第67話 母の顔の女/世の恒の男
「あなたが光曜領内でかくも醜悪な行いを為したとは……」
「ええと」
「……少々驚いています」
「あの、私も酷い目にあったんですがね」
「あなたの人間性に期待をしたのは確かに私の勝手です」
「閣下のお嬢さんがこう私の脇腹に攻撃を……」
「しかし、それにしても……」
「ちょっちょっ、いててて……お、思い出し痛みがあ」
「……私の娘に、他にはどんなことを?」
「どんなことって……そう、こう……キックを」
「自分よりもずっと小さな少女を蹴り飛ばすとは!」
「ガードされましたけどね!なんかたぶん魔術的なアレがコレして直撃しなかったんすよ!で羽交締めにしたってワケです」
「娘を蹴らせるために、私はあなたのこの足を治療したというワケですか」
「そ、そんな意地の悪いことを言わねえで……いやあ魔術師って怖いですねえ!あんな若いのに末恐ろしや」
「それで、他にはなにを?」
「もうそんな、無いすよ」
「……」
「怪我一つさせずに逃し、いや帰しましたから。そう私は家に帰したんです」
「……」
「本当すよ。光曜境は戦地、危ないから今来んなよってね」
「……」
「ご納得、いただけ……ましたか?」
「……まあ、それは本当のようですね。ワカりました、あなたを信じましょう。御配慮に感謝します」
「ふう」
彼女がおしっこチビったことは絶対に黙っていよう……後が怖い。
「それにしてもさすが閣下の子。もう魔術使えるんですね」
「そうですね」
「やっぱり血の為せる業すか」
「さて、どうでしょうか」
「なら修行とかの要素もあるんすか」
「それはもちろん。例えば、あなたはこれまで魔術の訓練をしたことは無いと思いますが」
「ま、蛮斧人すからね」
「適切な訓練をすれば、きっと使えるようになりますよ」
「へえ!魔術使えるようになりたい」
魔術を便利に使うなんて、少年の夢である。
「素養も重要ですが、その気があるなら、研鑽鍛錬あるのみです。要は他の技術と同じですね」
「蛮斧世界には魔術師はいないから、鍛えようがないかもだけど……あ、つまりレイスちゃんは学校に通って魔術を習っているんだ」
「私の娘の話はもうここまで」
「えー」
「他にすべき話があるでしょう?」
「占いの話?」
「そうです」
「つまらんなあ」
ま、この女は頑固だから、今は絶対に娘の話はしないだろうな。
「占い。まあ、部下は逆らうし、お嬢さんの件で閣下には睨まれるし、確かに油断禁物なんだなと痛感しましたが」
「私の考えでは、これらは油断とは少し違うと思います。特に、前者は人選ミス」
「うぐ」
ちくしょう。結果を見れば、確かにその通りかもしれねえ。
「その様子だと、厳しく処断するつもりはないようですね」
「まあそうすね。でも、閣下はなんであの野郎に不安があると思ったんすか?」
「こればかりは見て、話をした結果としか言いようがありません。誤解を恐れずに言えば、エルリヒ殿やヘルツリヒ殿に比べて、ナチュアリヒ殿は蛮斧的でない考えを持っているからでしょうか」
「蛮斧的でない考え、あいつがねえ」
確かに問題の少ないヤツだったが、どうなんだろう。
「素直で真面目、むしろ光曜に多いタイプかもしれませんね。ともあれ、ナチュアリヒさんの処分はあなたにとって大切な問題です。決定する前に、是非私に相談してください。きっと役に立てると思います」
「へいへい」
この女、処刑なさい、とか眉ひとつ動かさず言いそうだがな……それはそれでシビれるが、おおコワ。
「そして後者は……あなたの言葉を信じるならば油断と言うには無理がある事故です。あなたの占い師の警鐘とも合っていない」
「あ、そうだ。スタッドマウアーからの話があったんだった。閣下聞いてくださいな」
タクロが伝えてきた内容はまさに政治に関する内容で、彼が得意としない範疇のものだ。
「族長会議からの不同意通知ですか」
ただ、油断という警鐘には合致し得る。
「事実なら、おれは蛮斧有数の部族から睨まれたってことに。しかも相手はマジモンの蛮斧野郎ですぜ」
「その軍司令官候補……」
「候補じゃないです。事実上の新軍司令官すよ」
「いずれにせよそのデバッゲン氏と争って、勝利するしかありませんね」
「簡単に言うね」
「単純な問題ですから」
「コイツの評判、前に言ったことあるじゃないすか。破壊と掠奪、蹂躙に次ぐ殺戮!町は灰になり民族は滅び、生き残った者にだって泣くための涙すら残らない……!」
