たまにはこんな仕事も悪くねえな!」

「おい、お喋りはいいからキリキリ働けよ」

「隊長、大丈夫ですって」


 弛緩した空気こそ、大敵と言える。そこに旧城壁隊長現参事官殿がやってきた。


「おはよう参事官殿」

「……」

「隊長、参事官って?」

「出世したんだ。前城壁隊長殿は」

「マジすか!」


 タクロ配下の組長らは知らない様子。これは根回しも何もない話だ。


「それって何をする仕事です?」


 通常、参事官とは、組織内で重要な助言立案を行うポジションのことだが、


「族長会議とのパイプ役だよ」

「え……あ、そうなんすね」

「……」


 微妙な表情の組長二人だ。当然だろう。彼らはタクロ直下として、以後の戦争を予感している。こんなことを言われたら緊張せざるをえない。


 むしろタクロがこんな効果を狙ったのだとしたら、絶妙な人事と言えるのかもしれない。彼は敵側の人間だ、と指差しているようなもの。やはりタクロは、スタッドマウアーに自分の側に立って旗色を鮮明にせよと突きつけているのだ。


「まあその」

「うん、よくワカらんですが」

「なんだよ」

「戦場にはでなさそうな感じすね」

「スタッドマウアーが同意してくれりゃ、連れてってもいいんだがなあ」

「……」


 黙っている元城壁隊長。タクロの目には、何色の感情が映っているか、興味深い。


「で、カネを受け取りに来たのか?」

「隊長以上は最後だろう」

「その通り」

「役割を果たしに来た。出撃隊が割れたぞ」

「ナヌ」

「副官ツォーンが都市を出て、デバッゲンの軍勢に参加しようとしている。五代目は何とか抑えようとしているが、経験が違う。とても無理だ」

「お、お前なにやってた?お前にも止められなかったのかよ?」

「軍事に何の権限も持たない参事官ではな」

「前城壁隊長の権威を使って止めてくれよ!」

「無理だ。だからこそ、急いでこっちに来てやったんだ」


 それだけではあるまい。やはり元城壁隊長には決定的にタクロ側に立つ気がない。


「すでに出撃隊員も給与を受け取ってんだ。ツォーンに従うヤツらはどんだけいるか?」

「あいつは出撃隊のベテランだ。多く見て五十人は」

「五十人!多いぜ隊長!」

「その戦力を失うワケにはいかないな。おれが行く。参事官ついて来てくれ」


 いつかのタクロの言葉を思い出す。蛮斧の者は実力さえ示されれば、それで従う、と。だが、


「……」

「返事無しは同意とみなす。行動が伴わねば引っ張ってくぜ」

「……」

「エルリヒ、ヘルツリヒ。女たちの支援に回れ」

「いいの?」

「ああ」

「ワカりやした。じゃ」

「……」


 睨み合いになるタクロと前城壁隊長。


「おうコラなめんじゃねえぞ」

「……」


 どちらも実力者、無駄な時間の浪費は避けねばならない。昇給を喜びあう無垢な声が響く中なら尚更。


「酒飲んで酔っぱらって、楽しくやろう!次の戦いに備えて、英気を養うんだ!」

「女買う!」

「これを元手に商売でもしようかなあ」


 隊士関係なく、庁舎前広場は明るい声に溢れている。タクロと対峙しながら、前城壁隊長もそれら声を確実に捉えている。耳が反応しているのだ。タクロもそれを感じ取っている。だから殴り合いにならない。


 こんな時、仕掛けるのはやはりタクロだ。


「……というわけ参事官。あちこちで歓喜の声が爆発している」

「……」

「それでも竿刺すんか?あ?」

「……」

「ぶっ殺された方が、幸せかい?」

「……」

「ダンマリはもう通用しないぜ」

「あっ」


 タクロが手斧を前城壁隊長の首に突きつけた。


 会場にいる全員の歩み、動作が止まり、視線が集中する。全員口を噤んでいる。


「てめえ答えろ、職責果たせる状態か!そうじゃねえのか!」


 沈黙が支配する中、城壁隊の列から見かねた様子の一人が動いた。


「……タクロさん」

「止まれ」

「えっ」

「それ以上近寄ったら、お前の首を刎ねる」

「……」


 なるほど。タクロはこのようなテクニックも持つのか。インタビューで得た印象に納得が行った。喜びだけの空気が一変する中、しかしタクロはこの空間を緊張によって支配している。


「おいお前、城壁隊野郎」

「ははは、い」

「今日はこの場に、何しに来た?」

「あ、いや、その……給与を受け取りに」

「給与か。どんな給与だ?」

「しょ、昇給した給与。いや、先に貰ってたヤツが自慢してたから……その、俺も欲しいなって」


 途端にニッコリと強烈な笑みを浮かべるタクロ。


「うんうん。良い事をしたあとは気分がいいね。で、チミはどうだね?」

「ど、どうって?」

「昇給してさ」

「……も、もちろん嬉しいすよ!すげえ嬉しい!」

「だよな!」

「うす!」

「なのにだ……このチミの元上司は」

「も、元?」

「ああ昨日から、参事官の地位に昇格させたんだ。当然昇給もある。代わりに副官殿を二代目城壁隊長に昇格させた」

「知らんかったけど、昇格で良かった!」

「そうだ。もちろん昇給もするんだ。なのにこの男は喜んでいない。都市を去り、デバッゲンに合流しようとする連中を止めもしない。おれに対する職責も果たそうとしない。何を考えているんだ?」

