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境界防衛  作者: 蓑火子
昇格ステージにて
64/131

第64話 スープを飲む女/ご帰還の男

―国境の町 大通り


 群衆の中で大暴れの遠隔馬。強烈な後蹴りで弾き飛ばされたり、恐怖のぶちかましの末に踏み潰されたりと、まるで容赦なし。哀れな蛮斧人たち。


「ぎゃあ!」

「ぎゃあ!」

「ぎゃあ!」


 さて、捕捉の用意は整った。達成まで短時間で十分だろう。


 遠隔馬を囲んで配置についた鳥たちに、目標へ向けて次々に衝力を放射させる。視覚ではとらえる事の出来ない攻撃が、蛮斧の民衆を避けながら向かっていく。対する遠隔馬は、体から衝力を沸き出して、私の攻撃を弾き飛ばす。空気が揺れ、轟音が鳴り響く。またも哀れな犠牲者たちが弾き飛ばされていく。衝力の相殺を狙う馬が笑う。


「大人しく見ているよりも、戦いたいようだな。だがマリスよ、お前は既に堕落し、私には及ばないよ」


 幸いにも、この未熟者はまるで気が付いていない。弾かれた衝力が、消えずに留まっていることを。既に絶好の間合い、私は宙に浮かぶ全ての衝力を連結し、


「なっ!」


 魔術的高等技巧である衝力の檻の中に、遠隔馬を閉じ込めた。音に変わった衝力の響きが、相手に事態を悟らせる。短時間のみの継続だがこれで十分。私の衝力は囚われの馬体上に立ったカラスを通して浸透し、


「!」


 すぐに遠隔操縦者の先端に触れた。走査を始める。


 この者は遠くはるばるこの地を見ている。私はその衝力の波に乗り、発信者の元へ遡上していく。その流れは、魚はもちろん波よりも速い。魔術、衝力とは何よりも細かく、何よりも小さい極地を操作する学問、技術だ。故にどこにでもあるものだから、無数の極地間を繋ぐ流れさえ見出せば、どこまでも解き明かしたその場所をイメージできる。それこそ思い出は思い出の中の姿のまま。到ったものは……懐かしの光曜王立学園庭園内。そして、なるほど。相手は予想通りの女だった。この心を割ってみせよう。私は衝力の逆潮を試みる。流れの波を割ると、亀裂の道が奔った。


「あぐっ!」


 悲鳴。私のものではなく、衝力の逆潮が視聴覚に到達した衝撃によるもの。脳乱した女の視線が目まぐるしく回る。回る回る。回る視界は無節操に映す。手入れのされた手と流行の爪飾り、華美な服装、奇抜な靴、そして高級な喫茶道具一式に茶が回る。琥珀色の茶面に写った耳のやや尖ったその顔は、今は王立学園の長の地位にある、相変わらず野心に満ちた女のそれであった。


「な、なめるな!」


 逆潮は視聴覚に圧を加える程度に留まった。私に対抗し、嫌悪を示してばかりでいた人物のためか、衝力操作の修養は怠っていなかった様子。初手の反撃は防がれたが、既に築かれた拠点からさらに攻め続ける。今度は意識へ向けて。


「わ、私の精神に入り込むつもりか」


 その通り。意識の奥底まで、その感情や動機を暴かせてもらう。私は揺り椅子に深く腰掛けた。魔力をより小さく、より細かく分割していく。


と、そこに、夕食を持って、アリシアが入室した。


「失礼いたします」


 この薫り、今日は鹿ロース肉の羹か。粗末な食事が多い蛮斧世界の中にあっての上等な料理は、タクロの配慮である。


「ありがとうございます。ところで何か、少し町が騒がしいようですね」

「はい。なんでも馬が暴れて怪我人が出ているとか」

「まあ。恐ろしいですね」


 テロリストについては言及無し。もっともガイルドゥムが順調に排除中なのだ。そして私が同時に学園長の精神を丸裸にしようとしているなど、この気高き少女は知り得ない。私にとって、書類を作成しながら会話をするようなもの。


「誰も酷い怪我をしないことを祈っています」

「……はい」


 無口だが信頼のできるこの少女は坦々と用意を整えていく。だが私にはワカる。前軍司令官の排除に成功した頃から、私を見る目が少し変わってきた。恐らく、何かに気がついているのだろう。だからこんな質問は偽善でしかない。


「その後、庁舎隊長殿……いえ、新しい軍司令官殿のご機嫌はいかがですか」

「まだお戻りではありません。しかし、今は河の対岸に陣を置いているそうです」


 気づきが何か、それを探るのも容易だが、私のお気に入りであるこの娘に無体な行為は気が進まない……ナチュアリヒを処断しないタクロの感傷と同じと言えるだろうか?