「タクロ君、確か面識は無いと」
「まあ、そうですが」
「どうも脚色が入っているようですね」
「前評判だけでも、それ位に厳しい相手ってことです」
「なら、対立する軍司令官を相手に、あなたの真価が問われるということですね。やはり複雑な問題ではありませんよ」
「勝てば良いって?」
「その通り」
そりゃそうだが、という顔のタクロ。発言とは裏腹に、どうも腑に落ちていない顔だった。
「いずれにせよ戦争になる。手始めに、族長会議からの使者を今からひっ捕らえて袋叩きにしようと思ってます。閣下どうです?」
「その目的は?」
「この件は朝には知れ渡る。おれが使者を虐待すれば、みんな腹を括るしかないんじゃないかなって」
庁舎隊限定ならば、私も認めるが、他の隊員は承伏すまい。
「その使者は一般人を装い秘密裏に町に入ったとは言え、城壁隊長殿を頼ってきている。通知人兼ただの見届け人でしょうから、虐待しても得るものは少ないはず。放置をおすすめします」
「うーむ、そうですか」
むしろ、
「むしろ、注意すべきは城壁隊長殿でしょう」
「え、あいつ?」
「この町でテロが発生した時、彼らしくもなく、直ちに姿を見せなかった。使者と秘密裏に話し合っていたからでしょうが……」
「そうかもな」
「しかし彼は事情をあなたに伝えた。迷いもあるのでしょう。そのため、改めてインエクで支配すべきです」
「……」
「彼のためにも」
私がこう言うことをタクロは歓迎してない上に、視線を別に向けることを隠さない。部屋のタペストリーの位置を直すふりなどをしている。
「どうかなあ。迷っちゃいるなら説得して……」
「前は面倒になって、私に丸投げしたんでしたね?」
「う……」
「それこそ油断は禁物では?」
「うーん」
インエク使用への良心の呵責をこの男から取り除く事ができれば、飛躍できるだろうに。
「そうだ。光曜のテロについて教えてよ」
話を変えてきた。仕方ない、付き合ってやろう。
「馬による騒動、通り魔的襲撃の二つです」
「だいぶ怪我人が出たようだが、死人が出なかったのは閣下の手腕がため、でしょ。感謝しますよ」
「……」
「?」
このお人好しぶり。まだ見過ごそう。
「敵は、私の知っている人物でした」
「ナヌ」
「光曜王立学園の長をしています。名はグロリア」
「え、女?」
「ええ」
撃退に至る経緯を私が話している間、タクロは目を輝かせて聞いていた。魔術の応酬に心を弾ませている様子。
「さすが光曜。宰相閣下もそうですが、女が強い。テロリストまで女。そういや、暗殺者も女でしたもんね」
「彼女は学園出身者で、私の後輩でもあります」
「その学園……ってなんです?」
「若者が、共同生活を送りながら高等教育を学ぶ施設です。卒業生は社会的に高い地位を獲得しやすい身分となります」
「へえ蛮斧には無いなあ。身分……その学園長って偉いんすか?」
「光曜の高等教育の実務責任者ですね」
「でも宰相閣下のが、偉いんすよね?」
「私が宰相でなくなったと伝えてきたのはこの人物でした」
「じゃあ代わりの宰相が立ったのか」
そう、私はもう宰相では無い。心中、政治的野心とは距離を置いていたつもりだが、胸に感じるものもある。
「今、調査を行なっているところです」
「後輩ね……閣下から見てどんなヤツです?」
それでもタクロは私を閣下と呼ぶ。これは良い関係なのかもしれない。だから、その質問に答えてやる気になった。とはいえ率直に、好ましからざる人物、と言うのも面白くない。
「今の地位を実力で勝ち取った、強い野心を持った人物です」
「叩き上げかい」
「ええ」
「女だてらにすげえなあ。出世したいんだなあ。蛮斧男では野心があるヤツなんて決まって嫌な野郎ばっかだけど、性格はやっぱキツイんすか?」
「プライドが高く、執念深い。しかも頭は冴える相手、かしら」
「厄介な相手すね。まあ、閣下の反撃で再起不能になってりゃ以後の心配ありませんがね」
意識の奥底を踏みにじってやったのだ。しばらくは立ち直れまい。
「先輩後輩ってことは、その学園って閣下も通ってたんですよね」
「ええ」
「じゃあレイスちゃんも通ってます?」
「それは、興味本位の質問ね」
何事にも節度は必要。話を引き締めよう。
「いや、マジ質問です」
「?」
「そのテロ女、レイスちゃんに関わりがあるんじゃないすか?」
真剣な表情だ。
「……何故?」
「だって、タイミング良すぎだよ」
かもしれないが、私を嫌うあの女が娘に話しかける……どうだろう?