「……」

「チミ、チミチミ。元上司殿に聞いてみてくれよ」

「えっ、俺が?」

「喜んでいるところ悪いんだがね」

「は、はあ。あ、あの隊長、タクロさんこう言ってますが……」

「……」

「ほら、何も言わない。何を考えているかワカらん。もしかしたらデバッゲンに睨まれないように、安全地帯で危険をやり過ごすつもりなのかもしれない」

「いや、うちの隊長に限ってそりゃないでしょ」

「ワカらんぞ。参事官殿の下には族長会議からの使者も来てたらしいからな。告示を張り出したのもこの男なんだ」

「うーん……」

「だが優しいおれは言ってやるぞ。この世のどこにも安全地帯なんて存在しない。今は安全でも、たちまち刃の上に変わる。人生そんなもんだ。だから、立ち位置が明確でないヤツをおれが許容するとは思うな。おっ」


 タクロが列の誰かに気がついたようだ。


「おい突撃非デブ。貴様も来てたか」

「ううう」


 唸り始めるガイルドゥムだが、私の操縦は必要の無い程度には安定している。金と名誉のためだろう。それにしてもこの男の体は本当に引き締まった。私の能力、この蛮斧の地でも衰えを見せぬ。


「今回、おれはこの純殺戮マシーンを巡回隊長に任命した。ご存知の通り、コイツとおれは敵同士と言っていい。知ってるか?」

「まあ有名すよね」


 平然と言い放つ城壁隊士。タクロとスタッドマウアーの間に上手く割って入ったり、なかなか愉快な人物だ。


「独裁者タクロとしては積年の恨みを晴らすチャンスなんだが、んなことはしねえ。何故か?」

「何故です?」

「ワカらねえか?」

「何となくワカります。あれでしょ、街角テロリストを退治した功績すよね」

「そうだ!この元クソデブな人間のクズの人殺しが先般都市を守った功績は、誰にも譲られざるものだからさ」


 今、ある種の熱狂が生じ始めている。タクロの言葉に広場の全員が耳を傾けているのだ。


「いいか聞け!皆の衆!功績があればどんどん取り立てる!その都度、給料だって増える!おれとの関係がどんなに悪かろうと関係ねえ!光曜を攻めて攻めて、豊かになるんだ!」

「ワワワワワ!」

「そのためには!いいかそのためには、デバッゲンをこの都市に入城させてはならねえ!ヤツが都市に立ち入れば、昇給もパア、全てが元通りになるぜ!その後に不満だからって抗議をすれば、きっとヤツに殺される!」

「血も涙も無い破壊者、そんな評判の男だろうが!」


 聴衆たちが拳を突きあげて叫び始める。


「ワワワワワ!その通りだ!」

「俺たちは俺たちを認めてくれるもんのために戦うよ!」

「それはカネしかない!昇給!昇給!昇給!」


 昇給歓声喝采の中、笑顔で手を掲げてくるくる回るタクロ。タクロの扇動家としての才能が開花している。


 そこへ静かに忍び寄る蛮斧戦士がいた。僅かながら魔術を帯び、手に刃物を持っている。


 私の眼は見逃さない。


「タクロ君、工作員が近づいてます。方角は左斜め後よ」


 私の声とほぼ同時に、鋭く手斧を振るったタクロ。瞬く間にその男の腕が切り落とされた。


 刃物を握ったままの手が落ちた瞬間、魔術は消失し、


「ひぃぃ!ひぃぃぃぃ!」


 悲鳴が響き渡った。さらに、町の城門方面が騒がしくなる。上空から見ると、一般人風の者たちが、城壁を守る隊士を襲撃していた。どうやら非戦闘民に変装した叛逆の出撃隊士のようだ。


 やはり、タクロの敵が仕掛けてきた。


「タクロ君、ツォーン氏はこの町を離れる決意をしたようですね。南の門が襲われています」

「よし、おれは行くぞ。エルリヒ、ヘルツリヒ、この場は任せた」

「隊長どこ行くの?」

「ツォーンを捕える」

「へっへっへっ、オレたちがいなくて大丈夫かよ」

「馬鹿野郎、お前らはこの会場と給与を死んでも守るんだ。おれは突撃非デブを連れていく」

「えっ」【青】


 露骨に嫌そうな顔をしたガイルドゥム本人と組長ヘルツリヒ。


「おい非デブ。ここで活躍を示せば、さらに出世させてやる」

「き、きききき貴様が俺を?」

「そうだよ」


 一対一の会話では、ガイルドゥムは納得すまい。私はガイルドゥムの肩にカラスを降ろし、意識に言葉を送り込む。


「ガイルドゥムよ、これは貴方の立身の好機。嫌悪を耐え、徳を思い、参加するのです。逃してはなりません」

「で、でも……タクロのクソ野郎の部下ってのは……」


 確執はそう簡単に消えない。だからそれを忘れさせるために、時に言葉を弄することは必要である。


「ガイルドゥムよ、大丈夫です。この戦乱、タクロが最後まで立っていられる保証はありません。あなたの思いは、あなたの出番が訪れた時に発揮されるべきです」

「……」

「ガイルドゥムよ、納得できましたね?」

「そ、それもそうだな。げへへへへ」


 不仲な両者が向かい合う。面白い場面だ。


「おい非デブ、来るか?」

「い、イグ」

「この作戦の目的は?」

「こ、功績をあげる」

「その為には?」

「つつつつツォーンを殺す」

「いいぞ」

「あれ、ツォォォォーンって誰だっけ?」

「……ま、いっか」

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