「もしや霧の中で、戦争ですか」

「いえ、霧について調査をする、と聞いています」


 互いにとって無意味な会話だが、私にとっては価値がある。見立てでは、残ったメイドの中でアリシアは最も優秀である。いつか全てを打ち明け、全てを承知させ、彼女を私の能動的協力者に仕上げたいものである。


「ありがとう。美味しそうですね」

「恐れ入ります。では後ほど、器を下げに参ります」

「はい、いただきます」


 アリシアが退室し、私は銀匙でたぐったスープを口に運ぶ。味付けは質素な蛮斧式だが、上等の肉の風味が口内に広がる。


「美味しい」


 良い食事だ。食欲を刺激された私が、一口、もう一口とたぐり続ける度に、私は女の意識の中に踏み込んでいく。土足で花壇を踏み荒らすように。


「や、やめろ」


 そこでは、権謀の記憶、権力への渇望、金銭への執着、弛まぬ努力、私への対抗心が平凡な空間を背景に、星の瞬きの如く形を為す。さらに奥へ。


「や、やめてくれ」


 野心深い女の良き想い出が形為す領域に入る。場所は麗らかな陽の差す光曜王宮。私にも見知った人々が談笑している。王、王妃、そして太子。それをこの女は、部屋のやや外れから眺めている。しかし、視線の先には、私の亡夫と息子がいた。強い印象の光を身にまとって。


 私は亡き夫を実に久しく、鮮明に目撃した。


 それほどに克明たるその姿をイメージしているこの女が、亡夫に思いを致していた者たちの一人であることは知っていたが、私の息子の記憶があるのは何故だろう、と言うのは愚かというもの。亡夫と息子のその容貌は、親子にしても酷似していた。


「や、やめいぇ」


 さらにその奥へも踏み込む。そこは願望と渇望の坩堝、社会的な禁忌が存在しない、どのような人間にも存在する心の階層だ。形を持たない思念が重層的に渦巻いている。この欲の海を抜けた先が、私の目的地だ。


「うあああ」


 見えてきたのは圧縮、というよりこの女自身により抑圧された記憶領域だ。人は誰しも、思い出したくない記憶をこの場所へ埋葬する。それを発掘し、この女の眼中に突きつけるのだ。


「や、いあ、やあ」


 女は怯えているが無理もない。日々、自身忘れたフリを続けている深淵に触れられることなど、誰にとっても耐えがたいはず。


 私の横を独りの少女が走り抜けた。風景が伴走している。映し出されるは貧しい生まれに惨めな幼少時代、這い上がるために舐めた辛酸、屈辱、初めての挫折、繰り返される挫折、復讐への誓い、勝利、克己、奪うことの喜び、自らの卑しさを知った時、自身を他者へ捧げることへの歓喜、生き恥、憎悪と嫉妬、涜神、弱者へのいたぶり……


 まだまだ出てくる有象無象。しかし、ここに加えるべきものは無い。それは、自身を欺いているこの女に特異なるものでなければならない。私は、先の王宮から私の息子を呼ぶ。


「ここへいらっしゃい。そしてこの風景を視るのです」

「はい、母上」

「!」


 欲溜まりが荒れ、光の瞬きの波が深淵を濡らした。波を割って現れた息子が、女の深淵に立った。


「ぎいいやあああぁ」


 女は頭を抱えて叫んだ後、失神し、高級喫茶道具の上に倒れた。と同時に、この女の心象世界が動きを停止した。私の息子、正確にはこの女が生み出したそのイメージも。すべからく止まれば風化するのみと言う。この原則は心象世界にあっても例外ではない。この女を辿る衝力の道もすぐに消えるだろう。かくも恥をかかせてやったのだから、しばらくは再起不能と期待する。



 衝力の押し合いを制した私は、はしたなくも全て平げた器の底を眺め続けている。戦いに勝ったという事実はかくも心地良い。


 そして亡き夫の想い出を添えて、子供たちのことを想う。彼らは元気にやっているだろうか。



 遅まきながら、蛮斧の戦士達が町に繰り出し始めた。通りにはかなりの数の負傷者が倒れており、死者の無いことを願うのみだ。操られていた哀れな馬はすでに解放されていたが、訳もワカらず力なく怯えるだけで、蛮斧戦士に引き立てられて行った。このまま行けば人を襲った獣として、処分される。明日まで生き抜けば、哀れこの馬を逃してやれようか。