「そう言えば、あなたは娘を尋問していましたね」
「レイスちゃん、光曜境に母親がいると聞いた、あと蛮斧兵はいないと聞いた、って言ってましたよ。微妙なトコすけど、そのテロ女がウソを教えた可能性は?」
「……」
「同じ学園とやらにいるのなら尚更」
可能性は無くはないだろうが。
「それだけではなんとも言えないですね。私の娘一人の動向が、テロと関連できるとも思えませんし」
「なら、閣下の娘さんに対する単なる嫌がらせだったりして」
その方がよっぽどあり得る。あの娘の頼りない姿を思い出してしまう。兄妹仲良くやってくれているとよいのだが。
「まあお嬢さんの件はともかく、光曜のお偉いさんが今のおれにというか、この前線都市に敵対するのはなんですかね」
「一つは様子見ですね。急に責任者が交代し状況を確認した……」
「でも、それでテロって」
「恐らく実験のつもりだったのでしょう」
「とんでもねえクソテロ女だな。いつか復讐してやるぜ」
その時は、全面的に支援するとしよう。
「さらに、現秩序の障害となるあなたを消したい者の意向がため、このような強硬な手段を取る事ができた……」
「現秩序?障害?」
疑問が募った表情だ。この話をタクロにするべきだろうか?私が思っている以上に純な部分を残しているこの男には、多少の躊躇を感じざるをえない。
「タクロ君」
「へい」
「塔が燃えた時の、私の言葉を思い出してください」
「え?ええっと」
「真面目な話ですよ」
「は、はい。ええっと」
「……」
「……な、なんでしたっけ?」
まあ、覚えていないか。
「あなたは勝利者。そうなった以上、人が好いだけでは生きていけない……」
「だから、計算高くなれって?」
「行き当たりばったりでは行き詰まる、ということです」
「それが好きなんだけどなあ」
ある意味で邪念がないとも言えるが、この場合の無欲は破滅を招くものだ。ならば、伝えておこう。
「目下、光曜と蛮斧、この二大勢力は競っていますが」
「?」
「国同士の付き合いについて、大きく分けて二つの潮流があると定義できます……どちらの側にも。ワカりますか?」
「なんすかね……戦争と平和?」
「その通り」
「当たった!ワワワ」
「そしてここ数十年近く、それぞれの主戦と和平の均衡が保たれています」
「均衡?均衡ですって?」
この事情を感じとること、タクロの地位では難しいはずだが、
「今だって外交関係途絶の上、戦争中なのに?」
「それでも全面戦争には至っていない。それは、光曜の和平派は蛮斧の和平派と、主戦派は相手の国の主戦派と、有形無形で影響を与え合っているからです」
「主戦派同士が八百長ブッコくってこと?そりゃあり得ないでしょ」
「八百長戦争をというより、売られた喧嘩は買う、だから相手は定期的に喧嘩を売りにくる、という姿勢ですね。この意味においては、双方の主戦派は信頼し合っているのです」
「……」
「思い当たりますか?」
「……なるほど。なんかワカるかも」
部隊の長で、仮にも二度目の都市責任者なのだ。肌で感じていておかしくない。
「例を出しましょう。前々軍司令官殿のことですが」
「今やその名も懐かしいぜ」
「彼は光曜と蛮斧の平和を心から望んでいた人物です」
「だろうね。ガキが光曜に住んでるって、よく噂されてたもん」
「彼の子供は光曜で特別な地位にあるわけでもありませんから、偽らざる本心なのでしょう」
当時の私が交渉役として彼を選んだのも、この事情による。
「さらに前軍司令官テオダム氏もまた、光曜の和平派と親しい関係にありました」
「えっ、そうなの」
「私は今も彼の動向を追い続けていますが……」
「空から?」
「ええ」
「うひょ!」
露骨に恐れ入った、という表情を見せられるのは今更心地良いものではないが、まあ普通そう思うだろう。しかし誰しも好奇心が勝る。
「アイツ、今何処にいるんすか」
「アリアの実家に落ち着いたようです」
「へっへっへ、熾烈な競争だったが、あの軟弱野郎の側女の地位は、突撃クソ女が手にしたのか」
悪趣味な笑い、それほどアリアとは反りが合わなかったのだろうが。
「氏がアリアと行動を共にしていることにも理由があると言えます」
「あれれ?でも、あいつの親父は光曜嫌いで有名なんだぜ。主戦派の重鎮だよ」
「我が国での認識は違います。なぜなら、傲嵐戦士アリオンは、これまでに何度も我が国と秘密裏の交渉を持っているから」
「といって、そう言い切れるのかい?」
「もちろん」
「証拠があるんだ?」
「おや、お忘れですか?私は光曜の宰相だった、のですよ。人を介して、彼から文書を受け取ったこともあります」
「マジか……」
考え込む風である。
「表面と実像が異なる好例です。蛮斧の現族長衆は、主戦派と和平派が拮抗しているように見えますが、千年河を突破して光曜へ攻め込むことは考えてすらいない」
「ちょっと待った。いや、それはおかしい。だって前軍司令官は、おれたちに光曜境への攻撃を命令したんだぜ。しかもメチャメチャ強引にな」
「酷い作戦だった」
「そうそう、その通りだぜ」
「だからまさか、攻め落とせるとは思っていなかったでしょうね」
「……」
「思いたる節はありませんか?」
「……そう言えば色々クズ発言があった記憶が……ってまさか!」
「光曜境の攻略は、二重の意味で、あなたの功績です」
「んなことはいい。もしかしてあの野郎、ホンモノの裏切者だったのか?洒落じゃなく?」
「それを裏切者とするか、誰かのエージェントだったと見るかは立場によって異なってきます」
「裏切者!」
邪念が無いだけに、目が怒っている。
「これは陰謀論ではありません。主戦派はその名の通り、戦争が続く限り彼らの存在意義を主張できるのです。故に、和平派に属するシー・テオダム氏の行動は、彼が属する側の理論からすれば真っ当というわけですね」
「野郎が目を失ったのは当然の罰だな」
我が業を正当化してくれてなにより。
「和平派は言うまでもなく、だらしない戦争が続く不利よりも、平和における活動に存在意義を見出せる人々です。より保守的で、教育や経済活動を重んじる、全体としての活動より個人の生き方を重視しているとも言えます」
「HEッ!自分さえ良ければいいって?」
「極論ですけどね。ただ彼らは社会の成功者ですから、戦争で身を立てようとする人を嫌う傾向はあるでしょう」
「……確かにおれは、前だけじゃなくその前の軍司令官とも相性が良いとは言えなかったかも」
「しかし、あなたは上手くできていたと思いますよ、私は」
「えっ、どこらへんが?」
意外だ、という表情。これがウソなら、相当の悪党だが、この男はさにあらず。
「採用活動の時のテオダム氏は楽しそうでしたし」
「そりゃ、お目当ての女がいたからだろ」
「そして、あなたと氏の意見は合ってましたね」
「えーっと、まあ」
「あと、前々軍司令官殿は、あなたに高い評価を持っていました」
「マジですか?」
「ここに来た当初、彼から直接伺いました」
「ほ、ほーん」
少し嬉し気。単純なところもある。
「あなたは有力者の家族でもないし、特別な縁故はないのでしょう。しかし、上質で確かな教育を受けている」
だから私とも良好な関係を築けている。自覚はあるまいが。
「教師の叔父上ご夫婦に感謝をすることです」
「へえ……まあ、たまには……顔を見せにいこうかな、という気にはなったかも」
権力者ともなるとそれも容易では無く、気の毒な話ではある。
「その上での話です。今、私は世界を単純に二分しましたが、これからあなたはどちらに属するのか。あるいは属さないのか。それを示すことで味方と敵を選択することができます」
「選択。すげえ偉そうな言い方だ」
「また、戦争と平和、主戦と和平、全体と個人、境は不明瞭ですから、各領域からはみ出す事象は常にあるもの。現秩序の側から眺めればさしずめ、それがあなたです」
「うーん、おれってスゴかったんだなあ。知らんかった!……なんてね」
「……」
「え、ギャグじゃないって?」
自身が特殊な存在である自覚を、ぜひ得てもらいたいものだ。彼の飛躍のためにも。
「まあ!ともかく、どうもこうも、どっちみち、当座は、何はともあれ、いずれにしろ、且つ且つ、兎にも角にも、うまくやってやりますよ」
「ええ。生き残るためにも、ね」