 ガイルドゥムの活動も順調で、


「死ねえ!」

「ぎゃあ!」


 最後のテロリストを成敗し終わった。そして例によって、


「あ、ありがとう……ございます」


 助けた相手に礼を言われる。またしても女性で、その熱い目は戦士に注がれている。


「へへ……ぐへへ」


 痩せたガイルドゥムは確かに男振り良く見え、もはや巨漢魁夷の戦士とは言えない。タクロの競争相手になったりしたら笑ってしまう。


「ガイルドゥムよ、よくやりました。このまま療養所に戻りましょう」

「そ、そんな……なんで……どうして……」


 功績を誇りたいのだろう。


「ガイルドゥムよ、謙虚が、あなたの名誉を倍加するのです。私を信じなさい」

「あ、あい」


 とぼとぼ帰路につく戦士の背中は暗い。が、救われた女たちの顔から察するに、明日にはガイルドゥムの働きが町最大の噂になるに違いない。


「何事だこれは!」


 同時に、いままで何処にいたのか、城壁隊長が通りに出て指揮を始めた。それでも動きは相変わらず的確で速い。町の混乱もすぐに収まるだろう。


 大事になる前に、テロを防止できたのは幸いだった。私は揺り椅子に深く腰をかけ、タクロの意識に呼びかける。


「タクロ君、こちらは片付きましたよ。そちらはどうかしら?」

「おお、びっくり!……いや、そうかよかった。こっちも大丈夫だよ。無事に片付いた。全員無事で、今急いで戻ってます」

「それはなによりでした」


 自分の声を自覚すると、それは不思議なほどに晴れやかなものだった。




―千年河右岸


 女宰相の声が妙に明るい。彼女らしく無い気がするが、何か良いことでもあったのだろうか。


「で、結局何があったんです?おれへのテロって?」

「まだ調査が必要ですが、端的に言えば、とある光曜人があなたの失脚を目論んだかもしれない、ということです」


 光曜人だと?


「でも、光曜人に知り合いなんていないすよ……まあいないこともないですが、蛮斧に逃げてきたような連中ばっかりだ」

「詳細は帰還後にお話しします」

「いっつも話をボカされてるんだけど」

「確かにそんな事もありますが」

「え、ちょっと」

「今回は私の考えを余さずお伝えしますよ」

「今教えてくれてもいいんですが」

「これから渡河でしょう?油断は事故の原因になりますから」

「……やっぱり上から見てるんすねえ」

「私も忙しくしていたのですよ。だから、今、見たところです。あら、アリシアが階段を歩いて来ていますので、この辺りで」


 あの階段は女宰相の庭だな。


「それでは……あ、そうでした。もう一つ、今お伝えすることが」

「へいへい、なんすか」

「光曜国の宰相が解任されたようです」

「へえ。政変すかね。どこも大変だってあれ?でもそれって……ちょっと、閣下のことでは?」

「そのようですね。それでは」

「……」

「……」

「え、閣下?」


 答えがない。魔術を切りやがったな。クビになったのがショックだったのかな?


 おれはトサカ頭どもが渡河する様を眺めながら考える。


 それにしてもクビかあ。まあ、何ヶ月も帰ってこないんじゃ当然か。自分から進んで蛮斧の捕虜になったっつってたけど、おれが捕まえたんだし、おれのせいでもあるな。なんか責任感じるかも。


「隊長、補給隊が渡り終わりました。俺たちも渡れますぜ」

「おう」


 これから彼女をなんて呼ぼうかな。前に、マリスさん、と呼ぶ許可はもらったけど、なんとなく閣下に戻ってるし。妙な貫禄がある女だからかな。


「隊長」

「おう?」


 霧から出てすっかり元気なトサカ頭。


「結局、あのガキはなんだったんでしょう?」

「光曜人でちょっと魔術が使える感じだった」

「やっぱ。俺、なんかされたんすよね。記憶がおぼろげでよく覚えてないけど……大丈夫すかね?」

「体調はどうだ?」

「普通です」

「他の連中はどうだ?さっきは大丈夫そうだったけどな」

「まあ、みんな気味は悪いって」

「戻ったら女宰相殿に相談してみるか。なんせ彼女は有名な魔術師だからな」

「あ、ありがたいです。でも……女宰相殿も同じことができるんですかね」


 確かに、当然の疑問だ。できるというかもう同じことをやってるが、ボカしておこう、


「魔術についてよくワカらん。光曜人全員が魔術を使うわけでもないしなあ。でも、洗脳ができるならもうやって、とっくに脱獄してるだろ」

「確かにそうですねえ。魔術にも種類があるんですかねえ。でも隊長は良く大丈夫でしたね」


 意外に色々考えていやがるなあヘルツリヒめ。適当に誤魔化しておこう。


「おれは喧嘩最強だからな!ワワワ」

「すげえや隊長、いや軍司令官殿!一生ついて行きます!」

「ワワワワ!」

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